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爆音が響く。心戦組から放たれたミサイルは、飛空艦の甲板、ブリッジを破壊し、巨大な瓦礫に変える。
マジックの息子たちの体は、瓦礫の渦に巻き込まれ、大きく開いた風穴から、遥か下方の大地へと落ちていこうとする。
「シンタロー! コタロー!」
マジックは、二人に向かって手を伸ばした。しかし間に合わない。二人を共に掴む余裕はない。
どちらかを。どちらかを選ばなけれは。
だが、どちらを?
彼は迷った。その手は震えた。黒い髪をした息子と、金の髪をした息子の顔が、同時に瞼に焼きつく。選択を迫る。
これまで愛情を与えてきた子、与えてこなかった子。どちらを選べばいい?
マジックの手は、止まった。その時だった。
「親父――ッツ!!!」
渾身の力を込めた声が響いた。ハッと胸を突かれて、マジックは自分を呼んだ黒髪の子を見た。
目が合った。落ちていく刹那の、ほんのわずかな時間でのことなのに、はっきりと視線が交差した。
想いが、通じ合った。
マジックは手を伸ばす。
手が、金の髪をした子の手を、しっかりと掴み取る。引き寄せる。そして強く胸に抱きこんだ。
その光景に、長い黒髪を散らし、瓦礫の中に沈んでいくシンタローの顔が、微笑みのかたちになる。
マジックの目の前で、シンタローは笑顔で落ちていく。もう届かない。
相手の心の声が、マジックの脳裏に響く。
――親父……。今度こそ絶対に、その手を放すな……!
――ありがとう、父さん!
しかし、である。ここまではよかった。
次の瞬間、とんでもないことが起こった。
コタローを抱いたマジックのいた場所も、ボロッと崩れ落ちたのである。
「あ」
「わ――っ!」
無論、二人の身体も、シンタローを追って、飛空艦から急降下。
――そして。
「あー、ちょうどいいクッションがあって、助かったー!」
「ナニを言う! ちゃんと落ちるとこを確認して、助けに来てやったんだぞー!」
「あの……おにーさま、俺の上に乗ってますけ……ど……」
パプワの機転のお陰で、九死に一生を得たシンタローである。落ちたシンタローの身体は、用意よくクボタくんに受け止められたのだ。
大きな翼を広げたクボタくんの広い背中に、大の字になっているシンタローの下で、リキッドが苦しげに息をかすれさせている。ゲホッ、ゲホッと咳き込んでいる。まともにシンタローの下敷きになってしまったリキッドである。
そんな彼を、さらに災難が襲った。
ひゅーんと風を切る音がしたと思ったら、
「む! すまん、クボタくん、左旋回、全速前進だ、頼むぞ!」
鋭い目をしたパプワが、そう指示を出してすぐに、ズド――ン! と音がした。
リキッドの胸の上からである。
「ぐわあ――!」
そう叫んだのは、リキッドの上に乗ったままのシンタローだった。一番下のリキッドにはもう叫ぶ余裕なんてなかったのだ。
彼の体には、先刻より激しい衝撃が、お見舞いされちゃったのである。シンタローの上に加わった重量が、さらにシンタロー自身の体重までプラスされて、彼の体に突き刺さった。
「ああ、ちょうどいいクッションがあって、助かったよ」
「うわぁ、びっくりしたー。あっ! パプワくーん!」
「はっはっは、コタロー!」
空から親子が、まとめて降ってきた。
胸を抑えながら、シンタローが叫んでいる。突然、自分の上に落ちてきたマジックに対してだ。
「くぉらぁ! アンタまで落ちて、どーすんだ――ッ!!!」
「だって足場が崩れたんだもの。もう飛空艦は異次元の向こうに去っちゃったよ。戻れない」
「わーい、パプワくん、また会えて嬉しいよー!」
ぎゅっとパプワに抱きついたコタロー、尻尾を振っているチャッピー、怒りまくっているシンタローを薄目で見遣ったリキッドは、登場した新たな人物を視界に入れて、
「ぐ……ごふっ、マジックおじさま……!」
と唇を震わせた。呼ばれた人物は振り向いて、目を丸くした。嬉しそうに両手を広げる。
「やあ、リキッドくん! 久しぶりだねえ、最近頑張ってるんだって? ああ大きくなったね、どーれ、立ってどれくらい成長したかを、私に見せてご覧」
「お、おじさまっ……た、立て……立てませ……ん……」
二度の衝撃は、さすがにキツかった。マジックはそんなリキッドの様子を見て、心配そうに眉をひそめている。
「リキッドくん、疲れてるのかな? 番人の仕事って大変そうだもんねえ、無理もない」
「ぐぁ……ち、違……お、おじさまたちが、俺のっ、俺の……腹の、上……に……」
「おや、血を吐いてるよ。過労かい? いけないねえ」
「俺の話、聞いてんのか、親父――! あーもう、みんなアンタのせいだ――ッ!」
「はっはっは、シンタロー、そうカッカするな! 落ちてしまったものは仕方ない!」
「そうだよ、シンタロー。パプワくんもこう言ってる」
「子供の意見を盾にするな――! アンタいくつだ!」
「パプワくーん、チャッピー
あ、家政夫も」
こうして。瀕死のリキッドと、賑やかな一行を乗せて、巨鳥クボタくんは青空の下を飛び去っていくのだった。
きらきらと太陽が、彼らの上に降りそそいでいた。
パプワ島は、今日も快晴なり。
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日の丸センスを両手に、室戸市名物シットロト踊りを舞いながら、最強ちみっことモフモフわんこが催促している。
ここはパプワハウス。食事時のたびに繰り返される、いつもの光景だ。
「リキッド、飯はまだか――!」
「わーう、わーう」
そしてその隣には、馴染んだ顔。ほっそりした肢体と大きな青い瞳を持った、金髪の美少年。ちみっこ女王様。
「家政夫ー、おなかすいたよ――!」
そう元気に言うと少年は、側に寄ってきたチャッピーに顔をなめられて、くすぐったそうな顔をした。
えへへ、と笑った。
コタローである。彼は父親と話をし、本当の家族になるためにガンマ団へと帰るはずだったのだが、ひょんなことからまたこの第二のパプワ島へと戻ってきてしまったのである。
「ハイハイ、ちょっと待ってねー」
いつもの倍近い量を用意しているので、食事の支度に手間取っているリキッドは、額の汗を手の甲で拭った。
エプロンをして、忙しく立ち働く。
「おい!」
間髪入れず、背後から声がかかる。
「俺の軍服は洗っといたか!」
「あッ……シンタローさん、今すぐに」
しかめっつらをした相手に、リキッドは従順な態度をとった。
意識してやっているのではない。自然にこうなってしまうのだ。条件反射だろうか。
「――ったく、使えねーなー。片手で拭き掃除できるとこ、やっといたぞ。窓の桟ホコリだらけじゃねーか、気ぃつけろ!」
「ゴメンなさい……今度からちゃんと気をつけます」
右腕を包帯で吊った俺様総帥が、態度もデカく、パプワハウス中を点検しまくっている。
リキッドは、そっとエプロンの端で涙を拭った。
ああ、お姑さんチェックって、何でこんなに細かいの。怖いの。
今後を思いやり、リキッドは切なく溜息をつく。そして鍋の中身の加減を見て、おたまでぐるりとかき回した。半ばまでかき混ぜた所で、彼の手がピタリと止まった。
――今後。
いや、今後といえば。ある意味、さらに気になることが、あるのである。
どこからかクラシック音楽が聞こえてくる。漂うアールグレイの芳香。
いつの間にかパプワハウスの壁には、赤々と火の燃える暖炉が据え付けられており、壁には美しい絵画がかけられ、豪奢な飾り棚には、きらめくワイングラスが並んでいる。丸いマホガニー製のラウンドテーブルが、中央に陣取っている。
テーブルは、濃紺のビロードが張られたクイーンアンスタイル・チェアーに取り囲まれていて、その一つに優雅に腰掛けて、新聞を読んでいる男がいる。
リキッドは胸の奥から、かすれた声を絞り出した。
「……ああっ、お舅さん……ッ!」
「どっから持って来たのかしら、あの家具一式」
玄関口では、扶養家族が増えたことを早くも聞きつけてきたらしいイトウとタンノが、ひそひそ話をしているのが聞こえてくるのである。
リキッドの視線に気付いたマジックは、鷹揚に手を振った。
「ああ、リキッドくん。大変だろうから、気にしないで。食事は簡単でいいよ、簡単で」
まあ、マジックおじさまったら、昨日の残り物とか出せない空気作ってるらっしゃる!
イヤッ! 怖い! リキッドピンチ!
俺、作る人。ちみっこと青の一族、食べる人。
ハーレム隊長たちに対してもそうだった。こんな宇宙の摂理、誰が決めたの。食物連鎖は誰が決めたの。
「家政夫、はやくはやくー
」
そんな無条件の弱肉強食ルールに呆然としながらも、再度、愛らしい声で呼ばれたリキッドは、コタローに視線を移す。
すでにパプワとチャッピーは、豪華椅子に小さな体で、ちょこんと座っている。ちみっこは珍しいモノが大好き。背後ではシンタローが、まだ家中を点検しまくっている。
コタロー。両眼秘石眼の、生粋の青っ子。父親に閉じ込められたというトラウマを抱えている。
その子が、父親のすぐ隣ではなかったが、同じテーブルについている。父親の側で、自分に向かって、食事を催促するその姿。
まあ、いいか。
リキッドは何だかちょっと嬉しくなって、エプロンの紐を固く結びなおした。
そして自分を励ましてみるのだった。
フゥ……わんぱくボーイと、人をよく噛む犬と、女王様ちみっこに、俺様なお姑さんと、派手なお舅さんまで加わって大変!
負けるなリキッド!
気合を入れたリキッドは、片腕を上げた。そして新たに増えたパプワハウスの住人たち、家族に向かって声をかけた。
「よーし、気合入れてメシ作るっすよー!」
そして溜息をつきながら。
「――って、ココはどこ?」
なんとか食事を終え、後片付けをしてから、リキッドは改めて窓の外を眺めた。
パプワ島の空は、宇宙空間さながらの怪しい輝きに満たされていた。
あれに見えるは、さそり座。うお座。乙女座。季節なんか無視した配置の星座たちに、不気味な色をした惑星たちが肩を並べ、ヤシの木の向こうには星雲までがギラギラ光っている。散らばっているのは星の欠片か、隕石か、はたまた宇宙のゴミ、デブリか。
何だか明らかに、通常の世界の様子ではないのである。
満腹してご機嫌らしいパプワが、あっさりと言った。
「ハッハッハッ! どーやら青の秘石の発動で、異界の門が開いて、不思議な世界にやって来たよーだな」
「不思議って言葉で片付けないで」
リキッドの反応に珍しく唱和して、シンタローも声を揃える。
「相変わらず何でもありだな、この島は!」
その時、地響きが聞こえてきた。
「む」
リキッドの顔に斜線が走る。彼は悪い予感を覚えて、冷や汗を流した。この予感は単なる直感ではない。確かな経験則から生み出された、精度100%の予言に近い。
「……?」
不審そうに、動揺している自分を眺めているシンタローを他所に、リキッドは声を震わせる。
「こッ……この聞き覚えのある地響きは……」
彼の背後では、こんな天変地異など意に介さない人々の、食後のコーヒータイム。
「はは、パプワくんはお砂糖はいくつかな? それともカフェオレがよかったかい」
「僕はブラックだ!」
「わうわう」
何も言わない内に、最初からカフェオレを作ってもらったコタローが、『あ……ありがと……』と、おそるおそる呟いている。
「ああっ……両目秘石眼のみなさんって、目以外にも、精神の作りが違うのかしら」
嘆きながらも、恐怖に駆られたリキッドは、この地響きの原因を確かめずにはいられないのである。
家の外を、見てみるしかない。
彼は、用心深く扉を開けた。
視界に飛び込んで来たのは――
ヌオオオン! と立ちはだかる、木造住宅をかつぎ上げた乙女の姿だった。
「リッちゃあ〜〜〜〜〜〜〜〜ん
ウマ子、お引越しじゃあ〜〜〜」
きゃわゆい黒のゴスロリに身を包んだ乙女は、『ふんッツ!!!』と掛け声をかけて、心戦組ハウスを地面に投げ落とす。
ズウウン……! と再び巨大な地響きが鳴り、土埃が舞い上がる。
パプワハウスの隣に、平屋が腰を据えたのである。
ウマ子は爽やかな汗をかきながら、嬉しそうに笑った。
「フッフッフッ……こーやってお隣さんになれば、ウマ子とリッちゃんの仲も急接近じゃけんのぉ〜〜〜!」
泡を食って立ち尽くすリキッドに向かって、ウマ子は身をかがめ、囁くように甘い吐息を吹きかけた。
「ウマ子のお風呂タイム、覗いちゃダ・メ・よッ! リッちゃん
」
先刻からの環境の激変で、リキッドは眩暈がした。
フラッと後ろ向きに倒れこんだところを、受け止める腕がある。土方トシゾーであった。
「あ……トシさん」
「よぉ」
侍はリキッドを立たせると、心なしか目の下あたりを赤くして、リキッドの肩にポンと左手を乗せた。
「何やら隣に住んでた連中もいなくなったみてえだしよ……いっそ、おめえん家の隣に越した方が、お互いに心強いんじゃねえかと思ってな」
トシゾーの咥えた煙草から、白い煙が立ち昇っている。
「トシさん……」
ニコッとリキッドは微笑んだ。ズバッと切り込む。
「僕たちを攻撃してきた黒船の人たち、お侍ファッションに、日本刀持ってました」
いつの間にか背後に来ていたシンタローも言う。
「ありゃあ間違いなく、心戦組だな」
「ぐはーん! やっぱバレてた!?」
挙動不審になったトシゾーは、滂沱の涙を流した。非常な勢いで、リキッドに謝りはじめる。
「許してくれぇ〜、俺がいれば、あんな勝手な行動はッツ!!!」
近藤イサミ局長も出てきて(今まで、ウマ子がかついでいた家の中にいたのだろうか?)、頭を下げる。
「めんぼくない。アイツら、わしらとリキッドくんたちが仲良しとは知らんので」
「ええ、フツーは仲良くなってるとは、思わないッすね」
冷静なリキッドの返答に、近藤は慌てて、やや離れた場所にいたソージに手招きをしている。
「こりゃ、ソージ! お前も謝りなさい」
「僕の分まで地ベタに頭こすりつけろよ」
「……お小遣い、あげるから」
「ごめんね
リキッドさん」
華やかな笑顔に、『ハハ……』と愛想笑いで応じ、まあご近所さんになったからには、これまで以上に仲良くやらねばと、リキッドは少し気持ちを新たにした。
ただでさえ大変なのに、これ以上の揉め事はたくさんだ。さっきの料理がまだ残っている。あれでも一緒に食べて、親睦を深めるか。
そう考えたリキッドは、いつものように、くだけた所作でパプワハウスの扉を開け、彼らを中に招き入れようとした。
「もういいっスから。それより、あがってきませんか」
――と。
リキッドは気付いたのである。揉め事を治めるために、家に入れる……だが、家の中には?
ただでさえ大変? 俺は何を大変だと感じていたんだっけ?
マズい! 中にはッ!
「では、失礼しますぞ」
しまった、と思った時には、もう遅かった。慣れた動作で、近藤はパプワハウスの中へと、歩を進める。
その近藤の背中が、一瞬硬直したのが見えた。叫び声があがる。
温厚な局長の、こんな荒い声を聞いたのは、リキッドが彼と最初に出会った日、それ以来であった。
「き、貴様はァ……!!!」
あああっ、また揉め事がっ。
リキッドはオロオロし、隣に立つシンタローに助けを求める視線を投げかけたが、相手は相変わらずの仏頂面で、無言で近藤たちの後について、家の中に入っていった。
まあ、お姑さんたら、干渉する気、なし!
「ああ、お客様かな」
続いてリキッドも中に入ると、豪華椅子に腰掛けたままのマジックは、近藤たちに、にこやかに応対していた。
なんだ、これなら大丈夫っスね、とリキッドが思ったのも束の間、お舅さんは、こんなことを言い放った。
「どちらさまでしたっけ」
「おのれェ! ワシのこと、ぜ、絶対に覚えてるクセにィ〜!」
顔面をぴきぴきさせながら、心戦組局長は震えている。袴が、ふるふる揺れた。
マジックは、わざとらしく腕を組んで首をかしげ、考え込む素振りをしている。眉をひそめて呟く。
「はて、そのダンディー度の低い、あさぎ色の羽織……」
じいっと近藤を見つめた後、マジックはポンと手を打つ。
「ああ、思い出した! ワールドナイスミドル大会で、準優勝だった近藤くんね」
「くううう! おのれ、この若作りオヤジがぁあ〜〜〜!!!」
「見事だったね、ああ思い出したよ、準優勝。準、ね、準。感心、感心。ああ、その羽織、まだ着ているの? 準優勝とった時も、着ていたよね、そうか、よほど嬉しかったんだね、準優勝が」
「ぐぬう、これは、神聖な隊服であるぞ!」
「わっ、我が家で、ケンカはヤメてくださぁーい!」
暖炉の陰から、小声で主張するリキッドに、『ハッハッハ!』と高らかにパプワが日の丸扇子を広げた。
「リキッド、もっと前に出て止めろ!」
「最強ちみっこの、アンタたちが止めてッ! 今すぐに!」
リキッドの願いが通じたのか、ちみっこたちは動かなかったが、チャッピーが椅子の上から、隣のマジックの膝に擦り寄った。
何かを訴えかけている。
「わうわう」
マジックの顔がほころんで、視線を近藤から外し、膝元に落とす。ふっと周辺の空気に、張り詰めていた緊張が和らいだ。
「んー
チャッピーは、可愛いねー
」
よっしゃ! 拳を握りしめて、リキッドは思う。
お舅さんは、カワイイ動物大好きだ! よーし、チャッピーなら止められる! 頑張れ、頑張れ、チャッピー!
「わーう
」
「ああ、お菓子かい? ははは、可愛いワンちゃんには、クッキーをあげようね」
「わうわう
わうわう
」
「わーい、お菓子、お菓子!」
「勿論パプワくんにもね。はい、コタローにも」
「……ありが、とう……」
どこから取り出したのか、綺麗な菓子箱から、沢山の色とりどりのクッキーが並べられる。
丸テーブルは華やぎに満ちた。和やかな空気。
わざとらしくハブにされた近藤と土方は、血相を変えた。
「グッ! おのれマジック! ワシらには、お菓子はくれんというのかぁッ!」
「可愛くねぇオッサンたちは、犬以下の扱いかぁッ!」
ますます気色ばむ彼らに、リキッドはハンカチの裾をくわえる。
「ああッ、逆効果ッ!!!」
仕方なくリキッドは、元から据え付けの戸棚から、奥に隠しておいた皿を取り出して、言った。
「まあまあ、トシさんに近藤さん、その……ウチの干菓子でよければ」
「すみませんのう、リキッドくん。そういうつもりじゃなかったんですが」
「くぅっ、すまねえ、リキッド。催促したワケじゃねぇんだ」
これも元からある丸いちゃぶ台の方に、土方と近藤は、どっかりと座り、リキッドの入れた茶をすすり始めた。
よくわからないが、何とか一触即発の気配だけは消えたようだ。
ホッとして、リキッドは胸を撫で下ろしたのだが、今度はこっちの番だった。
正座をしたリキッドがトポトポと煎茶を入れる側で、近藤が、正面に座る人物に興味を持ったようだ。
「ところで、こちらの御仁は……」
「おぅ、そーいや森ン中では、名前を聞いてなかったな」
なぜか、コーヒータイムな集団から少し離れたかったのか、何なのか。
ちゃぶ台の方に座って肘をつき、不機嫌そうに沈黙しているシンタローに、近藤と土方が声をかけたのである。
リキッドは急須を取り落としそうになる。
ああっ、お姑さんまで刺激しないで!
シンタローは二人の方を見ると、肘をついたまま、堂々と言い放った。
「ガンマ団総帥、シンタローだ!」
瞬間、身を引く近藤と土方である。
ギンッと二人の目が本気を帯びる。
「何ッツ! てめーが有名なブラコン総帥!」
「おまえのとーちゃん、デーベソ!」
華やいだ空間の方から、声が挟み込まれる。
「シンタロー。私のヘソを詳細に語っても、私はまったく恥ずかしくないよ。どうぞ皆さんに語ってやりなさい。思う存分」
「チクショー、俺の悪口もムカつくが、親父本人の方がムカつくなー、黙ってろ!」
「まあまあ、みんな、仲良く、仲良く」
食後にクッキーをたらふく食べて、腹ごなしの運動をしたくなったらしいパプワが、シットロト踊りを舞いながら、やっと仲裁に乗り出してくれた。
ここぞとばかりにリキッドは、近藤と土方の二人に言う。
「そーすよ! ここはひとまず休戦ということで! それよりみんなでメシでも食いませんか。今日の料理は自信作なんすよ
」
「……俺が横で指導してやったからな」
シンタローも乗ってきたので、急いでリキッドは、料理を温めなおす。皿に手早く盛り付け、二人の前に出す。
「これはこれは、すみませんな、リキッドくん」
「ありがてえ、実は引越しの荷物のゴタゴタで、大したモン食ってなくてよ。恩に着るぜ」
ゴタゴタって、ウマ子が全部まとめて運んできたんじゃ……とリキッドは思ったものの、それでもおいしそうに自分の料理を食べる彼らの姿を見て、悪い気になるはずがない。
異次元に突入したせいで、時間の感覚がおかしくなっているが、時はもう午後。まだ午後、ともいえる。色々なことがありすぎた。
気を取り直し、お茶でも入れなおすかと、ふとリキッドが脇を見ると、シンタローがさっきと同じ格好で、ちゃぶ台に肘をついたまま、黙り込んでいるのが目に入った。
「……?」
その時、リキッドは気付いた。
シンタローさんは不機嫌なのだと思っていたが、実は違うのではないだろうか、と。
そういう目で観察してみれば、シンタローの視線は時々、泳いでいるのである。ある方向をさりげなく窺っているようにしか見えない。
つまり、丸テーブルの方を、だ。
彼は、父親と弟の様子を気にしているようなのである。
もしかしてシンタローが、始終、家の中を点検と称してウロウロしていたのは、実はそわそわしているのを隠すためではなかったか。親子の間を邪魔することなく、様子を知りたいからではなかったか。
マジックとコタローの間を取り持ちたいが、かといってわざとらしく介入することもできず、かといって放置することもできずに、一歩離れた場所からずっと気にしていたのではなかったか。
そうかもしれない。
「……シンタローさん」
つい声に出して言ってしまうと、ギロリと睨まれてしまう。
「あんだよ」
「いっ、いえ、お茶、もう一杯入れますか」
「ああ」
シンタローにお茶を入れなおすと、リキッドは今度は、自分が丸テーブルの方を眺めてみた。
「……」
元気に踊っているパプワ、チャッピーを他所に、コタローは椅子に座ったままだった。
そういえば、とリキッドは思い返す。遅めの昼食をとった後、ウマ子の引越しから始まる一連の騒ぎに気を取られていたのだが。
食事が終わってからのコタローは、やけに大人しく、黙ってカフェオレを飲み、お菓子を食べているだけだった気がする。時折、パプワやチャッピーに合わせて、何か喋っていたものの、明らかに覇気がない様子が思い起こされた。
借りてきた猫という表現があるが、それに近い。緊張しているのだろうか。
女王様コタローの、こんな姿を見るのははじめてかもしれないと、リキッドは考える。
視界に映るコタローは、椅子に座ったままで、脚を曲げたり、伸ばしたりしていた。
クッキーに指を触れてみては、引っ込めたりしている。
そしてたまに父親の方に、ちらりと視線を遣っては、慌てて逸らしたりしている。
よくよく様子を見れば、そのマジックの方も、コタロー程にわかりやすくはないが、相手の方を意識しているようである。
コタローが身動きする度に、軽く視線が動いていた。
「うーん」
リキッドは考え込んだ。この二人、どうしたらいいのだろう。
マジックは父親の友人であったから、自分も幼い頃から幾度も食事をしたり、父親についていった先で顔を合わせたりと、それなりの付き合いはあった。
特戦部隊に入隊してからも、マジックは弟ハーレムの所業をひどく気にして、彼の目の届く範囲では親切にしてくれたものである。ただ、問題は『目の届く範囲』が非常に限られていたということなのだが。
とにかく、『それなり』であって。とても彼の人間性であるとか、性格を、完全に把握しているとまではいえないのである。
だからリキッドは、しばらくの間一緒に暮らしたコタローの気持ちはなんとか推測できても、マジックの方の気持ちはよくわからない。
もしシンタローに代わって、自分がこの親子の間に入るとしても、何をすればいいのかが難しかった。
それに自分は、この親子の間にあったことを、ちゃんと理解している訳でもない。
難しい。とても難しい問題だ。
「さーて、そろそろ散歩に行くかー」
シットロト踊りを舞い納めたパプワが、声を上げた。チャッピーも賛成するように、『わう』と鳴く。
「コタロー、行くぞ」
椅子に座っていたコタローは、救われたように明るい表情になる。大きく頷く。
「うん!」
しゅたっと少年は地面に降り立ち、ちょっとマジックの方を窺ってから、パプワの方を見た。駆け出そうとする。
ああ、この親子はまた離れてしまうのか、とリキッドが思った、その時だった。
またパプワが言ったのだ。
「マジックも来い! コタローが島を案内してくれるぞ!」
先に言葉を発したのは、コタローの方だった。
「えっ、パプワくん、僕が……? えっ、えっと、急に困るよ! あのっ、僕……」
驚いたように、コタローは身を震わせた。
構わずパプワは言う。
「この島のことは、マジックは、そうは知らんだろう! コタロー、オマエ、教えてやれ!」
「えっと、えっと……」
きょろきょろしているコタローが新鮮で、何だかその光景を眺めてしまっていたリキッドの側で、すっくと立ち上がる気配がした。
シンタローだった。打って変わったような明るい顔を浮かべている。いや、無理に作っているのだろうか?
「そうだぞ、コタロー! もーホントに、この親父ときたら、これからここに居座るつもりのクセに、島のコト、何にも知らねえんだからよ、先輩として色々教えてやってくれよ! なっ、頼む!」
両手を合わせて、冗談っぽく頭を下げるシンタローに、コタローは戸惑って言う。
「あ、あのさっ、お兄ちゃんも、一緒に……」
「俺はダメだ」
言下に、シンタローは否定する。
「家事について、コイツとたっぷり話し合わなきゃなんねーからナ」
シンタローの意図を汲み取り、『コイツ』と指をさされたリキッドも、予想される話し合いへの恐怖に青ざめながら答える。
「ハイ。その通りです。ですから坊ちゃん方とおじさまで、どうぞお散歩に」
マジックが立ち上がった。上着を脱ぎワイシャツ姿になって、ラフに胸元を開けている。
「そうだね、色々教えてほしいし、この島でご厄介になる以上は、皆さんにもご挨拶して来なきゃね」
「そーだ、アンタ、それぐらいしてきやがれ」
今度は明るい振りだけじゃなくて、傍目にも元気づいたシンタローが、マジックの背中を押して、追い立てる。
「ほら、思い立ったら、さっさと行動する! 行け! パプワ島歩き回って、浄化されてこい!」
ぐいぐい戸口の方までマジックを押し出すと、にっこり笑顔で、コタローに向かってシンタローは言った。
「な、コタロー、案内頼むな
」
兄から頼まれたコタローは、曖昧に頷いている。
「う、うん……」
二人と一匹を散歩に送り出すと、リキッドは聞いた。
「シンタローさん、一緒に行きたかったんじゃないスか?」
チャッピーにまたがったパプワを真ん中に、その両隣を歩くコタローとマジックの後姿を見ながらだ。
道の先でコタローが、見送りに出たシンタローとリキッドを、ちらりと振り返るのが視界に入った。
「……ンなこたねえよ」
チッと舌打ちをしてシンタローは答えたが、彼の目はまだ、小さくなっていく一行の後を追っていた。
シンタローさんは、心配なんだろうか、とリキッドは思う。
無理もない。記憶を失っていた時のコタローは、赤い総帥服を見ただけで、辛い過去をフラッシュバックさせて暴走しかけていたのだから。
今、コタローは、その暴走の原因である父親と、共にある。
視界の中で、歩いていく。森の中に隠れていく。
完全に親子の姿が見えなくなってから、ぽつりとシンタローが呟くのが聞こえた。
「親父とコタローの間にゃ……俺は、いねえ方が……いいのかもしんねえ」
「はい?」
「や、何でもねえ」
つまらないことを言ってしまったという風に、シンタローは再度舌打ちをすると、『おい、オメーの家事全般についてダメ出し会議すっぞ』と踵を返す。
「えー! さっきの口実じゃなかったんすか!」
「当たり前だ」
大股で家に戻っていくシンタローの姿に、リキッドは思う。
俺だって、ロタロー……いや、コタローには、幸せになってほしいって、考えてるんスよ。
パプワハウスの扉を開けると、大声で侍たちが意気込んでいる様子が、目に飛び込んできた。
拳を固め、心戦組局長が大演説をぶっている。
「いかにコタローくんという仲良し美少年の父親といえど、あの男は許さ――ん!!!」
副長も唱和する。吐く息も荒く、意気軒昂を呈している。
「どーもアイツらは気に入らねえ! 特にブラコン総帥」
あーあ、とリキッドは頭を抱えた。側のシンタローの機嫌が今度こそ、ぐうーっと下方修正されたのがわかる。
「あーん? 何か言ったかぁ? こーの食い詰め侍どもが」
初日からこれでは、先が思いやられるのである。
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