さいはての街

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 空爆の露払いに続いて、地上軍の進撃が始まった。
 厳密に言えば、地上、ではなく、地下にも敵は侵攻してきたのである。
 しかも敵は、通常の戦闘を目的として攻め込んできたのではない。地下道の破壊を目的とした特殊工作班を中心に送り込んできた。
 土木作業班と呼んでもよい。敵は地下の造作にピンポイントに爆薬を仕掛けては破壊していくという、守備側の力を確実に殺ぐ辛辣な作戦をとった。
 突然に多勢でやってきて、一瞬で一箇所を集中的に破壊し、風のように去っていく。それを繰り返した。
 いくらこの国の一族が、敵の意図を読むことができるといっても、こんなやり方をされれば全く効果がない。
 敵は一族の能力を研究し尽くしていた。その力の及ばない遠方、占領した隣国内に司令塔を置き、そこから収縮自在の触手を伸ばして攻め入り、守備軍を翻弄する。もし一箇所の防衛に成功したとしても、すぐに触手は引っ込み、また別の触手が的確に別の急所を狙って襲いかかってくる。
 市街戦においても、戦場のセオリーとしては市民に有利なはずが、地形情勢その他を知り尽くした敵相手では、赤子に等しかった。
 一度は、この国の空軍も出撃したが、これもヒット&アウェイを徹底してくる敵には通用しない。
 特殊能力によって命令系統を狂わせる前に、敵は目的を果たして悠々と帰還してしまう。戦場にはほんの短時間しか留まらない方針を徹底している。この国を、そして一族の能力を知悉しているとしか思えなかった。
 古来より篭城戦をとる者には二種類あるという。その一つは援軍を待つ者、またはあまりにも攻勢側との戦力差が開きすぎていて、亀のように縮こまるしか他に策がない者である。
 この国はすでに後者の段階へと、足を踏み入れていた。
 国際的な非難の高まりを待つのも消極的とはいえ策の一つではあったが、こちらは弱小国、あちらはといえば各大国と緻密な連携をしいて利害関係によって結びついている有様であるため、完全に情勢の利は敵にある。
 国は、孤立無援の状態にあった。



 なんとか停戦に持ち込んだとしても、そうなれば、この国を統べていた一族は処断されることになるのだろう。
 非近代的な血縁的カルト集団が支配する国であるとのレッテルを、欠席裁判も同然に、すでに国際社会によってこの国は貼られていたから、結末予測だけは容易だ。
 実は一族は、かなり早い段階から、国際機構の決議を受諾する意志――事実上の降伏――を表明していたのであるが、敵はそれを無視し続けた。なんのかんのと理由をつけ、停戦を遅らせ、逆に攻撃を熾烈化させた。
 もはや敵が考えているのは、戦後にどれほどの低コストで占領状態を維持できるかということ以外になく、そうであれば、戦争状態である間に、多くは市民によって構成されているレジスタンスの力を一気に殺いでおくことを目標に置いているのであろう。
 戦後経営にとって一番厄介なのは、鼠のようにあちこち出没し駆け回って、巨大な獅子をも惑乱させようとするゲリラ的攻撃なのであるから。



 もうあの明るかった市場の人々は、シンタローに向かって、何の言葉も発することはなかった。
 薄汚れたテントの陰から、うつろな目を一様に向けてくるだけだった。感情の擦り切れた目だ。その目が色彩を帯びるとすれば、憎しみの色であった。
 憎悪の視線が、シンタローの肌を刺していく。悪意の棘は心を裂く。奥深くに沈み込み、内部を傷つける。
 敵であるガンマ団が、特殊能力者の研究に激しい執着を燃やしているという噂は、すでに大分前からまことしやかにささやかれていた。
 このような小国の制覇に大軍団を投入するのは、全世界を制圧するという野望の他に、希少な特殊能力者の拿捕がその目的であるというのだ。
 戦争を続けるのもそのためである。正式の降伏によって戦争を終わらせてしまえば、国際法的には一族を裁判にかけることになり、少なくともガンマ団の勝手にはし辛くなる。または時間がかかる。
 むしろそれよりも戦時に紛れて一族を拘束し、表向きは戦死ということにしてしまえば、あとは煮るなり焼くなりし放題だ。その後に降伏でも何でもすればいい。その目的ゆえに、敵は戦争を続けて、城を落とすことに拘る。
 だから、一族さえ投降し、身を差し出せば、国民は助かるということだ。
 この戦争は一族が自己保身を望むあまりに長引いている。そのために国民は苦しめられている、と。そんな噂だ。
 平時であれば、敵方が、民と指導者を分離させるために流した噂であると切り捨てられるのであろうが、緊迫した状況下では、張り巡らされた糸がナイフで断ち切られていくがごとく、あっさりと絆というものは分断されていくのであった。
 細切れにされた絆の切れ端は、海から吹く風に散らされて、消えていく。
 情報戦においても、すでにこの国は敗北している。
 外郭で身を寄せ合っている民衆、市街にたむろする者たちの間では、表立って発することはないまでも、怨嗟の声がたちこめはじめていた



 今、シンタローは座り込んでいる。ここはその外郭の内に所狭しと張り巡らされたテントの側だ。
 砂埃が舞っている。テントとテントの間をかけた紐に吊り下げられた洗濯物たちが、それを受けて、ぎこちなく踊った。
 煮炊き用の釜を作った残りの煉瓦が積み上げられており、シンタローが尻を乗せると乾いた音がした。古びた靴が片方だけ、転がっている。
 城内警備の任務を終えて、引き継いだ後、足が自然に彼をこの場所に導いた。シンタローは不意に力を失って倒れるように腰を落とした
 ぼんやりと目の前の光景を眺めている。
 あの街の匂いがここには残っていると感じている。だが面影は消えていく。楽しかった日々の輪郭ばかりが現実と重なって、失われていく喪失感を覚えている。
 誰も座り込んでいる彼に声をかける者はない。軍服を着ているシンタローも、憎むべき『城の一味』であるのだ。無視されるか、軽蔑の視線を投げかけられる。
 幽鬼のように交錯する人の群れを黒瞳に映しながらシンタローは、自分がこの場に、まるで置物のように存在しているのは、なぜだろうと自問した。
 単なる感傷だろうか。
 よそ者である自分が、生意気にもこの地の人々を守ると約束した、そしてその約束が果たせそうにない、あまりに無力だ、そんな自業自得の苦しみに浸っているだけなのだろうか。
 守るなんて。俺はできもしないことを、なぜ言ったのか。望むばかりで、ひとつの力も持たないのに、こうして破壊を眺めていることしかできない人間であるのに。なぜ守ろうなどと望んだか。
 自分に何ほどのことができるというのか。馬鹿馬鹿しい。俺は自分を、何だと思っていたのか。
 思い上がりだ。惨めだ。俺とは一体、何者か。
 ただの流れ者。そうだ、俺は生国を出て、旅をして、この国に辿り着いた。この北の国に――。
 ――いったい、なぜ?
「……?」
 彼は頭の隅に、不思議な違和感を覚えたが、額に手をやると、その感覚はすぐに掻き消えた。
 頭を振る。束ねた黒髪が揺れた。



 シンタローはそんな自分に嫌悪を感ずる。嫌悪だらけで頭がどうにかなりそうで、だがそんな気持ちも慢性化すれば、やがて何も感じることのない曇りガラスのような心へと移り変わっていくに違いなかった。
 ガラスはいつか割れる。侵略者たちの轍を飾る、粉々の破片となる。
 いつの間にか彼は目を閉じ、自分の世界に篭っていた。
 声が聞こえた。
 はじめはどこか遠くで囁き交わされる声の一つだと思ったが、やがてそれが自分にかけられた声であると感じて、シンタローは顔を上げた。
 腰の曲がった老婆が立っていた。
 知らない顔だと思った。しかし記憶の隅に小さな疼きを感じて、シンタローは彼女の輪郭から、直近の映像を引きずり出した。
 掘り出した死体をトラックで運ぶ途中で見た、郵便局跡地の石段に腰掛けていた老婆である。赤い射光に照らされた廃墟に佇んでいた姿が印象的だった。
 目の前の彼女の額の傷には、今は大きなかさぶたが貼りついていた。ぺらりとめくれそうで、崩れ落ちそうな皮の縁が、汚れて黒ずんでいた。
「あんたのせいじゃないよ」
 小さな声が聞こえた。そして老婆は、ゆっくりと足を引きずるようにして、去っていった。
 シンタローの折った脚が震える。かたく強張る膝。喉が詰まる。
 俺は最低だ。
 黒髪に爪を立て、彼は嗚咽を噛み殺した。
 ――もうあの男のことを考えるのは、やめようと思った。
 戦争という日々が始まってからはじめて、シンタローは涙を零した。自分が情けなかった。
 無力感ばかりが霧となって体を押し包む。惑いの霧は、彼をつかんで離さない。
 霧の中で、いくつかの夜と昼が過ぎた。
 狭い宿直室の堅いベッドに横たわって、短い仮眠をとっていたシンタローが呼び出しを受けたのは、それからすぐのことであった。



 連れられて、冷たい夜を歩く。
 城の暗い廊下は、まるで空を飲み込んだ象の長い長い腸のように、緩く収縮をくりかえしていると思われた。距離は閉塞感を生み、続く柱の数は押し寄せる襞の息吹。
 足音がひたひたと自分から乖離して、波音として揺らめいている。
 ふとシンタローは、誰かが耳の後ろから囁きかけてくるような錯覚にとらわれる。
 先導する兵士の背中が、不意に長方形の窓に見えてくる。彼の背中から、何処か遠くへ行くことができるような気がしていた。
 奥へ奥へと進む。歪曲した屋外階段を上り、広間を通り過ぎる。ほの暗い壁には、川辺に遊ぶ妖精が描かれている。その笑い声は沈黙の中に閉じ込められている。
 やがて辿りつく。眼前の揺らめきが消え、窓からただの兵士の背中へと戻る。扉が開く。
 がらんとした物のない空間だと感じる。
 彼ははじめて、城の中枢部、王の間へと足を踏み入れたのだ。



 この場所は彼のような新参者が入ってきてよい場所ではなかった。ぴりりとした緊張感が空気に満ちている。
 部屋の中にいた人間が数人、闖入者であるシンタローの方を見た。部屋の内装は質素ではあるものの、この古城には相応しい落ち着いたいでたちでシンタローを迎え、造りの随所に残る威厳が、昔日の栄光を語っていた。
 部屋の中央、褐色の絨毯の上に、俯いた子供がいる。
 ――王子。
 何度も手の甲で目を擦ってから、王子はやっとシンタローに向かって顔を向けた。無理をして、平気な顔を作ろうとして、失敗したような悲しい表情をしている。
 王子は泣きはらした目元をし、粗末な衣服を身につけていた。
 その隣には羊飼いの少年がいる。彼は逆に、王子が普段しているような上品な身なりをし、髪を金色に染めていた。目には使命感を燃え滾らせていた。彼もシンタローに視線を向けたが、ただ口をぐっと引き結んで、一言も喋らなかった。
 あんなに無邪気な子供であったのに、その様子がどこか大人びた印象を漂わせ、彼に王族の少年の風貌を与えていた。
 これまで彼が王子と似ているなどとシンタローは思ったことはなかったが、笑顔のない緊張した面持ちをした少年は、あの金貨に浮かび上がる美しい天使と、そっくりに見えた。そこには天使が二人いた。
 羊飼いの少年は王子の身代わりになるのだ、とシンタローは理解した。



 シンタローは数名の兵士と共に、部屋隅に並んだ。どれも見知った顔で、王子の側に付いていたつわものたちだった。
 集められた人間は自分で最後だったらしいとシンタローが気付いたのは、整列して靴のかかとをカチリとあわせた瞬間に、部屋奥の上席から、中年の男が立ち上がったからである。
 恰幅はいいが、疲労のためか黄色がかった肌をした男である。薄い口髭には白髪が混じる。男の隣には頬骨の高い、品のよい女性が佇んでいた。共に沈んだ瞳をしていた。
 王子の両親、つまり王と王妃である。シンタローが、彼らが王子と同じ場所にいるのを見たのも、これがはじめてであった。彼らが公務に息子を伴うこともない。
 一度も直に会ったことはなかったが、シンタローが子供たちと中庭で散歩をする時などに、塔の高みにある窓のカーテンが揺れるのを見たことがある。
 同僚の兵士たちから噂は聞いていた。その内容は親子関係については暗いものだった。
 心中の出来事がそのまま互いに伝わってしまうという特殊体質同士では、親子の間でさえも絆を結ぶことは難しいのだと。
 シンタローは王子を想い、その話を聞くたびに心を痛めていた。
 今、王子の二親を前にして、シンタローは自分の心の中に流れた思考にハッとし、控えるべきだと気付いた。この場では『考えた』ことは、そのまま相手に『発言する』も同然となってしまうのだ。
 シンタローは赤面した。無礼を働いたと思った。



 王は歩き出した。無言であった。
 静かにこちらに向かって近づいてくる。床と裾の長い衣服が擦れる音がした。
 居並ぶ兵たちの端にいたシンタローの前で、立ち止まる。
 男の太い血管の浮き出た手首が動き、指が重々しく震えて、ゆっくりとシンタローの手を取った。
 シンタローの手の甲に、彼は額をつけた。最初はシンタローは、王のその行為は、自分が王子の側にいる者として相応しいかの最終判断をしているのだろうと考えた。自分の内心を吟味されているのだと考えたのだ。
 しかしシンタローは、すぐに自分の間違いに気付いた。
 シンタローにはこの一族と違って、人の心を読むことはできない。
 だが何故か男の乾いた額からは、寡黙な男の愛情ばかりが流れ込んでくるのがわかるのだった。
 シンタローは今度はさらなる無礼を承知で、思った。不思議な力はないけれど、俺にはわかる。この人は、自分の子供を愛している。
 王は顔を上げ、シンタローの目を見て、ゆっくりと言った。
「息子を頼みます」



 特殊な力を持ち、血に縛られるということが、いかなることであるかをシンタローは知らない。
 普通の人間として生まれたシンタローは知ることができない。
 だが、ここにある親子としての絆のかたちを信じたいと思う。
 王は隣に並ぶ兵士の方へと移動し、同じ言葉をかけている。シンタローの前には、夫に続いて王妃が立ち、同じように手を取った。
 王妃が側を離れてから、シンタローは深く瞑目した。
 そして遠い祖国にいるはずの、日夜手紙を書き続けていたはずの自分の父親のことを、思い出そうとした。
「……っ」
 また頭の奥に、ずきりと鈍い痛みが走る。
 どうしてだろう、と思う。
 この時になってはじめて、シンタローは自分が『父親』という存在の中身を意識したことに胸打たれた。今までは『父親』という概念の枠ばかりを、自分はなぞり続けていたような気がしている。
 どうして? 一体、なぜ?
 ――父親?
 誰だ? それは一体、誰なんだ?
 考えれば考えるほどに、空っぽのガラス瓶の中を、あてどもなく駆けている心地がするのだった。
 空っぽの人間が、空っぽの瓶の中を彷徨っている。
 駆けている。俺はいつだって探している。この世界からの出口を。石畳の上を駆け回り、街を巡り歩き、確かな記憶を探している。なくした自分の面影を探している。



 その部屋でシンタローは、師団長から王子の脱出計画を聞かされた。
 王室用の避難経路である特殊の地下道を使って、そこに潜伏ないしは出国を目指す。実に単純明快な計画であった。
 彼はその随行員として抜擢されたのだ。
 指揮官と王、そして王妃が最後の確認をするために、別室に入った後、部屋隅で立ったままのシンタローに、王子が声をかけてきた。
 泣くまいと自分を押し殺した顔をしていた。
「お兄ちゃん」
 呼ばれて、シンタローは少年と視線を合わせるために、かがみ込んだ。少年は言った。
「お父様もお母様も、僕がお兄ちゃんとよく一緒にいるところを見てたって……だから、僕が城を出る時、ついてきてもらえって。でも、でも……」
 王子は目を伏せる。
「でも、お兄ちゃんはよその国の人だし、僕と一緒にいる義務なんかない。僕は大丈夫だから。お兄ちゃんは、このまま城に残った方がいいと思う。もし敵がこの城まで攻めてきても、お兄ちゃんはきっと助かるよ。一族じゃないから」
 一族が投降すれば、それが民を救い、街を守ることにつながるのだと、そんな群集の思念を誰よりも強くこの王子は感じ取っているに違いなかった。
 すでに降伏の意は、第三国の外交ルートを通して何度も伝えているのに、応答はない。揉み消されている気配すらする。敵は生殺与奪の権利を握りながら、この国の命を手のひらで転がし、いたぶっているのであった。
「……本当は、僕、城を出たくないんだ。みんなと一緒に、運命を迎えたい。だけど、僕たち一族は、誰かが確実に生き残らなきゃならないから、危険を分散させるために、家族はばらばらになった方がいいんだって」
「……」
「血を残さなきゃ、ご先祖様に申し訳が立たないんだって」
 自らに言い聞かせるように、訥々と語る幼い口を、シンタローは見つめていた。
 この部屋に兵士たちが集められるまでに、何度も何度もそう説得されたのだろうと推測された。痛ましかった。
 親が子供を助けようとする。その想いに血や責任という縄がかけられていき、大義となる。
 重い。彼らの背負うものは、重すぎる。
 シンタローは、そっと息を吐いた。視界の隅に、羊飼いの少年の顔があった。その目は、守る者を得た目であった。もうあの無邪気な子供の目ではない。彼は王子を身を挺して守ることに、自分の役目を見出したのだろうとシンタローは思う。
「僕が、志願したんだ!」
 シンタローの視線を受けて、王子に扮した羊飼いの少年が、声を張り上げた。
 はじめは身代わりを置く計画はなかったのだという。彼も王子と同行して城を出るはずだった。しかし彼は反対し、身代わりとなることを申し出た。
「憧れてたんだ。一度、王子様になってみたかったんだよ」
 えへへ、と慣れない装いで一回転してみた少年の顔には、やはり笑い声には似合わない大人びた覚悟が秘められていた。
 王族の家族構成は敵側に把握されてると見てよいから、城が占領された場合に王子が見つからなければ、すぐに捜索と関係者への難詰が始まることは確実であった。
 しかし身代わりが存在すれば、少なくとも時間稼ぎにはなる。羊飼いの少年が能力者ではないことが見破られても、幼年であるがゆえに何とでも言い逃れはできるはずだった。
 稼いだ時間という金貨で、王子が助かる可能性を買うことができる。



『僕が、助けてほしい時。守ってくれる……?』
 過去に聞いた王子の問いが、シンタローの脳裏に蘇った。
 同じ声が聞こえたのか、ハッとしたように目の前の王子は目を伏せた。自分についてくるなと言う。だがその声が、少年の本当の気持ちだった。
 その瞬間、シンタローの霧が晴れたのだった。意識がクリアになった。全身に生気が蘇る。
 静かに思う。
 俺はまた、後悔を繰り返すところだった。無力でも。今できることに精一杯の気持ちで向き合わなければ、俺は何のために生きているのだ。
 シンタローは笑った。それから小さな友人の手をとった。自分の両手で押し頂くようにして、はっきりと言う。
「当たり前だろ。お前が嫌だって言ったって、俺はお前を守るよ」
 俺が約束というものの価値に値しない人間で、街を守ることはできなかったとしても。
 最後のこの約束だけは、俺は果たす。
 それが、空っぽの俺という瓶の中を浸してくれる、俺という存在の中身。俺が俺であるための、証。
 そして、俺はこの王子が好きだ。
 ぼろぼろと大粒の涙が、両の目から溢れ出すのを、シンタローは見た。
 抱きついてきた王子の小さな体をシンタローは受け止めて、こちらからもしっかりと抱きしめ返した。
 遠い記憶の向こうで、指をのばしても届くことのないデジャヴが、星明りのようにちらちらと明滅していた。










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