父の日スペシャル!
「……」
静かに超大型60型ワイドテレビのスイッチを切ると、シンタローは項垂れた。
そして自らの力の無さを悟った。
やわらかいソファに、ドッと崩れ落ちる。呟いた。
「……俺。俺、ヘタクソって言われても……仕方の無いヤツだったのかも……」
客観的に判断して、白旗を掲げざるをえない状況であった。
AV女優は、確かにそれを生業とするだけあって、いい仕事をしていた。
シンタローは床を見つめ、柔らかい絨毯で地団太を踏む。今見たばかりの画面を思い起こす。
何だ、あの舌使い! 吸うのかよ! 上下に……それにそれに一緒に指まで! 横からも縦からもアリなのかッ! マジかよこの高等技術! よくンなのできるな! んで上目遣い! これが重要っぽい! んで、飲むのかよ! ヤバい、そんなセオリーがあったとは! マジで知らなかったゼ! あ、あ、そーいや、そんなよーなこと、マジックがやってた気も……気にしてなかったけど……っつーか! やっべえ、軍の寮とかでのワイ談、俺、超知ったかぶりだった! バレてたらどーしよう! イヤまあでも伊達集の奴らだったら似たよーなモンで大丈夫か……って、その前に! 実地でバカにされてる! 絶対あのエロ親父に、バカにされてるっ! 確実にッッ!!!
AV女優、恐るべし。俺に出来ないコトを、やすやすと!
その職人魂には、シンタローは溜息をつくしかない。
以前はAVを見る時は、純粋に興奮するために見ていたので、こんな風に技術的な視点から見たことはなかった。
なんてこった。もっと早くに気付くべきだった。
プライドを傷つけられたシンタローは、悔しげに『おしゃぶり倶楽部〜ゴックンエンジェル〜』『口淫陵辱・フェラーリに乗って』のビデオケースを掴んで、指を震わせた。
上には上があった。
これではマジックに馬鹿にされても仕方がないと、シンタローはほぞを噛む。
「くっ……俺ってヤツは……」
よくよく思い返してみれば。
行為の最中に。散々、自分のそれは、相手に舐められてはいるのだが。
すぐに視界が真っ白になってしまうので、気持ちいいということはわかっても、具体的に何をされているかということ迄は意識してはいなかったのだ。
従ってシンタローは、いざ自分が咥える段になっても、何をすればいいかわからず、ただ口に入れただけでボーッとしている。もしくは、うんうん唸っている。
その内じれた相手が悪戯してきたり、勝手にシンタローの頭を動かしてきたりするので、別段自分から何かした記憶もない。
何度かマジックが教えてくれようとしたことがあったが。
あんなのを(!)口に含むだけれも一苦労であるのに!
その上自分も同時に舐められながら『こうやるんだよ』と言われた所で、あっさり何が何だかわからなくなってしまうのであるから、覚えられるはずもない。
結局の所、毎回、口に入れただけで終わってしまう。
だって、アレ。それに。
シンタローは手に汗握りながら、思い起こす。
くわえても、すーぐ喉の奥で、ゲッてなるし! 無理だよ! 絶対無理! 俺は悪くねえ! アイツのアレが悪い! 大きいから咥えにくい! 何から何までイヤな奴!
シンタローの胸には再び怒りが込み上げてきて、勢い付いてくる。
それに、それにアイツ!
『んもう、シンちゃんはしょうがないなあ』って嬉しそうに言いやがるから、まあそんなんでもいいのかって俺はずっと……だって! だって、そんな俺がセッキョク的だったら、悔しいし! それなのにアイツ、『ヘタクソ』って……あー腹立つ! 内心ではンなコト思ってたのかよ! 超ムカつく! そーだ、だーれがあんなアホのを、こっちから願い下げだっての! そうだよ、誰があんなバカのを……。
……。
…………。
………………!!!
『シンちゃんは』!
『シンちゃんは』。『は』って。『は』って!!!
深読みしたら、俺『は』しょうがなくっても、他のヤツは、上手いってコトかよ!?
それに俺がヘタクソだってわかるってことは、勿論他のもっと上手いヤツのことを知ってるってことだよな?
やっぱテクニシャン? テクニシャンがいいのかよ! メロメロかよっ!
うあー、過去! 過去が憎い! いやもう俺、割り切れよ! 男らしくねぇよ! いいかっ、そういうのグジグジ考えるのナシな、今だけを考えろ!
いや! いやいやいやいやだからな、あのバカ、『俺だけ』とかいつもぬかしてるじゃねえか! うん、そーだよな。いつも……。
へっ、そ、そんなのどーでもいいんだが、あ――――ッ!!! だいたいそーいう台詞をぬけぬけと言いやがるコト自体がはりきりムカつく! そうそうそう、態度がヤなんだよな! 誰か賛同してくれよオイ! ちくしょう、こんなの誰にも相談できねえ! いや待て、つーかそう、アイツっていっつも本気なのか嘘なのかわかんねえトコが超絶ムカつく!
『俺だけ』とかそんなのはどーでもいいんだが、嘘つかれてるかもしんねえってコトが、死ぬほどムカつくッッ!!!
いやでもさ。あんなアホ、他に誰かいる訳が……あんなにアホで性格悪いヤツが好かれるワケ……今なあ、今……今現在で、他に……。
……。
…………。
………………ファンクラブ………………。
そーいや今この瞬間、アイツはファンに囲まれて馬鹿げたイベントをッッ!
まじかる☆まーじっくウザ――――!!!!!!
「あああ――――ッッツッツッッ! あのバカ、外面だけはいーんだよッッ! 不幸な世界市民は絶対騙されてるッ!」
ガッシャーン!!!
机の上のティーセットが、シンタローが思わず立ち上がった拍子にひっくり返った。
しばらく彼は、黙々と後始末をするハメになった。
「……」
新しく紅茶を入れ直すと、シンタローはまた、どっかりとソファに座った。
イラつくな、冷静になれ、俺! と自らを落ち着かせる。
トポトポトポ……とポットからカップに紅茶を注ぐ音と、立ち昇る芳香に、息を整える。
俺、ヤンキーやヤクザの方々のお仕置きよりも、あの世界的詐欺師のお仕置きをした方がいーんじゃ、ともシンタローは考えたが。
「……そーだよな。この俺様が、ンなコト気にする方が損だっての。気をしっかり持てよ、まだまだ青いナ、俺も」
ハハハ、ハハハ、ハハハ……とシンタローは余裕ありげに笑ってみて、ゆっくりと脚を組み替えた。
そして、ずず、と紅茶をすする。
「……」
ずず、ずず。
「……」
全てが寝静まった夜は、静かだ。
あー、さっきコンビニの前で見た野良犬、カワイかったなあ〜
「……」
シンタローの前には、ケバケバしいAVのパッケージ。
……。
…………。
………………!!!
「……もう一回、見とくか……折角借りたしな……」
そしてシンタローは、再び大画面の電源を入れ、ビデオデッキをセットした。
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「最近のシンちゃん、ナンかヘンだよぉ〜」
夕食の席、テーブルの正面に座るグンマのまなざしに、シンタローはハッと我に返る。
「そのスプーン、おいしいの〜? なんかベロベロなめてるぅ〜」
グンマの問いで、自分が銀製スプーンを長い間頬張っていたことに気付く。
いけねえ、いけねえ。
シンタローは慌てて、口からスプーンを抜き出した。
「食べ物を余さず食するというのは感心だが、行儀作法に欠けるな」
「おーよ。いやあ、しかし今日のポタージュは絶品だな! つい味わって食っちまったゼ」
キンタローの苦言にも、ハハハ! と鼻の頭を掻きながら。
取り繕うように、シンタローは皿からスープを一匙をすくい、再び口に入れた。
そして従兄弟たちの不審気なまなざしを感じながら、『うまい!』と言って笑った。
……シンタローには思い込んだら命懸けな所があって、一つのことに集中するとそればかりに一生懸命になってしまう。
秘密特訓のことばかりが、ここ数日のシンタローの頭を占めている。
ついそれが日常に出てしまった。危ない危ない。
そう冷や汗をかいたシンタローだが、こうも思った。
フ……さすがは俺。
成果は上々。何かやり始めたら、トコトンまでやり遂げてやらあ!
くっそお! 俺が本気になったらなあ!
すっげーってトコを、見せてやろうじゃねーかッ!
あのアホを、びっくりさせてやるゼ!
「はは……ハハハハ!」
「……シンちゃん……」
「……シンタロー……」
「んっ? 悪ィ、悪ィ、思い出し笑い! なんでもねーよ! いやあ、このポタージュうまいなー!」
満面笑みのシンタローに、控えめにグンマが口を開く。
「シンちゃん……もうそのスープ皿、からっぽだよぉ? さっきから、ぼーっとしてスプーンなめてたり、突然笑い出したり……疲れてるんじゃあ。この数日、ずっと」
「へ?」
「シッ! グンマ」
そんなグンマを止めたキンタローは、シンタローに向き直る。
「シンタロー。今日はもう休め。俺が見るに、最近のお前はストレス過多だ。とにかく休め」
「……僕もそう思う、シンちゃん」
意外なことを言われて、シンタローはポカンとした。
「ストレス? いやでも俺、むしろストレスの元がいなくって調子イイんだけど。ナンか充実してるし。えっちょっとお前ら、何だよその深刻な目! 大丈夫だって、オイ、なんだ、オイお前ら! 大丈夫だって! えっオイ! 無理やり連れてこーとすんな! おーいコラ、俺は総帥だぞォ〜」
バタン。扉が閉まる。
二人がかりでシンタローを部屋に押し込むと、キンタローとグンマはホッと一息をついた。
ガタガタ! ガタガタ! と扉が揺れている。
「シンちゃん、大丈夫かなぁ……キンちゃんっ」
グンマが、アフリカ1号に頼んで巨大タンスやグランドピアノを扉の前に運ばせながら、心配そうに言った。
扉の側に、赤外線レーダーとキャノン砲を自動装置と一緒に設置しながら、キンタローも答える。
「……総帥としての心労が溜まっているのだろう。今日なども総帥室備え付けの冷蔵庫一杯に、アイスキャンディーを買い込んできて、暇さえあればそれを食べていた。ストレス性過食症の気があるな。仕事はきちんとこなしているようだが、その合間合間にボーッとしている。そしてたまに奇妙な笑みを浮かべている。かと思えば、机の引き出しに何やらいかがわしい本を入れて、こっそりと見ている。いかんな」
「きちんと休ませないとね! おとーさまがいない時こそ、僕たちが……シンちゃ〜ん! ちょっとでも出てきたら、ドカーンだからね〜
覚悟してね
」
「ちなみに窓から出ようとしても、防衛用の衛星探知機をセットしたから、自動小銃がお前を狙うぞ。今日は大人しくゆっくり休め!」
それまでガタガタ揺れていた扉が、ぴたりと止まった。
シンタローを気遣う、優しい従兄弟たちなのであった。
そして。
「チッ……なんだアイツら。結託しやがって。俺のドコがオカしいってんだ。マトモもマトモ、大マトモだっての!」
押し込まれた自室で、一人ふてくれるシンタローである。
部屋から出ることを諦め、仕方なくシャワーを浴び、ぶつぶつ文句を言いながら、不機嫌そうにソファに腰掛けた。
手には冷蔵庫から取り出したばかりの、アイスキャンディー。
すでに慣れた動作でアダルトビデオをセットし、テレビのスイッチを入れる。研究モードに入る。
やると決めたからには、シンタローはとことん真面目な性質であった。
「あーあ、しっかしこのモザイク、すげージャマ」
シンタローはイライラして、目を凝らし、伸び上がって該当部分を見つめるが、勿論そんなことをした所で消された部分が見えるはずもない。
細かい舌使いといった肝心な部分が見難いのだった。
実はグンマやキンタローに頼んでモザイク消しを開発してもらおうと思い、一度は声をかけたのだが、やめた。
『なあに?』『何だ!』その純真な瞳に、自分が一瞬切なくなったからだ。
すまねぇな、お前ら。これもあのアホ親父のせいなんだ。
そうシンタローは心の中で彼らに謝りつつ、仕方ないので、自力で頑張っている。
秘密特訓。誰にも絶対ナイショなのだ。
「うーん、やっぱこーするしかねぇのかなー」
斜め下からモザイクを見ると、うっすら透けて見えるような気がしたので。
この三日、シンタローはごろんとソファに寝転び、AV画面を凝視しながら、女優と同じ動きをしようとアイスキャンディーを咥えながら訓練を重ねているのだ。
目を細め、必死に細部をとらえようと凝視する。その甲斐あって、ハッキリ言って、大分上達したように思う。
一日目などは、ついキャンディーを噛んでしまったり、舐めが足りなくてダラダラ零してしまったりしたのだが、三日目の今日はもう慣れたもの。
「よっしゃ、次!」
次々とシンタローはキャンディーをたいらげ、新しい包装紙を破り、課題をこなしていく。
色んな味のキャンディー買ってきておいて良かったゼ。
さらにAVの後は、エロ本で知識を仕入れる。実践と机上の知識が上手く融合してこそ、技量は上達するものである。
「あー、そーだよなー、裏側だよなー。手順はやっぱ、こー……」
今日の彼は常より緊張して、トレーニングを行っていた。
そう、三日目。実は最終日。今晩、あのぎゃふんと言わせてやりたい相手が帰ってくるのだ。
その前に、今まで得た技は入念に復習しておかなければならない。総仕上げだ。
準備は万端だった。
しかし――。
「……」
夜が更けても、マジックはなかなか帰っては来なかった。
しかもこんな時に限って、連絡がない。どうでもいい時は死ぬほどウザく連絡しまくるクセに、とシンタローは毛布を噛んだ。
イラついて眠れないので、頭の中で技のイメージトレーニングをしながら、ゴロゴロと広いベッドの上を転がっている。
もう一度、最後の復習をしようかなとも思うが、AVを見ている最中に帰って来られたらたまらない。
それこそ憤死。弱みを握られてしまう。
あ〜ムカつく。
あ〜ムカつく。
あ〜ムカつく。
どーしていつもこうアイツは……。
……俺の思い通りに、なんねー……んだ……。
とうとう夜が白み始めた。うっすらと西の空が朝焼けに染まり始める。
朝の鳥が鳴き始めて、空気が透き通り、シンタローが流石にうとうとして、夢の世界と現実の狭間を漂っている頃になって――玄関ホールの方から、物音がした。
「……!」
シンタローは、ハッと目を開けて身構える。
足音が聞こえる。
間違いない。この足音はマジックだと、シンタローは毛布に丸まったまま、感じた。
意識した瞬間、胸がドキドキと波打つのがわかった。
……俺。
ふと不安になり、シンタローはぎゅっと自分の両腕を抱きしめる。
大丈夫だ、俺! ちゃんとあんなに練習したじゃねーか!
練習の成果を見せてみろ! そのために努力してきたんじゃねーかっ!
アイツをぎゃふんと! アイツをぎゃふんとッ!!!
ヘタクソなんて言ったアイツを、見返してやるんだ!
う……足音が。近付いて。こっち近付いてくる……ッ! 頑張れ、俺! がんばれぇ〜!
うう……緊張するぜ!
「……」
そう、シンタローが身を固くしていたのに。
足音は、近付いて、シンタローの部屋を通り過ぎ、遠くなっていく。
「……あれ?」
シンタローは拍子抜けして、起き上がった。
なんだあいつ。
いつも帰ってきたら、真っ先に俺の顔見に来るのに。
マジックの部屋はシンタローの部屋の同階にある。
シンタローが耳をそばだてていると、朝方の静寂の中、微かに水音が聞こえてきた。
「……」
あ、先に自室でシャワー浴びてンのね。そりゃ殊勝な心がけだ。
フン、と鼻で笑うと、シンタローは一人納得して、そのまま待った。
じっと待った。毛布を抱えながら、ひたすら待った。
しかし。
しかししかし。
「……来やがらねえ」
もう水音はしない。物音もしない。空間は、静まり返っている。
嫌な考えが、シンタローの胸を掠めていく。
まさか。
まさか、あのまま寝ちまったのか? あのアホ、一人で寝ちまったのかっ!
なっなっなんで! なんで今日に限って!
今日に限ってッッ!
自分は好きな時に勝手に襲ってくるクセに、どーして今日に限ってッッ!!!
なっなんて! なんて自分勝手野郎!!!!!!
込み上げてくる怒りに、シンタローは毛布を勢いよく蹴飛ばした。
「こっ、このお〜〜〜〜〜!!!!!」
ドゴオ――――ン!!!!!
凄まじい轟音が、静寂と朝もやの中を貫いた。
シンタローの怒りMAX眼魔砲の威力は絶大で、一族本邸を真横に貫いた。
壁に大穴が開く。突き抜けた先に、マジックの部屋があるのだ。
もうもうと白煙の立つ中を、
「……」
しかめっつらをして、ベッドから降りたシンタローは、大股で歩き出す。
この修理代は、絶対にマジックの個人資産持ちだと、腹を決めながら。
パラパラと落ちてくる石片を払いながら大穴を通ると、シンタローは見慣れた部屋に足を踏み入れる。
胸をそらして、その豪奢な内装をぐるりと見渡す。
当の相手は、この事態にも関わらず、天蓋付きのキングサイズなベッドの中で、すやすやと安眠中だった。
人の気も知らずに。
「〜〜〜〜〜!!!!!」
あまりの苛立たしさに、もう一発、今度は部屋の天井に向けて、眼魔砲を撃つ。
ドゴーンと部屋の上方にも大穴があいて、シャンデリアがガシャガシャガシャーンと派手に落ちてきて、明け方の空が見えた。
そこまでして、やっとベッドの中で金髪が、動くのが見えた。
「……ん? ああ、シンちゃんか。なあに、今の音……?」
そう眠そうな声で聞かれて。
考えなしに部屋に乗り込んできてしまったシンタローは、ハッと戸惑い、慌てて言い訳を考えた。
「お、おうよ。ちょっと寝ぼけて、眼魔砲ブッ放しちまった! ハハ! ハハ!」
「……ふーん……」
相手の反応は、しごく悪い。
「ア、アンタ、いつ帰って来たんだよ? 全然気付かなかったゼ!」
「……ん、さっきだよ……」
「あっそ! へっ、帰って来なくても良かったのによ!」
「……うん……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……って、会話の途中に寝んな、コラー!」
シンタローはどんどんと足を踏み鳴らしながら、ベッドに近付く。
「……」
そして鬼の形相で、真新しいシーツに横たわって目を瞑る相手を見下ろしたのだが。
その横顔。いざ、それを前にすると、どう言葉をかければ良いのかがわからなかった。
しまった。こういう場合も、ちゃんと予測を立てて前もって考えておくべきだったと、シンタローは後悔する。
しかし、予測のつかない動きをするこのアホが悪いのだとも思い直し、ますます腹を立てた。
ホントになんて奴! なんてメンドくさい奴なんだァ!
内心で怒りを沸騰させながら、かと言って下手なアクションを取る訳にもいかず、その場に立ち尽くしているシンタローだ。
崩れた瓦礫の中から、壁時計がまだ生きているらしく、カチ、カチ、と時を刻んでいた。
開いた大穴からは、朝の新鮮な空気が流れ込んでくる。
間抜けな自分。目だけをキョロキョロさせる。挙動不審。
ヤバい。
シンタローの額に、つうっと汗が一筋、したたる。
どうしよう。これからどうしよう。どうしようったら、どうしよう!
すると、
「……ベッド、ないの……?」
突然、眠っていると思った男が、声をかけてきた。
シンタローは動揺し、薄目を開けているマジックの顔を慌てて見つめる。
そして思わず聞き返した。
「へ? ベッドないって?」
「……寝ぼけて眼魔砲、撃っちゃったんでしょ……? だからシンちゃん、自分のベッドも壊しちゃったのかなって……ずっと立ちんぼしてるから」
「あ? あ……ああ、そーだ、そーなんだよ! いやー、ベッド、壊しちまってさぁ! もー、どーしよーかなって! いやあ、でも起きるには早いしなーとか! いやアンタには全然関係ねえんだけどな? まあ全然関係ねーんだケド!」
この際、相手の誤解に便乗してやれと、シンタローは鼻の頭をかいた。
「……」
すると相手は、ゆっくりした動作で、毛布の裾をあげてきた。
低くて沈み込むような声だった。寝起きだからなのか、語尾が少し掠れていた。
「おいで」
う、とシンタローは口をへの字に曲げた。
「ああ? いーよ、別に。うっとーしいし! なーんで俺がアンタのベッドに! バカにすんな! それに、もう朝だし! べっつに俺、えーと俺……」
「そう。なら、」
「……とも思ったが! しかたねえな! オラどけよ! ずれろ! 入ってやってもいーが、あんまくっつくなよ! ウザいから! ボケボケしてんじゃねーぜ! 壁に大穴開けちまって、寒いから仕方ねえ! まーったく、アンタのしつこいのにも迷惑するよナ!」
そう言うとシンタローは、ぎゅうぎゅうマジックの身体を押すと、無理矢理空けたスペースにするりと滑り込んだ。
「へっへ」
上質のマットレスは柔らかくシーツはなめらかな感触がして、ベッドのスプリングがぎしっと鳴った。
その感触を楽しみながら、毛布を被って、少し緊張しながら隣の相手を窺う。
そして思った。
……いつもの匂いがする。三日振り。
そう感じた瞬間、つい自分まで眠り込みそうになったが、グッと耐える。
するとマジックが、白絹のバスローブから手を伸ばしてきて、シンタローの頭に触れてくるのがわかった。
自分の黒髪が撫でられる。
「……おやすみ、シンタロー」
「お、おうよ!」
「……」
撫でた後、相手は、『くっつくな』とシンタローが言った通りに、離れたまま何もしてこなかった。
しまいには、寝息まで立てだした。
じっと緊張したままのシンタローを、放ったままで。
……ナンだ、こいつ。
ナンだ、こいつ!!!
ベッドの中で丸まりながらシンタローは、またムラムラと怒りの炎が突き上げてくるのを感じていた。
あーもう、あーもう、あーもうっ!
待ってやってんのに! この俺が待ってやってんのによッ!
「くっ……!」
シンタローは、ベッド脇のチェスト上にある筆記用具に、手を触れた。
万年筆。便箋。羽根ペン。インク瓶。紙どめ。ペーパーナイフ。
とにかく手に触れたものを、握り締めてから。
ポーン。コツン。
ポーン。ゴツン。
ポーン。グサッ。
ポーン。ドサッ。
間隔を置いて、マジックの毛布から覗く金髪に向かって、投げつける。
それでも相手は、目を開けようとしない。
「……このおっ」
次にシンタローは、5分ばかり、自分も眠った振りをした。
そしておもむろに。
バシッ!
寝返りを打って、パンチ。
もんどりうって、キック。
飛び上がって、肘鉄。
一回転して、頭突き。
タックル。
それでも相手は、目を以下同文。
「……ぐ、う、こ、こんのおォォォォォォ!!!!!」
ポウッと青い光が、シンタローの右手に集中していく。
「が、眼魔砲〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!!」
「ん……シンちゃん、どうしたの。なんだか寝相悪いなあ」
「まあな! 気にすんな!」
マジックが再び目覚めた頃には。
広い部屋の壁、東側一面はすっきりと消滅していて、美しい朝焼けが広がっていた。
しかし。やっと起きたと思ったのに。
朝焼けの優しい光芒をマジックは一瞥して、『やあ綺麗だね』と言った後、
「今日パパ疲れてるんだよ……眠いな。お休み」
また毛布を被ってしまった。
「!!!!!!」
シンタローの黒髪が逆立ち、怒りの臨界点が突き抜けた。
じっじじじじじ自分の気が向いた時は、こっちの都合も構わず襲ってくるクセに!
朝だろうと昼だろうと夜だろうと、物置だろうと部屋だろうと総帥室だろうとキッチンだろうと居間だろうと庭だろうと外だろうとトイレだろうと風呂だろうと玄関だろうと廊下だろうと(超迷惑な日常!)街だろうと映画館だろうと喫茶店だろうと車だろうとレストランだろうと砂浜だろうと海だろうとリゾートだろうと夜景の見える綺麗なホテルだろうと温泉旅館だろうと(言っとくがデートじゃなくってこいつが勝手についてきたんだからな!)、お構いなしなクセにッッ!!!
無視か! 無視かよッ!
自分がちょーっと眠い時は、ばっちり無視かよォッ!!!
寝てやがる! 寝てやがるッ!!!
こーの俺様が、大人しくベッドに入ってきてやってんのに!
こんな、こんな!
珍しく『食べやがれ!』ってやってやってんのに!
こーの、自分勝手男ォオオオォォォ!!!!!!!
プツン。
シンタローの中で、何かが切れた。
目が据わる。
「……」
ガバッと一気に毛布を剥ぐ。ベッドから、のそりと上半身を起こす。
強引に手を伸ばし、右肩を下にして横向きに寝ているマジックの身体をグイッと仰向けにして、その上に、どっかりと馬乗りになる。
さすがの異常事態に、マジックが青い目を見開いた。
「シンタロー……?」
目をぱちくりさせている相手。
その肩を、シンタローは猫が獲物をそうするように、両手でぎゅっと押さえつけると、据わったままの目と引き結んだままの口元で、しばし沈黙した後。
「……」
ゆっくりとした動作で、その逞しい首筋に、唇を落としていた。
自分の頬が相手の纏うローブに触れるのを感じ、絹の柔らかさと体温にどきりとし、それを振り払うように、ぐいぐいと鼻先で邪魔な布をずらした。
垣間見える肌に舌を這わせ、鎖骨に軽く歯をたててから。
――吸った。
それからシンタローは、黒い睫を上げて、挑むような目で、相手の顔を窺ったのだが。
マジックは、表情のない顔をしていた。
不思議な程に静かな目で、こちらを見つめている。
「……チッ」
シンタローは小さく拍子抜けしたが、逆になにくそと自分をさらに奮い立たせ、さらに舌を伸ばす。
鎖骨から艶のある胸元、引き締まった腹筋へと舌を這わせていく。
そして。
「……」
絆創膏を剥がす時は一気に剥がしたいタイプのシンタローは、思い切って、一気に相手のローブの紐を解き、一気にその前をくつろげた。
「……」
そして、流石に身を固くする。
目の前の、それ。
や、やべえ。
シンタローは、心の中で溜息をつく。
すでにこの時点で、アイスキャンディーよりデケぇ……。
もちろん予期していた事態であるから、訓練の時だって、それを考慮して余裕を持って咥えていたのである。
アイスキャンディーと一緒に指も咥えてみたり、二本同時に舐めようと挑んでみたり。
しかし。しかし、しかしなのである。
実際に現物を目の前にすると。それがいかに見慣れたものであっても。
――怯む。
どんな戦場の猛者だって、この状況に置かれれば、震えがくるだろうと、シンタローは思った。
なんという運命に、自分は生れ落ちてしまったのだろうかと、彼は絶望の淵に倒れ込みそうになった。
この俺に立ちはだかる、巨大な壁。
だが。やらねばならない。
俺は、ヒーローなんだ。何だって今まで、やり遂げてきたじゃないかと、そう何度も自らに言い聞かせる。
頑張れ、シンタロー。ヘタクソって言ったことを、後悔させてやるんだ!
そうだ、俺! てっ、ててテクニシャンの称号が、欲しくないのかッ!
俺はナンバーワンの男なんだっ!
こいつをぎゃふんと! ぎゃふんとッォォ!
「……うー……」
シンタローは息を飲むと、目を伏せ、おそるおそる、そうっと唇を開いた。
舌を伸ばす。マジックのそれを、口に含んだ。
ピチャリと濡れた音が、自分の口唇から漏れるのが聞こえる。
咥えれば、それだけでモノが質量が増すのがわかって、再び怯えの気持ちが湧くが、ここで引いては男がすたると気持ちを奮い起こす。
腹を決めて、先端から縦に含んだ。そう、ここからが勝負なのである。
「ん……む……う」
シンタローは練習した通りに、唇をすぼめて、吸い上げるように上下に顔を動かした。
くびれを唇で優しくなぞり、頬の粘膜で締め付けたり緩めたりを繰り返す。
そして同時に、ちゅ、ちゅ、と裏筋に舌を這わして、親指と人差し指で円を作り、根元を刺激した。
流れるような動作だ。特訓の成果、ここにあり。
「……シンタロー……」
すると頭上から相手の声が聞こえて、ずくりとまた口内のそれが大きくなった。
マジックの長い指が降りてきて、自分の目蓋や顔の輪郭を、撫でてきた。
やった、とシンタローは勢いづいたが、すでにこの太さでは、咥えるのが苦しくなってきているのである。
そこで今度はシンタローは、力強く立ち上がったマジックの中心を、横から咥えた。
そして尖らせた舌で、根元から先端までを、何度も舐めた。
脈打つ感覚。
それを意識すると、愛撫を繰り返していると、だんだんとシンタローは自分も興奮してきて、かあっと心と身体が熱くなってきて、もう覚えた技なんかよくわからなくなってきてしまう。
指の腹で懸命に大きなモノを擦り上げ、とにかく子供のように、舌で懸命に舐めることを繰り返した。
折角あんなに手順を繰り返し覚えこんでいたのに、なんだったっけ、次、どうするんだっけと思う間もなく、その行為に夢中になり始めてしまう。
ふと、シンタローは上目遣いで相手を見上げた。
マジックは一度自分の名前を呼んだっきり、それから無言のままだったが、
「……」
自分が舌を動かすたび、その眉がひそめられるのがわかった。
無表情の中にも、こちらを見つめる視線に熱っぽさが感じられて、その広い胸が微かに上下していた。
冷たい手が、時おり自分の頬を撫でてくる。
その様子にシンタローはますますドキドキしてきて、どんどんと体内の熱が増していくのを感じている。
相手も自分の愛撫に感じているんだと思うと、信じられないほどの征服欲が湧き上がってくる。
この征服欲は、独占欲でもあった。口の中の熱を感じ、相手のその微かな息遣いを感じていたら、自分の腰の中心までもが熱くなってくるのだ。
じんじんと痺れるような、そこから全身に鈍く染み透っていくような、熱。
思わず自ら腰を動かしそうになって、何とか思いとどまる。
その代わりに、自然に広げかけていた自分の両脚を、きゅっと締めた。
きっと自分の中心は、透明な液で濡れていると感じながら、触られてもいないのに、シンタローのそれは痛いほどにきつく夜着の中で、張り詰めてしまっている。
シンタローはぎゅっと目を瞑り、下半身に持っていかれそうになる意識を何とかコントロールしようと、舌と指に集中させる。
頬を上気させ、はあはあと息をつきながら、愛撫を続けていく。
すでに舐めるだけ、咥えるだけのつたない愛撫に戻ってしまっていたが、それを気にするのも忘れている。
呑み込みきれない唾液が、顎をつたってシーツに零れていく。
視界がぼやけてきて、制御を失いかけた意識がとろけてきた。
すると突然、乱暴に髪の毛を掴まれた。
「……ッ! ふぁ、あんだよ……ッ!」
と、最後まで抗議の台詞を言う前に、強い手によって、ぐっと喉の奥まで突き入れられた。
それでも根元までは含み切らない。シンタローの口は熱くて固いもので一杯になってしまう。
「んぐ……うっ……んーっ」
あまりの苦しさに顎を引こうとするが、強い腕がそれを許さない。
鼻で息をするのも苦しく、きつきつの感触に嘔吐感が込み上げてくるのに、マジックの腕は。
シンタローの頭を容赦なしに上下させ始めた。
「ぐっ……んっ! むっ……んっん……!」
あまりの強引さにシンタローは悲鳴をあげたが、口内を蹂躙する圧倒的な質量にそれはかき消され、唾液を飲み込むことも叶わず、ガンガンと打ち付ける腕に掴まれた黒髪がひどく痛んで、目の前が涙で滲んでいく。
苦しい、苦しいと感じ、熱い、熱いと感じた。
ひどい。何でいっつも、こんな乱暴に。
口の粘膜に、熱く灼けた杭を打ち込まれているみたいで、何度も背をそらして逃げようとしても、その度に荒々しく黒髪を引っ張られて、引き戻されてしまう。
耳にはじゅぶじゅぶという淫らな音ばかりが響いて、それが自分の唇の間から出ているのだと感じて、全身がいっそう熱くなる。
辱めを受けている。口が犯されている。
そしていつしか、頭の上で、溜息のような吐息が聞こえたと思った瞬間、喉の奥に、勢い良く精が放たれた。
「……ッ!」
シンタローは口の中の感触に、びくっと身を震わせた。
自分を押さえつけていたマジックの手が離れて、やっとシンタローは背をそらすことができるようになる。
口から、自分を支配するものが抜き出されて、苦しい息をつこうとしたら、唇の端から液が零れるのがわかった。
首筋をつたっていくその感触。舌に触れる苦味と生暖かさ。
そう感じた瞬間、シンタローの喉が無意識に鳴った。その音が、ぼやけた意識を引き戻す。
ハッとした。
しっかりしろ、俺! あんなに練習したじゃねーかっ!
これ、最後が肝心なんだって!
終わり良ければ、すべて良しっていうじゃねーか。
彼は繰り返し見たAVの画面を思い起こす。あの……あの女優たちは……。
飲め! 飲み込むんだ俺! 零すな! 零しちゃダメだっ!
シンタローは、真顔になった。
俺ならできる! そうだ、頑張れ俺! う、うう〜〜〜!
ごくん。
真剣な表情で、喉を上下させた後、シンタローは開放感と充足感で、どっとベッドに崩れ落ちた。
顔には笑みを浮かべている。
彼は思った。
やった。俺は、やった。
頑張った。
最後の方は、ナンか無理矢理ガンガンやられたけど、でもとにかく俺はやった。
最初から最後まで、口だけで、このアホをイかせてやった!
ハッハッハーッ! どーだ! みたか、俺の力を!
俺様が本気になりゃ、アホの一人や二人は軽〜く……いや、二人は無理。それは無理だが! こんなの二人じゃ命にかかわる! まあ、俺の本気、こいつもやっと理解しやがったろうナ!
淡い勝利感に包まれながら、シンタローは乱れた息を整えた後、フフンと鼻を鳴らして、崩れ落ちた姿勢からマジックを見上げた。
相手は、ベッドのサイドボードに凭れて、こちらを見つめていた。
そして顔は。あの――無表情。
「?」
シンタローは、シーツに頬をつけながら、首をかしげた。
アレ? 嬉しくねーのか? こいつ。
いや、嬉しいってーか、敗北感とか? でもこの表情。
ぎゃふんって。言わねーの……?
驚いても……なさげ。
……俺に『ヘタクソ』って言ったことを後悔……な訳ねーな、この様子……。
異変を感じて、シンタローはベッドから身を起こし、胡坐をかいて座る。
そして考えた。
むしろ。
むしろ、これまでの経験則から分析すると。
え。
こいつ、怒ってる……?
沈黙が降りる。すっかり陽の昇った空からは、優しい光が差し込んでいた。
乱れたローブをかけただけのマジックの、その鍛えられた身体が、やけに恥ずかしく意識されて。
シンタローは居心地悪げに、もぞもぞと尻を動かした。
なんだこの雰囲気。まるで叱られる時みたいな。
でも俺、別に悪いコトしてないし。そーだよ、べっつにしてねーし。
ビビるこたねーよな。そーだよ! 逆に喜ぶよーなコトやってやったのに!
そーだ! そーだ! ナンだよコイツのこの態度! ありえねえ! ムッカつく!
そう、シンタローが内心で、怯えをマジックへの憤りに転化させようと苦心していたその時。
ぴしりと冷たい声が、投げつけられた。
「お前。誰に習ったんだい? こんなの、私は教えてないよ」
「え、誰にって」
意外なことを聞かれて、シンタローは戸惑った。
しかし正直にアダルトビデオとエロ本を参考に、アイスキャンディーで秘密特訓した、などと言える筈もない。
だから、
「……アンタに関係あるかよ。俺の勝手だろ、フン」
と、プイと横を向く。
なんだコイツ。この無反応な顔。驚いてねーのか? と、不機嫌になる。
しかし。
それが最悪な答え方であるということを、シンタローが悟るのに、時間はいらなかった。
相手は腕を伸ばしてきて、横を向いたシンタローの顎に触れてくる。そして突然、乱暴にグイと正面を向かせた。
「あだっ。なんだよ! 痛てぇじゃねーかよっ……」
シンタローは勢い良く文句を言おうとして、相手の目を見て、体を硬直させた。
青い目が、笑っていなかった。
視線の先で、薄い唇が、ゆっくりと動く。決して笑ってはいないのに、笑う形をしながら。
え? ヤバ……なっ、何、このヤバい雰囲気……。
やっぱ、こいつ怒って……怒ってる……?
思わずシンタローは後ずさりしようとしたが、頑強な腕が自分を掴んで離さなかった。
そして冷徹な声が、全てを凍らせるように響いた。
「……シンちゃん、わかってないなあ。そんな得意な顔されると、逆に私は踏みつけたくなるって、まだ知らないの……?」
「へ?」
朝日が、そんなシンタローの顔を、無情に照らし出した。