訓練試合

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「ああ、出るぜ」
 講堂のステンドグラスを背に、シンタローは言った。
 五角形の色ガラスは赤・黄・青・黒に四分割され、それぞれに薔薇・鷲・獅子・鳥がデザインされている。
「ぬぅ……シンタローが出るんじゃったら、ワシも……」
「コージはやけに最近、ライバル意識燃やしてるっちゃ!」
「身の程知らずだべなァ! この前オメ、シンタローさんに授業でコテンパンにされてたべ?」
 訓練試合があるという。
 シンタローは、こういうお祭り事は嫌いではなかった。
 何より自分の力を試すいい機会になるだろうからと、自分は、あっさりと出場することに決めた。
 教科書を胸に抱えなおすと、さっさと歩いて講堂を出る。長い廊下に、放課後の穏やかな風景が広がっていた。ばたばたと同級生たちが追いすがってくる。
「……お前らは出ないのかよ」
 振り返ってそう聞いてやると、迷ったような、それでも嬉しそうな反応が返って来る。
「ミ、ミヤギくんは出ないんだっちゃか? ぼかぁ、こういうのワクワクするっちゃ!」
「ホントぉに、子供みたいだべな、トットリはぁ」
「出れば? 力試しになるだろーよ。ま、お前らが勝ち上がれるかどーかはワカんねーけどナ」
 同級生たちはまだ踏ん切りがつかないようだ。ああでもない、こうでもないと、生まれたての雛鳥のように騒がしい。
 そして少年の話題とは、すぐに他愛のない方向へと流れていくもので。
「トットリぃ……よぉ見たら寝グセついとるべ」
「わっ! ミヤギく〜ん、どうせなら朝に言ってほしいっちゃ……恥ずかしい」
「お前ら……俺はトットリの頭で、寝グセと寝グセじゃない部分が判別できないんだが……」
「ぬしら、ワシのキューティクルを見習えぃ! 先祖代々、大地の恵みのサラサラヘアーな家系じゃけんのう!」
「先祖代々で、どーやって見習えばいーんだよ、コージ……」



「俺、今日も家の方帰るから」
 校舎を出た所で。じゃーな、と顔の横で手をひらひらさせて、シンタローは彼らに別れを告げる。
 うっすらと茜色の空が広がる中を、ゆっくりと校門へと向かう。本当は走り出したいくらいであったが、人目を意識してわざとゆっくり歩いている。
 ――ここ数日。
 私邸にサービスが滞在しているのだ。
 たまにしか会えない叔父だけれども。もしかしたら、自分の試合に合わせて来てくれたのかと思い、はりきっているシンタローであった。
 ――訓練試合。
 年に数回程度、閑静期に行われる士官学校と軍の合同訓練の中で、それはちょっとしたイベントだった。
 賭博がこの時ばかりは公然と許されるからである。
 学校と軍それぞれで予選を勝ち抜いた出場者たちは年齢別にランク分けされ、18歳以下のクラスでは士官学校生と少年兵が入り混じる。
 俺たちが出るとしたら、大分年上のヤツらも相手になるから……俺はともかく、アイツらにゃぁキツイかもなぁ、なんてシンタローは思っている。
 しかし、賭けである。
 その対象となる身は、たまったものではないが、賭けといえば、真っ先に身を乗り出してくる人物を、シンタローは知っている。
 そして、まさにその人物が。学校の門前で自分を待ち構えていることも、たった今、知ってしまって微妙な気持ちになる。
 自分の頭上をカアカアとカラスが飛んで行く。
「おーい、シンタローッ!!! 明日明後日の訓練試合出るんだろ、オマエッ!!!」
「……ハーレムおじさん……酒くさっ」
「へっへっへー」



 だらしなく軍服を着崩し、尻のポケットに両手を突っ込んで、大股に自分に近付いてくる男。
 キューティクルどころか、四方八方に広がる量の多い金髪。
 この人がもうちょっとマシだったら、俺らだってキューティクルの一族なのに……って、いや、別に残念なワケじゃないけど。
 何よりも漂ってくる酒と煙草の匂いがキツい。見るからに危険人物なのである。
 シンタローは露骨に顔をしかめてやった。そして忠告する。
「あのさぁ、明るい内から酒飲むの、やめたら? カッコ悪いから」
「カッコ悪いだぁ? どーしてオマエみたいな、甘ちゃんなお坊ちゃんに、ンなコトがわかるんだよ?」
「その言い方やめてってば。誰が見ても、カッコ悪いものはカッコ悪いって!」
 この叔父が、自分が尊敬するサービスと双子であるということが、シンタローは全く信じられない。
 クールで知的で理性的で完璧でカッコ良すぎる超絶美形のおじさんと……これで双子って。双子って。双子って!!!!!
「なァ、出るんだろォ? 訓練試合によぅ。さぁ〜て、俺様はダァレに、賭けようかナ〜
「あのさぁ、賭けもやめたら? いっつも金損してるんだろ? 意味ないじゃん」
「意味ないだぁ? オマエみたいなガキんちょに、男のロマンがわかってたまるかよ。美学だ、美学っ!」
 っていうか、俺は早く家に帰りたいのに。
 それに視線が。周りの視線が。この人、派手は派手だから……目立つから。いろんな意味で。
 そそくさとシンタローはまた歩き出したが、ハーレムも暢気な足取りで自分と一緒に歩き出す。暢気に、ぴゅうと口笛なんか吹いている。
「さ〜て、シンタロー坊ちゃんの、お手並み拝見ってワケかぁ〜」
「勝手にすれば」
「それに、どーやらよォ、今年の新入生にはイキのイイ奴らが揃ってるんだってナ。兄貴から聞いたゼ〜?」
「……イキっていうか……親父の言うことは微妙だから、信じない方がいいぜ、おじさん」
「そぉかぁ? 軍の若い連中も、オマエラみたいな坊やは叩きのめしてやるって、張り切ってやがるぜ?」
「……フーン」
 家には、サービスが待っているのに。
 シンタローは歩調を速めたが、ハーレムはそれに易々とついてきて、しかも延々と話しかけてくる。
 人の迷惑を考えない所は、兄弟で――勿論、サービスを除いて――そっくりだと、彼はうんざりした。
「ダレに賭けるかァ、俺が明日の予選から、見に行ってやるヨ。競馬でも、こう、走る前の馬をな、パドックや馬場でじっくり眺めて品定めすんのさ。そんで毛並みとか鼻息とか……ま、何より俺のここ一番のカンで、ビビッときたのォよォ……」
「俺らは馬じゃねぇって」
「似たよーなモンだって。大して変わンねーヨ
 いちいち発言が自分を煽るようで癪に触るが、今は構ってはいられない。



「……アイツ、来てるんだろ」
 最後に相手はそう聞いてきた。ハーレムが、こういう物言いをする相手は一人しかいない。
「そーだよ」
 答えてから、シンタローは初めて彼の方を振り返った。
「てゆーかさ、気になるなら家に来ればいーじゃん。親父がいる時には来るのに、サービスおじさんがいる時には絶対来ないよね。仲良くすればいいのに」
「……兄貴と同じコト言いやがって。兄貴は金持ってるからナ、だから兄貴ンとこは行く。そんで俺とサービスは水と油だからヨ。どーやっても弾いちまうから仕方ねェ」
「それって、絶対におじさんが油だよね」
 まあ明日頑張れや、そんで明後日の本選で、せいぜいレース面白くしてくれんの、期待してるぜ。
 ちゃぁんと走れ? コケんなよ? 俺がお前に賭けてやるかは、ワカんねーけどナ?
 そんな言葉を残して、去る時はあっさりと去る叔父。
 歓楽街の方向に行ったから、またこれから飽きもせず酒を飲むんだろう。
 やれやれだよ、とシンタローは溜息をついた。
 だから、俺は馬じゃないっての。
 まったく何のために来たんだか。
 そう思いながらも、何だかんだでシンタローはハーレムの真意をわかっている。
 ……多分、サービスおじさんのこともそうだけど。
 頑張れって、言いに来てくれたんだろうな、あの人。もっとさあ、素直に言ってくれりゃ、話はすぐに終わったのに。
 等と、自分のことは棚に上げて、感じるシンタローだ。
 しかし、やはり嬉しかった。
 だから、そのままの気分で、彼は駆け出した。



 そして自宅の玄関口に、ぱたぱたシンタローを迎えに出てきたのは。
「わぁ、お帰りー、シンちゃーんっ!」
「……お前も来てたのかよ」
 いつでもドキドキワクワクで毎日が大変そうな、従兄弟だ。
「えとね、えとね、ぼく、すっごく急いで研究所から来たら、シンちゃんより早かったねっ……あ、マジックおじ様の焼いたケーキすっごくおいしいよぉ シンちゃんの分も残してあるよっ! それでね、サービスおじさまにご挨拶した後、さっき温室に行ってね、」
「お前は相変わらずフワフワ妖精を見てるナ、グンマ……」
「えへー、そしてね、あのね、」
 何だよ、折角サービスおじさんと二人で御飯だと思ったのに。マジックからは、今夜は遅くなるか帰れないという連絡を受けている。
 あーあ、と口を尖らせてはみたものの、シンタローにはグンマの真意もわかる。
 何だかんだでコイツ、寂しいんだろうな。
 溜息をついて、そのままずっと喋り続けていそうなグンマの袖を引っ張る。
 そして、居間に入る。ちょっと自分の足が緊張しているのがわかった。しかしそんな自分にかけられる優しい声。
「お帰り、シンタロー」
 シンタローは、顔を上げた。
「ただいま、おじさん!」
 ソファに腰掛け、庭を眺めていたサービスが、自分に向かって微笑んだ。



「……シンタロー」
 そうサービスに聞かれたのは、一階サンルームで食後の紅茶を入れている時だ。
 シンタローは基本的に家事はしなかったが、紅茶を入れたり簡単なお菓子を作ったりするのは、好きだった。
 小さい頃、マジックのお手伝いと称して色々やったからであるが、今では、それは男らしくないしカッコ悪いと感じているので、滅多にやらない。
 特に同級生の前では、自分はそれができることを秘密にしていたりする。
「お前はやけに楽しそうだな……本当に、こんなのが楽しいのかい?」
 え、とシンタローは黒瞳を見張ってサービスを見た。
「すっごく楽しいよ!」
 サービスおじさんが、家に来てくれただけで嬉しい。こうやって話ができるだけで嬉しい。一緒にお茶を飲めて嬉しい。
 そう伝えると、叔父は少し目を細めて黙った後、それから笑った。
「明日は訓練試合に出るんだろう。聞いたよ。お前が学校でとても優秀らしいとね」
「へへ。こないだ、一番取ったんだ。そんで、寮では一番奥の部屋にいるよ。おじさんも学年トップであの部屋使ってたんだろ? 俺、それ聞いてすっごく嬉しくってさぁ……」
「ああ……お前はあの部屋を使っているんだね……」
「あのさ、おじさんの頃も、ベッドの脇に壁の傷あった? ナイフかなんかで抉ったみたいなやつ」
「……あったよ」
「そんで、ついてるラジオもすっげぇ古いの。旧式。あれももしかしたらあった?」
「……ダイヤルで調整するやつかい? 黒塗りで、最初に雑音が入る……そう、あれがまだあるのか……もうアンティークの域だね」
 サービスの静かな声を遮るように、軽快な足音。
「わァ、ここは星がキレイに見えるね〜」
 また一人温室を見に行っていたグンマが庭から戻ってきた。
 花が好きなんて。まったく乙女チックなヤツだぜ。



 三人で座って、紅茶を飲む。静寂が辺りを支配した。
 サービスが吐息をつく。指で金色の柔毛をくるくると巻いている。星明りの下。叔父の神秘的なその青い左目。
 どうして顔の右側は隠しているのだろうと、シンタローはずっと不思議に思っていたが、何となく聞くことができない。
 それを尋ねることができる程、彼と一緒に時を過ごしてはいなかった。たまにしか会えないから、ますます自分は彼と会うことを貴重なものだと感じる。
 なんか、おじさんって。シンタローは思う。
 おじさんって、やっぱキレイだよなぁ……。
 シンタローが何かを綺麗だと感じる基準は、ことごとく自分にはない要素で成り立っていた。金髪と青い目というのが、素敵だと思う。
 テーブルの上では、文字の刻印された小さめのオイルランプの火が燃えている。星明りとどちらが明るいだろうか。
「あのね、シンちゃぁん」
「あんだよ」
 マジックが焼いたらしいクッキーで口を一杯にしながら、隣のグンマが話しかけてくる。
 しっかしマジックの奴、アイツ、本当に真面目に総帥やってんのか? とシンタローは自分もクッキーを手に取りながらも、眉をしかめた。
 あーあー、ヤだね。
 こういう料理とかそれから裁縫とか、女々しい趣味のヤツぁ。カッコ良くねぇよ。
 やっぱ、こう、このサービスおじさんみたいにさぁ、男はどーんと構えてなくっちゃ。
 上げ膳据え膳って感じで! 何にも頼らないぜって感じで!
 そこまで思ってから、つとシンタローは心中で口ごもった。
 ……。
 ……俺、やっぱアレ……捨てた方がいいのかな……。
 ……でも寮では使ってないし……でも……6500円だしな……勿体無いし……寝る時の……。
「ねぇ、シンちゃんってば! 聞いてる?」
「聞いてるって。あんだよ。早く言えよ」
 つい浸ってしまった自分に、グンマは不機嫌そうだ。
 しかしこの従兄弟は、そんなシンタローの気分も吹き飛ぶようなことを言い出した。
「うんとね、ぼくもねぇ、訓練試合、出るんだよ
「はぁあ?」
 聞き間違いかと、耳を疑った。
「だからねっ、ぼく、頑張って明日の軍予選勝つから、明後日の本選でねっ、シンちゃんと対戦したいなぁ〜」
「お前がかぁ? ケガするだけだっての。だいたい学校にも入ってねーのに、どーやって……」
「えへへー! マジックおじさまがねぇ、研究所所属は軍所属と同じ扱いでいいから、出たいなら出ていいよって!」
「まぁたアイツは……お前に甘いよな。それにしたって、お前戦えねーじゃんよ」
「だからぁ、」
 グンマは胸を張って、得意そうに言い切った。
「ロボット作ったんだぁ〜! 試合のためにねぇ、特別製だよぉっ!」



「……」
 ……何だか。大変なことになりそうだと、シンタローは思った。
 溜息をついた後、気を取り直す。おじさんの頃にもそんなコトあったの、訓練試合とか、と聞いてみても、目の前の人は肩を竦めるだけだ。
 ねぇねぇ、おじさんの頃は、どうだったの?
 グンマと二人で盛んに聞いても、曖昧にかわしてしまう人。
 だから、自分はもっと彼のことを知りたいと思うし、想像が膨らんでますます憧れが増していく。
 おじさんの士官学校時代って、どうだったのかなぁ。
 あの部屋で、俺と同じ部屋で、おじさんは何を考えていたんだろう。
 どんな仲間がいて、どんな遊びをして、どんな子供だったんだろう。
 サービスに関する過去に想いを巡らせる度、シンタローの胸は躍る。
 その横顔を見る度、自分は幸せな気分になる。
 凄かっただろうサービスおじさん、を空想する度に、シンタローはまるで自分も彼と同じ高さまで上がっていくことができるような気がするのだ。
 そんな少年期の憧れ。理想の投影。そしてシンタローのその想いの結論は、いつもこうだ。
 でもさ、何にしてもさ、きっと。
 サービスおじさんは、今と同じで、すっげーカッコイイ人だったんだろうな。
 頭上で星が瞬いている。




 サービスとグンマがそれぞれ二つある浴室で湯を使っている間に、シンタローは客間の用意をするために部屋を出た。グンマがこのまま泊まりたがったからだ。
 すでに夜は遅く深夜零時を回っている。広い家屋は所々に灯るランプの光にぼんやり暗く照らされていて、豪華な内装がそれだけに不気味に翳っていた。
 この本邸は時代がかった複雑な造りになっており、幼い頃の自分はよく迷ったものだ。
 その頃住んでいた日本の家は、ここに比べると驚く程小さかったから。自分自身も……小さかったけれど。
 思い出すと、いつも胸の奥がつきんとする。
 シンタローは静かな廊下を歩く。窓からは淡い月光が差し込んでいた。
 遠くからは夜の鳥の声。近くからは自分の足音。大理石の柱が、闇に白く浮かび上がっていた。
 ――車輪とエンジンの音がする。



 正面玄関の扉を縁取るステンドグラスが、車寄せのライトの光を透かして伝える。
 この家の主人が帰ってきたのだ。
 シンタローは玄関ホール隅の彫刻脇で立ち止まる。
 重く扉の開く音。彼が正面玄関を抜け、ゆっくりとホールに入ってくる。
 軍靴が柔らかい絨毯を踏む音が近づいてくる。
 深く青い瞳が自分を見た。何故かシンタローは、緊張した。小さな声で言う。
「……お、おかえり……」
「……」
 答えは返って来なかった。
 目の前で、マジックはいつもの超然とした顔で自分を見下ろす。暗がりの中で、その弟たちよりも濃い金髪が輝いている。
「……」
 黙っている彼。薄い唇の端が、少し笑ったように見えた、その瞬間。
「えいっ☆」



「うわっ! 突然、ナニしやがんだよ、アンタ!」
「わぁ、シンちゃん、目瞑らなかったね! 偉い偉い。さすが新入生でトップ取るだけあるなー、パパ、感心しちゃった!」
「バ、バカにすんな! アンタのヘロヘロ手刀なんて、遅すぎて俺に当たるワケねーよっ!!」
 白い指先はシンタローの髪をかすめ、左耳の背後の壁に、こつん、と軽い音を立てていた。
 授業で組まされる同級生並の、余裕で避けられるスピードだ。
 ホント、バカにしてやがる。マジックの奴ったら。憮然とする自分である。
 相手は壁にそのまま手をついて、堅い壁と長身との間に自分を挟んだまま、覗き込んでくる。
「シンちゃん、明日予選出るんでしょ? パパ、お仕事切り上げて見に行けるかな〜。明後日の本選には必ず行くけどね」
「いーよ、恥ずかしいから来なくていいって」
「お弁当作って、朝一番に場所取りして敷物ひいて、ビデオカメラであまさず撮影して、ハンカチ振って超応援、フレーフレー、シンちゃんっていうのは流石に時間がなくてできないけれど……残念ながら」
「時間があってもするなッ! いいか、俺は真剣だからな。ンなコトやったらマジで絶交。俺は本気だからな!」
 相手は肩を大袈裟にすくめただけで、何も言わなかった。
 そしてどうしてか、また自分を見下ろしたまま、黙っている。
 静かな夜だった。



「……何だよ?」
 問いかけた自分を無視して、それでも続く沈黙。
 ?
 何かがおかしいと感じた。この間が、この雰囲気が、である。
 少し戸惑う。シンタローが見返したマジックの青い目が、どこか遠い。
 ――シンタローは、この人の目を見る度、自分は、どこか傷付いていくのだと思う。
 どうしてかはわからなかったが、シンタローの心の内の何かが、痛んで傷付いていくのだ。
 思わず目を逸らしてしまう。
 すると突然、男に右手を取られた。触れ合う手。そのまま薄明かりの中で沈黙が続く。
 しばらくして、やっと相手が囁いてくる。
「……何故、お前の手はこんなに熱いの?」
「知るかよ。アンタの手が冷たいからそう感じるだけだろ……多分」
「そうかな」
 氷の感触が、ゆっくりと自分の中指と人差し指の間を探っていく。指を弄ばれる。
 何となく、シンタローは自由にさせていた。感じるマジックの手の温度。
 ――マジックの手は。
 昔から、冷たくなかったことなんてなかった。
 シンタローはいつもそれを感じる度、自分の手が熱いことを意識する。
 それから……心が、ひどく冷たい水に浸されたような、そんな感覚に陥る。
 芯まで染み込んでくる、名前のわからない感覚。
 敢えて言葉にするとすれば……。そう。
 ヤだな。
 俺はイヤだな、という気持ち。
 シンタローは、ただ、こういう手は嫌だなと。
 この男の手が……もう少し……あったかくなればいいのにと。
 それだけを、ぼんやりと思うのだ。
「……お前は……」
 そう言いかけたままマジックは黙り、静かに自分を離した。
 すぐに廊下の向こうから足音がする。
「おじさま、お帰りなさ〜い!」
 廊下の角からグンマの色素の薄い髪が現れた。



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 翌日である。
 予選会場は熱気に包まれている。18歳以下クラスの予選が行われる武道館はその中心で二分され、左面で士官学校生徒、右面で少年兵たちが戦っていた。
 各々5名が選ばれ、計10人が明日の本選の出場権を得ることができる。
 かなりの人数が物見高げに集まってきている。純粋に格闘への興味で見物している人間から、競馬のパドックで出走馬の毛並みを確かめるように、本選での賭けのために来ている人間まで様々である。
 特に左面は、このクラスで年若ながらも本命視されている総帥の息子が出場しているとあって、黒山の人だかりになっていた。
 しかもシンタローは基本に忠実ながらも、かなり戦い方が派手で見栄えがする。
 彼が技を決めたり勝つ度に、観客はドッと沸き喝采した。
「そこまで! 勝者、白・シンタロー!」
「おしっ」
 あっさり本選出場を決めたシンタローは、黒髪をかきあげながら壇上から降りた。
 勝負のルールは相手を立ち上がれなくすることができれば勝ち、という単純明快なものである。
 わかりやすい勝負だからこそ、彼は明快に勝ちたいと思う。
 本当は電光板で試合時間が表示されており、5分で勝負がつかなければ両名失格、という厳しいルールも存在するのだが、シンタローはどの勝負もそんな心配の欠片もなく終わらせた。
 5分、というのはかつて時間計測に使用されていた砂時計の一回分の長さがそうだったからで、昔の名残だという話。
 とにかく完全勝利だ。人込みの向こうにサービスの姿を見つけ、シンタローは手を振る。
 彼は笑ってくれた。そして叔父はそのまま、背中を翻して入り口の方へと向かっていった。
 へへ。おじさんの前で、いいカッコできたぜ。
 そう満足すると、彼は余裕の表情で、同級生たちの側まで行った。
「ま、あんなモンだろ」
「さっすが、シンタローさんだべ! あざやかだァ!」
「ダントツの実力だっちゃね 最初のブロックで最初の本選出場選手なんて、カッコいいっちゃ!」
「まーな。お前らも頑張んな」
「クッ……ぬしにキヌガサくんは、やらんぞぉ、兄として認めんぞぉ、シンタローォ……」
「……ま、とにかくお前ら、アタマも体も頑張れ……とりあえず俺は右面の試合見てくるから。お前らのはちゃんと見に戻って来るからナ」



 シンタローは、軍の予選が行われている右面に足を向けた。
 こちらもなかなかの盛況で、身長の低い自分は、人だかりを掻き分けるのも至難の業だ。
 グンマはどうなったんだろう。背伸びしても見えない。そうこうする内に、聞きなれた声が耳に届いてしまう。
「わぁい 行けぇ! すごいぞえらいぞ、ニャンボット
 どかーん!
 ずがーん!
 高い声と幼稚っぽい台詞の割には、荒々しい衝撃音が響き渡っている。
 ……。
 思わず俯いてしまったシンタローである。背伸びしていた背を、今度はこそこそと縮める。
 グンマ。昔、彼の中の流行は奇妙なウサギだった。ウサたんだった。
 今の流行は、こないだ言っていたようにネコらしい。
 グンマは自作のロボットを、動物やキャラクターの形にするのが大好きなのだ。
 彼がロボットで対戦する、と言った時点で、気付くべきだった。とんでもない姿のマシーンが出てくるのだということに。
 ニャンボットって、ナンだろう……。それでも好奇心に負けて、人の隙間から見てしまったものは、恐ろしくピンクな巨大猫のロボットだった。中途半端にリボンがついているのが、また物悲しい。
 あんなファンシーロボットにヤられるなんて。対戦相手に同情せずにはいられない。
 なんつーか、グンマって、キレたら怖いトコあるからナ……実は……。
 遠い目をしてシンタローは、前方の人を掻き分けようとしていた手を、力なく下ろした。
 アイツと……親戚なんて……。恥ずかしい。
 俺は、このまま身を隠した方がいいのかもしれない……。



 その時ポンと肩を叩かれて、振り向くとその手の主はハーレムだった。相手も微妙な顔をしていたので、自分も微妙な顔を返す。
 同類を見つけて、少し自分は安心した。
 その後ろに何となくついていくと、人の群れがぽっかり空いている場所があって、そこにマジックが立っていた。
 一瞬自分は怯んだが、周りに同級生がいないから、まあいいかと思い直し彼に近付く。
 そして文句を言った。
「いいのかよ、アレ!」
「んー、まあ、グンちゃんだから。それに対機械戦の機会は、これから増えていくだろうからね。団員にもたまにはいいんじゃないかな」
「……つーかアンタ、ほんっと基本的にグンマに甘いよな」
「素直で可愛いからね、グンちゃんは」
 そう言って相手は、自然ムッとした自分に、今度は機嫌を取るように話しかけてくる。
「シンちゃんの試合はパパ、どうしても間に合わなかったんだー、たった今来たんだよ。でも勝ったんだってね、良かった。怒ってる?」
「誰が怒るか。いーよ、サービスおじさんがバッチリ見に来てくれたから。アンタは恥ずかしいから来なくていーの」
「ひどーい、シンちゃんってば、冷たいね! でもそんな所も好きさ!」
「アホか、勝手にしろ」
 横を向くと、今度は自分の隣に立つハーレムが聞いてきた。
「シンタロー、お前は賭けねーのかヨ」
「ハーレム。シンタローに変なこと教えたらダメだからね。賭博は子供に良くないよ」
「へいへい……って兄貴も賭けるんだろ、どーせ」
「私はこういうのは、はずしたことないから。絶対はずさないなら、もうそれは賭博じゃないだろう」
 呆れるような台詞の後、明日、私はシンちゃんに賭けるからね、と言い置いて。
 マジックは、実は会談を抜け出してきたんだ、等と言ってさっさと去っていく。
 やけにあっさりしてやがんな、とシンタローが後姿を見送っていると。隣の叔父が、その小さくなる背中を見ながら、ニヤリと笑うのを感じた。
「うるさい兄貴は行ったナ……よぉし! シンタロー! 見ての通り、お前はまだまだ甘ちゃんだ。賭博といやあ、競馬だ! あれぞ男のたしなみって奴でな。今度、俺が本物の馬ぁ見に連れてってやるゾ! 本物の勝負ってヤツを教えてやる!」
「……いいよ……」
 早速来たよ、と渋い顔をする自分。
「ナンでだァ? 動物嫌いかァ? 馬はいいゾ! 心がすっとすらァ!」
「いや、嫌いとかじゃなくってさ、そーいう競馬とか賭け事とか、あんま興味ねーし……」
 へへ、と煙草を斜めにくわえて火を付けながら、ハーレムが言う。
「ああ、そーだよナ。兄貴が行くなって言うもんナ、お坊っちゃまとしちゃあ、そりゃ行けないよなァ」
 ムッ。
 こう言われると、シンタローは引くことができなくなる。
 クッソォ。大人って汚ねーナ。



「おじさん、誰に賭けるか、決めたの」
 どうやら会話の流れでは、自分は一緒に馬を見に行くことになってしまったらしいが。
 まあいーや、後で何か言われても、しらばっくれてよう。このオッサンと出歩くなんて、冗談じゃねえ。
 シンタローが話題を変えると、ハーレムはまたニヤリと笑った。
「へっ……まあ、だいたいのアタリはつけてるがよ。さっき見かけたアイツ。一攫千金のニオイがするぜ。俺の鍛え抜かれたカンが、そう言ってる」
「誰だよ?」
 シンタローは気になった。叔父は自信たっぷりの顔をしている。
「まず目がいいナ。そして毛並み。馬みてェに、髪がフサフサしてやがる。それとガタイがいい。立派な体してやがる。あれは相当鍛えてやがるな……」
「だから、誰だって」
「名前知らねーんだよ。どうやら士官学校生らしーがな。よっしゃ、そいつ見に行こうゼ」
 ハーレムはそう勝手に決めると、さっさと左面に向かって歩き出した。
 何となく付いて行くしかない自分。
 せっかちな人間だよなぁ……大人のクセに。
 そして――
「おっ、いたいた。アイツだ、アイツ」
 シンタローは最初のブロックだったのと、サクサク勝ってしまったために早く終わってしまったが、まだ他のブロックでは試合が続いている。相変わらずの人だかりである。
 その群集の中で、ハーレムが指差したのは、周囲から頭一つ二つ、いや三つは飛びぬけている男である。あれは。
「コージかよ……」
 シンタローは、呟いた。ハーレムは、やたら感心した風に何度も頷きだした。
「へエ、コージっていうのか。名前もいいナ。こう、ビビッとキたぜェ? どうよ、あの不敵な面構えはよ? あの髪のキューティクル! 俺の第六感が震えてくるぜ……アイツは絶対クル! 俺が夢を賭けるのは、あの男しかいねェ……優勝は絶対アイツだな」
「じゃあさ、俺、行くから……あんまり何でも大口に賭けない方がいいと思うよ……」
 本当は、夢も賭けない方がいいかもね、と言いたかったが、やめておいた。
 ……あまりにもハーレムが自身満々だったので。
 それに自分は、同級生たちの普段は知っていても、正式な試合はまだ見たことがない。
 そーだよな。ここ一番で……ひょっとしたら……コージ、強いヤツかも……しんねぇし……普段はああでも、本番に強いタイプとか。
 何でも、先入観を持つのはダメだよな。
 心の中でそう呟くとシンタローは、彼らの試合を見るために、駆け出した。



 すでにトットリの試合が始まっている。
 防戦一方で、大分、苦戦しているようだ。腕を十字にして、相手の蹴りに耐えている。
 でも仕方ねぇよな。相手は上級生だし、とシンタローは考える。
 トットリって一年生の中でさえ、年少の方だし。それにしてはよくやってる方さ。
 シンタローは人込みを抜け、最前列で試合を見守っているミヤギの隣に並んだ。
 腕組みをして、壇上のトットリと、隣のミヤギを交互に見やる。ミヤギはハラハラした様子で、手を拳の形に握り締めている。心配でたまらない様子だ。
 この13歳の二人の友情は、シンタローの目には微笑ましいものに映る。
 たまーに、引く時もあるけどな。
 たまーにな。
「ぐわっッ!」
「トットリィ!!! 大丈夫だべかっっ!!!」
 鈍い音がして、トットリの小さな体が床に叩きつけられ、勢いで滑って自分たちの目の前に来た。
 ノックアウトか?
「おい……」
 自分が止める間もなく、ミヤギが駆け寄ってトットリの手を掴んでいた。



 ♪ちゃらららら〜
「大丈夫だべか……トットリ……」
「ヘヘ……ミヤギくん……僕、もうダメかもしれないっちゃ……」
「バカがぁっ! ンなごと、言うモンでねーべ……」
「ミヤギくぅん……」
 シンタローは思わず周囲を見回した。
 どうしてか少女漫画のように花が飛んでいるような気がする。甘いメロディが聞こえたような気がする。
 気のせいだよな?
 誰か気のせいだと言って……って! 審判、止めろよオイ!
 ♪ちゃらららら〜
「最後の……手段を……使うっちゃ……」
「最後って! トットリ! オメ、何をする気だべっ!」
 目の前のメロドラマは、青ざめるシンタローを他所に着々と進行していく。
「僕ぅ……実はミヤギくんにも隠してたァけど……師匠から教わった秘伝があるっちゃ……っ」
「秘伝……だべか……?」
 ていうか、対戦相手。
 シンタローは焦って相手を見たが、どうやら相手は洒落のわかる人間のようだ。
 必殺技を出す前は、待っていてくれるタイプらしい。トットリを投げ飛ばした時と同じ体勢で止まってくれている。
 ガンマ団って……いいのかなぁ、これで。洒落のわかる軍人って、どーよ。
 軍の未来に一抹の不安を覚えるシンタローである。
 息も絶え絶えに見えるトットリは、意外にしぶとく話し続けている。
 世界は二人のために状態。



 ♪ちゃらららら〜
 そう……秘伝、だべ……禁術……師匠に、最後まで使うなって言われてるっちゃ……。
 トットリィ……。
 なんだぁか、ミヤギくん……。
 ……奇遇だべな! オラもだべ!
 ミ、ミヤギくんも?
 あぁ、実はオラも先祖代々の秘伝を受け継いでいるんだべ……。
 ええッ! すっごい偶然だっちゃわいや!
 なぁんか、オラたち……。
 なぁんか、僕たち……。
 いい感じ!(ハモリ)
 だべ!
 だっちゃ!
 こーいうの……なんて言うんだったァか?
 トモダチ、だべか……?
 いや、もっと強いものだっちゃ……。
 じゃあ、最高の、をつけるだべか……?
 そう……しかも、こないだ習ったばっかの英語で言ってみたら、きっとカッコイイだっちゃわいや……。
 ベ……フレ……???
 しっかり! ミヤギくん! ここは僕がリードするっちゃ!
 ベスト……フレンド……エゲレスやメリケンではそう言うっちゃ……。
 そげだぁ、それいいべ! トットリぃ!
 ベスト……フレンド? (ハモリ)
 そう、オラたち僕たち…… (交互に)
 ベストフレンドだっちゃわいや! (くりかえしてエコー)
 ♪ちゃららららら〜



 何やら輝かしいものが結成されているらしいが。記念すべき瞬間らしいが。シンタローにはそのキラメキが見えてしまったが。
 もしかしてこの光景が見えているのは、俺だけなのだろうか。裸の王様状態だったらどうしようと、彼は不安になり、背後を振り向いてそこに立つコージに目をやった。
 彼の視線も自分の足元の二人に注がれていた。
 だからシンタローは安心したのだが。このドラマを目撃させられているのは、俺だけじゃねえ。
 そのコージの目が、異様な温かさに満ちていることも気付いてしまう。目の端に、うっすら涙まで溜まっているような……感動のあまり、打ち震えているような。
 ……俺は。
 俺は、コージのように、度量の広い男にはなれねぇ……。
 そんな風に、軽く落ち込むシンタローの足元で、トットリがいそいそと持参の道具袋から何かを取り出している。
 よく見ていれば、下駄らしい。下駄なんて取り出してやがる。下駄。
 ……ちょっと待てよ、こいつ、忍者だよな。師匠からって……忍者ってこんなの履くんだっけ……。下駄はいて屋根や塀って、飛び移れるのか。
 その根本的な疑問を抱いているのはシンタローだけなのだろうか。
 ウオオオオン!
 下駄を履いて立ち上がったトットリの姿に、気にせず観客たちはどよめいている。
 彼は元気良く壇上を飛び回り出した。
「さぁて、戦闘準備オッケーだっちゃ
「トットリぃ、がんばるべ! トットリー! おらのベストフレンドだべ!」
 シンタローは、一人ごちる。
「……やっぱり明らかに余力を残してやがったな、ちゃっかり忍者くんはよ……」



 試合は再開し、紳士的だった対戦相手も動き始めた所で、急にもっともらしげにトットリは天を仰ぐ。
 何が起こるんだ? とシンタローも観客も、彼の動作に目を釘付けにする。対戦相手も身構えながら、頬を紅潮させている。どうやら彼も期待しているらしい。
 何だ? いよいよ秘伝とやらが出るのかッ!?
 トットリは叫んだ。響き渡る声。
「いでよ! 脳天気雲ッ!」
 シーン。
「いでよ! 脳天気雲ッッ!」
 シーン。
「いでよ! 脳天気雲ッッッ!」
 シーン。
 三度、静寂と応答を繰り返した後。
 トットリは可愛く笑って相手に言った。
「僕、忘れてたァ……期待させてゴメンだっちゃ! 脳天気雲は、屋根ある所じゃなきゃぁ、気ぃ遣って出てこないんだっちゃ
 そして、トットリは怒り狂った相手から、あっさりとノックアウトされたという……。



「……」
 シンタローの脱力は続いている。
 今度はミヤギの試合なのだが。晴れてベストフレンドとなったトットリが、自分の脇で必死に応援しているのだが。
 早々に追い詰められたミヤギは、なんと巨大な筆を取り出して構えたのだ。二メートルはあろうかという、ぬぼーっとしたそれ。わさわさした筆先。
 下駄の次は巨大筆かよ、と頭を抱えるシンタローである。
 俺の周りは、アホばっか。
 つーか、さっきの、ノーテンキグモって、一体ナンだったんだろう……カブトムシとセミの次は、巨大蜘蛛の着包みでも被るつもりだったのかな……もしそうなら、失敗したらしくて良かったぜ。
 はァ……。
 脱力し続けるシンタローの目の前では、
「こ、こいが、先祖伝来の、筆だべ!」
 そう言いながら、ミヤギが相変わらず逃げ回る光景が繰り広げられている。
 逃げ回りながらミヤギは、しきりに観客席の最前列にいるシンタローに話しかけてくるのであった。
「シ、シンタローさんっ」
「……あんだよ、さっきからうっせーぞ、真面目に試合しろよ」
「ミヤギくぅ〜ん! 僕に話しかけてほしいっちゃ〜」
「ダメだべ! オメじゃダメなんだべ!」
「ガーン!!! だっちゃ!!!」
 早速ベストフレンド崩壊してやがるんだが……。
「シンタローさん!」
「あんだって。集中しろよ」
「カ、カエルって、どう漢字で書くんだべ?」
「……今この瞬間に、それにどんな意味が」
「オラは必死だべ! カエルってどう書くんだべ!」
「……それより試合しろ」
「だから試合するためにカエルって漢字知りたいんだべ!」
「何でだよ! アホも大概にしろ!」



 そんな不毛なやり取りを繰り返している間に。
「ミヤギく〜ん! 僕、辞書持ってきたっちゃ〜!」
「おおっ! さすがはトットリだべ!」
「だって、ぼくらぁは?」
「ベスト?」
「フレンド?」
「だべ!」
「だっちゃ!」
「……」
 どうして二人いるのに、フレンズと複数形にしないのだろうとシンタローは細かいことが気になったが、追求すればこの世界に引きずり込まれてしまうような気がして、黙っていた。
 そしてその理由は不明だが、念願のカエルの漢字はわかったはずなのに。
「オメ! 覚悟するべ! 漢字がわかったからには、もぉオラの敵はダレもいねぇべ!」
 そう相手にタンカを切ったミヤギであったはずなのに。
「しまったァ……墨がなかったべ……」
 その言葉を残して、あっけなく床に沈んだ。
 綺麗なノックアウト負けだった……。



「ああ……時代の波に合わせて、筆ペン式に改良すればよがっただ……」
「ミヤギくぅん! 伝統はやっぱ、時代に取り残されて行くんだぁか……辛いっちゃね……」
「トットリぃ! オメはわかってくれっかァ!」
「まぁ……俺にはよくわからんが、とりあえずお前らはよくやったんじゃねぇ……?」
 とにかくもその場をまとめると、気を取り直してシンタローは、コージの試合を見ようと身構えた。
 しかし。
「コージ……何でこんなトコに、いンだよ。試合じゃねーのか?」
 さっき試合に向かったはずの、当の本人が。いつの間にか、また自分の側に突っ立っている。
 憮然とした表情だ。口にくわえた葉っぱのようなもので、歯をシーシーやっている。
「ああ、対戦相手が気に入らんから、棄権したんじゃ」
「……気に入らんってさぁ。トチギか……対戦表見る限り、いたくマトモだと思うが? 少なくともコイツラよりは」
「軟弱じゃぁ! わしゃァ、ムキムキのマッチョマン以外とは戦いとぉないわ!」
「……じゃあ何でエントリーしたんだよ」
「だからマッチョマンだったら、ワシは戦っとったんじゃ!」
 実はコージには、誰か目当ての人間がいたのだろうか。
 これから体を鍛えることに、ちょっぴり不安を覚えたシンタローだった……。
 ちょっと俺は疲れた。
 うん、疲れた。癒されたい。
「ま、まあ俺、明日に備えて早めに帰るわ」
「結局勝ち残ったのはシンタローさんだけだべかぁ……まぁ当然だべな、オラたち、本選も頑張って応援するべ!」
「だっちゃ! それじゃあ僕らも帰るだっちゃわいや!」
「そうじゃのォ! キヌガサくんの様子も気になるけんのォ!」
 何やかんやで、最後は和やかに、戸口へと去った一行であった
 そして彼らは、ナチュラルに気付かなかった。
 士官学校予選、最終ブロック出場者の存在に……。



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 その夜更け。
「……チッ」
 シンタローはベッドの中で、もう何度目かもわからない寝返りを打つ。
 明日は本選である。眠らなければ。しかしそう思えば思うほど、目が冴える。
 緊張……してんのかな……眠れねぇ……。
 トイレに行こうと廊下に出ると、窓からぼうっと明かりが滲み出ていた。中庭の温室の光だ。
「……」
 しばらく自分はその光を見ていた。
 すると、背後の暗闇から声をかけられる。サービスが起き出していた。叔父が、あの光を不審に感じている気配がしたので、説明する。
「多分、親父だよ」
 サービスの表情は、暗い上に逆光になっていて、よく自分からは見えない。
 間があって、静かな答えが返って来る。
「……ああ……あの温室に、よくいるのかい」
「最近は俺、寮に入ってるからわかんないけど。でも、たまにいるみたい」
 花とか動物とか、似合わないモン好きなんだよな、アイツ。
「アイツってさ、どーしてかメルヘンちっくなトコあんだよな……似合わねーよ、俺、時々ヤになる」
「そうだね、似合わないね」
 きっと叔父は、微かに口元を緩めているだろうと思ったから、シンタローも笑い返した。
「ほんと、似合わねーんだから」
 恥っずかしーの!
「……もう寝なさい。おじさんは明日のお前の活躍を期待しているんだよ」
「は〜い……へへ、おやすみ! おじさん……って、その前にトイレ!」
「ふふ、おやすみ、シンタロー」
 シンタローは鼻の頭を掻くと、その場を離れた。
 明日は頑張ろうと思った。



 あなたには、似合わないよ……。
 サービスはその光を一人見下ろし、呟く。
「……偽善者」




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