裏切り者とハーレム

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 戦闘は呆気なく終わった。
 マジックが、この地の戦後の補給地利用計画を破棄し、全破壊に方針を転換したからだ。
 物と人を破壊するだけなら、こんなに易しいことはない。
「焦土に季節が巡って花が咲いたら、また使うことを考えればいいさ。元々本命の某国への侵入経路が欲しかっただけのことだから、ここにこれ以上の手間と時間を費やすのは無駄」
 との判断によるものらしい。



 ハーレムは硝煙と肉の焦げる臭いの中を駆けた。
 部隊としての戦闘行為が終われば、一族である彼にはある程度の自由が許されている。
 探していたのは、実地で戦後処理を指揮している兄の姿だ。彼はいつも、従えた国はすぐにその焦土を検分しに行くのが習いだった。
 司令室に篭って危険に身を晒さない他軍の指揮官とは違い、常に前線に身を置くマジックらしかったが、単に征服したという事実を肌で確かめたいのかもしれないとハーレムは感じる。
 青の一族は欲望の一族と呼ばれる。その行動原理が常に欲望にしか基づかないからだ。
 最大の力を持つ兄が欲するものはこの世界であった。
 ハーレムは、駆けながら考えている。
 兄は――今、俺が駆けているこの大地の続く、すべてが欲しいという。
 ……なんであの人はそんなこと考え出したんだろう。
 一体いつから?
 俺はいまだに自分が強くなることしか考えられないのに。
 どうやったらすべてを欲しいなんて思えるんだろう。
 世界を征する覇王……?
 俺はいまだに、弟一人の扱いさえ、ままならない。



 兄は瓦礫の山の中で、数人の部下を連れて佇んでいた。
 ここは破壊前は市街地だったのだろう、ぼろぼろになったレンガにまみれて、元は看板か何かだったと思われる鉄板や折れた街灯、車の破片などが散乱している。
 あの屋根の下から見えている、黒い消し炭たちはきっと元は人間だった。惨状の中で朝陽を浴び、汚れ一つない赤い軍服が長身の姿に映えている。
「……兄貴っ……!」
 視線が自分に向けられる。
「ハーレム」
 マジックはまるで自分が来ることがわかっていたように呟いた。彼の目の前に辿りつき、ハーレムは肩で息をする。
「お前は無事か」
「俺は、俺は何ともねぇよ……だけどっ、だけどさっ」
 その先が言えない。
 兄はそんな弟を見つめると、静かに焼き焦げた道を歩き出した。いつ指示したのか、側付きの士官や副官達は、ハーレムの来た方向へと去っていく。
 兄弟は、焦土の中で二人になった。
「……ッ」
 ハーレムは兄の背中を追った。自分の足は、鉛のように重かった。それでも、かつて命だったものたちが四散する道を踏みしめた。
 縮まりそうで縮まらないもどかしい背中。どうして、自分は追いつけない。
 アイツはゆっくり歩いているように見えるのに。
 俺はいつだって全速力で走らなきゃいけないんだ。



 マジックは一本の木の前で立ち止まった。黒く歪んだ光景の中で、どんな偶然かその街路樹だけはまっすぐ伸びているのだった。
 彼は指を伸ばし、その黒く炭化した部分を剥いだ。白い木肌が現れる。
「……全破壊とは言っても、本当に破壊し尽くすことはできないね」
 やっとのことで側に来たハーレムは、そう語りかけられて、自分も細い木を見上げた。生き残った木は、ハーレムには弱々しく、薄い煙の中で寂しそうに見えた。
 兄の横顔に視線を移す。昇りはじめの太陽が、彼の彫りの深い顔に影を作っている。
 その陰影に誘われるように、ハーレムは口を開いた。
「兄貴……サービスが……」
「ああ」
「なんで、なんだって眼をッ……なんだってあんなことに! 俺、俺……っ」
 廃墟に立つ木を見ていたら、今までこらえていた悲しい気持ちがこみ上げてきた。胸から喉を伝わって、切なさが、あとからあとから溢れ出す。
 この気持ちを兄に訴えたくてたまらない。
「ハーレム」
「俺、俺さ、あんなのヤなんだよっ。あんなサービス、見たくねェんだよっ!」
 頬の涙をぬぐわれて、初めて自分が泣いていることに気付いた。大きな手に豊かな金髪を撫でられる。
 ハーレムの髪はサービスと違ってすんなりまとまらず、あちこちに癖がついて四方八方に伸び、よく油断すると大変なことになってしまっている。
 少しもじっとしてはいられない幼少期のハーレムは、髪をとかすこと一つをとっても、長兄に散々苦労をさせた。
 でも自分だけ短くして切ってしまえ、とは決して言われなかった。
 ストレートの長髪がよく似合ったサービスへの、自分の対抗心をこの人は理解してくれていたのだろう。
 そのマジックの声が、深く響く。
「……サービスの親友が死んだ。そのショックで、あの子は眼をえぐった」
「!」
 突然降ってきた言葉に、ハーレムは顔を上げた。
「ジャン……かよ」
 思い当たる人間は一人しか居ない。



 あの黒髪黒目の男。サービスのコバンザメ。ごく普通の、なんの変哲もない男。
 アイツが死んだ……。
 そのことにもずきりと突き刺さるものを感じたが、そのためにサービスが眼をえぐったという事実は、ハーレムの心をささくれ立たせるに十分だった。
 サービスが――自分で、自分の眼を? 何故……?
 ジャン。あの男の何がそんなに良かったのか、俺には全くわからない。
 自分を通り過ぎるサービスが、何故あの男には立ち止まるのかがわからない。
 微笑むのかがわからない……。
 ハーレムは地面を蹴った。眉をゆがめて、また兄を見上げる。
「だけど、何でそれで眼を」
「死因は秘石眼だからだ。青の力が暴発した」
「……」
 ハーレムの目の前に、あの海が広がった。サービスはアレに、飲まれたのだと、直感が教えた。
「だからサービスは自らを責めている」
「そんな……」
 先刻見た弟の姿を思い出す。まるで青白い幽霊のような顔をしていた。
 一つの思いに囚われ、そのために現世を漂い続ける亡霊。
 なんでそこまで。あんなくだらない男のためにアイツがそこまで。
「だからルーザー兄貴まで来てたのかよ……」
「……ルーザーに会ったのか」
「サービスがあんな姿で戻ってくる前だよ。その二時間くらい前に」
 そう言ってから、それがおかしなことに気付く。
 普段単独では前線に姿を見せないルーザーが、ここに来ていたのはサービスの力が暴発したことを気遣ってのことだろう。
 それはわかる。しかし研究所のある本部からこの僻地まで、どれだけの距離がある? 急いでも半日弱はかかるはずだ。
 力の暴発が起こったのは、自分の痛みからしてどんなに遅くてもあれから数時間前の出来事だ。
 ルーザーはサービスの暴発を前もって知っていたことになる。
 長兄の言葉が正しいとするならば。



 マジックが自分を見つめている。
「兄貴……」
「……ああ、お前には本当のことを告げねばならないようだ」
 そう言葉を切って、男は黒い街路樹の露出した白肌を撫でる。
「ジャンを殺したのはルーザーだ。彼は赤のスパイだった。ルーザーの開発した新薬と分析器で行った血液検査でそれが発覚した」
「な……っ」
 ハーレムの足が震える。ずきんと胸がきしんだ。
 また左眼が熱い。体中の血が眼を目指して昇りごうごうと沸騰していく。
 ずっと実感の湧かなかった青と赤の対立。それが今、自分の目の前に突きつけられている。
 遠い世界の出来事ではなく、自分たちの側でそれは起こっていたのか?
 いつの間に?
 全身の血管が縄目のように、ハーレムの指先から足先までを締め付ける。
 赤……? 敵……? スパイ……?
 大人しい顔をして、あの黒髪の男は俺たちを騙していたのか?
 サービスを騙して利用していたというのか?
 あの信用しきっていたサービスの顔。ジャンに向ける微笑み。甘えた瞳。その面影を振り払うようにハーレムは首を振り、苦しい息をついた。
 信じられない。信じられなくて……反吐が出そうだ。



「三日前に私はその可能性をルーザーから報告されていたが、あえてジャンに監視はつけなかった。赤の者であれば、こちらが動けばすぐに気付かれてしまうだろうと考えた。サービスを殺されて逃げられてはかなわないからね」
「……」
「最終的に事実が確定した後、私自身が処理しようと思っていた」
 兄の表情は変わらない。
 ハーレムは思う。いくら優秀とはいえ、新参兵をいきなりこの激戦地区に入れるのはやはり異例なことだ。
 きっとマジックは、激戦の中でジャンとサービスを引き離し、弟のわからない所で戦いに紛れてジャンを殺すことを考えていたのだろう。
「だがルーザーが勝手に動いてしまうことは予想外だった。これは私の誤算だ。ルーザーは二人がいる場所で、そのままジャンを殺した。しかしその時、サービスは青の力の暴発で、自分がジャンを傷つけただろうことを知った上で気絶していた」
「……それで目覚めたサービスが、自分が殺したと誤解しちまったってことかよ」
「違う」
 太陽は東にそびえる山々の裾野を昇っている。どんな小さな国でも等しく日は昇る。
「違う。私がそう思うように仕向けた」



「……なんで」
「あの状況で、明らかに青の力で殺されたとわかるジャンの死体。兄弟四人の内、誰かがその罪を負わねばならない。赤がここまで攻めてきた状態だ。青の内輪揉めは避けるべきだ。可哀想だがサービスには自分を恨んでもらうしかない」
 兄弟が揉めないために……仲良くするためにサービスに自分を恨ませる。
 マジックがよく言う『仲良くしなさい』という言葉がハーレムの脳裏をよぎった。
 そこまでして『仲良く』させようとするこの兄の意図は何なのか。
 ハーレムはやっとのことでかすれた声を絞り出した。
「そんな……そんなのってないよ」
「ああ、その通りだ」
 そのまま黙した兄をハーレムは見上げた。
 そんなのって、ない。
 空の太陽はいつの間にか雲に覆われていた。風が吹く。
「これは決定事項だ。私が下した命令に逆らうことは許さない。お前も従うように」
 そしてマジックは冷たく言い放った。
 有無を言わさない声だった。厳しい顔。
 ハーレムにはその姿が、冷たく恐ろしくどこか懐かしく、自分の運命そのもののように見えた。



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 『サービス、オマエはボクがまもってやるよ』
 それは空虚な言葉でしかなかった。
 守ればよかったのだ。自分がジャンからサービスを。
 しらないダレか、わるいヤツはジャン。
 双子の弟をさらいにきたのは赤の男、ジャン。俺の本能はいつでも正しい。
 そう考えた時、全身が沸騰しそうな程の憎しみが、ハーレムを支配した。冷たい粘液が指先にまで巡り蠢く。
 凍る。ただ凍る。醜い力を感じる。みなぎっていく。
 ――今なら、俺はあの海を越えられる。
 この憎悪が俺の青の血の目覚めだとするなら、それでもいい。
 サービスを騙し、守ると嘘をつき、傷つけ利用した裏切り者。
 死んでからもアイツの心はさらっていった殺しても殺したりない赤の男。
 ……悔しい。
 こうなったのは、俺が、頑張らなかったから?
 俺が……裏切り者……?
 憎い……あいつだけは許さねぇ……。






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