幽霊騒動・2

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 黒影は旧館裏へと向かっている。
 やはり、亡霊の正体は噂のスパイだったのだろうか?
 影を追う二人。月明かりの中、金の髪と黒の髪が夜風に身を切る。
 フッと視線の先から影が消えた。
 よし、曲者は森に入った。
 その瞬間を見極めると、サービスは敷地の至る所に目立たないように設置されているセキュリテイボックスを開き、警報スイッチと森ブロックの封鎖スイッチを押した。
 サイレンが夜空を貫き鳴り響く。ここまでは危機管理マニュアル通りだ。
 そしてサービスの内面は、血気に逸る少年だった。
 森を塞ぐために両側から迫る鉄門をすり抜け、影の後を追ったのだ。
「サービス!」
 切迫したジャンの声。衛兵を待って追うなというのだろう。
 確かにそれが常道だ。だけど。
 聞こえない振りでそのまま走ると、案の定、彼も自分を追ってきた。
 サービスはにこりと微笑み返す。相手は困った顔をしている。
 ふわりと心が浮き立つのを感じていた。
 何だろう、この感覚は。
 今まで体験したことのない楽しさ。変に浮ついた自分。
 僕と、ジャン。
 きっと、二人なら何だってできる。



「サービス、気をつけろッ! 罠線が張られている!」
「わかってる!」
 入り組んだ暗い木々の間に張り巡らされている黒糸は、神経を研ぎ澄まさなければ判別できない。
 地表から樹上まで斜に線を張るやり方から見て、仕掛けられているのは最も危険な、跳ね上げ型地雷。
 罠線に触れるとまず地雷本体が人の頭の高さまで跳ね上がり、タイムラグの後本体が爆発する。
 手足を奪うことより、命そのものを狙う悪魔の道具。
 こんなものを短時間にいくつも仕掛けられる敵は、只者ではないようだ。
 水準以上の知識を持ち、それなりの技術を持つ相手。
 サービスはしなやかに細身の体を閃かせ、その死への扉を数mm単位で回避していく。
 身の軽さでは、すでに同期生の中で彼に並ぶ者はいない。
 軽く後ろを見て、薄い唇で笑う。
 ……ジャンもなかなかやる。
 自分ほどではないが、的確に罠を処理していく。
 不思議なぐらいに基本的運動能力が高い男だった。
 ――右方向の暗がりから微かに枝の折れる音がする。
 無言で二人は転進し、闇の中を駆けた。
 突然樹木が開け、ぽっかりと空間が開ける。
 森の中には、時々こうした場所があった。



「……」
 立ち止まり、周囲を窺う。敵の姿はない。
 校舎から聞こえるサイレンの音だけが、この空き地に遠く高く木霊していた。
 音だけ? ……いや……これは……かすかに硝煙の臭い?
 次の瞬間、光が弾け炎が炸裂する。
「ッ!!」
 サービスとジャンは間一髪で背後の茂みに飛び込んだ。
 森の空白地帯に投げ込まれたのは、茶瓶に火薬と電池を詰めた簡易型の爆薬。
「大丈夫か、サービス!」
 じゅうじゅうと草と土の焦げる臭いと黒煙が鼻につく。少し咳き込んだサービスは、それでも友に言った。
「心配ない。でもこれで位置がわかった」
 爆薬が投げ込まれたのは崖の方角。そして影はそのまま逃げた。
「今度こそ、追い詰めてやろう。お前は左から僕は右から、この先の崖に追い込む!」
「……サービス……ッ」
「行くぞ! ジャン!」
 気の進まなそうな友人の顔を無視して飛び出す。
 自分にこんな無鉄砲な部分があるなんて今まで気付かなかった。
 いつも末っ子として、家の中で大切に兄たちに守られていたから。
 自分の力量を試したり、自由に判断できる場面は生まれて初めてだった。
 その感覚に興奮していたのかもしれない。
 そして側にいる『友人』という存在にも。



 森の北東は崖。行き止まりになっているはずだ。
 目論見は当たって、崖の先端には少し猫背になった男の影がある。
 捉えたと思った。
 サービスは乱れた呼吸を整えると、言う。
「そこまでだね」
 相手が息を呑んだ気配を感じた。
 黒雲に隠れていた半月が姿を現し、男の顔を照らした。
 ……ずいぶんと若い。自分たちより少し上くらいだろうか?
 サービスは詰問を続ける。
「何者だ? 名乗れ」
 男はこちらを見つめたまま、身じろぎしているだけだ。
 手には小型ナイフ。しかし指先が震えているのがわかる。
 問題ないな。これなら自分一人で押さえられる。そう判断した。
 サービスの金髪が闇に跳ねる。
「一人で急ぐなっ……! サービス!」
 背中にジャンの声を感じながら、彼は一回転して突き出された相手のナイフをかわし、背後に回りこんだ。
 右腕の関節で首の頚動脈を締め上げると、あっさり左の手刀で男の刃物を叩き落す。
 相手は苦しげに背を反らしてうめき、後ろ手にサービスの腰のベルトを掴んだ。
「悪あがきはやめろ。大人しく……ッ!」
 軽く捉えたと思った。



 しかしその瞬間に目に入ったものは、やっと捕まえた曲者の、着古したシャツの襟元から覗くリード線。
 爆発物に使用される赤い線と青い線。
「お前っ……ッ!」
 呻くように言ったサービスに向かって、男は体をそらして、自分のシャツを左右に引きちぎる。
 バラバラと音がして白いボタンが地面に跳ねた。
「サービスッ!」
 ジャンの悲鳴のような声が響く。
 男の体には、数本の鉄パイプが縛り付けられていた。
 手製爆弾である。
 その手に握られている小さな起爆装置。
 まったく手の込んだことをする男だった。
「サービス! お願いだから動くなッ」
 ジャンの方に、サービスは視線をやった。
 必死な黒瞳が自分を見ている。何故かそのことが印象深かった。
「……そうだ、動くな、坊や……」
 目の据わった男が、もう一つの手でサービスの腰のベルトを用心深く掴みながら、初めて口を開く。



「……オレに……ちょっかい出さない方がいいぜ……こう、ドカンと……木っ端微塵だ……」
 どもる陰鬱な声が、ひどく聞き取りにくい。
 サービスは人質に取られた格好になった。
 油断したと、彼は唇を噛む。
 しかし有利に立ったかに見える男は、明らかに怯えていた。
 薄笑いの引きつる表情とは別に、腕と指は震え、その震えが右手の起爆装置に伝わるのではないかとさえ思う。
「そうだ……動くな……そのまま……」
 男はサービスを連れて、じわじわと歩き出す。
 崖の先端には男とサービス、少し離れた所にジャン。
 すでに警報を聞きつけた衛兵たちが集まり始めていたが、手が出せずに通信機で連絡を繰り返している。
 ……総帥の弟が人質になってなかったら、容赦なくこの男は蜂の巣にされたんだろうな。
 僕と一緒に。
 こんな状況でもサービスは冷笑的に考えることを忘れない。
 先程からジャンの夜よりも黒い瞳が、男よりも自分を真剣に見つめている。
 こいつ、この男が怯えてスイッチを押すことよりも、僕が暴発するのを心配してるんだろう。
 さすが。
 ジャンの奴、どうしてかこの短期間に、僕の内面までをよくわかってる。
 サービスは男に合わせて大人しく歩く振りをし、隙を見て素早く相手の足を引っ掛けた。
「サービス!!!」
 咎めるようなジャンの声に、サービスは心の中で答える。だって、誰も手が出せないんだったら自分でやるしかないじゃないか。
 答えながらもサービスは、自分の攻撃で男がバランスを失った瞬間に、その右肩の関節をはずすつもりだった。
 しかし。
 鈍い音がした。まるで金属を叩いたような……
「?」
 男の関節がはずれない。かわりにサービスの腕に痛みが走る。
 これは肉と骨の感触ではない? この男、人間では……ない?
 硬い違和感で、サービスの攻撃をはねのけたその腕が、動いた。
 同時に凍りついたような男の声が聞こえる。
「その顔……お前……一族か……?」



 サービスの目に、恐ろしい程ゆっくりと男の手に、力が込められていくのが映る。
 どうしてか意識はひどく透き通っていて、周囲の喧騒までもがスローモーションのようだ。
 死ぬ前とは、このように世界が動きを止めるのだろうか。
 カチリと小さな音がした。
 サービスは思った。
 ああ、爆発する。
「サービスッ!」
 ジャンの声が聞こえ、近付き、体に何か重いものが圧し掛かる。
 仰向けに倒れた瞬間、脳裏が光に支配されてサービスは意識を失った。



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「うわ、何ですかコレは……」
 合鍵を作って戻ってきた高松が見たものは、旧館裏の森の入り口に集まる大勢の野次馬だった。
 黄色い非常線が張られ、物々しい気配が立ち込めている。
「そういえばさっき、サイレンが鳴ってたような気がしましたが」
 物事に熱中すると他のことが全く抜け落ちる男である。
 軍服を着た数人の兵が、物見高い生徒達を制している。
 と、背伸びしたり口々に話し合っていた彼らが、突然水を打ったように静かになった。
「……あらら……もしかして、怒られちゃいますかね、私が」
 一人呟く高松の目に、兵が一斉に敬礼するのが見えた。
 遅れて生徒たちも慌てて敬礼し、道をあけた。
 悠然と森から出てきたのは、ずば抜けて長身の金髪の男。
 いつもの赤い軍服ではなく部屋着だったが、明らかに漂う威圧感が違う。
 彼は――この士官学校の、理事長――総帥。
 腕には同じ色の髪をした少年を抱きかかえている。
 その後ろから、居たたまれないような顔つきでのこのこ歩いてくる友人ジャン。
「ええとこれはー、ヤバい事態ですか、もしかして」
 人込みに紛れようとする高松に、それを目ざとく見つけたマジックが声を放つ。
「逃げるな。来なさい」



 群集の興味津々の視線を浴びながら、高松は渋々ジャンの横に並んで総帥について歩き出した。
 校舎に隣接する寮に向かうようだ。
 まるで家畜のようにひかれていく自分たち。高松は、悄然としているジャンの肩を小突いてみる。
(な、ナニが起こったんですかっ! アンタたち、資料室にいたんじゃなかったんですか! なんで森に、その上に総帥まで!)
(シッ! 今頃遅いんだよ高松は! 話すと長いから静かにしてろよッ! 聞こえるだろ)
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、ということらしいよ、高松」
「は? はァ、それは唯物論を信奉する科学者として大変に嬉しい結果ですが、総帥」
(ほら、聞こえてるじゃんかよ!)
(アンタだって黙ってればいいじゃないですか、ジャン!)
 言い合いをしていれば、一行は古びた学生寮へと辿りつく。
 新入生にあてがわれている寮室は大部屋専用だ。
 高松やサービス、ジャンは、8人で共同生活をしている。
 まあそれも今だけのことだ。
 今度の期末考査から成績別に部屋が割り振られる。トップに近い高松達は、うまくいけば新参ながらも個室を貰えるはずだった。
「……君達の部屋はここだったかい」
 マジックは長い廊下を進み、一角の扉を開ける。
 この多忙な総帥は、それでも弟の部屋を知っているらしかった。自分たちが同室であるということまで。
「サービスのベットは」
 部屋の面子は、皆あの野次馬に混じっていたらしく、空間は無人である。
 高松が指し示した窓際のそれに、総帥は抱きかかえていた弟を静かに横たえた。
 彼の黒いクルーネックセーターに絡み付いていた長い金髪が、零れてシーツに落ちる。
 ……白い頬を彼は撫でている。



「――高松」
「は、ハイハイッ!」
 不意に低い声で名前を呼ばれて、高松は慌てて姿勢を正した。
 この兄弟をぼんやり見てたら油断してました。
「うちの末っ子が迷惑をかけたようだ……と言いたい所だが、今回のリーダーは君らしい。鍵を持って、君だけどこに行っていたのか」
「エ、ええと、つまりそれはですねー……」
「……と聞きたい所だが、大体の話はその子から聞いてしまった。鍵の複製など言語道断だ」
 高松は詰まり、隣で目を逸らしているジャンを睨む。
(だって高松が悪いんだから仕方ないだろ? この状況で嘘つけるかぁ?)
(それにしても、物には言いようがあるってモンでしょーよ!)
 まったくこのジャンという男は! いくらそれが取り得ったって正直にも限度があるんです。一度わからせなきゃダメですね、これは。
 マジックの声は続く。
「明日から三日間の独房謹慎処分だ。調子に乗って個人行動に走ったサービスも同様。そして謹慎明けから、放課後を使って旧資料室の整理を両名やるように。どうせあそこは取り壊すつもりだ。いい機会だから、資料を新館に完全移送する」
 心中で黒髪の友人に文句三昧であった高松も、これには、へえと目を見張った。
「随分と粋な計らいですねェ。感謝しますよ総帥」
「お前が勉学熱心なのは悪いことではないからな。ただいつもやり口が汚い」
「あ、あのッ」
 脇からジャンが思い切ったように割り込んできた。
 高松はこれにも感心する。
 ふうん、実際に総帥と話すのは今回が初めてだろうに、結構勇気ありますね、ジャン。
 そういえば入学式で、最初にサービスに話しかけてきた時もそうだったような。



「あの、俺への処分はなしですか?」
 やけに意気込んでいるジャンに向かって、マジックは形のいい眉を上げた。
「君は大方、サービスの暴走に巻き込まれただけだと推測するが違うかい? しかも幽霊とやらの自爆からこの子を庇っている。罰を与えるのは筋違いだ」
「で、でもッ」
「君はそれよりも早く医務室に行きなさい。隠してるようだが、左手を痛めているだろう」
 高松は、肩を竦めた。思う。
 ま、ジャンはそんな所でしょうね。しかし自爆とは物騒な。
 ジャンはそれでも自分だけ無罪放免というのが気になるらしい。
 仲間はずれにされたくないって気持ちなんでしょーかね、この男なら。
 でも単純にサービスを止められなかった自分が悪いと思っていそうでもあり。
 高松にとっては、ジャンという男は、わかりやすいようでもあり、実は最もわかり難い友であった。透明な水の底が、実は光の反射でよくは見えないように。
 目の前のジャンは言い募っている。
「でもっ、実際にサービスを助けたのは俺じゃなくてアナタです……そうだ、で、今サービスが気絶してるのは俺のせいです! 俺がヘタに倒して頭を打ったから……だから俺も独房に」
 つい高松はおかしくなってしまった。
「ジャン。アナタ、必死すぎです……」
「俺も、俺も一緒に閉じ込めてください!」
 マジックも苦笑している。
 おかしな子だ、と呟いた、それでも自分達と6歳しか違わない総帥は、独房に食事を運ぶ罰当番を彼に与え、ジャンは渋々引き下がった。
 ――ジャンは。
 やっぱり単にサービスと離れたくないだけなのかしらん。
 高松は、もっともらしい顔つきで同級生を見つめてみる。
 総帥が出て行くと、すぐに野次馬たちがどっと部屋に押し寄せてきた。
 今度は慌てだしたジャンは、必死に彼らを部屋に入れまいと頑張りだした。
「だめだよ! サービスが目を覚ますだろーが。話ならあっちでしてやるから出てけ出てけ」
 うーん。
 高松は、部屋隅で突っ立ちながら、ベッドで目を瞑っているサービスの顔を眺めた後、こう首を傾げて思う。
 ジャンって本当に……なんて言うか、不思議な男ですよね。



 翌日掲示発表された説明と噂によると、自爆死した男は前年度の卒業生だったのだという。
 学者志望だったが研究コースから落とされ、一般戦闘員として配置されたが逃亡した。
 他へ逃げたと思われていたが、実はずっと旧館に隠れていたらしい。
 昼間は屋根裏に潜み、夜になると食料を探しに這い出してくる。また、屋根裏は鼠の住みかでとても夜はいられなかったらしい。
 屋根裏から繋がっている資料室に出没する姿が、亡霊と間違えられたとのことだが。
 ――ジャンに聞いた話では。
 彼が男の自爆からサービスを庇った後、何も起こらないので振り返ってみると、いつの間にか総帥が立っていて、手の平で爆発を握り潰していたのだと。
 自爆男がその後どうなったかは知らない、という。
 真実も一緒に握り潰されちゃったんですかね?
 高松にとってはどちらでもいいことだった。
 彼は論文のために、望みの資料データを得る術を手に入れることができたのだから。
 謹慎三日はその構想を練るために有意義に使おうと彼は思った。








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