裏切り者とハーレム

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「何だ、ルーザー兄貴。珍しいぜ、アンタが一人で前線に来るなんて」
 ハーレムはニヤッと笑った。
「こんな辺境の国にサ……ナンか珍しいモンでもあったかよ? つまんねー国さ。その癖、妙に抵抗がキビシくて苦労したけどな。まあ明日には落ちるだろ。はァー、疲れた疲れた」
 一人うるさく喋って、長椅子にどっかりと足を投げ出して座る。
 下士官用の大部屋ではどうにも居心地が悪くて、彼は疲れた時には、よくこの一族用の特別あつらえの部屋で、だらしなく寝転んでいた。
 軍靴を脱ぐのも面倒くさい。どうせあと数時間で出撃命令が下る。
 それまでに仮眠をとらなければならないのはわかっていたが、戦場特有の高揚感が彼を眠らせてはくれない。
 眠らないせいか、さっきから目が痛い。彼は指先で目蓋をそっと押さえた。
 特に左眼の奥が熱を持っていると感じる。
 この眼まで興奮してやがるぜ。



 ハーレムは戦場が好きだった。
 命ギリギリのスリルと快感。天国と地獄がスロットの目のように回転する。自分の命が綱を渡る時、奈落の底へとあと数ミリで落ちそうになる時にこそ、彼はどうしようもない快感を得る。
 俺は生きてる。俺の命が輝いているのを感じる。
 この瞬間の俺は、誰にも負けない。
 だから戦場で殺しあうことはやめられない。それが異常なことだということは、彼には十分にわかっている。
 その異常性の中で、きわめつけの異常性に向かって突き進みたい。
 力がほしい。
 ……強くなりたい。
 その願いの中で、戦場に、彼は生きている。
「明日ってロイヤルアスコットでレースあんだけどさ」
 そう呟くと、ハーレムは豊かな金髪を振って、足をぶらぶらさせた。長兄にいつも行儀が悪いと叱られるやり方だが、今はいないからやり放題だ。ついでながらこの趣味の競馬も叱責の種だったりする。
 でもこの全財産スルかスラないかのギリギリがたまんねえんだよなあ、とハーレムは長兄のしかめっ面を思い起こし、唇の端を愉快そうに曲げた。
 熱く拳を握り締める。
 次は絶対来るぜ、メガンテゼウス!
 勿論内心の声なので誰も突っ込まない。
「ホント明日までに終わらせたいゼ、こんな国」
 それだけは言葉にすると、ハーレムは口を尖らせながら、デスクに向かったまま書類から目を離さない次兄を、横目で見やる。
 ルーザーは、こちらの方を、ちらりとも見なかった。
 チッ。カワイイ弟がお話してるのに全然キョーミないでやんの。
 しかし彼は、いつにも増して喋らずにはいられない気分なので、反応がないとわかってはいてもつい口を開いてしまう。
 相手が苦手なルーザーであってもおしゃべりが止まらなかった。
 戦闘前後の高揚感とはまた別に、今日の彼にはもう一つ眠れない理由があったのだ。
 今日は双子の弟、サービスの初陣なのだ。
 あの甘ちゃんが、ついに自分と同じ戦場に来た。気にならない訳がない。
 ……あの甘ちゃんに、人が殺せるのか。



 殺人行為を賭けと重ならせて理解し、受け入れているハーレムだったが、サービスはそれをどう内面で了解するのかが気になった。
 目の前の涼しい顔。ルーザー。今もまた何か難しそうな文章を読んでいる。
 この兄だってきっと簡単に人を殺すのだと、ハーレムは直感で知っている。マジック兄貴と一緒だ。目的のためには、了解なんて必要なしに、ただ処理する。
 彼らに葛藤なんて、あるんだろうか。この綺麗な顔の下に……。
 ハーレムは金髪をバサバサふると、思考を追い払った。
 自分には決して内面を見せない二人の兄。考えても仕方がない。自分が考えたって、わかるはずがない。
 気分を変えて、おどけた声を出して話しかけてみる。
「なァなァ、ルーザー兄貴よぅ」
 今日はこれだけうるさくしても、邪魔だと言われないなんて珍しい。
 とんでもなく機嫌がいいか、とんでもなく悪いかのどっちかだナ、こりゃ。
「サービスのヤツもこっちに来てんだろ? アンタずっとこの飛行船にいたんだったら見た? アイツ。へへ」
 次兄のずっと書類に注がれていた目がこちらに向く。
 お、乗ってきた?
「あいつオシッコちびってんじゃねーかと思ってよ。末っ子の甘ちゃんだかんな。オムツ差し入れに行ってやろーかな、俺」
「……もう兄さんが行ってるからお前が心配することないよ」
 次兄の声は、ひどく乾いていた。
「ハァ? マジック兄貴が?」
 思いもかけない情報に、ハーレムは目を丸くした。



 この段階で総帥自らが、こんな僻地の最前線へ赴くということも不思議であったし、そうであるなら、そもそもなぜルーザーがマジックの側を離れて、こんな所に一人いるのかも不思議であった。
 単独で戦場に来た姿を見たことのない次兄だ。
「何だそりゃ……まさかマジック兄貴が、サービスのトコに?」
「……」
「ルーザー兄貴、あんたもかよ?」
 次兄はまた手元に目を落とし、黙して語らない。
 でも否定しないということはそれが正しいということなのだろう。とにかく二人の兄は、サービスのために、わざわざやって来たのだということなのだろうか。
 ハーレムの頬に朱が差した。
 クッ……ッ!
 まァたアイツばっか甘やかしやがって。ムッカツク。むかつくむかつくぜッッ!
 その時机上で電子音がして、ルーザーは発信機を手に取った。無表情で信号を読み、立ち上がる。
「ドコ行くんだよ?」
「兄さんからだ。僕に先に本部に戻れと……ハーレム、お前も頑張って一族のために働きなさい」
 何のためにこの部屋にいたのかわからない程に、あっさりとルーザーは去る。
 静かに閉まったドアに向かって、ハーレムは毒づいた。
「ケッ。俺は俺のためにしか戦わねェよっ!」



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 ……ひどく騒がしい。
 ハーレムは人のざわめく気配を感じて目を開けた。
 眠れない意識のせいで過敏になっているのかとも思ったが、どうやら何かが違う。
 彼のいる特別室は、この飛行船の最上層に位置しているのだが、だんだんとその喧騒が階下からこちらに向かって近づいてきているのがわかった。
 喧騒、というより感じるのは動揺。物理的な煩さではなく兵たちの精神的な心の乱れ。
 何かが起こったのか?
 彼は勢いよく飛び起きる。嫌な胸騒ぎがした。冷や汗が額ににじむ。軍服の袖でごしごし拭う。
 胸騒ぎの原因は今、扉の外にやってきている。
 心臓がどきどきしてきた。小さな子供の頃、戦場に出た長兄をベッドの中で待つ気持ちとそれは似ていた。
 いや、もっと前の出来事。暗い闇の中。
 でも何かが違う。もっとどす黒い焦燥感。不安な寂寞。とても悪いことが起こったのだという確信。
 扉が鈍くきしんだ。それはゆっくりと開く。薄暗い部屋に光が立ち込めていく。
 人影が浮き上がる。
「……っ!」
 ハーレムの青い目に飛び込んできたのは、双子の弟の変わり果てた姿だった。



 声が震えているのがわかる。
「……サ、サービス…………ッあッ!」
 ハーレムは左眼に激痛を感じて床に膝をつく。押さえた手の平までもが熱を持った。焼けるようだ。
 ずっと感じていた痛みはこのせいか……ッ!
 美しい顔の右半分を白い包帯で覆い、弟は立っている。生気は感じられない。
 そして何よりも、一族同士のみが感応しあえる、青の力の波動がサービスからは消え失せていた。
 コイツは秘石眼を無くしてきた。青の心臓をなくしてきた。直感でそれが痛みと共にわかる。
 床から見上げたサービスはこちらを見ているのか見ていないのか、それすらもはっきりしない。
 ただ、立っている。
 ハーレムにその惨めな姿を晒している。まるでそれが義務であるというかのように。
 命の抜け殻になってしまった弟。
「……ッ……! ふざけンな、こんなのが許されると思ってんのかよ!」
「……」
 崩れ落ちているハーレムを、サービスは一瞬知覚したように見えた。
 しかしすぐにまた彼の声が聞こえていないかのように、ゆらりと先刻までルーザーが座っていた椅子へと向かい、そこに沈み込む。
 身動き一つしない。



 そのまま少しの時間が過ぎた。
 ハーレムの痛みはますますひどくなる。火の中から取り出したばかりの鉄が押し当てられているようだ。
 肉が焦げる。苦しくて彼は壁にすがりついた。短い爪が漆喰を削り取っていく。指先に血が滲んだ。
 長い二人の間の沈黙。そして、サービスが小さく口を開いた。
「……許される……とは、思ってない……」
「はぁ? このバッカ野郎が!」
 再びサービスは沈黙に戻る。残されたその左目は部屋の白い壁、その向こうを見ている。
 一体そこに何が見えるというのか。
 まただ。ハーレムは思った。
 また、俺は素通りされている。存在など、どうでもいいかのようにサービスは俺を扱う。
 コイツにとって、俺はいてもいなくてもいいつまらない存在。
「この裏切り者ッ!」
 ハーレムはそう声をふりしぼると、部屋を飛び出した。
 サービスは裏切り者だ。
 俺との戦いから降りた。彼は軍人をやめるだろう。一族であることから降りるだろう。
 何も言わなくても、双子の片割れ故にそれがわかる。
 お前に負けたくないってずっと思ってた、俺の気持ちはどうなる?
 お前を守りたいっていう俺の気持ちは?
 しかも、あいつはそんなこと、ゴミくらいに思ってるんだ。



「兄貴! マジック兄……総帥はどこだよ!?」
 司令室に怒鳴り込み、悄然とする士官の胸倉をつかんで問い質す。
「げほっ! そ、総帥はただいま直々にD地区で戦闘を行っておられます! 先程、2310時付けで作戦変更がありました。全部隊もこれから総攻撃をかけることになります。出撃命令が下るまでお部屋でお待ち下さ……」
 遮るようにオペレーターが叫んだ。
「総帥より指令! 本部隊はこれより出撃します! F地区方面に東方山岳地帯を経由して侵攻! 陣形は……」
 サイレンが鳴り響く。殺気だった兵たちが、銃器をガチャガチャ鳴らしながら廊下を駆けていく。
 ハーレムの腕が緩んだ隙に拘束を逃れた司令付士官は、呼吸を整えながら言った。
「どうか……ハーレム様も、お急ぎ、下さい……!」
「……ッ!」
 他にどうしようもなくて、唇を噛み締め、ハッチに向かって駆け出す。
 自分の足音が腹立たしかった。
 くそっ! くそっ! くそぉっ!



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「裏切り者……」
 鳴り響くサイレンと荒い靴音の喧騒の中で、この部屋だけが静かだった。
「裏切り者……」
 ぽつんと声だけが暗い部屋に木霊していく。
 僕は、ジャンと、青の血さえも裏切った。







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