冬の朝

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 その朝、僕は不機嫌だった。
 兄さんが雪かきをしろと言うんだ。
 ねえ君、わかるかい。
 僕は、こんな面倒なことをするために、生まれてきた訳じゃあないんだよ。
 人生には、きっと、もっと有意義なことがあるはずなんだ。
 赤い煉瓦の壁が真白に埋もれ、針葉樹が気だるげに身を震わせて雪の粉を落とす。
 つんとして取り付く島のない、冬の冷気。
 白い息。
「あれ、ルーザー、お前が雪だるまに話しかけるなんて。珍しいこともあるもんだ。これは、今夜から吹雪かな」
 僕の背後から、兄さんの声と、ざっざっと雪を掻く音。
 前庭のあちこちを、きゃあきゃあ走り回っている、双子の声。
 目の前の、作られたばかりの雪だるま。
 僕は、むっとしたまま返事をしなかったのだけれど。仕方なく、ざっと負けずに音を立てて、スコップを振り上げる。
 すると、はは、とまた笑われて。それが少し癪に障って、またむっとした。
 目の端に、揺れる僕の赤いマフラー。四人一緒。
 お揃いだとか、手作りだとか、笑い声の主はそんな所にとてもこだわる。
 クリスマス・イブ。今日はやれやれな日。




冬の朝






 かじかんだ手を居間の暖炉で温めながら、僕は自分が座るソファの側に立つ、クリスマス・ツリーを見上げた。
 温室にある一番大きな植木鉢から伸びる、円錐形のすらっとした姿。樹高は250cmといった所か。
 幹から扇状に広がる細い枝。銀青色の針葉が実に美しい。
 兄さんと双子に、この木はブルースプルースという名前です、と何度も言っているのに、モミの木としか呼んでくれないことだけは、気に入らないけれどね。
 彼らにとっては、ツリー用の木は、何だってモミの木なんだ。
 その天辺に、金色の星をつければ、何だってクリスマス・ツリーなんだ。
 まったく、呆れてしまう。
 ……この木は、先日、兄さんと庭の森から運んできた。
 その作業自体も大変だったのだが、その後の飾り付けが、また一騒動で。
 好きなものをぶら下げて良いと聞いて、調子に乗ったハーレムが。
 ごっそりと部屋から、お気に入りの玩具だの絵本だの洋服だのを持ち出してきて、飾ろうとし始めて。
 それをサービスが馬鹿にして。
 またケンカになって、仕方がないので、僕はこのソファで本を読んでいた。
 毎日毎日、よくもケンカの種が尽きないものだと、感心してしまう。
 そして今だって、まるで同じ光景が、僕の目の前で繰り広げられている。



 外から帰った双子は、すぐに子供部屋から色紙とハサミを持ち出してきて。
 それを居間に広げて、先程から何やら作業をしていたのだが。
 どうやら思い思いに、好きな動物の形なんかを切り抜いているらしい。
 彼らは、ツリーが居間にやって来てから、毎日のようにその飾りを増やしているんだ。
 僕も一応はその二人の手元を覗いてみたのだけれど。
 しかし。サービスはともかく、ハーレムの色紙は。
 お前の好きな動物はどこの軟体動物だい、と尋ねてみたいような、そんな気分にさせられる代物に変化を遂げていた。
 それをサービスが、『……ナメクジ?』と、しごくまっとうな質問をハーレムにしたものだから。
 後は、お決まりのケンカが始まって。
 仕方がないので。僕は現在、こうして暖炉で手を温めている。
 子供というものは、どうしてこう面倒なんだろう、と溜息をつきながら。
 暖炉の前には、雪に濡れた双子と兄さんの赤い手袋が、吊り下げられている。
 本当はこれも、マフラーとお揃いのを兄さんが作って、僕にも持たせていたのだけれど。
 少し目を離した隙に、学校で盗られてしまった。
 下級生という人種は、決して近寄っては来ない癖に、ちょっとした隙は見逃さない生き物なんだ。
 幼いというか何と言うか。
 彼らはその情熱を、もっと勉学に傾ければ有意義だろうにと、常々感じてやまない。
 まあ下級生とは言っても、僕は飛び級しているから、年齢はあちらの方が上だったりするんだけれどね。
 ともかく、僕は、家でも学校でも。人間の幼児性というものに悩まされている訳だ。



 ああ、うるさい。
 文字にすると、うっきゃー、ぎゃあぎゃあきゃあきゃあ。
 言葉の乱れを痛感するよ。
 普段は理知的で大人しいサービスまで、ハーレムとケンカする時は、こうなってしまうのだから、まったく、幼児性とは恐ろしい。
 やれやれ、でも今日は兄さんの登場が遅いな等と、僕が何となく火掻き棒で暖炉の薪を崩していると。
 どうやら彼は地下室にいたらしい。凄まじい勢いで、階段を上って来る足音がする。
 廊下は走るなと、双子にはうるさく言っている癖に。
 結局、兄弟の中で、廊下を走らないという決まりを守っているのは僕だけなのだ。
 世の中、不公平なことばかりだよ。
「こら――――!!!」
 来た。玄関ホールからここまで、約2秒。
 あれ、少し足が速くなりましたか? 兄さん。
「こらッ! やめないか、お前たち! ああもう! ルーザーも! なんで止めてくれないんだよっ!」
 これも騒がしく居間に登場した彼は、双子を引き剥がそうとしながら、僕にまで矛先を向けてくる。
「僕は手や体がかじかんで、それどころじゃなくって。兄さんが僕を慣れない重労働に酷使したから」
「雪かきのどこが重労働なんだよっ! たくっ……こらぁ! ハーレム! サービス! こーの双子のモンチッチ! いい加減にしなさーい!」



「いい子にしないと、サンタさんはやって来ません!」
 なかなか大人しくならない二人に、兄さんはとうとう最終兵器を出した。
 12月に入ってから、この台詞は何度使われてきたことか。
 でもそれももう、クリスマス・イブの今日で終りだ。
 明日からは一体どうするんだろうと、余計な心配をしてしまう。
「サンタさんはケンカする子を見てるんだよ! それでこの子にはプレゼントあげようか、あげまいかを決めるんだ! お前たちはサンタさんのプレゼントが欲しくないのかい?」
「む〜」
「む〜」
 双子はじっと固まっていたが。しばし互いを、大きな瞳で牽制し合った後。
「ほしいー!」
「ほしいー!」
 幼い口から、そんな言葉が飛び出した。
「よぉし、それなら!」
 この瞬間の、得意気な兄さんの顔ったら、ない。腕組みなんかしてるんだから。
「それなら二人共、お利口さんにしてること! 返事は?」
「は〜い」
「は〜い」
「よし! いいね、仲良く遊ぶんだよ! サンタさん、ちゃあんと見てるからね!」
 僕は、自分の呆れた顔を、開いた新聞で隠す。
 サンタが見てるって。
 何処からですか、兄さん。具体的に説明して下さいよ。
 クリスマスには、こうして世界中の子供が騙されているのだろうかと思う。



 幼い頃、双子たちが生まれる前に。僕と兄さんは、まるまる一週間に渡って、議論を戦わせたことがある。
 朝起きてから、夜ベッドの中でまで喧々轟々。
 果たして本当にサンタはいるのかいないのか、その存在の可否についてだ。
 僕がサンタなどいるはずはないと言うのに、兄さんはいると言い張るから。
 兄さんも、例の幼児性という奴に、惑わされていた訳だ。
 まったく、馬鹿げた話だよ。冷静になって考えれば、解ることなのに。
 僕も当時は大人気なかったから、兄さんが囚われているサンタ幻想を打ち砕こうと、やっきになった。
 今思えば、若かったね。
 だって、兄さん。
 だいたい、あのトナカイはどんな動力で空を飛んでいるんです?
 どうやってあの太ったサンタが、煙突に入ることが出来るんです?
 どうして煙突に入ったり、靴下なんかにプレゼントを入れたり、そんな非効率的なことをするんです?
 そもそも、どんな利益があって、サンタは子供たちの枕元にプレゼントを配っているんでしょうね?
 それに、世界中の子供たちの家にサンタは行くといいますが、一晩に何十億の家を回ることが可能だと思いますか?
 ああ、それに一晩と言っても、地球は自転しているので、どんどん時間がずれていく訳ですから……。
 僕に対して、何ら有効な反論をすることが出来なかった兄さんは。
 ついにはこんなことまで、言い出す始末で。
 じゃあお前、こう考えたらどうだろう。
 冬の朝にさ。
 ものすごく寒くて、起きるの嫌だなって、思ってしまう朝なんだよ。
 でも、目を開けてみるとさ。
 側に、思いがけない良いことだったり、幸せがあったりするんだ。
 そしてやけに心があたたかくなって、これから頑張ろうって思う。
 そういうのが、まるまる、サンタクロースなんだって考えるのはどう?
 ……なんて。
 それって、結局、サンタは存在しないってことですよね。
 僕には、どうして彼がこんなに支離滅裂になったり屁理屈をこねたりして、サンタを肯定したいのかが不思議で仕方がなかったものだよ。
 サンタより、兄さんの方が謎だ。
 それでも最後まで彼は、『だけど、ぼくは信じたいの!』とむくれていたっけ。



 その後、僕が調べを重ねる程に、サンタクロースのフィクション振りが、どんどん明らかになった。
 何でも、4世紀に実在したトルコの聖人が元だって言うじゃないか。
 色んな人の創作が加わって、あんな、今にもはちきれそうな雪の国に住む老人が出来上がったらしい。
 イエス生誕とは全く関係ないっていうんだから、呆れる。
 ちなみにその生誕とやらも怪しくて、どうも元々12月25日は、むしろ異教、古代宗教の祭日だったらしいね。
 わざとその日をイエスの誕生日とすることによって、キリスト教国はクリスマスを帝国主義の道具として利用していたらしい。
 僕は非常に納得したよ。
 人間がやることには、表面的には純粋でも、裏には必ず何か理由があるものだからね。
 昔は、国家的理由によって。
 そして今は、玩具業界や様々な企業の思惑によって。
 世界の子供たちは、人間は、クリスマスに騙され続けているのだ。
 溜息をつきながらも僕が、そのレポートを作って、兄さんに提出したら。
『お前には、夢がない』
 と、ぽつりと言われた。
 夢がないって。兄さん、あなたはそう仰いますが。
 起きている間に、夢を見る必要は、ないでしょうに。
 そんな、数年前の出来事。



 そして今。
 居間で、今度は言いつけ通りに大人しく。
 無邪気に遊ぶ双子を見るにつき。
 片方はゴロゴロ転がり、片方は大人しく遊んでいる対称的な双子を見るにつき。
 僕は、段々この二人が哀れになってきた。
 お前たちは、一体何時まで、そんな架空の存在に騙されているんだろうね。
 可哀想な僕の弟たち。
 お前たちが騙されるのを、僕は黙って見ていなければならないなんて。
 なんて辛い運命だ。身が引き裂かれそうだよ。
 兄さんは、一体どんな理由で、お前たちを騙しているんだろう。
 絶対に、こんなこと、間違っている。
「……」
 ……どうあろうと、この哀れな子羊たちを。
 真実へと導いてやるのが、僕の兄としての務めなのかもしれない。
 そう思うと。僕は、ソファに座り直した。
 きしっと、柔らかい感触が僕を包む。
「サービス。ハーレム」
 そう声をかけると、双子のつぶらな四つの瞳が、僕に振り向く。
 なに、なに、と期待に満ちた目。
 どうしたの、どうしたの、とワクワクしている目。
 だから、僕は言ってやる。
「お前たち、サンタはね、いな」
「ルーザー〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
 耳ざといな。
 キッチンからダッシュで、やってくる人。
 予想より早かった。兄さん、やっぱり、足、速くなりましたよ。
 だから、僕はこう続けた。
「サンタはね、田舎者なんだよ」
「いなかものー」
「いなかものー」
「だってそうだろう。年中北極だかフィンランドだかにひきこもって、一年に一日だけ出歩くんだ。しかも若者の流行には疎い老人。だからお前たち、あまりプレゼントのセンスには期待しない方がいいんじゃないかな」
「ルーザー……サンタのイメージダウンも、お兄ちゃんはあまり好きじゃないな……」



「……さて、お前たち。そろそろツリーの飾り付けの続きをしようか」
 肩を上げたり下げたり、そして顔の百面相を忙しくやった後。
 そう兄さんは双子たちに声をかけた。
「ほうら焼けたよ! 二人共、おいで!」
「わぁーい! クッキーぃ!」
「わーい!」
 一瞬きょとんとした双子は、すぐに飛び跳ね出して、兄さんの後を付いてキッチンに行ってしまった。
 ツリーに飾るための、ジンジャークッキーが焼けたのだろう。
 人の形に抜いて焼いたジンジャーマン。
 星型、雪の結晶型、動物型。その形にはさまざまなバリエーションがある。
 しかし食べ物を木に吊るすなんて、最初に考えたのは誰だろう。



 ――そう、雪かきをさせられる前。
 起きて早々に。僕たちは、このクッキー作りを手伝わされていた。
 朝の貴重な時間にだよ。
 あからさまに不満そうな僕の表情に、気付かない振りをした兄さんの側で。
 サービスとハーレムは、それはもう異様にはしゃいでいて。両手をべたべたにして、小麦粉と卵とバターの塊を、こねくり回していた。
 はい、好きな物を作りなさい、とまるで当然のように兄さんが、僕の手にもその薄黄色い塊を手渡してきたので。
 仕方がない、さて、何を作ればいいのか、と僕が考え込んでいると。
 熱い双子の視線を感じて。僕は、おや、と思った。
 どうやら、僕の顔だか姿だかを、作ろうとしているらしい。
『……むー……』
『……むー……』
 何だ、これは。
 もしかすると自分は動いてはいけない状況にあるのだろうか。
 別にそれはそれでいいのだが。
 双子の隣で、兄さんがやけにニヤニヤしていたのが、どうも面白くなかったんだなあ――



 ……キッチンから、声が聞こえる。
「さあーて、どうかなー! こらハーレム、熱いんだから、不用意に手を出さない! 今、網に空けるから」
 ジンジャーとシナモンの、香ばしい匂いが居間まで立ち込めてきた。
「にーたん、はやくぅー!」
「おにーちゃん、まだー?」
 双子の弾けるような声。
 サービスまでが、今日はやたらせっかちで。
「……」
 僕は。
 居間で。
 何だか、一人取り残されたような気分がするから。
 仕方なく新聞を置いて、重い腰を上げる。
 何と言うのかな。
 こういう行事ものは、いつもこの三人がワクワクしているから。
 だから僕にまで、そんなワクワクが感染しそうで、少し嫌なんだ。
 こういう雰囲気って、ある種、病気のようなものだよね。
 追い払っても、追い払っても、消えやしない。この香ばしい匂いと同じさ。
 やれやれだ。
 それに、ここで行かないと、また兄さんは不機嫌になって、双子は不思議そうに僕をあの目で見るんだ。
 家庭生活というのも、本当に気を使う。



 僕がキッチンに入ると。
 兄さんが、四角い天板をオーブンから取り出しているのが目に入った。
 そしてテーブルの上に置いた、黒い網の上に、焼きあがったクッキーを移している。
 椅子の上に立って、それを覗いている双子。
 二人は両手を高々とあげ、しごく御機嫌な様子。
「ボクの、いぬ、できたぁー!」
「サービスの、ねこ、できたー!」
 口々に自分の作ったクッキーの形を自慢しているようだ。
 ふうん、と特に何の感慨もなく聞いていたのだが。
「ボクの、ルーザーおにいちゃん、できたぁー!」
「サービスの、ルーザーおにいちゃん、できたー!」
 僕の名前が出たので。流石に気になって、彼らの視線の先、網の上を見てみたのだが。
 そこには人の顔の形らしき物体と。
 ――サービス作だろう、まあこれはいい。
 その横に、ナメクジどころか、液状生物スライムとでも呼ぶべき物体が、姿を現していた。
 ハーレム。
 僕は自分のこめかみに手をやった。
 ああ、可哀想に。僕の弟よ。
 才能とは残酷だ。
 僕は無神論者だが、それだけに苦情を述べる相手がいないことを、残念に思う。
 この子からは、生れ落ちた時から、正常な美的感覚が欠如してしまっているに違いない。



 その後、『ボクの、マジックにーたん、できたぁー!』で同様のスライムを確認して。
 僅かに僕の心は安らいだのだが。
 その間に、自分の名前が付いたスライムなんて意に介さないらしい兄さんは、ボールで粉砂糖と卵白を混ぜている。
 冷ましたクッキーに、さらにそれで模様を付けるつもりらしい。
 これ以上、あの液状生物に描かれるだろう絵で、神経を痛めるのはたくさんだ。
「……僕は、居間にいますから」
 そう言って立ち去る僕の背中に、兄さんの声が追いかけてきた。
「ルーザー……しかしお前の作ったクッキーも……これ、なんだい? 饅頭? ジャガイモ? しかしクリスマスだしなぁ……あ、わかった、雪だるまの顔かな?」
「……」
 僕はその声を無視し、またソファに座って新聞紙を広げた。
 ……。
 ……トマトですよ。
 自分の好きな物を作れと言ったのは、兄さん、あなたでしょう。
 余計なお世話だ。放っておいて欲しい。



 冷めたクッキーを、ツリーに飾り終えて。昼御飯も済ませて。
 すっかり満足したらしい双子は。
 しばらく、僕の隣のソファに座って、静かにココアを飲んでいたが。
 すぐに本を読んでいる僕に、何のかんのと構ってきた。
 話題は、相も変わらずクリスマスやサンタクロースに関することだ。
「ルーザーおにーちゃーん!」
「ルーザーおにーちゃーん!」
 好奇心旺盛なのは結構なことだと思うが。
 人の邪魔をしないという気遣いも、いい加減に覚えていい頃なんじゃあないだろうか。
「サンタさんー、つおい?」
「サンタさん、サービスのこと、好き……?」
 そんなこと、僕が知る訳ないじゃないか。
 そもそも架空の人物なんだから。
 僕が曖昧に答えを返しているのに。
 二人は僕がサンタ通だと勘違いしたのか、矢継ぎ早に質問を繰り返してくる。
 聞くんだったら、むしろ僕よりサンタ大好き派な適任者はいるはずだと思うのだが。
 彼は、結局最後には論理的な説明をしてやらない人だから。
 この双子は双子なりに、それを不思議に感じ、僕にそれを求めてきているのかもしれない。
 そう考え出すと、何だか僕は楽しくなってきた。
「サンタさんはぁー、今ぁ、どこにいるのー?」
「サンタさん、なんばんめに、サービスのおうち、くるの……?」
 なんて、核心的な質問も飛び出してきて。
 僕はゆっくりと頷いた。
「そうか、良かった。お前たちもサンタのミステリーに、少しずつ気が付いて来たようだね。流石は僕の弟たちだよ」
「みすてりー」
「みすてりー」
 珍しく僕に褒められて、特にハーレムは嬉しそうな顔をしている。
 褒められるようなことをしたんだから、そりゃ僕だって褒めるさ。
 こうやって褒められたいなら、もっと賢くなればいいだけなんだよ。
 僕は公平な人間さ。ねぇ、サービス。
 そんな双子の柔らかい金髪に両手を置き、僕は諭すように言い聞かせた。
「いいかい、人間、不思議だと感じたら、すぐにその謎を解こうと行動しなきゃならないんだ。その向学心が、人類の科学を発展させる原動力だったんだよ。お前たちは今、それに目覚め始めている訳だ……」



「お前たちー、……って。こ、これは……な、何してるんだ!」
 子供部屋に入ってきた兄さんが、目を剥いた。
 床に散らばる縄やらバネやら鉄バサミの中で。
 作業に熱中していた双子が、顔を上げ、笑顔で答える。
「わなー」
「わなー」
「わ、わなって! わなって、罠?」
 予想以上に彼は動揺している。
「にーたん、あのねぇ、サンタさんをねぇー」
「つかまえるのー」
「つかまえてねぇ、えっとねぇー」
「サービスは、おはなしするの」
「ボクはぁ! プレゼント、いっぱいもらう!」
「サービスも、もらう!」
「ボクも! おはなしする!」
 我先にと主張し出す、無邪気な二人を手で制した後。
 兄さんが、ギロリとベッドの上に腰掛けている僕を見た。
「ああ、兄さん」
 詰問される前に、僕は言う。
「今、二人がサンタの正体が気になるというので、協力してやってたんです。相談の結果、サンタを捕まえることにしたので、こうやってアドバイスを……」



「いたたたた。乱暴はやめて下さい、兄さん」
 兄さんは僕の耳を掴むと、きつく引っ張って廊下へと連れ出してしまう。
 馬鹿力なんだから。
「またお前は! 変なことを教えないでくれよ!」
 バタンと子供部屋の扉を閉めて。僕より少しだけ背の高い人は、人差し指でねめつけてくる。
「どうしてです。これは兄の教育の一環ですよ。子供の探究心を掘り起こし、それを育ててやるという、科学者としての……」
「そんなのいいの! 子供は子供らしくていいの! 純粋にサンタさんを待ってる可愛い双子を、そのままにしてやってくれよ!」
 出たよ。子供は子供らしくだって。
 ロマンチストも大概にして欲しい。
 僕も理不尽な言われように、反論を試みた。
「ですがね。あなたのそういう態度が、折角の子供の才能を埋もれさせていくんですよ。だいたい兄さんの言う『子供』というのが、幻想がかっていて、どうもねえ。例えば僕の子供時代を考えてみて下さい。常に懐疑心で生きていたじゃないですか」
「今だってお前、子供だろう……って、みんながみんなお前みたいだったら、この世はどうなるんだ」
「素晴らしい世界じゃないですか。交通機関は一秒たりとも遅れませんし、社会の構成員全体が文明の発展に向けて一丸となる無駄なき世界ですね、間違いなく」
「ああ、ああ、よくSFにあるような恐怖の管理社会になるんだね……」
 そう呟いた後、兄さんは壁に寄りかかった。
 溜息をついて、しばらく黙った後。
 不意に何かを思いついたように目を見開いて、僕を睨んだ。
「じゃあ、じゃあさ! 今度は僕の子供時代を考えてみてくれよ。僕は双子と同じくらいの頃は、サンタを純粋に信じてたんだ! それをお前が延々と打ち砕いて……僕の夢を壊して……」
「目を覚まさせてあげたんですよ。兄さんにはどうしてかファンシーな所があるから」
「余計なお世話だよ! とにかく、夢破れた僕はあの後、ずっと落ち込んで」
「ああ、あれって、落ち込んでたんですか。やけに部屋の隅で膝を抱えて座ってましたね。僕はまた何かのエクササイズかと思ってました」
「……もういい」
 とにかく、今日はお前の英才教育はストップしてくれ。
 今日だけは! 頼むから!
 双子が部屋の隅で座り込むことになったら、僕はお前を許さないからな!
 そう言って兄さんは、疲れた足取りで階下へと降りていった。
 またキッチンにでも篭るのだろう。
 僕は、やれやれと肩を竦めて、自室へと廊下を歩き出した。
 どうもこういう所は、僕と兄さんは合わない。
 残念だ。



 食事と入浴の後の子供部屋。
「はい。今日はここでおしまい。おやすみなさい」
 パタン、と兄さんが絵本を閉じる音。
「むー!」
 毛布とシーツが擦れる音。木がきしきし揺れる音。
 双子のための二人用ベッドの中で。いつも通りに、ハーレムが足をばたばたさせて、駄々をこね出す。
 この子は、本当にいつだって騒々しいんだから。
「まぁだ、ねむくないよぉー! つづき、よんでよぉ〜」
 どうやら絵本の続きが気になるようだ。



 僕は、途中から来たので、そうよくは解らないのだけれど。
 今日の本は、『双子の星』という題名で。
 極東アジアの島国日本に住む、一農民が書いたのだという。
 よくそんなものを探してくるなと、それだけで僕は感心した。
 まあ兄さんは、エキゾチックだとかファンシーだとか、そういう妙ちきりんなものが大好きだから。
 何でも双生児の星がいて?
 どうしてか笛を吹くのが仕事なんだけれど?
 ある日、突然サソリとカラスがやってきて、ケンカを始めて。
 相打ちになった二匹を、協力して双子が助ける、とかいう話らしいのだが。
 僕は、そもそもどうやって砂漠に住むサソリと、町でゴミを漁るカラスが出会うのだろうとか。
 生活形態や層が違いすぎて、何の利害関係も発生しないであろうこの二匹が、何を理由にケンカになるのだろうとか。
 第一、星が双子って、一体それは具体的に言うとどういうことなのか、だとか。
 そういったことが非常に気になる性質なので。
 絵本の最後までに、この謎が解き明かされるのなら、僕だってこの話に興味がないでもない。
 だから、明日は最初から、この話を聞きに来ようと思った。
 ……まあ、兄さんがこんな本を選んだ理由だけは、あからさますぎて、恥ずかしくなる程だけれどね。
 このケンカばかりの目の前の双子に、仲良くしてほしいのだろう。
 そんな間にも、ハーレムと兄さんの騒ぎは続いている。
「だから! お前たちが眠らないと、サンタさんは来ないの!」
「どぉして〜! ねてるフリでも、だいじょぶだよぉー!」
「ダぁメ! ちゃんとサンタさんには解るの! 寝てない子にはプレゼントくれないの!」
 本当に、兄さんの言うサンタってのは、変な超能力ばかり持ってるんだから。
 あなたの言うことは謎だらけですよ。



 子供部屋のテーブルには、クリスマス・イブの作法通りに。サンタが来た時用のクッキーと、ミルクが、きちんと並べられている。トナカイ用の、生のニンジンまで。
 そして、双子のベッドの両脇には、明らかに不自然な、巨大な靴下。
 各々、1mはあるだろうか。
 やあ、毛糸が足りなくってね、等と兄さんは楽しそうに編んでいたっけ。
「……」
 僕は、ベッドの中で大人しくその騒ぎを見守っている、サービスに視線をやった。
 その枕元に座り、綺麗な髪を撫でてやる。
 すると、彼は僕に向かって口を開く。
「ルーザーおにいちゃんは、サンタさんに、なに、もらうの……?」
「え? 僕がかい?」
 そう聞き返すと、末っ子は丸い大きな瞳で、僕を見る。
 最上級の人形だって、ここまで美しい造形は不可能だろうなんて考えながら、僕は首をかしげてみた。
「うーん、僕ねえ……」
 そう言えば、僕も世間的には子供と呼ばれる年齢なんだっけか。
 欲しいものか……。
 でも、もしそんなものが存在したら、さっさと勝手に自分で手に入れるからなぁ。
 あ、そういえば。これがあった。
「僕は、平穏な生活が欲しいかな」
「へいおん?」
「そう、平穏な生活を営む権利。お前にはまだ難しいかな? 社会的に新しく認められ始めた人権の一つだけれどね。静かに本を読むことが出来たり、誰にも邪魔されずに思索に没頭出来たり、用を言いつけられずに安穏と暮らせたり……」
「ルーザー! 馬鹿なこと言ってないで、暖炉の火を消してくれよ! ……ハーレム! だから眠らないとね、サンタさんは、」
「どうだい、サービス。お前になら僕の気持ちが解るだろう? つまりは、今見た通りのことさ」
 僕はようやっと立ち上がり、暖炉の側に立てかけてある火掻き棒を手に取り、炎に灰を被せた。
 こうして炎が消える瞬間は好きだ。
 しゅう、という気の抜けるような音と、今まで勢いよく燃えていたものが、急激に力を失う瞬間。
 それを見ると、いつも一種のカタルシスが僕の心に浮き上がる。
 人間には何かを生み出したいという欲望と同時に、何かを壊したい、消したいという欲望も、存在していると思うのだ。
 ポジとネガ。物事の陽と陰。
 そして、より後者の方に、僕は親和性を感じる。
 これが自分が青の一族だということなのかもしれないと、人知れず想いを巡らす。
 しかし。
 僕は溜息をついた。
 灰を弄り、その現象を抽象的思考にまで高めようとする僕の背後で。
 子供部屋の喧騒は、一層酷さを増している。



「むー!」
「むー!」
「こらッ! やめないか、お前たち! いーかげんにしてくれよっ! だから毛布引っ張りっこするのやめなさいって、何度言ったらわかるんだよっ!!」
 平穏な生活を営む権利。
 一見容易なようで、なんと得がたいものであることか。
「大人しく寝なさ――――いっっ! もう雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けない双子はどんな生態だ! そんな春夏秋冬、修羅の世界は僕はもう疲れたよっ! ルーザー! お前も止めろッ!」
「うーん、まだ暖炉の火がなかなか消えなくて。それと、注文の多い兄さんが一番大声で煩いと思います」
「よふかしナマハゲ!」
「むー! こどものメーテル!」
「もう! そんな銀河鉄道は勘弁して! 夜は寝るの! そういうものなの! おやすみなさいするの! 灯りを消すよ! いいね、おやすみなさーい!」
 こうして、時間は過ぎて。
 ドタバタを繰り返したあげく。この夜も、なんとか双子は眠ったが。
 僕には、まだ最大の難関が待ち受けているのだ。



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 まったく、恐るべき計画が、進行しようとしていた。
「本当にあれをやるんですか、兄さん」
「なんだいルーザー、ひょっとして、お前が主役をやりたいのかい」
「まさか! 悪い冗談はよして下さい。主役脇役以前に、まずその舞台に立たないという選択肢はないのですか、兄さん」
「ないよ」
 そう言い切った、行事が大好きな兄さんは。このクリスマス・イブのために、双子に隠れて、せっせと縫い物をしていたのだ。
 裁縫大好きにも程がある。
 ああ、この。
 ……赤いサンタの服と。
 ……トナカイの……着ぐるみを……。
 居間に。僕の目の前に、準備万端に整えられた、それ。
 プレゼントを双子にあげるだけなのに、どうしてこんなに、一から十まで儀式をこなさなければならないのだろう。
 ああ……どうして……
 この計画を兄さんから打ち明けられた時。
 僕は、この人と兄弟として生まれた運命を呪いたくなった。
 いやね、ルーザー。やっぱりね。
 ウインクして、彼は瀟洒に言ったっけ。
 僕たちには、弟たちに対して、兄としての果たす使命があるはずなんだよ。
 それは何かと考慮を重ねた結果。
 僕はこの計画は、つむじ風を追い越してでも進めるべきだと判断したよ。
 名付けて『お兄ちゃんズはサンタクロース』計画さ!
 そのままじゃないですか、と僕は突っ込む勇気さえなかった。



「じゃあ僕がトナカイでいいよ」
 しばし呆然としていた僕が止める間もなく。兄さんは、綿でモコモコした、着ぐるみを嬉しそうに着始めて。
「あ、なんだ。結構、僕に似合うなこれ」
 立ち鏡の前で、ポーズなんて取っている。
 その灰色の角……茶色の毛皮……素っ頓狂なフェルト製の目……シッポ……。
 口から覗く兄さんの顔……その顔についた、丸く赤い鼻……。
「ああああ! ダメ! ダメです兄さん! 似合うだけに、今、僕の中で何かが崩れたっ! やめて! やめて下さい! お願いだから!」
「どうしたんだい、ルーザー、興奮して……」
「兄さんはそんなことをしないで下さいっっ!! その赤い鼻は僕がつけます! 僕がトナカイをやります! なぜなら、僕がトナカイをやれば、その間抜けな姿を僕自身は見なくて済むからだ……ただ、ああそうだ、家中の鏡を裏返しにしなくては……グラスに水を注いではいけない……艶光りする廊下を通ってはいけない……」
「何だかわからないけど、お兄ちゃんはお前が協力的になってくれて嬉しいよ、ルーザー」



「さあ、行こうか! うわあ、外は寒いなー」
「……残念なことに、この着ぐるみは寒ささえシャットダウンだ……むしろこの羞恥心で火照った僕の体を冷やして欲しいのに……」
「それ、暖かいだろう? 僕の自信作さ。もう内側にもボアを使ってさあ……」
 裁縫マニアの声を振り切って。開いた玄関の扉から、歩き出した先は。
 聖夜と呼ばれるだけあって。その空間は、ひどく澄んでいて、とても静かだった。
 朝、僕たちが雪かきをしてから、また薄く雪が積もって。月の光と青いガス灯が混じり合って、そこ彼処に淡い鱗粉をまぶしたようだ。
 世界は白銀色のヴェールを被り、何処か青ざめていた。
 僕は、その荘厳な美しさに、息を呑んだ。
「さてと」
 隣で兄さんの声が聞こえた。白い息が、冷たい空気に舞う。
「じゃあルーザー、お前、トナカイになったからには、ソリを曳いてもらおうか」
「この瞬間に、よくそんな台詞をあなたは言えますね。しかも兄さんは、今現在、一見するとまともに見えなくもないですが、ちょっと間違えば変態サディストの域に達する可能性を秘めている人だ。そんな危険な香りを今、僕は察知しました」
「何だい、それ。でもとにかく、トナカイにはトナカイの責任があるんだってば。それがお前には解らないかな」
 玄関先には、茶色のソリと、白い大きな袋が僕たちを待ち受けていた。
「トナカイ……偶蹄目シカ科、分布はユーラシアの極北部、グリーンランド、アラスカ、カナダ、および付近の諸島。体長は200cm前後、尾長は約20cm、肩高は130cm程度に達する……主食は草、キノコ、その他コケ類を好んで食べ……」
「ルーザー、逃避はいいから。ほら、その手綱をくわえてソリを曳いてよ。とりあえず家を一周しようか」
「兄さんのこういう所が、僕は時々怖い」
「僕は優しいから、コケを食べろなんて言わないよ。ただ、クリスマス・イブの夜にお前が果たすべき使命を説いているだけなんだよ」



 結局、僕は。嫌々、中庭の辺りをソリで曳かされて。
 勿論、手でだよ、口でなんてとんでもない。
『まったくルーザーは仕方がないなぁ』と文句を言いつつも、ソリに乗った兄さんは、やけに楽しそうだった。
 ひゃっほう! とサンタ気分を満喫しているようで。
 僕は本気でこの人の将来が心配になる。
 その顔を見ながら、ソリを曳きつつ。白い雪を眺めつつ。笑い声を聞きつつ。
 このトナカイの着ぐるみは、暖かいのはいいが熱が内に篭るな、等と空ろな目をしながら、僕は。
 ……そういえば。
 双子が生まれてからは、こういう風に二人だけで遊んだりしたことなんて、なかったなと、感じたりしたが。
 この僕に、こんな馬鹿をやらせるのは兄さんだけで。
 それが鬱陶しくもあり面映くもあり、よく説明の付かない淡い気持ちで。
 それもまったく懐かしいな、等と昔を想ったりもしたのだが。
 しっかりしろ、騙されるな。
 今、僕は重労働をさせられているだけなんだと、ふと我に返り。
 僕はクリスマスとは何てやっかいなんだと、改めて思い直した。
 来年にもまたこれをやるのなら。
 仮病を使う訳にはいかないだろうか。
 いや、これはやはり、双子にサンタの正体をそれとなく伝えるしかあるまい。
 僕は。
 自分が犯人だとはばれない様に、ジワジワと双子に真実を教える計画を、一年がかりで決行しようと固く心に誓った。



「しかし兄さん。どうして誰も見ていないのに、煙突から入るんですか。何処にそんな必要性が」
 疲れた僕を尻目に、サンタの格好をした兄さんは今度は家の屋根に登ろうとしている。
 双子の部屋がある南側、白亜の壁に。
 三階分の高さの鉄製梯子が、用意よくセッテングされている。
 ただ呆れて見上げるしかない。
 ん、と兄さんは座り込んだ僕を、不思議そうに見下ろした。その被った赤い帽子が、目に痛い。
「こういうことには、作法が必要なんだよ。儀式みたいなものでさ」
「煙突に入ったことにして、玄関から入りましょうよ。やったことにしておけばいいじゃないですか」
「ダメだって! お前、こういうのは妥協しちゃいけないんだよ! 一つ妥協すると、全部妥協することになるんだ! 一度やると決めたら、何事も徹底的にやらなくっちゃ!」
 なにしろ兄さんは。
 ナイフでリンゴの皮を剥きながら、ひょっとして、地球も、こういう風にスルスル皮を剥けたりするのかな。
 宇宙から見たら、地表を取り巻く皮が、人間だよね、なんて。
 そんな妙なことを呟くような、極端に走る人間なのだ。
 確かに兄さんの完璧主義には、尊敬すべき点も多々あるのだけれど。
 時として、その性向は妙な所に向いてしまうことがある。
 双子は、特にハーレムは、むしろ兄さんのこういう一面に気付くべきだよ。
 僕の方が、一体どれだけ常識的であることか。



 勾配の急な切妻屋根。
 細い梯子を上った先は、雪の積もった足元が、不安定で心ともない。
 こんな着ぐるみなんか身に着けているから、余計に滑りそうだ。
 広い屋根はぎしぎしと音を立て、高所の風は予想よりも冷たい。
 屋根先についたペディメントの白い彫刻、天使が、何だかこちらを見ているようで。この自分たちの滑稽な姿が、僕はどうも決まりが悪い。
 どうにも恥ずかしくてならない。
 でも兄さんはそんなことには一切構わず、『早速入ろうか!』とばかりに黒い煙突に足を掛けていて。
 僕は、聖夜を仰ぎ見た。
 もしも万が一、百万分の一の確率でも、本物のサンタがいたのなら。
 今この瞬間は、僕たちの姿を見ない振りをして、通り過ぎて欲しいものだ。
 繊細な神経を持つ、この僕のために。
「ほら、何ぼんやりしてるんだい、ルーザー! お前も早く煙突に入りなさい。この袋、一緒に持ってくれないと上手く入らないよ」
 四角い煙突の角に、プレゼントが入った巨大袋が引っかかってしまって苦労している兄さんの姿。
「うんしょ、うんしょ。ほら、ルーザー手伝ってってば!」
 ああ。きよしこの夜。星は光り。
 僕の救いは何処にあるのだろう。



「ゴホッ……ペ、ペ……ゴホ……ああ、やっぱり……灰は喉に来るね」
「……その前に、全身が煤だらけなんですけど、兄さん……それに煤どころか、粘ついたタールが……」
「お前、真っ黒だよ。トナカイの癖に」
「……自分だってサンタの癖に……」
 何とか僕たちは。
 狭い煙突の内側の、耐熱レンガで出来た足掛かりを伝い降り――しかも換気と防寒のために、煙突って内部でやたら婉曲していたりするんだよ――やっとの思いで子供部屋に辿り着く。
 さっき自分で火を消した暖炉から、這い出した僕は。
 この時ばかりは、空気というものを有り難いと感じたね。
 薄暗い部屋、静かな空間。双子の寝息だけが聞こえていて。その柔らかい絨毯の上に、僕は思わずへたり込んだ。
 煤とタールで床が汚れるだろうが、知ったことか。
 どうせここを掃除するのは兄さんなんだから、これくらいの仕返しはあってしかるべきだろう。
 当の兄さんは、ほの暗さの中にもよく目立つ、薄黒い模様を顔や体につけたまま。
 目的を果たすために一生懸命になっているのか、底知らずの元気で、ハーレムの蹴飛ばした毛布なんかを、直してやっていたりする。
 兄さん、毛布、汚れますよ、と言おうとしたが。
 どうせそれも後で困るのは兄さんなので、黙っておいた。



「あ、そうだ、クッキー食べなきゃ、クッキー」
 そう言うと、兄さんは慌ててテーブルの前に行き、自分でさっきセットしたテーブル上の、サンタ用クッキーを口に入れている。
 僕は何も食べる気がしなかったが、喉がいがらっぽいので、ミルクだけを喉に流し込んだ。
 やっと人心地がついて、ふと脇を見ると。
 兄さんが、トナカイ用のニンジンを手に持って、僕を見ている。
「……食べませんよ?」
「でも……」
「僕は食べませんよ!!!」
「……あーあ」
 何が、あーあだ。
 断固とした主張が功を奏したようで、一瞬の勝利感が僕を包む。
 ふう。
 今日初めて感じるその味は、ひどく甘美で……。
「ルーザー、手伝ってってば」
 その儚い幸せを、あっさりと壊す人。
 今、彼は、僕の着ぐるみのシッポをぐいぐい引っ張って、僕を呼んだ。
 ひどい。衝撃の屈辱だ。
 トナカイであるということは、なんたる屈辱だ。
 打ち震える僕の心を他所に、兄さんはこれも薄黒くなった袋から、ごそごそプレゼントを取り出している。



「ハーレムには……これさ!」
 そう言えばこの人は、一ヶ月ぐらい前に双子に誘導尋問をしていたっけ、と僕は思い出す。
 サンタさんから何が欲しい? 伝えておいてあげるから、言ってごらん、なんて。
 ハーレムはじっと考え込んだ後、こう叫んだ。
『うまぁー!』
『馬?』
『あのねぇ、ボクぅ、ウマがいいー!』
 ハーレムときたら、避暑地の馬が大好きなのだ。
 行ったら、馬か水遊びに、かかりきり。
『馬か……しかし本物はなぁ……靴下に入らないし……どうしようか……サンタさん、どう言うかなあ』
 問題はそこじゃないでしょう、兄さん、と思ったが。
 僕としては、家で馬を飼うというのは、またやらされる仕事が増えそうな気がして勘弁して欲しかったので。
 ……だって、この二人なら、馬を家の中で飼うとか平気で言い出しそうな悪寒さえする。
 きゃっきゃと笑い合っている兄さんとハーレムに。
 僕は、遠くから、怒りの念波を送ってみた。
『……どうした、ハーレム。急に震え出して』
『ううー……ナンかぁ、さむいぃ〜』
『どうしたんだい、風邪……? 昨日お腹出して寝てたからなぁ、お前』
 こうして、ハーレムへのプレゼントは。生きた馬ではなく、玩具の木馬に決定したんだ。



「ああ、木馬でしたっけ。まあ僕は面倒臭い物じゃなければ、何だっていいんですが」
「本当にお前、動物嫌いだよね。どうしてだろう」
 怒りの念波に鈍い人が、首をかしげている。
「別に嫌いなんじゃありませんよ。ただ、騒々しいのと面倒臭いのを避けたいだけです」
「……省エネ人間なんだからなぁ、お前は」
 そうこうする間に、茶色の木馬が二つ、絨毯の上に出現していて。
 ケンカするから、双子にはいつも同じものを二つ与えなければならないのだ。
「木馬にも色々あるらしいですけどね。玩具の木馬の他にですね。回転木馬。トロイの木馬、三角木馬……ハーレムが欲しかったのは、案外こっちかもしれませんよ」
「なんだい、それ。特に最後」
「子供はあなどれませんよ、兄さん」
 とにかくも兄さんはハーレムの枕元に立ち、ベッドの左端に吊り下げられた巨大な靴下に、木馬を押し込んでいた。
 なんだかなあと思ったが、僕は考えないことにして。
 もう今更だ。毒を食らわば皿まで、なんて言うじゃないか。
 僕は僕で、子供用ベッドの右側に回ることにして。可愛らしい顔で眠っているサービスの髪に、再び手をやってみる。
 こうして闇の中で、白く浮かぶ顔と輝く金髪を改めて目にして。
 本当に美しい子だなと感じた。
 美しいし、賢いし。
 いい子だね、サービス。
 何よりお前は大人しい。
 静かだ。
 決して、僕の邪魔をしない。
 決して、僕の精神の安寧を……。
「ルーザー、サービスの靴下を広げてよ。あーあ、もっと伸びる毛糸で編めば良かったなぁ。意外に入れにくくって」
「……」
 無視していたら、またシッポを引っ張られたので。
 僕は、嫌々、手伝うしかなかった。



「さあて、次はサービスへのプレゼントだよ」
 これも、サンタさんから何が欲しい? の質問から、導き出された答えなのだが。
 僕の目の前に。
 今、僕が不承不承、身に着けている物体と同種の。二匹分の着ぐるみが、曝け出された。
『サービスはね、』
 ハーレムと同じで、しばらく考え込んだ後。
 末っ子は、目を輝かせて、こう答えていたっけ。
『サービス、コート、ほしい』
『コート? もう色々持ってるじゃないか』
『あのね、ウサギさんとか、キツネさんとかの、コート、ほしい』
 サービスはとても、おしゃまな子なんだ。
 幼いながらに、人一倍身なりに気を使うし、きちんとしている。
 そういう所は、僕は常々感心しているよ。
 しかし、兄さんは。その後、考え込んでいた。
 実は兄さんのポリシーには、動物愛護という項目もあるんだ。
 この人は、変なこだわりばかりを持っているんだよ。
 僕から見たら、どうだっていいことに、いつも真剣なんだ。
 だから、とにかく彼は、毛皮とか皮製品は余り好きじゃない。
 そうやって、自分の信念と、弟の希望とを比較衡量した結果。
 彼が双子たちが寝た後、夜なべして作っていたのが。
 ……この、二着のウサギの着ぐるみだったのだ……。



 ぽわぽわの白綿の表面。
 ピンクのフェルトがついた長い耳。
 丸いシッポ。まさにウサギ。
 ぬいぐるみのような、ウサギ。
「やあ、我ながら上手く出来たもんだよ。絶対双子に似合うよ、これ!」
 そうウキウキした声で言った兄さんは、振り返って僕の方を見た。
「……双子がウサギで、お前がトナカイだろ? 僕は……うーん、僕も何か欲しい所だよなあ……」
「言っておきますが、僕は今日を限りにこれを着ませんよ。今日の僕が自暴自棄になってしまっただけで、明日からの僕は通常に戻るんです。勘違いしないで下さい」
「ええ? そうなの? 一緒に着ようよ、ルーザー。四人一緒に動物になるのも楽しいよ、きっと!」
「僕は進化の過程を逆行するのは御免です。常に時代の先端を歩みたい。ああ、青の一族の未来が……僕一人がその将来を憂えて……」
「大丈夫だよ、ルーザー! 一族の未来は明るいよ! でも、ちょっとだけウサギでも、別に悪いことはないだろう。お前はどうも頭が固くていけないね」
「僕が一般庶民だったら、そんなファンシーでふざけた集団に特殊能力を与えた運命を、呪ってやみません」
 ともかくも、兄さんと僕は。
 子供用ベッドの両脇にかかった、巨大靴下に。木馬の上から、その着ぐるみを押し込んで。
 天使のように眠る双子に、キスをし。
 再び、暖炉から煙突を抜けて、屋根の上に這い出した。



 高所から見る、銀世界。
 聖夜は相変わらず、しんとした世界だった。
 疲労、主に精神的な……が僕の体を支配していたが。その夜の気配は、じんわりと肌に染み通った。
 首筋にかいた汗が、ひんやりとして気持ち良い。
「メリークリスマス! ルーザー!」
 ぱしゃっ。
 僕の頬に、冷たい雪が触れた。
 ただ振り返る僕に、兄さんは。
 もう一度『メリークリスマス! 零時を回ったからね! もうイブの夜は終りさ、ごくろうさま!』と言って。
 指を伸ばして、雪で、僕の鼻先を拭った。彼の冷たい手の中で、白い雪が、黒くなる。
 そして溶ける。
 目の前の、煤だらけの顔をした兄さん。
 それと同じくらいに汚れているだろう自分の顔を、想像して。
 僕は、少しおかしくなってきた。
 だから、僕も『……メリークリスマス、兄さん』と、口にした。
 あは。
 兄さんは、真っ黒な顔で、また笑って。
 ざばっと音を立てて、屋根の上に積もった雪に、倒れこむように全身を埋めた。
 そして、起き上がる。
 その跡には、まるでスタンプのように、不恰好なサンタの黒い形が出来ていて。
「ほら! お前も!」
「わ、やめて下さいよ、兄さん!」
 否応なしに。
 ざばっ。
 僕の、トナカイのスタンプも、雪の上に出来上がった。
 あは。
 今度は、僕の口から、思わず笑い声が漏れてしまった。
 そしたら、兄さんが、また嬉しそうに僕を見て笑ったよ。
 雪の欠片がついた金髪が、星灯りに、きらりと光っていた。
 この年のクリスマスは、こんな風に始まった。
 僕たちが、この屋根から降りた後も。
 このまま雪が降らなければ、朝の光は、この黒いサンタとトナカイを見るのだろうか。
 誰にもこの姿を見られたくないと、思っていた僕だけれど。
 まあ、この黒い影ならいいかと、見せてやってもいいかと。
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、この時は感じたのだ。



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 翌朝。
 僕が目覚めると、ベッドサイドに靴下が掛けてあった。
「……」
 寝床の中で、それを数分見つめた後。
 寒い朝の空気の中に手を伸ばして、僕はそれを、手に取った。これは普通の大きさだった。
 中には。まず、小さなカードが入っていて。
「サンタより」
 と兄さんの字で書いてあった。
 ここまでして彼を拘らせるものとは、なんだろう。
 そして、靴下の奥には。
 僕が学校で盗られてしまったのと同じ、赤い手袋が、入っていた。
 今度は小さく刺繍で僕の名前が入っている。
 だから兄さんは、ずれている。
 名前なんか入れたら、価値が上がって、ますます余計に狙われるんですってば。
 彼らは、言葉は悪いがハイエナみたいな奴らなんですよ、本当に。
 御自分だって、お解りでしょう?



 階段を下りると、キッチンからはいい香りが漂ってきていて。
 クリスマスの日のディナーの準備を、すでに始めているらしい。
 今日のために、兄さんは夏の頃からプティングの準備をしていた。
 甘すぎるきらいもあるが、この黒いケーキは、僕にとっても毎年の楽しみで。
 何でもドライフルーツやスパイス、砂糖を仕込んで、地下室で寝かせて熟成させるのがコツなんだって。
 本当に兄さんは凝り性なんだから。
 こういう風に、正常な利益行為にその情熱が向けば、僕は別段、何の文句もないんですけれどね。
 そうそう、ケーキの中には銀貨が一枚、仕込んであって。
 それが切り分けた中に入っていた人には、幸運が訪れるというんだ。
 ちなみに僕は当たった記憶がないのは、何故だろう。今年はどうだろうね。
 そしてこれも定番の七面鳥。ローストして、甘いクランベリーソースをかけて食べるんだ。
 スティルトン・チーズとミンスパイ。付け合せにするらしい、色取り取りの温野菜の素材。
「サンタさん、お前の所にも来てただろう?」
 僕の顔を見るなり。そう、わざとらしく兄さんは僕に聞いてくるから。
「……まあ、僕は、いい子ですからね」
 と返しておくと、複雑な表情をしていた。
 きっとカードに、何か小言の一つでも書いておけば良かった等と、考えているに違いない。
「兄さんの所には来なかったんですか?」
 そう意地悪く聞いてみると。
「ああ、僕の所には、少し遅れてやって来るみたいさ」
 なんて適当なことを言っている。



 何となく。
 僕は、今日の朝も、兄さんを手伝った。
 別に、プレゼントを貰ったからとか、そんな代償行為ではないよ。
 ただ、そんな気分になったからなんだ。
 そして言われた通りに、双子を起こしに行く。
 子供部屋をノックすると。
 なんと、あの寒い朝が苦手な二人が。もう目が覚めていて、巨大靴下から中身を取り出していた。
 僕に気付くと。
「ルーザーおにーちゃん!!! サンタさん、ボクのとこ、きたぁ――!!!!!」
「サービスのとこにも、きた――!!!!!」
 と、満面の笑顔で、喜んでいた。
 ……そうか、お前たちはこれで嬉しいのか、等と、冷静に考える思考を置いて。
 その明らかに少年サイズな黒い足跡や手の跡には、何の疑問も持たないのだろうかという思考を置いて。
 僕は、ふうんと、何故か、素直に頷いていた。
「……サンタ、来たのかい。良かったね」
 そう自然に、言葉が自分の口をついて出てきたのには、驚いた。
 そうしたら、双子は。その僕に向かって。
 本当に、本当に、幸せそうに。
「よかったぁー!」
「よかったー!」
 と、微笑んだんだ。
 ああ。この雰囲気は。
 どうも感染力が強すぎるらしいよ。



 朝食のテーブルで。
 豪華なディナーに備え、軽く抑えた軽食を取りながら。僕は、浮き立つような心を感じていた。
 そして、やれやれ、これがクリスマスの気持ちかとも思い、ついにこの三人の気持ちが僕にうつってしまった等と思い、面倒臭いことになったと思いつつも。
 先刻、朝起きてから。いいや、うっすらとは昨日の晩から。
 幼い頃に交わした、サンタ論争の一部が、自分の脳裏について離れないのを、自覚していた。
 ――冬の朝にさ。
 ものすごく寒くて、起きるの嫌だなって、思ってしまう朝なんだよ。
 でも、目を開けてみるとさ。
 側に、思いがけない良いことだったり、幸せがあったりするんだ。
 そしてやけに心があたたかくなって、これから頑張ろうって思う。
 そういうのが、まるまる、サンタクロースなんだって考えるのはどう――
 僕は一人、肩を竦めた。
 正面でスープを掬っていたサービスが、不思議そうな顔で、僕を見る。
 その可愛い顔に微笑み返すと、僕もスープを一口飲んだ。
 熱い液体が、僕の胸を下っていった。



 その時。
「サンタさんだぁー」
「サンタさんだぁー」
 僕の目の前に並んだ双子が、突然席を立って叫んだ。
 銀のスプーンなんて、行儀悪くテーブルに放り出しちゃって。
 大きな青い目を、これでもかというくらいに、更に大きく丸くして。
 わあっと、騒ぎ出した。
 僕は思わず自分の背後を振り返って、彼らの視線の先にある、窓の外を見たのだけれども。
 そこにあるのは、ただの冬の朝の光景だった。
「いまねぇ、サンタさんがぁ、いた!」
「あかいふくの、サンタさん、きた!」
 それでも双子は口々にそう主張すると、飛び跳ねるように。あれよあれよと言う間に、玄関へと走っていく。
 一体、何なんだ。
 僕は、隣を見たが、そこに座っていた兄さんは、双子を止めるでもなく。
 ゆっくりと、手にしていたスプーンを置いて。
 二人の投げ出したそれも、拾って交換してから。
 僕に向かって、僕らも行こうか、と静かに言った。



 外は雪。双子が開け放した扉の外は、雪。
 天空から銀の粉が舞い落ちている。
 今日はクリスマス。
 聖なる日。
 特別な日。



 僕たち四人の、白い息。
 そして、もう一人の、白い息。
 兄さんは、雪の中で、ちらりと僕を振り返って。
「ほら。サンタクロース。いただろ?」
 と、嬉しそうに囁いた。
「パーパ!」
「パーパ!」
 それから、父さんに飛び付く双子を見守って。
 自分も、勢いよく、声をあげて駆け出した。
「父さん!」
 さくさくさく、と踏みしめられた雪が、鳴った。
「メリークリスマス。お前たち」
 と。
 ふんわりと。まるで特別な呪文のように。優しい声が、僕たちを包んだ。



 冬の朝に、意外な贈り物。
 それだけで、やけに心があたたかくなって。
 どうしてか、とても嬉しい。
 ああ、そうだった。
 僕たちの母国では、だからサンタをこう呼ぶんですね。
 赤い軍服を着た、僕たちの幸せを運ぶ使者。
 広げる腕。僕たちが、飛び込む腕。
 父さん。
 あなたの名前は、ファーザー・クリスマス。



 ねえ君。
 玄関先で。僕は、表面が凍って固くなった雪だるまの頬を、つるりと撫でた。
 そして、あたたかな幸せに向かって、駆け出した。
「父さん!」
 ねえ君。
 驚いたね。知ってたかい。
 サンタは、本当にいたんだよ。







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