第一部
幽霊騒動

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 光の中には、いつもあなたがいた。
 あなたと共にある世界の不思議。
 温もりの持つ幸福の不思議。
 父さん……。
 太陽が照らす人。
 今はいないあなたを呼ぶ。
 それが、僕らの原風景。







 おかしな噂が囁かれていた。
 いつしかそれは形となって、ゆっくりと日常の深層から浮かび上がる。
 夜の士官学校校舎内に、幽霊が出没するのだという。
 最近増設された新館で新入生の授業は行われているのだが、その渡り廊下の先に続く、年代物の旧館資料室が現場らしい。
 旧館四階奥、北向きの薄暗い場所にひっそりと位置する、六枚のパネルからなるオーク材の黒扉。
 昼間でもどこか陰鬱な影が立ち込めているその場所。
 士官学校という、この感じやすい年頃の少年が集まる特殊な閉鎖空間では、しばしばこのような噂が蔓延する。
 若い想像力とは教師がいくら制止しても羽を広げ、さらに集団となってあらぬ方向へと羽ばたいていくものだ。
 『幼くして戦死した少年兵の亡霊』程度の話なら幹部職員たちも苦笑しているだけで済ませたが、少年たちの意識の水面下で噂は成長し、ついには『亡霊は見間違いで、実は敵対国のスパイが潜入し工作を行っている。昨晩のシステムダウンもそのせいだ』という類の説がまことしやかに語られる状況になっては放置しておく訳にもいかない。
 しかし教師陣が調査しても生徒達がその結果を信用するはずがない。
 仕方なく彼らは学生間に有志を募り、幽霊の調査をさせることにした。
 学生たちはやけに粋な計らいだと語り合ったが、どうやらちょうど前線から戻ってきていた若き総帥兼理事長が偶然それを耳にし、『生徒が作った噂は、生徒自身に解決させてやれ』と言ったからとか言わなかったからとか。



「と、そういうことらしいですヨ」
「……フーン……」
「へぇー」
「ホーント、木偶の坊みたいな反応しかできないんですねー、あなたたちってば」
 高松は濃いコーヒーを不味そうにすすると、白衣を揺らして足を組み替えた。
 木椅子ががたんと音を立てる。
「まぁったく、食堂のコーヒーは入れ方がなってません。豆は悪くないのに」
「そんなん誰が入れても同じじゃねェの?」
「ジャン、アナタの舌を一度引っこ抜いて、検査してみたいモンですよ。何だっておいしいと思える舌は結構貴重です」
「味覚が麻痺してるとも言えるよ」
「サービスまでッ! どうせ俺は味オンチだよ!」



 ここは士官学校食堂。
 その一角に陣取る16歳の少年三人は、周囲から一目置かれる存在だった。
 今も何気なく高松が背後を振り返ると、数個の視線が逸らされた。
 どこにいても人の目が集まる。気配を窺われる。
 彼らが新入生の中でズバ抜けた能力を持ち、入学早々エリートとして目されていることもあったが、その最大の要因は三人の内の一人、金髪碧眼の美しい少年にあった。
 目の前の彼は、いつものつまらなそうな表情をして、長い髪を指で弄んでいる。
 何やっても絵になる人ってのは、いるもんですねぇ。サービス。
 高松は溜息をついた。
 この士官学校直属の、世界有数の軍団創設者一族の一人で現総帥の弟。成績優秀でしかも容姿端麗。
 目立つなって方がおかしいですよ。本人は平気そうな顔してますけど。
 こっちはあなたのせいで、始終好奇の目に晒され続けてそろそろうんざりだって言うのに。
 ま! それもいい加減慣れましたけどね。姫の御学友ってのも悪くない。
 ……それにあの方の……弟御ですから。
「うわたッ! 痛いよ、サービス!」
「お前の頭に虫がいた」
「嘘つけーッ! ……その俺をいじめる癖、やめてくれませんかね?」
「いやだ」
 高松は、サービスの気まぐれに、懸命に防戦にまわる黒髪の友人を眺める。
 そっと呟く。
 ジャン、ね。
 いつの間にかサービスの隣にいた男。
 この人も……不思議っちゃあ、不思議なんですよねェ。
 こんな殺人者養成所の中で、毒がなさ過ぎるんですよ。
 まァどーでもいいですけど。
 ふと、自分の指が勝手に動くのに気付き、高松は苦笑した。
 久々に煙草の味が恋しい。



「で、どうします?」
「……なにが」
「ナニが?」
「お化け調査の話ですよ。ちゃんと聞いててくださいアンタら」
 このじゃれあう子猫たちが耳なんか貸す訳がない。
 ジャンが黒い瞳に好奇心をたたえて聞いてくる。
「っつーか、高松がそんなコトに興味あるなんて意外だゼ」
 てっきり子供っぽいってバカにしてるかと思った、と笑う彼と、気のない顔でこちらを見ているサービス。
 アンタらがガキっぽいこと大好きだから言ってあげてんでしょーよ。
 高松は大げさに肩をすくめてみせる。
「私が興味があるのは調査よりもその褒賞ですヨ」
「……どーせ図書券じゃないのかよ」
「フフフ、甘いですねジャン」
 高松はニヤリと笑って黒い液体をまたすすった。
「私は、そのお化けが出るという旧資料室の鍵が欲しいんです」
 ジャンとサービスは顔を見合わせた。



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 高松が本気なのかそうでないのか、いつもの胡散臭い表情で説明している。
 ……面倒くさい。
 サービスは溜息をついた。
 普段は最上級の二年生しか借りられない鍵――旧館は未だに電子錠ではない――を調査にかこつけて借り、合鍵を作りたいのだという。
 なんでまたそんな手間のかかることを、とジャンが聞くと、どうしても旧資料室を自由に使用したい理由があるらしい。
 確かに旧館は、重要資料がほとんど新館、または離れた場所に新設された研究所に移転されたため、統合セキュリティシステムからは外されている。
 鍵を手に入れて、当直の目さえ誤魔化せば恐らくは大丈夫だろう、高松なら。
「今、論文を書いてるんです。それには過去の実験データの収集が必要なんですが、幸いなことに新館に移送されたのは理論系論文だけで、データはまだ残っている。私はそれを参照しなきゃなんないんです。早急に」
 学者の卵特有の学究的情熱というやつだろうか、とおかしく思う。
 普段は自分と似て冷めている人間に見えるが、この男には変に偏執的な所が見え隠れする。何か目的があれば一直線に突き進むタイプだろう。



「あー、俺たち新米はあんまり権限ないからナ。しっかしお前、偉いな! 超勉強熱心じゃん! ちょっと感動したゼ、高松」
「私たちはまだまだ外部の他所者扱いなんでしょーよ。まー、軍隊なんだからそれも仕方ありません……今はバカや曲者をふるいにかけてる期間ですから。だからこそ天才である私は一刻も早く認められるべきなんですッ。そして付設研究所に入って、あの方のお手伝いをしたいッ……フフ」
「……ナンか、お前のそーいう所は……ビミョー」
 なんだ、またルーザー兄さんのためか。
 高松が昔から次兄のルーザーに心酔しているのは知っている。
 勉強熱心な所だけは気に入られるかもしれないけど……でも、兄さんの方はこいつのこと、覚えてるかどうかも怪しいのに。
 先日の士官学校入学式で、理事長である長兄の背後にいたルーザーを思い出す。
 いつもは付設の研究所に篭っているが、式典や長期遠征時には長兄の影のように付き従っている優しい姿。
 美しい笑顔。
「……ねえ、サービスも手伝ってくださいよ」
「面白そうじゃん。やろうぜ、サービス!」
 ジャンはすっかり丸め込まれている。本当に単純なんだから。
 常に押し付けがましい、食えない高松よりも、このジャンの純粋な瞳の方が手に負えない。
「なんで僕まで」
「サービスが入ってくれれば、他の生徒は遠慮して参加しないでしょう。私の合鍵作りが楽になります」
「なんだ高松! そんな理由でサービス誘うなよっ! ひどいヤツだなお前!」



 横目でジャンと高松の言い争いを聞きながら、遠巻きにこちらを気にしている同級生たちの姿を眺めた。
 ……いい意味でも悪い意味でも打算的で、人目を気にしない高松が自分と一緒にいるのはわかる。もともと高松は一族専属医師の出自だ。
 だけど、なぜジャンは僕の側にいるんだろう。
 ごく普通の素朴な少年。
 こんな風に一まとめに、憧憬という名の異端扱いにされることはわかりきっているのに。
 僕と一緒にいるということは、おそらく嫉妬や憎悪の対象にもなってしまうことだろうに。
 入学式でたった一人、臆する所なく話しかけてきた。
「もういいよサービス!こんなヤツ手伝うことなんかないぜ!」
 純で、まっすぐで、正直で……今まで僕の周りにはいなかったタイプ。
「……じゃあやろうかな」
「サービス!」
「今の声、しかと録音しましたよッサービス」
「なんだか、ジャンがやるなと言ったら、やりたくなった」
 もう、とわざとらしく頭を抱えるジャンを見ていると、だんだん愉快になってくる自分を感じる。
 自然に笑みがこぼれた。
 なんだ。
 学校生活って、意外に退屈ではないな。
 お前も来れば良かったのに、ハーレム。



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 遠くで猫の鳴き声がする。
 時は夜。同級生達の曖昧な笑顔に送られて、サービス達三人はほの暗い士官学校旧館の廊下を進んでいた。
 靴音が普段より高く響く。
 両壁の白さと大理石の柱が、窓から漏れる月光に照らされて、ぼうっと闇の中で浮き上がっている。
 高松がカンテラを持った手を上げ、暗がりに光をかざすと、チチチという声がして小さな蝙蝠が逃げていった。
「……知ってます? 蝙蝠の唾液には、薬効成分が含まれているんですよ」
「へェー」
「血液凝固を防止する作用があるんです。吸血動物ですからねェ。脳血栓の特効薬ですよ」
「じゃー、ケガしたら舐めてもらえばいいのかぁ」
「蝙蝠にお友達がいれば、の話ですが。いるんですか? ジャンは」
「まさか!」
 二人のやり取りを聞き流して歩きながら、サービスは見慣れない夜の校舎を眺めていた。
 暗闇は嫌いだが、薄明かりの夜の雰囲気は好きだ。
 静寂と平穏。ゆるく流れる時間。
 柔らかく頬をなぶる風は、間近に控えた夏の予感を彼に与える。
 夜はいつも、闇の明けた次の季節を想起させる。
 そのもどかしさが切なくて、思わず無口になる。



「また新手の噂を聞きましたよ。資料室の幽霊は、部屋に入ってきた人に向かって問答するらしい」
 四階への階段を上りながらまた高松が言う。
 よくある学校の怪談ってヤツですね、と鼻で笑っている。
「問答お化けかぁ! どうせなら、そっちの方が明るくていいヨ、なァ、サービス!」
「……まあね」
「そりゃねェ。今話題の、敵対国スパイ説より全然いいでしょうよ」
 スパイ。なんとなく非現実的な話にしか聞こえない。
 兄たちに言わせれば深刻な問題らしいけど。どうにも実感が湧かない。
「……それで、その問答お化けは何って聞くのさ」
 ジャンが言う。
「赤マントがいいか、青マントがいいか、選べって言うそうです」
 マントね。赤紙青紙のパターンも聞いたことあるな。
 たわいのない噂は、何故かいつも行き着く先は同じような馬鹿馬鹿しい話になる。
「赤マントを選ぶと、天井から斧が落ちてきて、割られた頭から噴出した血がその人に赤マントを被せたようになる」
「……フーン……青マントは」
 今度はサービスが聞いた。
 ちょっと普通よりは生々しい話だった。
「下から手が伸びてきて、体中の血を抜き取られて真っ青になって死ぬ。どっちを選んでも死んじゃうんだから救いようありません」



 階段を上り切ると、三人は左に折れて奥の資料室へと向かう。こつこつと足音だけが響いた。
 長い廊下。
 心なし少しだけ空気が重く、月が翳ったのかとサービスは突き出し窓の向こうを見る。
 虚空に白く輝く半月は、弦を下にして依然としてそこにあり、自分たちを見つめていた。
 すぐにその光に照らされた、六枚に連なる厚い黒扉が視界に入る。
「着きましたよー。さて、まずカギを開けて、と」
「楽しそうだな、高松」
「そりゃ楽しいですヨ、サービス。これで念願の合鍵を作れるんですから」
 真鍮のリングに繋がれた、八本の鍵の中から慎重に高松は一本を選び出す。それを鍵穴に入れて右に回すと、小さな金属音がして錠のはずれる音がした。
「これでよし、と」
 何のためらいもなく扉を開ける。
 明かりを灯す。
「……少しは怖がれよ、高松。緊張感のない奴だ」
「ああ、忘れてました。うわーコワイコワイ……あれェ、ジャン。さっきから黙ってるとこ見ると、実はホントに怖がってましたか?」
「ンな訳ないだろッ。っていうかここが旧資料室か。ホコリ臭い部屋だなこりゃ」
 サービスが辺りを見回すと、狭い部屋中に所狭しと並ぶ古びた木棚の中に、紙類がひどい有様で散乱している。
 このデータ資料とやらがすんなり新館に移送されなかったのは、確実に整理に手間がかかるからだろう。
「ハイ。明かりはつけたんで、外から見てるギャラリーも満足でしょう。私はこれからひとっ走りして、鍵の型を取ってきますから。アナタたち二人は、ここでさも調査してるみたいに時間稼ぎしといて下さい」
 言いたいことだけを言うと、高松はさっさと外に出て行った。
 相変わらず自分本位なヤツだよ全く。
 サービスは自分のことを棚にあげて思った。
 ジャンは窓際に佇み、外を見ている。



「なんだ、ジャン。まさか本当に怖いのかい?」
「違うって……ここから何が見えんのかなーって思ってさ」
「ふーん。部屋の明かりがついてるのに外が見えるんだ、凄いね」
「ッ……見えなくても、見てたっていいじゃないか」
 グラスの底のように向こうの見えない窓。
 ジャンがこちらを振り返り、細い窓枠に腰掛けた。
 そして明るく笑って言う。
「幽霊なんて、やっぱいなかったな。つまんないぜ」
「高松のダシに使われるなんて、最初からわかってたことじゃないか」
「そうだけどさ。もっと面白いコトでも起こるかと思ったのに、蝙蝠一匹しか出なかったよ」
「面白いことなんてそうそう起こるもんか」
「いつも起こってるじゃないか……サービスとか高松といるとさ」
 ふぅ、と息を吐き出して、ジャンは今度は床に腰を下ろした。窓枠は細くて不安定だったらしい。
 サービスもそれに合わせ、隣に行って床に座った。
 自分の長い髪の先が、ジャンの鼻先をかすめたのがわかる。
 すぐ間近に体温が感じられる。
 彼がまた小さく息をついた。
 古い部屋の隅の暗がりを見つめている。
「……やっぱ、さっきのつまんないって言ったの撤回。こうやってお前や……高松とかと話してるのって、俺、すげー楽しいからさ。こういう夜って、何かいいよ」
「そう」
 あっさり答えると、そのまま沈黙が流れた。



 床板の古い木材がきしんだ音をたて、かび臭さが鼻をつく。
 窓枠のわずかな隙間から風が入るのか、積み上げられた書類がかさついた。
 右隣のすぐ側にある、ジャンの黒髪。
 本当に黒いんだなあと妙に感心した。
 青の一族の中で育ったサービスは、こんなに間近に黒髪を見たことがない。黒髪で、黒目。そういえば高松もそうなんだけど。
 体育座りをして膝小僧に顎を乗せているジャンの頬が、少し赤い。
 サービスは生まれながらに、こういう自分に対する他人の緊張には慣れていた。
 バカだな、緊張しいのジャン。
「……ジャン」
 呼ぶと、ん、と彼の首が少し傾く。
 サービスはこういう何でもないことに最近おかしみを覚えていた。
「赤マントがいいか、青マントがいいか、どっち?」
「え……」
「選べよ。僕がお望みのお化けになってやるよ」
 場をほぐすために言ってやったのに。
 ジャンはこちらを見ずに、目を逸らす。
「……だって、どっちも死ぬんだろう」
 答えた声が固かった。
「そうだけど、これは選べなくても死ぬんじゃないの? お化け的にはそう思うけど」
「……この部屋に入らないって選択肢があればいいのに」
「そんなのあったら、お化け話が成立しないだろ」
 バーカ、と言いかけた、その時だった。
 床と部屋奥の本棚が、明らかに不自然な音をたててきしんだのは。



「ッ!」
 二人は咄嗟に戦闘体制を取る。
 明かりの届かない部屋奥の暗がりに、何かがいる。
 サービスは叫んだ。
「誰だ! 出てくるんだ!」
 返事はない。だが次の瞬間、夜を切り裂くような衝撃音が響き渡る。
 奥の窓ガラスが割れたのだ。黒い塊が飛び出していくのが見えた。
「!」
 転々と屋根を伝って逃げていく影。身が軽い。かなりの手練。
 サービスとジャンは目で確認し合うと、自分たちも窓の外へと飛び出した。





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