パパ、しっかりしてよ
「え。コタロー、お前、パプワ君が好きなの」
「単刀直入すぎて顔を赤らめる暇さえないよ、パパ……」
ガンマ団本部の一室では心温まる親子の会話が行われていた。
僕はぐっと手を握り締めると、ソファを蹴って立ち上がる。
そして正面に座るパパに向かって力説した。
「って言うより友達なんだよ! 南国少年と美少年の友情を汚さないでほしいよ」
目の前の人は不思議そうな顔をしている。
そして紅茶を一口すすって言った。
「友達? でも要するに会いたいってことだろう」
……会いたい?
そう言われると、僕の目の前に明るい風景が広がった。
あの南国楽園。きらめく太陽、光る海。
そこに住む素敵な人々。ナマモノたち。
そして――初めての友達、パプワくん。
今はきっと、絶対に生きてるお兄ちゃんと、一緒にいる。
そうだ。僕はたしかに。
みんなと会いたい。
僕は脳裏に浮かんだ幸せに少し微笑むと、はにかみ気味に言った。
「うん……まあね、そうズバリ言われると照れるけど」
「なぁんだ、じゃあ私のシンちゃんへの気持ちと一緒じゃないか」
「……ああーあ、なんだか池のメダカが突然、汚れたナイアガラの滝に叩き込まれた気分だよ。ねえ……パパって友達いたコトないでしょ。むしろ想像だにできないけど」
――パプワくんを好きって気持ちはすごく正しい。
でも。なんかパパが言うとピュアじゃないんだよね。
パパの常識に僕らの『友達』って感覚、多分ないから、別の言葉で説明するしかないのかな……。
「わかったよ、もう恋でも愛でも30禁でも何だっていいよ、僕はパプワくんが好きだよ、それでいいよ」
「おっ、やっとこの私にもピンときたよ。特に最後に。上手くいくといいね、協力するよ」
「この時ばかりはよかったよ、男同士に何の疑問も持たない父親で」
そう言った僕はパパを見上げて、つい目を逸らしてしまった。
現総帥のお兄ちゃんが行方不明になって以来、パパは再び総帥代理の座について軍を指揮している。
あの、赤い服。
僕の、父親……パパ。
僕は窓の外を見つめながら思い出すように言葉を発する。
「……パプワくんはね、親がいなくてすっごい苦労してるんだよ。おじいさんはどうやらいたけど」
「ああ、あの巨大フクロウのカムイさん。懐かしいな、シンタローのお友達の、雌雄同体のイトウさんと鯛人間だか人間鯛だかのタンノさんはお元気だろうか」
「パパって団員は使い捨てのくせに、一般人とナマモノに対しては妙に上品優雅に対応するよね」
ああ、そう言えば、とパパは、手元のカップに触れながら、やけににっこりして言った。
「しかしお前とパプワ君は青と赤だよ? いいの? それ」
「パパが言わないでよ」
「運命に引き裂かれた恋なんだ。まるでロミオとジュリエット」
「パパには僕らが毒飲んで死んだマネするバカップルに見えるんだ。アンタ騙されないでしょ、第一」
「というか、お前10才でまた早熟だね。私なんてその頃そんな暇もなかったよ。家事と育児で精一杯、そしてすぐに総帥に」
「パパの方が飛び越しすぎてるでしょ、人としての成長段階を」
「うーん、恋愛か」
パパは考え込むように腕を組んでいる。僕と同じ色の金髪が揺れていた。
「でも難しいな。だって私は恋愛に苦労した経験がないから。もうシンちゃんと愛の嵐で28年ずっとラブラブ、総帥譲ったのは25年目の銀婚式記念日だよ」
「……さっきから感じてたけど、パパって一個の発言にたくさんキツイ所入れるから、いたいけな美少年にはツッコミの方が難しいよ……」
やれやれ。まったくさあ。
僕は、ばふっとまたソファに座り込む。
なんとなく膝をかかえて体育座りをしてみた。
「コタロー」
すると突然名前を呼ばれる。
反射的に体が固くなる。肩がすぼまる。膝をかかえる腕の力が強まった。
その自分の伏せた頭に、何気なさそうな声が、降ってきて。
「会いたいなら、必ず会えるさ。重要なのはその会った時のことだよ」
言葉を切って、ゆっくり言う。
「お前、その時にパプワ君に好かれたいんだろう」
「……!」
うわあ、何なの、そのストレートな言葉。
でもその言葉は深く心に突き刺さった。
パパは、僕が島を離れる時のコトを知らないハズなのに。
そう。僕は。
パプワくんやみんなに好かれたくて仕方がない。
つい黙りこんでしまう。
「どうしたの」
「……何でもないよ」
「何でもないことないさ。じゃあほら、好かれるように頑張ればいいよ」
「頑張るって。どうやって」
思わず顔を上げて、真面目に聞き返してしまった自分が、おかしい。
でも僕にとってはとても重要なコトだったから。
頑張れば、ずっと好きでいてもらえるのかな……。
目の前のパパはまだ腕組みをしている。そしてこちらを見て、口を開いた。
「難しいね……でも、私も一緒に頑張りたいな」
「え?」
「お前の、ためにさ」
だって私はお前の……本当の父親になるつもりだから。
さらっと言われてどきっとした。ちょっと足が震えた。
僕の、ため……?
――パパがこんなコト言うなんて。
ホントかな、いいのかな、と思った。
「さっき言ったろ? 協力するって」
見上げるとあの記憶の中の冷たい面影はなくて。
だから上目遣いで小さくうなずいてみたんだ。
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……そして、ちょっと後悔した。
『さて、まずは服だよね。服が変わってるとキュンとするだろ、男なら』
『男の服にキュンとする男もどうかと思うけどね』
パパが指で示した部屋の壁際。
そこに取り付けられた、巨大なドレッサーを開けると、ずら――――っとそこに並ぶ子供服は全て左右非対称だった。
片足だけ長ズボンで片足だけ半ズボン。
「どうしても僕に左右非対称でいてほしいみたいだね」
「でも右足半ズボンバージョンと左足半ズボンバージョンがあるから、とりあえず二通りは選べるかな」
「そんな意味のない選択迫られたくないよ。だいたい僕のこの左右非対称な服って誰の好みなの?」
「ああ、その服全部、シンちゃんがデザインして私が縫った愛の共同制作オーダーメイドさ」
え。
じゃあ今まで僕が島で着てた服も、お兄ちゃんと……パパが作ったの?
しかしパパは溜息をつく。
「でもね、なんだかね……シンちゃんって要求が微妙なんだよ。やたら短くしろとかさ」
「お兄ちゃんってブラコンって言うよりショタコンの香りがするよね。美少年なら誰でも萌え萌えっていうか」
「まったく辺り構わずで困るよ。しかもデザインする時のシンちゃんって、見ててちょっと切なくなってきてさ。なんであんな鼻血垂らす子になっちゃったんだろ、誰に似たのか」
「とりあえず一箇所だけツッコむけど、人のフリ見て我がフリ直せだよ、パパ」
「だからね、半ズボンを要求するシンちゃんと、足は冷やしたくない私の希望の間を取ったら、いつも片足ずつ短くて長い左右非対称に」
「そんなアンバランスな謎、判明してほしくはなかったよ。さぞや壮絶なケンカしたんだろうね、一着ごとに」
僕はとりあえず手近にある黒い服を手に取ってみた。
すべすべの皮の光沢、短めの上着。
「あ、それは」
間。
「パパ、そこで止めるのよしてよ。ひどく気になる年頃なんだよ」
「それは思い出の服だね。シンちゃん要求度80%を通した作だよ。だって私としては皮ジャンは動物虐待だからどうかと思うし、ヘソ出しなんてお腹が冷えてよくないと考えるじゃないか。でもシンちゃんご褒美くれたからまあいいかって思って」
「ええと僕としては、その思い出のご褒美の内容を伏せてるのは、パパの最後の良心だって思えばいいのかな……じゃあ、次のこれは?」
「それは私要求度80%の作だね。露出度低いだろう。この時はさらに色々あって大ゲンカして、シンちゃん三ヶ月は遠征から帰って来なかったよ……」
「へえー、じゃあお兄ちゃんが僕を迎えに来る直前の、遠征行ったきりだった時は、どんな大ゲンカしたのか聞きたいような聞きたくもないような、そんな複雑な子供心だよ……もうどれも歴史があるならみんな同じだよ、この最初の服でいいよ」
「そうか、コタローはお色気勝負に出ちゃうのか……私も複雑な大人心だよ」
『さて、次は髪かな。髪型が変わってるとキュンとするだろ、男なら』
『南国ラストの愚弟を見てもそんなコト言えるの? パパ』
パパは長めの前髪を撫でつけながら言った。
そうだね、美容師を呼んでもいいんだけど。
それとも私が切ろうか?
「え、パパが切れるの」
「私は小さい頃の一族の髪はみんな切ってたよ。シンちゃんグンちゃん兄弟たちのさ」
「パパって、つくづく総帥という名の何でも屋だよね。色々な意味で」
じゃあ、その椅子に座って。新聞紙敷くよ。
ここに鏡ね。ほら、動かないで。
いいね、動いちゃだめだよ。
「……」
「そう、じっとして」
背後でハサミの動く金属の音と、髪に触れてくる手の感触がする。
新聞紙の上にパサパサと乾いた金髪が落ちていく。
耳の側をすべる指のこそばゆさ。
こんなのパパにされるの、初めてだ。
僕は緊張して……ドキドキした。
「あ、そう言えば」
パパが思い出したように言う。
「どういうイメージにするの? まだそれを聞いてなかった」
「聞くの遅いよ。ていうか切ってしまってから、どうして言うのさ」
「なんとなく懐かしいから、勝手に手が動いちゃって」
「パパ、しっかりしてよ」
「うーん、青の一族は長髪が多いよね。よく考えたら短いのは私だけだよ。引退して、ちょっと伸ばしてみたけどさ」
「パパ。さっきから僕の髪を前置きもなく、勢いよく切ってるのは、ひょっとして僕を孤独な短髪同盟に入れようとしてるから?」
「私は短いのも可愛いと思うんだけどな」
「……僕は何でも可愛いよ」
またドキっとした。
可愛いなんて。
パパが言ったの、初めてだよ。
僕に向かって……。
「シンちゃんは何て言うかな」
……でもまたお兄ちゃんのコトだ。
「私はショタコンじゃないから、どうも勝手がわからないよ」
「じゃああの古いビデオ見て鼻血垂らしてる姿を説明してほしいもんだね」
「あれはシンタローだからだよ。シンちゃんだったら私は0歳児だろうが世界最高齢114歳だろうが巨大カタツムリだろうが網タイツ魚類だろうがカッパだろうがエビだろうがラッコだろうが毒キノコだろうがケンタウルスホイミだろうがヨッパライダーだろうがイカ男だろうが男玉だろうがミトコンドリアだろうがむしろ今吸えなくて苦しい空気だろうが、鼻血を出せる自信はあるね」
「わァ、息の続く限りに言ったね。その守備範囲、狭すぎるのか広すぎるのか、どっちなんだよ」
『さて、次はハートかな。ハートが変わってるとキュンとするだろ、男なら』
『それは心変わりって言うんだよ。パパ、無理してさっきから語調合わせなくても』
あ、そうそうコタロー、まずこれが大事だと思うんだけど。
「だいたいお前、パプワ君の好みは知らないの? よく考えたらそれを先に調べた方が早いよ」
「今パパは珍しくいいコト言ったけど、それはもっと早くに言うべきだったよ。こんな後戻りできないイメチェンする前にだよ……好みなんて知らないよ。パプワくんはみんなに優しいから」
「赤の一族って性格はいいんだよね。でも青と対立してるんだ。不思議だなあ」
「そもそも対立って、どう考えても性格悪い青が、一方的に諸悪の根源な予感がするんだけど、それは言ってはいけないコト?」
あ、そう言えばコタロー、衝撃の事実を思い出したよ。
「昔、パプワ君には仲のいい女の子がいたはずだけど」
「ええええええええええッッッッッっつっっつっっ!!!!!! そんなの初耳すぎるよ、聞いてないよ!」
「たしか名前はくり子ちゃん。サンタクロースの娘だよ。私でさえこの名の由来は、クリスマスからだと今この瞬間に気付いた直球勝負な子さ」
「へーえ、とりあえず僕も『コタロー』の名の由来は聞かない方がいいよね」
あ、良かったコタロー、やっとプラスな要素思いついたよ。
「よく考えれば、その子とお前は、容姿と性格が微妙に似てる気がする。金髪碧眼押しが強くて傍若無人、相当ワガママBUT思い込んだら一途な美少女、+αでシンちゃん@ピンチに色々やっちゃうお助け属性付き」
「ねえ……その子ってもしかしてパパの隠し子じゃないの? サンタってつまりは枯れた老人でしょ。また後でお兄ちゃんと延々とモメるのだけは勘弁してよね、地球と周囲に優しくないよ」
あ、しまったコタロー、さらに重大な事を思い出したよ。
「パプワ君は156cmの子が好みらしい。本人がそう言ってたよ」
「ええっ。そんな困るよ。僕の未来予想図、絶対に190cm越えちゃうよ。だいたい青の一族って何でこんなにいちいち体も態度もデカイの? 金持ち自営じゃなかったら服・靴・職業なかったトコだよ」
「うーん、じゃあお前、156cmに伸びるまであとどれくらいかかるかな。家の柱に物差しのキズつけとくから、毎日寝る前に計って156cmになった瞬間に告白すればいい」
「やだよ、だいたいあんな金に任せた家に、そこだけ庶民の臭いはいらないよ。それに成長期の子供に吐くセリフ? その日156cmでも一晩寝てあっと言う間に制限オーバーするよ、どうするのさ」
「上げ底の靴はよく聞くけど、下げ底の靴って聞かないなあ。グンちゃんあたりに開発頼んでみたら? きっと鉄ゲタ並に地面にめり込むアヒルの靴ができると思うけど」
「ねェ、あの人って本当に僕の実の兄?」
「だいたいパパ、どうしてそんなに旧パプワ島の事情に詳しいのさ」
「だって昔はカメラつけて24時間監視体制してたから。一日ごとに総集編ビデオを作らせて、あの頃の夜は、シンちゃんの一日をプレイバックしながら人形抱いて涙のベットインする甘い甘い日々」
「汚れた甘さすぎて僕がコタローの憂鬱だよ。そりゃケーキの源氏名ティラミスも泣くってね。ていうか、ピュア系美少年かつ息子の前でする話なの、それ」
――パパは。
僕の前でお兄ちゃんが好きなのを隠そうともしないね。
いまさら隠されても困るけどさ。
監視カメラなんて第二のパプワ島にはつけてなかったよね。
まあ今度は異次元だから無理なのかもしれないけどさ。
……こだわるワケじゃないけどさ。
自分で僕を迎えには来てくれなかったよね。
お兄ちゃんにバレるコトだけを心配してたっていうね。
それと青の力が暴走することだけを。
――僕自身のことはどうでもいいのかな。
やっぱり、お兄ちゃんだけが好きなのかな……。
お兄ちゃんに言われたから、嫌だけど僕の側にいるのかな……。
馬鹿みたいな会話してる僕とパパだけど。
ちゃんと気付いてるよ。
パパ、お兄ちゃんの前でしか自分のコトを『パパ』って呼ばないことに。
僕の前では絶対に言わないコトに。
僕は『パパ』って呼んでるのにね。
部屋の扉が開いた。一緒に島から帰ってきたハーレムおじさんが姿を見せる。
4年前に見たのと同じ制服を着てる。おじさんはおじさんで、軍の実戦部隊を指揮することになったっていうけど。
「お? ナンだあ、えらくカッコイイじゃねーかよ」
ジロジロ上から下まで僕を見回してそう言うと、なんだか嬉しそうにパパに声をかけ、一緒に出て行った。
これから作戦会議だってさ。
忙しいって。大変なんだって。時間がないんだって。
「じゃあ、私は行くよコタロー。後でね」
片手を上げて、あっさり去ったパパ。
その後姿が。
昔……閉じ込められてた僕の部屋に来て、少し話して、いがみあって、すぐ去る時の背中と同じで。
僕は一人残された部屋で、あの日々と同じように窓の外を眺めた。
僕は――
あの大好きなみんながいる楽園を捨てて。あたたかな幸せを捨てて。
帰ってきたこの場所で、いったい何をするというんだろう。
「……」
ごろりとソファで横になる。
横になっても、一人ぼっちなのは変わらなかった。
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ああ……僕はまた目を閉じてしまった。
パプワくんが目を開けてと言ってくれたのに。
僕はまた目を閉じてしまったよ。
ダメな子だ。
ほら、こうやって眠る前の闇の中に落ちていく。
心の中に深く落ち込んでいく。
ドロドロしたものにとらわれていく。
きれいなパプワくんの世界から堕ちていく。
僕はまたこの世界に帰ってきてしまったよ。
――憎い。苦しい。寂しい。どうして。僕をここから出して。
――大嫌い。パパなんて大嫌い。
『パパなんて大嫌いさ!』『嫌いで構わん』
『出してよぉー、ここから出してよぉ!』『お前は危険なんだよ』
『パパを殺すの』
くりかえしてきた酷い会話たち。僕らは最低の親子だよ。
人間として最低の二人だよ。
どうして、僕は今、そんな人の側にいるんだろう。
どうしてあの人は今、僕の側にいるんだろう。
どうしてそんな二人が、こんな馬鹿みたいな話をして一緒に時間を過ごしているんだろう。
僕たちはいつも表面だけが明るくて。
いつも内面ばかりが真っ暗闇だよ。
僕もパパもこの汚れた世界に住んでいるんだよね。
あの赤い総帥服が僕を苦しめる。
ああ……僕はまた悲しくなってくる。ほら、またあの音が聞こえてくる。
世界が揺れて、体の奥が揺れ動く。気持ちが悪い。吐きそうだ。
僕の体が暗くて青い海に押し流されていくよ。
僕の心が沈んでいくよ。
変わってしまう?
ううん、戻ってしまう。
本当の僕……あの最低な子のコタローに。
本当の僕は、とても醜い。
大好きな人ほど、苦しめるんだ。
いやだ、この暗闇から逃げたいよ。
助けて。
助けてよ。
――憎い。苦しい。寂しい。どうして。僕をここから助けて。
――大嫌い。パパなんて大嫌い。
悲しい。悲しくってしょうがない。
体が震えるよ。胸の痛みで震えるよ。
頭の中がガンガンするよ。
壊れそうだよ。
ああ……僕は、また。
ああ……。
……。
……?
グっ、といきなり引き戻される感覚。
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闇が二つに割れて、ハッと意識が戻った。
辺りは薄暗い。眠ってしまっていたのだろうか。
荒くはずむ息。心臓の音がひどくうるさい。
どくどくと青い血の流れる音がして。
口の中が粘ついていて、舌がひりひりして。まだ唇は震えていて。
僕は今、きっと大声で泣き叫んでいた。
……いつの間にかベットの中にいる。
肌に柔らかい毛布の感触、頬に涙で濡れた枕の感触。
あたたかい。
そして……右手に、冷たい手の感触。
おそるおそる目だけで横を見ると。赤い総帥服の男が、ベット脇の椅子に足を組んで、眠っていた。
僕の手を握りながら。
――パパ。
……僕は眠っていた空白の時。
力を使い果たして、心を閉ざしていたあの長い間。
ずっと誰かが側にいた気配を感じ続けていた。
くりかえす悪夢の中で、それはずっとお兄ちゃんだと思っていたよ。
だってパプワくんたちに会うまでは、僕に優しくしてくれるのはお兄ちゃん一人きりだったから。
でも、後で聞いたらお兄ちゃんはずっと本部にいなかったんだって。
ずっと遠征に行ったり来たりで忙しかったんだって。
あの……気配が。
あれがパパだとしたら、パパは、何のために僕の側にいたの?
……またお兄ちゃんに何か言われたから?
今も何で僕のこの手を握っているの?
『シンタロー! コタロー!』
『親父――――ッツ!!!』
あの爆破された船で、僕の手を握って助けた時も。
あれはお兄ちゃんに呼ばれたからだけなんだと……。
本当はお兄ちゃんを助けたかったのに、我慢して仕方なく僕を助けただけなんだと……。
……考えたくないけど考えちゃうと……。
いつも何か苦いものが喉を下っていって、体の奥のどこかに溜まっていくよ。
そしたらごうごうと恐ろしい音が頭の中に響き出すんだ。
さっきみたいに、汚い闇に落ちてしまうんだ。
……僕はまた暴走してしまいそうで怖い。
きれいなものを傷つけそうで怖い。
大好きなものを傷つけそうで怖い。
前の時はパプワくんたちとその住む島を傷つけた。
ロミオとジュリエットどころじゃないよ。
嫌われても仕方ない。僕は最低な力を持つ子なんだ。
大事な人を、パプワくんやお兄ちゃんを悲しませる危険な子。
これ以上、一緒にいたら壊してしまうよ。
パプワくん。お兄ちゃん……家政夫やみんな。そしてあの島。
こんなに大好きなのに。
大好き。みんなのコトが大好きだよ。
でも、どうしてか、僕の暴走の引き金はいつもパパ。
その何気ない仕草の一つ一つに心がうずくんだ。
パパを殺したいと思ったあの頃の僕と、今の僕の泣きそうな心がまじりあって訳がわからなくなるんだ。
大嫌い。パパなんか大嫌いだよ。
そう思うといつだって、汚れた青い光が体の中でどんどん広がっていく。
胸が弾けてバラバラになる。
砕け散るよ。砕け散っていくよ。
いい子でいたい僕が、消えそうになって怖いんだ。
消えてなくなってしまうよ。
……パパ。
ねえ、パパ。
しっかりしてよ。
僕を……見て。
僕が消えそうな時。
悪夢にうなされた時は、いつもさっきみたいに引き戻してよ。
握った瞬間の気持ちはどうでもいいから、僕のこの手を握り続けていてよ。
お兄ちゃんが好きでもいいから、僕にパパの別の好きをちょうだいよ。
パパ、今、本当は起きてるでしょ。
僕が目覚めちゃったから、なんとなくどうしようかと思って迷ってるよね。
うなされてた僕に何を言ったらいいのかわからなくて、寝たフリをしてるよね。
手を握った自分をどう説明したらいいかわからなくて、迷ってるよね。
……ねえ、パパ。
僕、本当はパパの気持ちが少しだけわかる。
お兄ちゃんたちにはきっとわからない。
多分、僕とパパが同じ種類の人間だからなんだと思う。
僕たち親子は……同じ世界の同じ闇に住んでいるから。
同じコトを考え続けて、やり続けて、それでもすれ違っているよ。
……パパ。
パパって……いつもの平気な顔の裏で実は迷ってるよね。
僕、知ってるよ。
ずっとずっと昔っから。
僕と話す時。お兄ちゃんと僕について話す時。ケンカする時。
それがくだらないどうでもいいコトでも、どうでもよくない重大なコトでも何だって。
いつも恐る恐る…今みたいにどうしようかと悩みながら迷ってる。
一歩一歩探りながら、試しながら歩いてる。
知ってるよ。
僕と……同じ人。
あの船で、僕とお兄ちゃんとのどちらかを選ぶ時。
パパ、お兄ちゃんに呼ばれる前にどちらを選ぶか迷ってた。
伸ばした手が震えてたもの。
僕は驚いたよ。
そのままで、僕はパパに選ばれる可能性があったんだ。
パパが、お兄ちゃんを好きな気持ちは、僕がパプワくんを好きな気持ちと同じなのかもしれないね。
最初にパパが言った通りなのかもしれないね。
きれいな世界に、届かなくて、憧れる。
闇の中から……悪夢の中から、泣きそうになって手を伸ばす。
あのね、パパ。
僕が島にいる時、秘石の声の影で。
実は僕を呼んでた?
僕は記憶をなくしていたけど、どうしてかあのパパに冷たくされた時のコトだけは思い出して、胸が苦しくなってたよ。
いつもパパの夢を見て、体がしめつけられて、失くした記憶が恐怖でよみがえりそうになってたよ。
僕は、失くした記憶の中で、ずっとパパを感じていた。
それってパパが僕を呼んでたからなのかな。
僕のコトを心配してない感じだったり、自分で島に迎えには来てくれなかったのも。
僕と一緒の青い両目の力で、僕とつながってる精神で、カメラなんてなくっても、ちゃんと僕の無事がわかってたから?
記憶を失くした僕に自分が会うと、また僕が暴走するってわかってたから?
……そうだと……いいな。
僕の……願望。
おかしいな、また僕まで迷ってる。
パパの本当の気持ちがどうしても不安で、ひとつひとつに迷ってる。
パパは僕を恐れてるし…僕もパパを恐れてる。
どうやって好きになったらいいのか、どうやって好きになってもらえればいいのか、迷ってる。
ねえ、パパ。
僕と……同じ人。
だからきっとこんな僕の気持ち、一番わかってるはずだよね?
おやすみ、パパ。
僕はもう一度目をつむって眠るから、そうしたら起きてね。
そして、また迷って。
このまま僕の側についてようかどうしようかを。
手を握り続けてようかどうしようかを。
その迷った気配と冷たい体温で僕を安心させて。
そうしたら、僕はあの長い眠りの間に、ずっと側に誰がいたのかを本当に知ることができる。
パパ、しっかりしてよ。
パパは僕が力の抑え方を知らないと言うけれど。
本当はパパの、この手が僕を抑える手なんだよ。
お兄ちゃんは、それを教えてくれたんだ。
パパ、しっかりしてよ。
ひたすら迷って。そしてもしもこのまま手を離さないことを選んでくれたら、僕はもう悪い夢は見ない。
暴走しないですむんだよ。
最低な子じゃなくなって、可愛いいい子のコタローになれるんだ。
そうしたら……パプワくんは、そのままの僕をきっと好きになってくれるよ。
いつか……パパにも…僕の好きをあげられる、かもしれない。
そうしたらパパは、僕に向かって自分のコト『パパ』って呼んでくれる?
僕のコトを認めてくれる?
もう――閉じ込めたりはしないよね?
僕ら二人――最低な親子じゃなくなるよね?
だから、パパ。
僕を見て。
僕で迷って。
僕のコトを考え続けていてよ。
僕がまた目覚めるまで、この手を握り続けていてよ。
僕に、パパの新しい好きをちょうだいよ。