秘密のルーザー様

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 弔いの鐘が鳴っていた。教会をこの日も雨が押し包んでいる。
 様々な者の人生を揺るがせた、あの南の島から帰還して一月。
 親族の手によりルーザーの追悼式が行われていた。
 25年前に一度命を落とした男は、その血を分けた子によって、天上へと新たな生を得た。
 運命に負けた彼は、これで救われたのだ。



 マジックは式後の会食で、双子の弟たちを一室に呼んだ。
 共に黒い喪服のためか、二人は常より増して似て見える。
 薄いブロンドが遠い目をして言った。
「やっぱり僕にとっては、天使のような人でした……」
「……俺にゃあ悪魔のような男だったぜ……」
 濃いブロンドが対抗するように口を開く。
 しかしそうは言いながらもハーレムは、切なげに眉根を寄せている。
 双子は立場は違えども、死んだ兄に同じ愛を抱いているのだ。
 マジックにはそれがとても貴いことのように思えた。
 数多の葛藤、幾多の迷い、無尽の憎しみを越えて、今自分たち兄弟はまた解りあった。
 血のつながりとは不思議なものだ。別れても分かれても最後はまた同じ場所に還る。
 離れられない。兄弟である限りは。
 ……そんな弟たちの前では、自分は正直であらねばならない。
 やはり真実を話すべきだ。
 ルーザー、死んだあの子もそれを望んでいるだろう。
 マジックは沈痛な面持ちで語りだした。
「私はお前たちに謝らなければならないよ。実はずっと、黙っていたことがあった」
「……」
「……」
 双子は体を硬くした。何かを覚悟しているのだろう、共に上目で自分を窺っている。
 昔、彼らのやったいたずらを叱る時のようだ。ふと懐かしくなる。
 マジックは二人の緊張を和らげるために、薄く微笑んで、言った。
「今こそ、お前たちに話そう……ルーザーの秘密を……」



 ――知っての通り、父が早世してすぐに私は総帥職を継いだ。
 そしてまだ幼児だったお前たちの世話は、ルーザーに任すことになった。
 あれはそんな全てが脆い薄氷の上にあった頃の出来事だったよ――



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「兄さん、お帰りなさい。遅かったですね」
「……まだ起きてたのか。寝てろと言ったのに」
「待っていたいんですよ」
 背後でルーザーが自分のコートを脱がせながら言う。
「ハーレムとサービスは?」
「ふふ。よく眠ってますよ」
 仕事から戻った自分を迎えるルーザーの顔を見ると、ほっとする。
 本当にこの弟はよくやってくれている。
 だからこそ自分は安心して戦場に行くことができるのだ。
 子供部屋で双子の寝顔を見た後、マジックは隣室の居間で寛いだ。
 ふとルーザーを見ると、扉の前で彼には珍しくただ突っ立っている。
「どうした? ルーザー。顔色が悪いようだが」
「……え、いえ、何でもありません」
「何でもないことないだろう」
 最初は光の加減かと思ったが、いつもの白い頬からは、今夜はさらに血の気が引いている。
 マジックは立ち上がって、弟の肩を抱いた。冷たい。
 そのままソファに座らせた。
「体調が悪いなら、無理するんじゃないよ。今日はもう休みなさい」
 ルーザーは俯いて黙っている。
 薄い肩を抱く腕に力を入れると、素直に長めの金髪が自分にもたれかかってきた。
 しばらくそうしていると、ルーザーがそっと口を開いた。



「……兄さん、最近僕は変なんです。時々ぼうっとしてしまうし、頭が痛い」
「疲れてるんだよ」
「例えば今日もハーレムを世話した記憶がないんです。ハッと気がつくと、あの子が寝ていて。前はこんなことなかったのに」
「ルーザー……父さんがあんなことになって以来、お前には随分無理をさせてるから」
「そうでしょうか」
 その時。
 ガシャアアアアアアアン!
 隣の子供部屋で大音量が響いた。
「またハーレムだな」
 ハーレムには冬眠するリスのように、自分の宝物をベットの中に入れて眠る癖がある。
 いつも目を離した隙におもちゃの電車やロボットを毛布の下に入れ、しかも寝相が悪いのでそれを蹴り上げたり壊したりするのだ。
 今もまた何かを壊したに違いない。
 マジックは隣室に行こうとして、立ち上がり……急に肌寒さを覚えた。
 明らかに部屋の気温が下がっている。空調の異常か?
 ……。
 肌に汗がにじむ。
 湿度まで上がってる?
 え? 寒くなってるのに不快指数上昇中ってどゆこと?
 しかもなぜか背後を振り返ることができない。
 え? この史上最強と言われちゃう自分が振り返れないってどゆこと?
 全身に凍りついた汗が流れ落ちていく。
 地の底から響くような冷たい声が響いてきた。
「ククククク…………悪い子だなあ、ハーレムは! 私の言いつけ通り大人しく眠らないなんて!」
 え? 何? 笑い方と一人称が変わってるんですけど?
「クク……アハハハ……これはお仕置き? お仕置きですよね、兄さん? どんなのがいいかなあ、楽しみだな……ククク……」



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「……と、ルーザーは実は二重人格でな……衝撃音をきっかけに人格が入れ替わっていたんだ」
「ホントに天使と悪魔がいたのかよッ!」
「僕には天使しか見えないな」
 ハーレムが口から泡を飛ばして怒り出す。行儀悪く足をバタバタさせている。
「だいたいさ! それなら、ナ、ナンデ俺ん時ばっか悪魔バージョンなんだヨ! 不公平!」
「それはお前が物を壊してばかりいたからだ」
「自業自得だね」
「ナンだとサービス!こないだおジャ魔女どれみに出てたクセに!」
「お前は郷土芸能番組正月編に出てた」
「ケンカはやめなさい! 二人とも」
 どうしてこう双子は仲良く出来ないのか。
 マジックは頭を抱えた。
 だからッ! だからルーザーはッ!
「おそらく発症原因は育児ストレスだ……あの子に子育ては向いてなかった。しかも当時小学生」
「俺にはルーザー兄貴が小学生だったことが一番信じられねーヨ!」
「その頃はマジック兄さんも小学生だったはずってツッコミはナシですか」
「……とにかくだな、」
 あの子は可哀想な子だったんだ。
 なんとか暴走を止めて、正常に戻ったルーザーと何度も話したさ。
 医者にも見せた。
 だが、結局は時間をかけて直すしかないということになって。
 だからあの子は二重人格、つまり解離性同一性障害のまま、時々現れる別の人格と戦い続けていたんだ!
 天使の人格と悪魔の人格の間でね……考えてごらん? 
 これは悲劇だよ。
「それを私たちは、天使ルーザー、悪魔ルーザーと呼んでいた」
「名前つけてたのかヨ!」
「もう少しひねってほしかったね」
「ちなみに読み方は、エンジェルーザー、デビルーザー」
「俺は絶対呼ばねーゾ、ソレ」
「誰に説明してるんですか、兄さん」



 ハーレムが椅子を蹴って体を乗り出した。
「っていうか、被害者は俺じゃんかよ! 俺がカワイソウなんだよ!」
 そうか? そんなことはないだろう。
 やはり一番辛かったのは本人だと思うが。
「……でもそう言えば一時期何を聞いても『ハーレムはよく眠ってますよ』と言ってたな。あれは私を心配させまいとして」
「俺は眠らせられてたんだヨ!」
「永遠に、じゃないだけマシだ獅子舞」
「ナンだと、このゴフッ」
 マジックは叫び出そうとするハーレムの口を手で塞いだ。
 始終ケンカをしたり世話を焼かせる弟たちもどうかと思うが、実はそのハーレムの『怖い』という気持ちもわかるマジックである。
 なにしろ悪魔ルーザーは……。



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「兄さん、ちょっと来て下さい」
 敬語なのに有無を言わさない空気が感じられる。
 貴重な休日の午前。
 マジックは連日の激務で疲れた体を押して、庭まで出た。
 ルーザーが華やかな笑みを浮かべながら、大木の下で手招きしている。
「兄さん」
「……」
 ここまで来てしまったからには行くしかなくて、仕方なく弟の側まで行く。
 彼は手にラケットを持っている。銀色のガットと金髪が太陽光にきらめいていた。
「バドミントンの羽が引っかかったので取って下さい」
 マジックは弟の指差すままに、上空を見上げた。
 どんな力で跳ね上げたのか、樹高30mはある巨大なクスの木の先端に白い羽が引っかかっている。
 一体誰とバドミントンをしていたのだろう、と周囲を見渡すと、隣の木に逆さ吊りになっている濃い金髪が見えた。
 ハーレム……
 その下には割れたグラスが転がっている。
 あれほど庭で遊びながらジュースは飲むなと言ったのに。
 大木の根元では幸せそうな顔で、何も知らないサービスが眠っている。



「あれは……無理だよ。高すぎる。そもそもあそこまでどうやって」
「どうして無理なんですか? アナタの秘石眼使えばチャッチャッチャと取れるでしょう? あのてっぺんの枝を折ればいいんですよ。それともその両眼は飾りですか?」
「……だってお前、そんな風に軽々しく力を使うのはどうかと……」
「兄さん」
 がしっ。
 ルーザーがマジックの両肩をつかむ。
 どこからか冷気が吹きぬけてくる。
 おいおい、おかしいぞ。
 ここは外。世界とつながる空の下。
 なのに確実にここだけ10度は気温が下がっているんだが、どうなんだ気象庁。
「な、なんだいルーザー……」
「秘石眼、というのは誰のためにあるものですか? 自分だけのためにあるものですか?」
「……あ、青の一族全体のために……」
「そうでしょう? そうアナタは仰ってますよねえ、いつも?」
「……ッ」
「今、ア・ナ・タの目の前で困っているのは誰ですか? 全くの他人? それとも? イ・チ・ゾ・ク?」
「……」



〜5分後〜
 マジックが取った羽を受け取り、ルーザーは満足そうに微笑んだ。
「ククク……さすがは兄さんですね。両眼秘石眼でしかも力をコントロールできるだけのことはあります。私もそろそろ訓練した方がいいかな」
「……そうだな、そうした方がいいな、それじゃあ私は部屋に戻」
 がしっ。
 腕をつかまれた。
 ま、まだ何かっ!?
「あと、ハンモックでも釣ろうと思うので、この木とこの木に10cm四方の穴をあけて下さい。水平にあけないとやり直しですから」
「……」



〜5分後〜
「ククク……さすがは兄さんですね。仕事が速くて正確だ。素晴らしいですよ」
「じゃあ私はそろそろ昼御飯でも作」
 がしっ。
「ずっと思ってたんですけどね。庭に温泉を掘るってのはどうですか」
「温泉ってお前。火山地帯ならともかく、こんな都市部だと1000mは掘らないとお湯が……というかハーレムをいい加減許し」
「掘ればいいじゃないですか」
「え……」
「掘ればいいじゃないですか? 1000m掘れば出るってわかってるんなら、やればいいだけの話でしょう? 何の問題があるっていうんですか」
「……ル、ルーザー、実はお兄ちゃん、ちょっと仕事で疲れてて……」
「兄さん」
 庭の木々が風もないのにざわめき、小鳥たちがバタバタと飛び立っていく。
 太陽が隠れ、西の空から黒雲が湧き出し、辺りがおどろおどろしい雰囲気に包まれていく。
 この世の終わりがあるとすれば、こんな瞬間なんだろうとマジックは思った。
「仕事。仕事。勿論アナタの仕事というのは、私たち一族を率いていくことだ。それに休みも何もある訳ないでしょう。アナタがここで生きている限り、この世に一族が存在する限り、永遠に続く仕事です。そしてそれはアナタにしか出来ない。疲れたなんて言っていられる御身分ですか?」
「うっ……」
「そして今。アナタは誰にでもできる昼御飯を作るより、ずっと有益な仕事をやるべきだ。一族の福利厚生にアナタは尽くすべきです。だってアナタにしか出来ないんですよ? 地中に穴をあけて温泉を掘るなんて仕事は。じゃあ私にやれと? ハーレム? サービス? こんな無力な子供たちに? ハッ! まさかね?」
「……」
「ただ折角作りたいと仰るんだから、私も鬼じゃない、私たちの昼御飯は作らせてあげましょう。それが終わったら……わかりますね?」
「……」



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「で、掘ったのかヨ……」
「……掘ったさ……その日丸一日を使ってな……さすがの私も眼精疲労に……」
「でも家に温泉はありませんでしたよね」
 マジックは深い溜息をついた。
「出たのが石油でね……夕方までに天使ルーザーに戻ってくれたから良かったようなものの……あのままだったらどうなっていたことか」
「何か庭がオイルくさいと思ってたんだヨナ」
「そういえば家に油田がありましたね」
 まあそんなことはどうでもいい。
 とにかく。とにかくだ。
「あの子はかわいそうな子だったんだよ……ッ。そして気付いてしまった周囲の人々も微妙にかわいそうな目に」
「いや、気付いたヤツの方が十分カワイソウだろ、その場合ヨ」
「もしかして気付かなかった人って僕のことですか、兄さん」
 マジックはそんな末っ子を見据えた。
「……サービス。お前にも関係することがルーザー関連である」
 これは告げておかねばならない。弟たちの前で正直であろうとするならば。
 サービスは自分の目を見た。そしてその意を汲み取ってくれたらしい。
「まさかジャンを殺したのも悪魔ルーザー兄さんが」
「あの後研究所で聞いた所では、高松がお前たち新入隊員の血液検査の時に、ルーザーの前で試験管を割ったらしい」
「高松……」
 サービスの報復の相手は決まった。
 ハーレムが負けじと身を乗り出してくる。
「兄貴ッ! 俺はッ? 俺のトラウマの小鳥キュッは? アレどーなんだヨッ!」
「それは絶対にお前が何か壊したんだ。考えんでもわかる」
「僕が目覚めた時は、天使ルーザー兄さんでしたよ?」
「サービスッ! どーしてお前はそう要領イイんだヨッ!」
「待てよ? 小鳥がいなくなった日か……私が仕事から帰ってきた時は天使ルーザーだったと思ったが。なにしろあの日は夜食を出してくれた。たしか焼き鳥」
「ソレ! ソレはぜったい悪魔ルーザーだって! 兄貴アンタ食わされてるッッッ!」



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「すまない。私は食欲がなくてね。後はお前たちで食事してくれ。仲良くな」
 椅子を立ち、こちらに近づいてくるマジックの足音。
 部屋の扉の外で立っていたシンタローはハッとした。
 通りがかりに声が聞こえて。
 立ち聞きするつもりはなかったが、つい最後まで。
 扉が開いて、マジックと目が合う。
「聞いてたのかい、シンタロー」
「……」
 気まずい。
 何と言うべきかわからなくて、視線を地に落とす。
 と、空気が緩んで相手が軽く笑った気配を感じた。
「……これからは、軍の方はお前がやってくれるんだろう」
 シンタローは南の島から帰ってすぐに、総帥職を継ぐ決意をしていた。
 色々な出来事と運命の巡り合わせがあった。
 目の前の男には、俺の知らない過去がある。
 でもこれからは俺が新しい未来を作り出すんだ。
 だから、ただうなずいた。
 今は言葉は言えなかったが、気持ちは伝わったらしい。
「ありがとう」
 そう言うと、マジックがシンタローの頭に手を置いてきた。
 そして静かに言う。
「……シンタロー。さっきの話だが……まだ私たちにはやるべきことが残っているよ」
「え?」
「青の一族にはどうやら一世代につき一人、そういう不幸な子供が生まれるらしい。私たちの世代はルーザー」
 まさか。
「息子世代はコタロー」
「……ッ!」



 善悪の倫理観を持たなかったというルーザー。
 そして同じ病を持つ子、コタロー。
 その症状が同じである可能性は十分にある。
「もしあの子もそうだとすれば、根本的な癒しは時間をかけてやっていくしかないよ。お前が軍をやってくれるなら、私がそれをやる」
「……」
 シンタローは顔をあげて背の高い人を見上げた。
「あの子が目覚めたら、ね。対処療法的には物を壊す音を立てないようにする等色々考えられるが。とにかく……私が今まで与えられなかったものをあの子に」
「……わかった」
 心が温かくなる。
 この人は、父親になろうとしてくれてるんだ。
 その気持ちがとても嬉しかった。
「……父さ」
 パリンガッシャアァァァンッ!
 薄く開いた扉の隙間から、廊下に大音響と大声が耳をつんざく。
『おおっと、ワリィ、ワリィ、割っちまった! この皿がスベるからイケねンだよナ』
『静かに食べることもできないんだね、ハーレム』
『ナンだとッ! この』
 ガラガラグシャッッッッッガランゴロンガランッッッ!
『おおっと、今度はこのテーブルクロスがスベるからイケねんだよナ』
『動物園に帰れば』
『ナンだとッ! この』
 グワワワンガシャッ――ガガガガグワンガシャンドッカーン!!!! ゴガーン!!! ドガーン!!!
 最後は眼魔砲を打ち合う音が響いている。建物全体が振動していた。
 むしろ崩壊寸前。
「……」
「……」
 シンタローとマジックはそっと顔を見合わせた。



 その後。ハーレムはシンタロー新総帥にガンマ団を追放されたという。





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