冷たい手

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 独房棟は、倉庫群から程ない士官学校敷地内の隅にある。



 サービスは鉄条網を潜ると、溜息をついて灰色の建物を見つめた。
 打ちっぱなしのコンクリート肌が痛々しく、枯れた蔦がその荒れた表面を這っている。
 小山の洞窟を利用したそれは、明るい太陽の下でも、わざと陰気に見えるように作ってあるらしい。
 子供の悪さの抑制力というやつだ。
 昨夜自分がやりすぎたのはわかっているから、処分に対しては納得しているが、何よりも側に並んで歩いている高松が嬉しそうなのが腹立たしい。
 しかもここを出た後は、自分まで例の資料室の整理を手伝わされるという。
 実に気に食わない。
 長兄が何だかんだで勤勉な学生には寛大なことは知っていたが、この黒髪タレ目の高松の顔が、さらにニヤニヤやに下がっているのを見るのは、不快だった。
 独房でよかった。コイツの顔を見ないで済むなら、ね。
「おやァ、サービス、随分ご機嫌ナナメですねェ。美容によくないですよ? 人間、見かけだけでも楽しそうに暮らさなきゃ人生損です」
 これも今だけの我慢だと、サービスは脇の方を向いた。
「……うるさい」
「あ、わかりましたよ。ジャンがいないから怒ってるんですね」
「アイツなんか関係ない。高松、お前はちょっと黙ってろ。これから三日その顔を見ないで済むと思うとホッとする」
「はいはい。姫の仰せの通りに」
「誰が姫だ」
 独房棟の内部は薄暗く、蜂の巣のように無機質な小部屋の扉が並んでいる。
 ガシャンとその内の鉄格子が二箇所開いて、まず左に高松が入牢する。
「それでは、三日後に」
「フン」
 お元気で、と手をひらめかせる男は無視するに限る。
 そして引率兵に命ぜられる前に、隣の独房にさっさと自分から入ってやった。
 重い音で鉄の錠が閉められる。
 急に静けさが自分を包んで、サービスは自分の肩を撫でた。壁を背にして、腰を下ろす。
 さて……これから三日。何をして過ごそう。
 よく考えればサービスにとって、一人きりでいるということは生まれて始めての出来事かもしれなかった。



 自然の洞窟に鉄格子を設置して牢としている独房は、当然窓もなく、壁のくぼみに小さな明かりが灯されているだけだ。
 二平米程度のスペースの隅には、薄い毛布とトイレがある。
 サービスは腕を枕にし、仰向けに寝転がった。
 ……入校する前は家で兄弟たちと、入校してからは寮の大部屋で同級生たちと暮らしてきた自分には、実は一人の時間は貴重なものだ。
 サービスは、目を瞑った。
 案外、自分を見つめ直すいい機会かもしれないと、思う。
 今朝、目を覚ましてすぐにマジックに呼び出され、きついお灸を据えられた。
 熱くなるのも困りものだと叱責されたのだ。
 サービスは、自分をてっきり冷静な人間だと思っていたのだが、どうやら一度思い込んだら突っ走ってしまう部分があるらしい。
 昨夜の場合は警報を鳴らした時点で、その援護を待つべきであったのだ。
 それは自分だって最初からわかっている……でもそれだと面白くない。
 サービスとしては、突っ走るどうこうというより、むしろゲームをしている感覚であったのだが、そう言うと、更にそれが不味いと言われた。
 自分の力量を考えて行動するように。
 もう遊び事じゃないんだよ。
 兄のわざとらしいしかめっ面を思い浮かべる。
 まったく兄さんも説教臭いんだから。まだ22だっていうのに。
 でも昔っからか。
 思い浮かべた記憶の中の長兄は、10年以上の時を遡っても全くその本質は変わっていないように思えた。いつだって四人兄弟の長男として、弟たちを導こうとしていたその姿。
 そして22歳にしてすでに長い年月を、一族総帥として人の上に立って生きている男。16で士官学校に入ったばかりの自分、翻って13ですべての頂点に登りつめた男。
「……フン」
 サービスはごろりと横を向いた。
 僕たちはもう、生まれた時から全ての力量が決まってしまっている。



 記憶の底の闇。
 一人になるとサービスは、いつもその闇に飲まれていく感覚を味わう。
 それが怖くて、サービスは幼い頃からよく泣いた。一人になるのが嫌だった。
 泣くのは構ってほしいからだ。
 よく泣いて、よく長兄が関心を持つものを取ろうとした。
 それも構ってほしいからだ。自分より強い人に守ってほしいからだ。
 サービスの我儘の対象は、優しい笑顔の次兄ルーザーよりも、すぐに自分を置いていきそうな長兄に向けられていた。
 マジックが読んでいる本や雑誌が、突然自分も読みたくなる。彼が食べるものを食べたくなる。彼が話す人と話したくなる。彼が好きになるものを欲しくなる。
 泣いてそれを手に入れた時、サービスは一瞬の優越感を得る。
 かなわない人にかなう瞬間。
『お前はいつも僕の好きなものを取っちゃうんだから』
 その困った長兄の表情を見るのが好きだった。
 マジックに甘えるのは、双子の兄のハーレムであることが多かったが、最もマジックを困らせてしまうのは、サービスであった。
 いつも他事で忙しそうな彼を困らせて、その時間を奪ってやりたかった。
 だから泣く。
 泣いてずっとその体にくっついて、ささやかな抵抗をしていた。
 生まれた時に決まった力の序列に対して。
 欲しがらなくても、最初から何でも持っている人。



 控えめに鉄格子を叩く音にまどろみが破られる。
 自分は寝入っていたのかと、目蓋を上げれば、格子越しにに友の顔。
「……早いな、ジャン」
「お昼寝中すみませんね。いいなあ、三食昼寝付き。俺も入りたかったよ」
「無駄口は叩くな。用が済んだらさっさと帰れ」
「冷たいナ、サービスは」
 それでもジャンは妙に嬉しそうで。
 食膳を鉄格子の下隅の挿入口から入れてくれた。
「空の食器は次来る時に交換するから。じゃーな!」
「……ああ」
 あっさり去ったジャンに、小さく胸の奥がきりりと痛んだ。
 まだ、昨日のお礼を言ってない。



 すぐに食事をする気にはなれなかった。
 再度、目を閉じる。閉じれば、すぐに押し寄せてくる思考の霧。
 ――僕は。
 お前は遊びが多い、とよく言われる。
 主に小言の多い長兄からだったが、次兄のルーザーからも『サービスはいい子だけど楽しいことばかりやるね』等と笑われたこともあった。
 ルーザー兄さんは言う。
 もっと青の一族の自覚を持って。お前はいい子だからわかるよね?
 遊んじゃダメだよ。真剣に。辛いことだってたくさんあるんだから。
 そうやって僕に向かって細められる柔和な眼差し。
 いつも僕はその白い顔に向かって、大人しく頷く。
 にっこり微笑が返される。
『サービス、お前はいい子だよ。すべてが美しい』
 そう言われる度に、次兄は美しいという言葉にどんな意味を込めているのかと不思議に思うサービスだった。
 一族の自覚、という話はぼんやりとはわかる。
 繰り返し教えられた所によると、果たすべき使命というものが存在する、らしい。
 でも……遊び。楽しいことばかり。
 これってどういうことだろう。
 自分に向けられる言葉に、よくサービスは懐疑的になった。
 遊びって。僕よりハーレムの方がよっぽどだと思うんだけど。
 そういえば、そう文句を言うのを本人に聞かれ、『オレの遊びはお前と違って本気なんだヨッ!』とまた喧嘩になったことがある。
 その時も、本気の遊びと本気でない遊びの区別はよくわからなかった。
 どうせハーレムだからまた適当なんだろうと、サービスはぼんやりと考えている。
 まったく、あいつったら。ハーレムったら。
 双子なのに、どうして僕たちは、こんなに水と油なのか。
 絶対に自分は水の方でいたいサービスである。
 アイツは濃すぎる。
 同じ液体なのに、似てないとも似てるとも言われる微妙な関係。
 どちらにしても自分たち双子は、共に比較されながら生きてきた。



 ゴンゴン、と今度は乱暴に鉄格子が鳴る。
 またジャンか? と面倒くさげに顔をあげると、そこにはたった今脳裏に描いていた、あまり会いたくない顔があった。
「よォ! おイタして独房に入れられちゃった、おバカなサービスちゃんのお部屋はココかなァ?」
「……」
 見るんじゃなかった。
 一人の時間なんてまったく嘘っぱちだ。
 邪魔する馬鹿ばかりが、なんのかんのと自分に構ってくる。
「どうしちゃったのかナァ、わが愛しの弟は あー面白れーェ! オレもこぉんな素敵なお部屋に住みたいゼ!」
「……ハーレム、あっちへ行け。うざい」
「ばぁか、行くもんか! こんな珍しー動物園、滅多にお目にかかれねえヨ。キャー☆ サービス様こっち見てェ〜」
「秋田県男鹿市に帰れ、ナマハゲ」
「ナンだと、この魔女ッ!」
「……アナタたちっ、いい加減に静かにしてくれませんか! こっちは論文構成で忙しいんですよッ」
「おおッ、お前もいたかァ、高松!」
 ハーレムと高松は、隣の独房でまた何か言い争っている。
 彼の着崩した真新しい軍服が目に痛かった。
 やれやれだ。
 サービスは溜息をつく。
 本当にみんな馬鹿。お節介野郎しかいない。
 誰も僕を一人にしてくれないじゃないか。



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 ジャンは独房棟の入り口を見晴らすことのできる、校舎脇のプレハブ倉庫の前に座っていた。
 独房棟に夕食を持っていくタイミングを計っているのだが、さきほど棟の前にいる衛兵に聞くと、中にサービスの兄が来ているらしい。
 どうやら長時間揉めているようで、衛兵も困っている口振りだった。
 とても入り辛い状況だという。
 どうしよう、皿が冷えてしまう。
 二膳の夕食を傍らに置き、ジャンは黒髪を揺らして息をついた。
 とりあえず制服の上着を脱ぎ、埃が入らないように食器の上に被せる。
 開襟シャツだけの肩が、夕方の風にぶるりと震えた。
「……寒そうだね」
 頭上から声が降ってきた。
 見上げると、昨晩初めて話した男が長身から自分を見下ろしていた。



「……南の方の出身ですので……寒いのにはあまり」
「ふうん」
 興味があるのかないのかわからない調子で頷いた男は、今日は赤い総帥服を身に纏っている。そして、どうして君はこんな所で座っているんだ、と聞いてきた。
 ジャンは慌てて立ち上がる。
 衛兵に聞いたままを伝えると、マジックの精悍な美貌が呆れた表情に変わった。
 自身もその、サービスと揉めている方の弟を探しに来たのだという。
 いいよ、君は座ったままで。私もこうするから。
 男は倉庫の扉に軽くもたれ、隔離棟の方を青い目で眺めた。
 呟くように語り出す。
 双子なんだが。仲が悪くて困るよ。最近は特に二人共意地になって。昔はあんなに素直な子たちだったのに。
 ジャンは目を伏せた。
 ――そのことは、すでに知識として知っていた。
 君もわがままなサービスの相手は苦労するだろう。昨日なんて死にかけたじゃないか。
 あの子も昔は大人しくて可愛かったんだよ。
 ――しかし、彼がこんなに親族を語る時に気さくになる、ということはデータとして知らなかった。



 この若くして史上最強と謳われる総帥は、しきりに昔は、昔は、と繰り返す。
 昔は昔はって、寂しそうですね。
 ジャンがそう返すと、男は心底不思議そうな顔をした。
 そんなこと考えたこともないよ。暇もないし意味もない。
 そして輝きの濃い金髪を揺らしながら、言った。
「君はやっぱりおかしな子だね。サービスが懐くのも無理ない」
 私のことも怖がらないね。
 これからもサービスと仲良くしてやってくれ。根はいい子なんだ。
「知ってます」
「なら、結構」
 彼は腰を屈めて、自分の横の食膳を持ち上げようとする。
 ジャンは急いで上に掛けてあった自分の制服の覆いを取った。
 軽く手が触れ合う。
「これは今回は私が持っていくよ。君はご苦労だった。戻っていい」
 双子の喧嘩の仲裁もしなければいけないし。
 深い溜息をつきながら、独房へと男は歩き出す。
 そして振り返った。
 ……ああ、君が寒がりなのは、きっと体温が高いからだね。
 今、とても手が熱かった。
 去っていく背中を見つめるジャンには、氷のように冷たい手の感触だけが残っていた。





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