「お、俺……あのさ」
 ぎくしゃくしながら、シンタローは言った。
 不穏な気配に、危険だと悟る。
「俺、クチゆすいでくる! 口ン中、不味いしっ! さあて、そんでもう朝だから、起きなくっちゃナ……」
 そしてベッドから降りようとして。
 身体を動かした瞬間、突然目の前が白くなって、何かが破裂したような音が、したと思った。
「……ッ!!!」
 肌がびりびりと電流を浴びたように震えて、鼓膜がじんじんと痛んで、全身の筋肉がきしんで、いつの間にかシンタローは自分が天井を見つめていることに気付く。
 遅れて。
 自分が秘石眼の力によって、ベッドに叩き付けられたのだと知った。
「ぐ……っ」
 シンタローは肩を浮かし、身を起こそうとしたが、すぐにまた見えない衝撃波が襲う。
 浮かした肩を、手酷くベッドの堅いサイドボードにぶつけて。
 痛みに呻き、自分に落ちる影に、シンタローは相手を見上げた。
 朝の淡い逆光の中に、鋭利な輪郭、凍てつくような瞳。
 シンタローがごくりと息を呑み、ただ見上げていると、そっと相手の手が伸びてきた。
 ゆっくりと、自分の目蓋と鼻筋、頬に触れてくる冷たい指。なぞるように撫でられる。
「……やっ」
 シンタローは思わず、逃げて首をそらした。
 怖かったからだ。
 すると相手は、そんな優しい素振りとはかけ離れた、地の底から響くような声で、こう言ってくる。
「私に触られるのは、嫌……?」



 どう答えたらいいのか解らず、シンタローはただ触れてくる指から逃れようとする。こんな風に触れられるのは、嫌だった。
 すると相手は、表情を変えないまま。
 今度はシンタローの首元にすっと手を伸ばすと。
「……」
 指で、シンタローの夜着を切り裂いた。
 朝日の中、布が弾け飛んで、きめの細かい肌が露になる。
 引き締まった胸板。筋肉の綺麗についた上半身。すでに尖った乳首。
 そして下半身まで。密かに熱を持ったままのその場所が、曝け出される。
「ひゃっ! ア、アンタ、何っ……何てことすんだ……ア……あァッ……」
 シンタローは羞恥の余り身を動かしかけて、また荒々しい衝撃波に全身を捉えられた。
「ぐっ!」
 手も触れられていないのに、全身がベッドに仰向けに押さえつけられている。
 惨めに、わななくしかない自分の姿。
 恥ずかしい。しかしどうにもならない。この無力感。マジックを前にすると、いつも俺は。
 閉じた唇さえ震えるのを感じて、シンタローは思わず、喉を、く、と鳴らした。
 そっと薄目を開けると、そんな自分を無遠慮に眺めているマジックの顔が視界に入って、顔を横向けにシーツにうずめる。
 恥ずかしい。
 閉じた視界で、相手が軽く鼻で笑うのがわかった。
 次の瞬間。
 マジックは、布きれの残骸を引き千切りながら、シンタローの無防備な身体に手を伸ばしてきたのだ。



 大きな手の平で、感じやすい脇腹をゆるゆると撫でられ、首筋にねっとりと舌を這わされ、シンタローは口を引き結んでいたのに、たまらず鼻にかかった声をあげてしまう。
「んっ……ん……」
「私の他の誰かに。何処を? お前の何処を触られた? 触らせたの……? お前は私のものなのに。言ってごらんよ」
 触らせてなんか、と言おうとして。
 脇腹から這い上がった手の平に、すでに、つんと立ち上がった乳首を撫でられて、シンタローの身体は返事の代わりにビクリと跳ね上がる。
 そのシンタローの反応に、マジックは表情を変えないまま、赤く尖ったそれを爪先で意地悪く引っかく。
「やっ……痛っ……」
 身を捩じらせるシンタローを許さず、その双方をますますきつく摘んで捻って、敏感な部分に痛みを与える。
「あっ! く……」
 シンタローは喘ぎのような声を漏らして、痛みを堪えたが、だんだんに先刻からの脚の狭間の熱が、苦痛と一緒に全身に広がっていって、頭をぼやけさせていくのを感じている。
 胸の突起を乱暴に引っ張られる度に、ざわめく興奮が高まり、きつく噛まれる度に、甘い痺れが通り抜ける。
 マジックに、俺は触れられている。
「くっ……んんぅ……」
 シンタローの腰が無意識に揺れるのを見て。
 マジックが、呆れたように言うのが、シンタローの濡れた瞳に映る。
「痛くしたって、喜んでるんだから。仕様のない子だ」
 そして痛めつけていたシンタローの乳首から、唇と指を離すと。
「この身体に、他の人間の痕なんかつけちゃいないだろうね……もしあったら、殺すよ」
 そう呟きながら、今度はその全身に、同じ唇と指を這わせ始めた。



「ふっ……う……」
 執拗な舌に口内を撫で回されて、透明な糸を引いたままに頬、目蓋、耳元、首筋をねろりねろりと愛撫されていく。
 相手の強健な腕は自分を捕らえたまま、その手は刺激に汗ばむ肌という肌を辿っていく。
 その感触に、シンタローは溶けそうになる。
 背後に回った相手は、シンタローの身体をうつ伏せにベッドに押さえつけ、うなじから検分を始めていた。
 乱暴に黒髪を掴まれて、敏感なうなじを舐め上げられる感触。
 大きな手が、身体中に触れてくる感触。
 ざわりざわりと全身を這い回るその快感に、陶然としてくるシンタローだ。
「はぅ……」
 思わず、甘く息を吐いた、その瞬間。
「この痕は……三日前に、私がつけた痕だよね。歯の跡」
「んっ……!」
 その抑揚のない言葉と共に。
 シンタローが身を竦ませる前に、首の付け根が強く噛まれた。
 肌に鋭い牙が喰い込むように、噛まれた部分は熱を持つ。
「ここ、噛まれるの、お前は好きだよね……じゃあ、これは? この痕も、私が吸った痕……? 感じるポイントに、うっすらと残ってる。もう一度吸ってあげるから、同じ反応を見せてごらんよ」
「やっやだっ……あ、ああっ……」
 背筋、肩甲骨の下を、きゅうっと吸われて、シンタローはシーツを噛んだ。
 痕が薄く残っているのだろう、シンタローの好きな場所に、マジックは残らずきつく唇を落としていく。
 同時その冷たい手は、シンタローの太股を円を描くようになぞっていて、決して透明な液を滴らせた中心に触れることのないその愛撫に、シンタローはもどかしさを隠せない。
 本当に触って欲しいのは何処なのかを知り尽くしているのに、その周囲ばかりを撫でられている。
 時々、おざなりのように、先端をぴんと指で弾かれる。その度にシンタローは、切ない声を漏らす。
 一方、悪戯な唇は、背筋を沿って腰に到達し、ゆるく稜線を辿って、鍛えられた脚に旅をしている。
 太腿の内側を舐められ、膝の裏を愛撫され、シンタローは身をよじる。
 男に舐められた場所は、舌が通り過ぎた後は、外気に触れてひんやりとした感触に震えていて。
 残された肌はひくひくと蠢いて、それは意地悪な舌と手が通り過ぎたのを悲しんで、まるで寂しい、寂しいと訴えているかのようだった。



「あう……う……」
 丹念な愛撫は続いている。濡れた水音が、聞こえている。
 マジックの舌と指は、シンタローの身体隅々を探っていく。
 腰、脚、膝裏を辿ったそれは、ついに足の先にまで届いて、足指が柔らかい口内に含まれてしまう。
 指と指との間をゆるゆると舌でなぞられて。
 シンタローは、ぴくぴくと背を突っ張らせ、太股を震わせた。
「ひゃ……あ……ん……」
 空気に抜けるような甘い声が、自分の口から漏れるのを止めることが出来ない。
 悔しいのに、走り出す身体を止めることは出来ないのだ。
 シンタローは、思わず瞑っていた目を開ける。
 そして、自分の触られないのに立ち上がりきって、あとからあとから涙を流して揺れている性器を、目の端に捉えて。
 羞恥に唇を噛み締めようとしたが、やはり湧き上がる快感に、それは叶わなかった。
 ただ大きく胸を喘がせる。
「ん……んぅ……」
 すると逆に、唇から飲み切れない唾液が滴り落ちてくる。
 ヤだ。足なんか、ヤだ。そんなとこまで。
 でも。
 どうして足先を舐められるのがこんなに感じるのだろうと、どうしてマジックは足先なんかまで舐めるのだろうと、シンタローは鈍い熱に満たされた思考の隅で、ぼんやりと考えているのだ。
 そして。



「ッ! ア、アンタ!」
 突如、前日の出来事が頭に閃く。
 陶然としていたから、つい考えなしに口に出してしまう。
「まっまさかッ! 足の匂いフェチ!」
「は?」
 シンタローの足先で蠢く舌が、動きを止める。
 流石のマジックも、一瞬虚を突かれた顔をしている。
 しかしすぐに、それは元の冷たい表情に戻った。
「……まったく何だろうね、この子は。大人しく感じてるかと思えば、おかしなことばかり」
 そして彼は、そっと口付けていた爪先から唇を離すと。
 悠然とした動作で、シンタローの身体に、圧し掛かってきた。
 そして今度は耳朶を甘噛みしながら、ゆっくりと歌うように囁きだす。
 押さえつけられたシンタローは、身を強張らせた。
「そうだよ。私はなんだって。足の爪先から、黒髪ひとすじの先まで、お前の身体ならなんだって。フェチというならフェチさ。いつも欲しくて気が狂いそう。それなしにはいられない。なのに……」
 なのに。
 そうシンタローの耳に聞こえた時。
 突然、シンタローの最奥に、指が突き入れられた。



「痛ッ! 痛い……ひ、ひあっ……いた……ぁ……っ」
 興奮した性器から、先走りの液が、後ろの入り口に滴っているとはいえ。
 その場所の内部はまだ潤いがなかったから、シンタローの身体の芯に激痛が走る。
 必死に身を捩って、訴える。
「痛い……痛いってば……ぁ……あっあっあ……やめ、やめて……」
「我慢しなさい。他の男が入ったかどうか、確かめてるんだよ」
「は、入らな……」
「入るさ。何もしなくたって、お前のここは貪欲だからね」
 マジックの長い指は、容赦なく入り口に押し入り、無理矢理シンタローの奥をぐりぐりと弄っている。
 確かめるように。念入りに、その狭間のかたちを、探っている。
 シンタローは苦痛に喘いだ。
 思わずマジックの腕を掴む。
 痛い。痛くてたまらなくって、しかも。
「ア、アホ……っ!」
 シンタローは思わず叫んだ。
 アホだ、こいつ。最悪。バカ。
 いつまでたっても、俺を信じない。自分も信じない。バカ……
 涙目の視界の中で、マジックは相変わらず表情を変えないまま、無感動に自分のそこを試していた。
 その姿を見て、シンタローは、悲しくなる。
 至近距離で声が聞こえた。
「……狭いね。私の後に使った形跡は……ない」
「アホ……あ、あったりまえだっ……!」
「……」
「ひうっ……やっ……は……」
 マジックのローブを肩にかけただけの背中にすがりついて、痛みを堪えていたシンタローを、いきなりの快感が貫いた。
 巧みな指が、シンタローの感じる部分を探り当てて、そこを一気に突いたのだ。
 内壁が締まり、蠢く指を包み、シンタローの背筋に痺れるような甘い感覚が駆け上っていく。
 苦痛を与えるのも、快感を与えるのも、この指は自在だった。
 自分の全てが知り尽くされている。
 指が、俺の内部を掻き回している……
「ん、んん、あっあっ……あ――っ!」
 その部分を強く突かれて。
 シンタローは男の背中に爪を立て、喉を反らして、一際高い声をあげて、達した。
 全身の力が、抜けていく。



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 こうして。
 シンタローにかけられた理不尽な浮気疑惑は、晴れたようなのだが。
「浮気してたんじゃないとしてもね……許せないよ」
 こんなことを、悪びれもせずに、言われた。
「な、なんでっ!」
 いまだ剣呑な雰囲気を漂わせているマジックに、シンタローは相手から奪った毛布に包まりながら、食ってかかった。
 憤りが込み上げてくるのは、もはや条件反射だ。
 彼は拳を握り締め、ベッドから勢いよく立ち上がろうとしたが、腰に力が入らず、へなへなと座り込んでしまった。
 仕方ないので、座ったまま怒り出す。



 なっななな、なーんてヤツだぁっ!
 シンタローは腹いせに、シーツを引っかく。
 相手はきっちりローブの乱れを整えた後、悠然とベッド脇の安楽椅子に腰掛けている。
 手には、グラスに薄い琥珀色のウイスキーを揺らしている。まったく朝から! それに俺にはくれない、自分だけ!
 その優雅ともみえる姿に、わなわなと震えるシンタロー。
 ぐっ……謝りもせず! アホな疑いかけてきて(これで何度目なんだよ!)、勝手に色々しやがって!
 それに俺の! 俺のパジャマ、台無しにしやがって! ビリビリ! 気に入ってたのに! くっそぉ、弁償させてやるッ! 買わせてやるッ!
 すでに自分が家中を破壊したことは、忘れ去っているシンタローである。
 ぽっかりと開いた大穴からは、優しい朝の光が差し込んでいた。
 綺麗に消滅している部屋の東側からは、広大な、ちょっとした森と言ってもいいほどの庭が見えて。
 陽光の中で小動物の群れ遊ぶ、緑きらめく素敵な庭なのだ。
 要するに、もしもご近所さんがいたら、この部屋は丸見えの状態であった。
 もしも、いたら。
 ……即刻消されていただろうが。



 マジックの険しい横顔は、固く閉ざされた巌のようだった。
 硬質の輪郭が、朝日の中で全てを拒否するようで、その金髪が少し乱れて輝いている。
 陰りのある目元が、哀しげに見えて。
 シンタローは。
 自分に非はないと思ってはいたものの、なんだか決まりが悪くて、毛布の中でごそごそと無駄に動いて考えた。
 くそう。俺は被害者だ。
 それに。俺、もうすぐ仕事行かなくっちゃ。もう朝だっての。
 よく考えたら、このバカのせいで、ほとんど寝てねぇ。
 ヤベぇ、今日モつかナ。全部このバカのせい。バカのせいなのに、なんだよ、この責める雰囲気。責任転嫁。
 俺は悪くないっての。悪いのは、アンタだっての。
「……」
 それに。『許せない』ってナンだよ。
 むくれてしまったシンタローだが、それでもその言葉をマジックに投げつけることが出来ずに、ごそごそ動いていることしか出来なかった。
 とりあえず、ジト目で男を睨んでおく。
 嫌な空気は続いている。
 しばらくして。
 ぽつりと男が呟く声が聞こえた。
「だ……」
「だ?」
 シンタローが聞き返しても、彼は沈鬱な陰を、しばらくその鼻梁に漂わせていた。
 俯いている。
 そして。
 突然、顔をあげた。



「だって……だって、だって、だってッッ!!! パパ、ヘタクソなシンちゃんが好きだったのにぃ〜〜〜〜!!!!! あの初々しいシンちゃんを返して! ひどい! 教えるならパパが教えたいのに!」
「な、なななななななにィィィッッッ!!!!!」
 髪の毛を逆立てるシンタローの目の前で、マジックが苦悩に満ちた表情で、コトンとグラスをテーブルに置き、安楽椅子から立ち上がる。
 ベッドの自分に食いかかってくる。
「ひどいよシンちゃん! あのいつものさあ! 嫌がりながらも、息を乱して! 切なそうに眉をひそめて! 無理矢理『咥えて』って言ったら、初めは抵抗するけど、すーぐになし崩しで、びくびくしながら咥えてくれて、ヘタクソなのに、一生懸命舌を動かして唸ってるシンちゃんが良かった! 絶対カワイくて良かったっ! ヘタクソが好きだった! パパは断固抗議する!」
「かかかかか勝手すぎんぞコラア〜〜〜〜〜〜!!!!!」
 ヘタクソとか言って自分を散々悩ませておきながら!
 今さらヘタクソが好きだったとか、ア、アアアアアホにも程があるぞこの男ッッッ!!!
 誰か天罰下してッ! 神様! 仏様ッ!
 そんなシンタローの目の前で、生きるべきか死すべきかで苦悩するハムレットのように、マジックは深い溜息をつき、こめかみに手をやっている。
 部屋の中を苦しげに歩き回っている。
 この世の終わりだというように、『ああ……』と呻いた後、もう一度シンタローにちろりと視線を向けた。
「ま、練習しても、たかがシンちゃんだから、大して上手くもなかったけど! けど! ああ〜、勿体無い! 私の『シンタロー・メーカー』計画が! 長期的調教計画が! 台無しだよっ!」
「『たかが』! 『大して』! ぐっ、こ、このお〜! く……う……」
 怒りの余り、接ぐ言葉に詰まったシンタローは、口をぱくぱくさせている。
 俺の! 俺の努力って一体!
 ていうか、勝手の一言! ああ〜〜、も、もう何て言ったらいーのかァ――――ッ! わから――んッ!!!
 饒舌な相手は、真摯なまなざしで、全身で自分に訴えてくるというのに。
 この近年、マジックがここまで深刻に苦悩した姿を見せたことがあっただろうか、いやない。即答。
 ああ、この男。この男ったら。
「だからね! あんまり自ら淫乱になられても微妙な気分なんだよ! わかるかな! パパのこの繊細な男心が!」



「そんな訳で、これからパパは、シンちゃんに仕返しをします」
 シンタローが何かを言う前に、事態は着々と進行していた。
 あっと思った時には。
 再び衝撃波が全身を包み、乱暴な無形の力に、シンタローは呻いてベッドに仰向けに転がっていた。
 また身体がショックで震えて、動かない。
 ひりつく喉から、抗議の声をやっとのことで絞り出す。
「ぐ……く……あ、ああっ……このぉっ! 眼ばっか使いやがって……」
「はは。パパの秘石眼は、世界征服をやめちゃってからは、全部シンちゃんに熱く注がれています」
「注ぐなァ〜〜〜〜ッッ!!!」
「持っててよかった、両目に秘石眼」
 マジックはさっきの不機嫌なんて何処に消えたのか、あの陰りは何だったのかと思う程に、やたら生き生きとして、微笑んでいる。
 鼻歌を歌いながら、シンタローの毛布を剥ぎ出してしまう。
 あっさりとシンタローの、黒髪の乱れるその裸体を露にし、図々しく再び下半身に触れてくる。
「は〜い、シンちゃん。あんよ広げようね〜」
 そして、手馴れた動作で、ぐいっとその鍛えられた両脚を広げてしまった。
「ア、アホッ! わっ、あたっ……!」
 上半身を起こそうとしたら、また青い目が光って。
 再びベッドの叩きつけられたシンタローは、その上、ごちんと何かに頭をぶつけて、息が詰まる。
 歯を食いしばりながら、感じている。
 痛い。固い。四角い……これは……
「さて。これは、さっきシンちゃんが私に投げつけてきたものです」
 マジックはシンタローの頭の下から、痛みの原因を抜き出してきて、芝居がかった仕草でそれを見せてくる。
 先刻、自分がなかなか目覚めない男に投げつけたインク瓶が、その手の中に収まっていて、きらりとラベルが輝いた。
 こんなことになるんなら、目覚めさせるんじゃなかったと、シンタローは後悔したがもう遅い。
 ていうか、起きてたのかよ! あれ、狸寝入りかよっ!
 フーフー唸るシンタローには構わず、マジックはにこにこと、小瓶のその黒い輪郭を、爪の切りそろえられた指でなぞると。
 青いキャップをきゅっと開けた。
「これ、ただのインク瓶だと思ったら大間違い。表面が黒いのはね。変質を避けるためだよ」
 御丁寧に説明しながらマジックは。
 瓶を傾けて、自分の白い手にその中身を垂らした。



 とろりと粘着質でゲル状の透明な物体が、マジックの手に零れ落ちていく。
 シンタローの脳裏に、嫌な予感が掠めていく。
 目の前の男の、嬉しそうな顔。すなわち、不吉。
 マジックは唇の端をあげて、自分に向かって優しげに言葉を続けた。
「まあシンちゃんもそろそろ学習してると思うけど。生化学研究所の高松やジャンに頼んで作ってもらった、シンちゃんをイライラさせる薬です」
「なっそんなモノ頼みやがって……って! そーだ、ジャンってアンタ! バラ……」
「? 何?」
「……何でもねーよ。ヘッ、くたばりやがれ」
「私がくたばったら、泣くくせに。それに、そんな憎まれ口きけるのも、今の内だよ。可哀想にね」
「わっ、わっ、わっ! や、やめっ……! 冷た……ぁあっ……ひゃ……っ!」
 息を詰める間もなく。
 赤ん坊のように大きく広げられた、シンタローの脚の間に。
 マジックは手の平を斜めにして指を伝わらせ、その液体を垂らしていく。
 シンタローの薄桃色をした後孔は、その冷たさにひくりと震え、物欲しげにざわめいた。
 とろとろとその秘部を包んでいく液体。
「あ……っ」
 シンタローの全身の肌が、その冷たく粘ついた感触に、産毛をぞくりとさせる。
「さあてと。さっきは乱暴にしちゃってゴメンね!」
 男は、その長い指で、その小さな入り口をゆっくりとなぞってから。
 ぬるりと中指で侵入してきた。



「ここ、シンちゃん大好きだよね」
「!」
 ぐっとその場所を弄られて、シンタローは天井を向いて、ふうふう喘ぐ。
 柔らかい内壁がゆるゆる掻き回されている。
 よくわからない液体を、にちゃにちゃと身体の奥に塗り込められている。
 そのいやらしい音。感触。指――
 シンタローが息をつく度に、後孔が収縮して、その度に飲み込んだばかりの透明な液体を零すのを、マジックは根気強く掬っては、指に絡めて塗り込めることを繰り返している。
 乱暴に扱われた後に優しくされると、その部分は弱かった。
「や……やっ……」
 小さな入り口からは、くぷくぷとそれが溢れ、シーツを濡らしていく。
 男の指を咥えて、収縮を繰り返しているその場所。
 その感覚でシンタローの黒い頭が一杯になって、足を突っ張らせて、これから俺はどうなるんだろうと、意識の隅で考えた頃。
「はい。おしまい」
 マジックは。
 シンタローの引きつる太腿を、ぽんぽんと叩いてから。
 あっさり何でもないような顔をして、ベッドから降りてしまった。



「そろそろ私も仕度をする時間だよ。今日も予定が色々入っていてね」
 そう言い残し、部屋備え付けのバスルームに入ってしまう。
「……?」
 シンタローは、しばらくぽかんとして、そのままベッドで仰向けになったまま。
 天井と、開いた穴から見える空を、見つめていた。
 置いてきぼり。
 そのうち、水音と共に、声が聞こえてくる。
「シンタロー、いいのかい? 時間は。急いで用意して出勤しないと……朝の食事は暇がないかもしれないね」
「!!!!!」
 我に返って、シンタローはがばりと起き上がった。
 自分が破壊した壁の瓦礫の中で、時計はカチ、カチと音だけを立てているのだった。



 急いで自室に戻り、烏の行水で一瞬で湯を浴び、着替えて、ダダダと階下に降りる。
 部屋を出る時に、扉の前のタンスやらキャノン砲やらが邪魔をしたが、もののついでだ、仕方ないと眼魔砲で破壊した。
 居間に入ると。
 従兄弟二人の視線が、自分に向けられるのを感じた。
「シンちゃん、具合どぉ〜お? ちゃんと休めた〜?」
「シンタロー! どうだ、調子は!」
 一体こいつらは、あの物音を聞いていなかったのだろうかとシンタローは不思議になるが、それはいつものことである。
「お、おう……ま、よくわからんが……心配かけた……な」
 シンタローは、たどたどしくそう言って脇を向いた。
 彼らの純粋なまなざしを見ていると、たとえそれが誤解であっても、自分を心配してくれたことに礼を言うべきだと感じたのだ。
 自分を心配してくれる人間がいるというのは、嬉しいことだ。
 彼らに支えられている俺は、幸せ者なのだ。
「シンちゃ〜ん、ご飯、車の中で食べられるようにしといたよっ! おにぎり!」
「今日の予定だが、体調がすぐれないのなら、幾つかキャンセルすることもできるぞ」
 ボロッと崩れる塊を差し出すグンマ、書類をめくるキンタロー。
 自分を気遣う二人を見て、シンタローは笑った。
 なんだか元気が出てくる。
「おいおい、俺は大丈夫だっての。なんたって、総帥だぜ? ちゃんとこなしてみせるさ! よーし、行くぞ、お前ら」
 そして、赤い軍服と黒髪を揺らすと、表玄関に向かって、率先して歩き出した。



 多少寝不足気味ではあったものの、腰の辺りに鈍痛を感じたものの、そんなことに構っちゃいられない。
 俺は、このガンマ団を預かる総帥なのだ。
 総帥ってーのは、エラいんだぜ? だから俺、しっかりしなくっちゃ。
 シンタローは、総帥室に大股で入ると、いつものように壁に掲げた団旗を一瞥し、席につく。
 疲れの色も見せずに、精力的にデスクワークをこなし始めた。
 そのまま、時間はしばらく過ぎていった。
 そして――
 その異変をシンタローが意識したのは。
 すうっと額から滴り落ちる、汗の冷たさに陶然とする程に。
 肌が火照り始めてからのことだった。



「……」
 シンタローは書類に目を落とし、静かにペンを動かしている。
 しかしその目は文字を追っているようで、すぐに頼りなく上滑るばかりで、事案処理はすでに機械的作業と化している。
 さして重要な案件はなかったのが救いだが。
 こんなことではいけないと、シンタローは必死に自らを叱咤するのだが。
 時を追うごとに、生まれた熱は高まっていくようだった。
 身の内に、巣食う熱。
 湿り気を帯びたそれが、ぞわりぞわりと、俺の肌を……這いずり回る……
 ……やたら身体が熱くてならない。
 軍服の襟元が煩わしくて、シンタローは身をよじる。
 熱が篭り、逃げていかない。
 じんじんと全身を甘い痺れのようなものが通り抜けていく。
 まるで、俺の中に、熱にのた打ち回る蛇が住み着いたようだと、彼は感じている。
 腰の奥で、そいつは息をしている。
 さっき……あいつが、何かを塗り込めた、その俺の奥……
 その場所が、蠢いているのだ。
 ざわざわと生き物のように、何かを欲しがっている。闇の奥底から這い上がり、喉を鳴らしてひくついている。
 一言で言うなら、それは欲望だった。



 シンタローは、椅子に座ったまま、息をついて太腿を緊張させている。
 椅子がぎしっときしんで、落ち着かなく位置を変えるシンタローに抗議する。
 腰の奥の疼きはじゅくじゅくとして彼を苦しめ、性器は軍服の中で完全には立ち上がらないまま、完全な快感には変わらないまま、もどかしさを与えている。
 自分のそれが脈打つ感覚を、シンタローは羞恥の中で感じている。
 こんな、総帥室で。執務中に。
 俺の中心が、脈打ちながら、濡れている。
 硬くなりきらないまま、生殺しに泣いている。
 厚い軍服の生地の下では解らないが、その内の下着は、自分の漏らした液で、だらしなく濡れているはずだった。
「……っ……」
 先刻からシンタローは、中途半端な興奮に震えるそれを、自ら慰めようか、その瀬戸際で迷っているのだ。
 最悪。最悪だ、あのアホは。マジック。アホ、最低。何が仕返し。この変態。こういうことかよ。
 口の中でマジックに悪態をつくことで、何とか意識を引き戻しながら。
 シンタローは唇を噛み締めて、自然に開きそうになる脚を、意志の力でまた締める。
「くっ……ん……」
 しかし、自分で自分を慰めるのも、何かマジックに負けたことになるようで、躊躇われるのだった。
 それに……もう、時間が。さらには目の前に積まれた書類の山。
 シンタローは壁時計を苦しげに見やる。
 今日は、これから軍の観閲式があり、自分の総帥訓示が予定されていた。



 総帥室の扉が開き、キンタローが入室してくる。
 彼は自分の顔を見て眉をひそめ、『やはり体調が悪いのか』と心配そうに聞いた。
「顔が赤い。書類もはかどってはいないな。団員への総帥訓示は内部業務ゆえ取り止めても構わんと思うが」
「……いや、大丈夫だ。ちょっと……風邪気味で……熱っぽいだけだ。ハハ、こんなんでいちいち予定キャンセルしてちゃあ、ガンマ団総帥の名がすたるぜ。大したこたねぇ」
 そうシンタローは答え、両手をデスクにつき、緩慢な動作で立ち上がる。
 ふと別の視線を感じて、開いた扉の方を見ると、心配したのか開発室を抜け出してきたらしいグンマの丸い瞳が見えて。
 シンタローは、その瞳に向かって、安心させるように微笑むと、もう一度『ちっくしょう……マジック最悪』と口の中で呟いてから。
 歩き出した。



----------



 努めて平常心を装おうとしても、どくどくと自分の鼓動の音が聞こえてしまって、腰の奥の内壁がひくついて収縮しているのを感じてしまって、唇から漏れる息が熱いことに気付いてしまって、シンタローは眉を苦しげにひそめるしかない。
 ほんの少し気を緩めただけで、意識を手放し、はしたなく喘いでしまいそうになる自分を、どうにかしたい。
「……は……ッ……」
 気が変になりそうだった。
 演壇の端を掴むシンタローの指は震え、その振動で上に置かれたグラスの水が波を打ち、ぴちゃりと零れる。
 白くぼやけかけた視界の中、そこに幾千もの瞳を感じて――
 シンタローは、頭を振る。まるでそうすることによって、熱が逃げるのだと信じているように。
 黒髪が、風で靡いた。
 ここは、軍本部前の広大な広場であり、観閲式のために団員たちが黒波のように整列していて。
 その視線は、ただ一点に。高所に一人立つ自分に注がれている。
 今は――総帥訓示の最中であった。



 演説内容は、すでに前もって草稿を書いて記憶していたので問題はなかったが、シンタローには自分が唇を動かしているという感触はあれど、何を喋っているのかがよく理解できなかった。
 果たして自分は団員たちの尊敬に足る総帥として、立派にその務めを果たしているのだろうかと、軽く見られることはないだろうかと、不安が胸にわだかまっていくが、それを上回る熱が、あとからあとから自分の最奥から湧き上がってくるのだった。
 じわじわとその熱がシンタローの身体を絡め取る。
 流れる言葉の合間合間に、溺れた魚が空気を求めて喘ぐように、シンタローは息をつく。
「ん……っ」
 火照った身体がもどかしい。ぴくぴくと肌が震える。
 駄目だ。駄目だ、俺、しっかりしなきゃ。
 団員たちが、見てるじゃないか。絶対に失態は見せられない。
 新総帥として、俺がこの軍を支えているんだ。そうだ、代替わりしてガンマ団は落ちぶれた、なんて言わせねえ。
 こういう、一つ一つが大事で、疎かになんかできっこないんだ。
 しっかりしなきゃ……しっかり……
 そう思って、背筋を伸ばして胸を張ったのだが。
 屹立した乳首の先が衣服に触れて、薄いシャツ越しに、生地の粗い軍服の感触が伝わってきて。
 敏感な場所に、ざらりと。
「あ……」
 シンタローは、口を半開きにして思わず喘いだ。
 逆効果だ。
「……であるから、我が軍は敵対国の邪悪な野望を阻止し、その意図を挫くことを……」
 何とか口上は続けたものの、すでにその意識のほとんどが欲望に支配されきっていた。



 整列した団員たちは静まり返り、自分を見つめている。
 その静寂。厳かな空気。冷たい風。突き刺さるような視線――
 こんな身の内では欲望に犯されきった自分が、見つめられている。
 この軍服の内部では蕩けてしまって、淫らに喘ぎたくてたまらない身体が、見つめられている。
 その視線をシンタローは意識すると、幾多の視線はぼやけ混じり霞んで、いつしかそれは収斂されていく。
 シンタローは一つの視線を思い出している。
 マジックの……あの視線。青い目。冷たい光。飢えた獣みたいな。あの。
『足の爪先から、黒髪ひとすじの先まで、お前の身体ならなんだって……いつも欲しくて気が狂いそう。それなしにはいられない』
 数時間前に全身を愛撫されながら、囁かれた言葉が耳に残る。
 今……俺の全身が、あの冷たい瞳に隅から隅まで見られているんだ。
 何一つ隠せない。こんな欲望まみれの俺が、一から十まで曝け出されているんだ。
 ……恥ずかしい。
 そう感じると、シンタローは、どんどんとマジックに与えられるあの止め処のない快感を、探られて自分から溢れて溢れてたまらない欲望のあの甘さを、反芻してしまうのだ。



 全部、マジックに教えられた。
 俺の身体は、心は、もうそうなっちゃっているんだ。
 あの指。触れてくる。ゆっくりと、かと思えば焦燥にかられて俺をいたぶる。意地悪な手。俺の内側を、かき混ぜて蕩かす。作り変えていく。見つめられる。熱病にかかったみたいに、おかしくなる。欲しくなる。無茶苦茶にして欲しくなる。支配される……
 じんじんと疼く熱、身体の奥の、あの部分で勢いを増す粘ついた快楽。
 ここに、入れて欲しい。甘い言葉を囁きながら、弄って欲しい。貫いて欲しい。
「ふ……」
 思わず腰をびくっと震わせて、唇の端を舐めて、堪えきれない吐息を口にしてから。
 シンタローは気付く。
 まるで。
 まるで、こんな壇上で、団員たちの前で、俺はあいつに犯されているみたいだと。
 いや、それも直接に犯されているんじゃない。高められた状態で、みっともなくイきたくってしょうがない状態で、俺は放置されている。
 そして見つめられている。こんな大勢の瞳と――マジックの瞳の前で。
 頭の中じゃ、もう淫らなことしか考えられないというのに。
 こんな公式の場所であさましく欲情しているなんて。俺は。俺は……
 冷たい汗が首筋をつたい、艶のある黒髪が肌に貼りついて乱れていく。
「んんっ……う……ぁ……」
 ぞくりと、太腿をあの冷たい手が撫でていくような、感触がした。
 鼻にかかった声を漏らしてしまって、戸惑うように正面を見据える。
 そんなシンタローの意識を、居並ぶ部下たちへの罪悪感が、自分への嫌悪感が、そして途方もない羞恥心が。
 駆け抜けていく。





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