はね

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「ほら」
 キンちゃんがコーヒーを入れてくれた。
 コトンと、少し傾いたテーブルにカップを置く音。
 本当に気がきくね。
「ありがと」
 立ち昇る白い湯気。静かな司令室。飛空船は嵐を抜けた。
 さっきまでが嘘みたいな、青空と雲の中を飛んでるよ。
 嵐は、入る時と抜ける時が一番激しい。
 僕たちの船はその最後の試練にどうにか耐えた。
 流石キンちゃん開発の……って、本人に言ったら微妙な顔をされた。
 しつこかった? やっぱりね。
 でもキンちゃんの方が相当こだわるというか、しつこい人だと思うけど。
 軽く痛めた腰をさすりながら、椅子に座っている僕。
 通信装置も何とか修理できて、前線のおとーさま達との直接連絡を試みてる最中なんだ。
 キンちゃんはそんな僕の隣に座ってきたよ。顔には傷絆創膏。
 僕たち、こんな軽症なんて凄い二人だなあ。
「折角キンちゃん、いい顔に生まれたんだから、大切にしなよ〜?」
 その顔を見てこう言ったら、またムッとしちゃった。
 僕、しつこいね。
 構わず無視して、キンちゃんが話しかけてきたよ。
 ちょっと俯いてた。
「……父さんが」
 キンちゃんが、そういう呼び方をするのはあの南の島以来、初めてのことだったと思う。
「父さんが、あの時言ってくれた言葉……」
 きっと二人とも、あの大ピンチの時に思い出していた。
 僕たち二人の、共通の記憶。
 天へと昇っていった、あの素敵な人。
『怖がらずに進め』
 微笑んで残してくれた言葉。
「……あれは、間違うことを怖がるなって意味だったのかもしれないな……」
 キンちゃんは、遠くを見る目をして呟いた。
「正直言って、俺は……ミスが怖い。次やることがわからなくなるからだ。だからさっきのような緊急事態には、とても脆い。お前には恥ずかしい所を見せたな……こんなの初めてだ。俺は、総帥として責任を持つタイプじゃないからな……」
 そして少し、笑った。
「俺は、父さんのように、人を支えるタイプだと思う……」
「じゃあ、僕は?」
 僕はちょっとドキドキして聞いてみた。
「お前は……そんなの、わかってるだろう」
 どうしてか目をそらすキンちゃん。
「お前だって支えるタイプだよ。現にさっき……俺を支えてくれた。今までだって、」
 キンちゃんはそこで言葉を切った。
 僕は、話の長い彼の言葉を、今度は遮らずに最後まで聞こうと思ったのに、なかなか続きを言ってくれないんだ。
 あきらめて、僕はしょうがないから思ってることを素直に口に出したよ。
「僕、おバカって言われるコト多いからさ。キンちゃんの役に立てて嬉しい」
 キンちゃんは、何を言っているんだ、という顔で僕を見た。
 そして言ったんだ。
「誰が何と言おうが、お前は、バカじゃない」



「……」
 とても慌てた僕は。
 照れ隠しに、すっかり冷めたコーヒーに口をつけて。
 思いっきり顔をしかめた。
「にが〜いっ!」
「……あ」
「キンちゃん、これ、キンちゃんのカップでしょ。お砂糖入ってないよぉ……」
 とうとう間違えたね?
 そっちの手をつけてない方が、僕用に甘くしてくれたコーヒーでしょ。
 目の前で困った顔をしてる人。
 よっぽど疲れてるんだろうと思ったけど、それは僕も同じだもんね。
 軍配給のみんな同じ白いカップ。
 僕だけじゃなく、誰でも、キンちゃんでさえも間違っちゃうカップ。
 なんだかまた、鬼の首を取ったみたいに嬉しくなって、そこにつけ込んじゃうコトにした。
 黙って自分と僕のカップを取り替えようとする彼。
 僕は背中の後ろに苦いコーヒーを隠して、伸ばした手の行方を迷っているキンちゃんを、じっと見つめた。
「?」
 ふふ、困ってるよ、キンちゃん。
 そして僕は言ってやった。
「キンちゃん、こんな時はどう言うの?」
「……どう言うって、お前」
 ヘンなの。
 わかってるでしょ?
 昔、僕と高松で、初めてだらけのキンちゃんに、ばっちり教えたもの。
 賢いんだから絶対に覚えてるはずだよね。
 わあ、僕より20センチ近くも背が高いのに、座ってる今だって大分目線が高いのに、変に上目遣いしてるよ。
「……言わないとダメか」
「ダーメ!」
「言わなくてもわからないか」
「言わなくっちゃ、世の中わかんないコトばかりだよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
 キンちゃんは大きく息を吸った。
 僕の目を見た。
 しばらくして、小さく。
「……間違って……悪かった……」
 もう一声。
 ちゃんとはっきり。
 僕が教えた通りに、言って。
「ごめん……なさい……」
 それが、キンちゃんが初めて言ってくれた、自分のミスを認める言葉だった。




 もう自分が昨日ココアのカップを間違えた時は、謝らなかったってコトは棚に放り上げてしまっちゃう。
 僕は嬉しくなって、もっとキンちゃんをいじめてやろうと思ったよ。
「キンちゃんさあ、昨日の夜の話って途中じゃなかったの。あの続きはないの?」
 パッとおもしろいくらいに赤くなる。
「……ない。特にない。今は、ない」
 焦ってる。
 その様子を見ながら、僕は思った。
 どうして僕は、キンちゃんに対してだけは強気になれるんだろう。
 前から、心ではずるいって思ってるんだけど、態度だけは強気に出られるんだよ。
 全部のコトでキンちゃんにはかなわないけど。
 キンちゃんは僕の持ってた最後の宝物たちを全部取っちゃったけど。
 なんでか変な自信が僕にはある。
 自信というよりは確信に近い。
 ホントはあの木の下で、言われなくても、知ってた。
 ……キンちゃん、僕のコト、好きでしょ。
 だって、あんな丸わかりな反応。
 いくら僕だって気付くよ。
 僕が、キンちゃんの言ってくれた通り、おバカじゃないなら尚更ね。
 ええとね、キンちゃん。
 きっと君のコト……僕も好きだよ。
『だって僕、キンちゃんのコト、たいして好きじゃないもん』
 僕はみんなのコトがまんべんなく、同じくらい好き。
 でも、キンちゃんへの好きは違う。
 あの南の島の砂浜に寄せる波みたいに、好きが大きかったり、小さかったり変わっていくよ。
 トクベツなんだ。
 多分、八百屋さんに並んでても買う人が困るような、みんなと同じ好きじゃない。
 どこかへと続いていく、先の見えない『好き』。
 お店の奥で、たった一人のお客さんを待ち続けている『好き』。
 自分が消える時に最後に思い出しそうな『好き』。
 だって何にも持ってない僕が、たった一人だけ支えられる人。
 自由にできる人。
 最後の人。
 キンちゃんの前でだけは、僕は強くなることができる。
 そして僕にはそれが嬉しい。
 キンちゃんが僕に『好き』って言ってくれた言葉。
 それは僕から何かを奪う言葉じゃない。
 ――僕を見て……認めてくれる言葉だったんだ。



「僕さぁ、付き合ってもいいよ」
「!!!!!」
 そう言ったら、キンちゃんは隣で、文字通り数十cmは飛び上がった。
 僕は本部に置いてきたアヒルを思い出したよ。
 飛ぼうとして木にぶつかる、羽ばたくアヒル。
 可愛い黄色いアヒル。
 僕は冷たい苦いコーヒーを口に含んで飲み込んでから、続きを言った。
「付き合ってもいいよっ……甘味屋に!」
「……」
 またキンちゃんはわかりやすく肩を落としている。
 もう。相変わらずだなぁ。
 あのね。
「僕、キンちゃんにヒドいコトしたから、ちょっと反省してるんだ」
「……何だ、別にお前が反省することなど何もないが」
 真面目なんだから。
「だからね……キンちゃん。いい? 誰にも、内緒だよ?」
「ああ? またお前は何を……ッ!!!!」
 僕はキンちゃんの金色の頭に触ったよ。
 何だ、キンちゃんの髪だって、僕と同じでアヒルの羽に似てるじゃない。
 キンちゃんだって、アヒルだよ。
 ばたばた、飛ぼうとして毎日努力してる可愛いアヒル。
 ねえ、お客さん。
 僕の、『好き』を買ってください。
 ずっと隠して、最後に大事に取っておいたんだから。
 待たせてごめんなさい。
「僕は、キンちゃんの顔が大好きだよ」
 驚いてる表情。
 その顔は確かにキンちゃんの顔だよ。
 僕が名前を呼んで、好きになった顔だから。
 だから、キンちゃんも自分の顔、好きになってよ。
 顔を近づけて。
 そんな彼の唇に、そっとキスしてあげたんだ。



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「……あの図書館の本も、まんざら嘘ではないな。木の下はやはり良い効果をもたらす」
「……」
 正直言うと、キンちゃんのこういう所は僕はどうかと思うな。
 木の下の告白とか、マニュアルとか、常識とか、そんなの関係ないんだよって、いつか教えてあげたい。
 でも今はちょっと恥ずかしいから、教えないコトにしておく。
 5月。
 僕ら……キンちゃんと、僕と、それにシンちゃんの誕生日の月なんだ。
 誕生パーティーは、シンちゃんが戻ってきたらみんなでやろうねって決めてある。
 三日目に、戦場から帰ってきたおとーさまとコタローちゃんにそう言ったら、賛成してくれたよ。
 おとーさまが僕らを褒めてくれてね。
 あ、そうだ! それで、コタローちゃんがおとーさまの手を握っていたんだ。
 出発した時は、おとーさまが一方的に握っていただけだったのに。
 コタローちゃんは震えていたのに。
 帰還した時には、お互いに握りあってて、つまりは手をつないでいたんだ。
 こうして、二人の距離がちょっとずつ、ちょっとずつ、縮まっていくと嬉しいな。
 僕の大切な弟だし。
 僕の大切なおとーさまだし。
 そして僕の大切な従兄弟、シンちゃんが一番仲良くなってほしいと願ってる二人だし。
 みんなで本当の家族に、幸せになりたいな。
 絶対に!
 なれるよ。僕ら、幸せに。



 ――そして今……キンちゃんと僕は、街の雑踏で手をつないでいる。
 カップをね。
 買いに来たんだ。
 今度は絶対間違えない、わかりやすくて、カワイイのを。
 僕がキンちゃんに、買ってあげるよ! って言ったら、自分も僕に買ってくれるって言い出して。
『何か貰うのであれば、こちらとしてもやらねばならないだろう。礼儀として』
 だって。
 キンちゃんってそういうの、うるさいんだから。
 コンピューターみたいにヘンな正しい順序で生きてるんだ。
 面白いの!
 ねえ、それって誕生日プレゼントって思っていいのかな?
 お互いに。
 僕はずっと、自分が生まれた日は5月12日だと思ってた。
 だけど赤ん坊の時に取り代えられたから、ホントに生まれたのは5月24日のハズなんだよね。
 12日に、本当は今日は僕じゃなくてキンちゃんの誕生日なんだよ、って言ったらキンちゃんは違うって。
 生まれた日の正確さより、僕がずっと僕の誕生日が5月12日だって信じてきた、日々の方が大切なんだって。
 ビックリ。
 キンちゃんが正確さなんてどうでもいい、って言うなんて。
 ありえないって思った。
 そしてちょっぴり……ううん、とっても嬉しかった。
 キンちゃんは僕に誕生日をくれたんだね。



 街には大勢の人がいて、そしたらいきなり、キンちゃんがぎゅっと僕の手を握ってきてさ。
「わ」
 思わずびっくりして、声がでちゃったよ。
 顔が赤くなるのが解った。
 でもキンちゃんを見上げると、ヘンなの、この人は冷静な顔をしているんだ。
「キンちゃんは……恥ずかしくないの?」
 そうやって聞いてみると、またあの何を言っているんだ、という顔で僕を見る。
「どうしてだ。お前の手を引っ張っていくのは、この大衆の中では実用的なことだ」
 確かに、人込みより頭一つは背が高いキンちゃんに、背の低い僕が手を引いてもらうのはいいことかもしれないんだけど。
 でもこの状態は、引っ張るとかじゃなくて、手をつないでるんじゃないかと思うんだけど。
 今はいつもみたいにツッコむのをやめておいた。
 そうか、同じコトしてても、『手を引っ張っていく』なら恥ずかしくないんだ。
 昔、僕が手を握っただけで発作起こしてオタオタしてた癖に。
 キンちゃんの頭の中って不思議だなあ。
 不思議で……カワイイって思う。
 僕が思うんだから、相当なものだよね。



 ――僕、キンちゃんのコト、好きだよ。
 でも一緒に、『好き』に深くはまるのは、まだ怖いなって思う。
 好きの沼。人を変える魔力。
 僕は、僕のままでキンちゃんを好きでいたいと思うから。
 第一、僕が変わっちゃったら、キンちゃん、僕のコト好きじゃなくなっちゃうんじゃないかと思うよ。
 そーゆーのには、まったく自信はない僕。
 つないだ手が、あったかかった。
「あのね、キンちゃん」
 彼はさっき決めたデパートという目標に向かって、とにかく一心に歩いていて、その道の先を見据えたまま返事をした。
 やけに早足だよ。
 そんなに急がなくても、デパートは逃げないんだから、もう。
「なんだ」
「例えばさっ、目の前に沼みたいのがあってさっ、そしたらどうする?」
「ああ?」
 ちょっとトートツで漠然としすぎる質問だったかも。
 こんな街中に沼なんてある訳ないもんね。
 でも僕が今とても悩んでるコト。
 最近はキンちゃんと歩いていると、ちょっぴり不安になるんだ。
「僕らこうして気持ちよくフワフワ歩いててさ、でも目の前に沼があるんだよ。そしたらどうする?」
 彼は何て質問をするんだ、というような顔で僕を見下ろして。
 言い切った三文字。
「またぐ」
「またぐ?」
 思わずクスクス笑ってしまった。
 ロコツに不愉快だという目をする彼。
「何がおかしい」
「またぐって。だって沼はきっとデッカイんだよ? 足の長さ足りないでしょ」
「足りなければ飛び越えればいい。それか迂回しろ。それぐらいのことがわからんのか」
「……それぐらいのコトってさぁ、」
「どっちにしても」
 キンちゃんはあっさりした声で。
「越えるしかないだろう。他に何がある。理解できん」
「他にって……おっとっとって転んで、沼にドボンてハマるとか。僕の飼ってるアヒルは、いつも飛ぶのに失敗して、ドボンってハマってるよっ」
「……グンマ」
 はいはい。
「まずこの俺が転ぶことはありえないし、沼に嵌るということも考えられないし、そのドボンという効果音もどうかと思う」
 出た、オレ様モードだ。
 わかってますよ。
 そりゃキンちゃんはそうかもしれないけどね?
「だって、僕だったら転ぶしドボンて音がするよ」
「その目は節穴か……お前にはコレが見えんのか」
 そうやって彼がグッと持ち上げ、目で示したものは、僕らがつないでいる手だった。
「この俺が手を引いているんだ。いいか、この俺がだぞ? だからお前は沼には嵌らん。越えられる。無駄な心配をするな」
 そしてどうしてか、遠くを見るような目をした。
 たまにキンちゃんはこの表情をする。
 僕は、そんな時、どうしたらいいのかわからない。
 でも、もっと親しくなって、好きが深くなったら、いつか教えてくれるの?
 キンちゃんの昔を。
 そして僕も教えられるの?
 僕の昔を。
 そしてキンちゃんは、確かめるように呟いた
「……お前とだったら、俺は、あの沼は越えられる……」
 続けて、なぜか口を尖らしてぶっきらぼうに言う。
「行くぞ。遅れる」



 えへへ。
 そうだね。
 きっと、そうだね。
 僕らはきっと、何だって越えちゃうんだ。
 フワフワしてるヤツらって言われるけど、だから空にだって宇宙にだって飛べちゃうよ。
 沼なんかはまらないよ。地面なんか歩かないよ。地球になんかいられないよ。
 一人だったら。
 一人で飛んじゃったら寂しくなるけど。
 飛べないままかもしれないけど。
 二人だったら寂しくないね。
 二人だったら、きっと飛べるね。
 一人の寂しい世界を越えていけるね。
 ずっと変わらない、黄色くてふわふわした可愛いアヒルのままで。
 キンちゃんとだったら――
 つないだ心に羽が生えてパタパタはばたいて。
 どこまでも、どこまでも。
 そのままの素敵な好きの力で、飛んでいける気がするんだ。
 沼なんて、寂しさのかたちをした白い雲なんて、足の下でもう見えない。
 きっとその上には、きらめくオーロラの世界が広がっているんだ。
 そこには嬉しそうに天国へと昇っていった、ルーザーおじさまが住んでいるんだ。
 僕らを見て、にっこり笑っているよ。



 キンちゃんさぁ。
 ええとね。
 ……ずっとこのまま甘えさせてね。
 僕にだって甘えていいよ。
 でも! いい? 絶対、僕にだけだよ。
 僕の最後の宝物がキンちゃんなんだから。
 だって僕から全部奪ったキンちゃんが、僕のものになったら、それでめでたしめでたしって思わない?
 僕は発明が得意だよ。そしてキンちゃんは精密作業が得意だし。
 二人だったら何でも新しく作り出せちゃうね。
 いつか必ず飛べるね。
 そういうのが――僕らが作り出す。
 二人の心の、はね。
 羽ばたいていく。
 僕らだけの、新しい好きのかたち。










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