美しくない

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 僕は、生まれた時から使命を与えられていることが嬉しかった。
 すべてが最初から最後まで決められていることは美しかった。
 そんな秩序の美しい世界を僕は信じ、まっすぐに生きてきた。
 突然にその確信は、ただ一つの衝撃で、温室のようにあっけなく崩れ落ちた。
 僕は外の世界の凍える空気に身を震わせ、辺りを見回し、理解できずに混乱する。
 足元が揺らぎ、不安で恐ろしくてしょうがない。
 一つ間違っていたということは、つまりはすべてが間違っている可能性があるということだ。
 早く正しい美しい道を選ばなければ。
 でも僕にはいまさら、自分で考えることなどできはしない。
 美の消えた世界は全てが間違った、いびつで醜い姿をしていた。




美しくない





「何故だ! なぜお前が片眼を失わなければならないんだ! 何故だっ!」
「やめろよ! ルーザー兄貴」
 ハーレムは言い放った。
 本部の最上階に位置する総帥室は、どこか陰りを帯びていた。荒んだ空気が四人の兄弟の間を支配している。
 彼は生まれて初めて、動揺するルーザーを見た。自分の知っている兄ではない人のようだった。
 あのルーザーが泣いている。そしてその光景を、どこか遠い国の出来事のように、眺めているサービス。
 壁に身をもたせかけながらハーレムは思う。さらわれてしまったコイツにとって。
 コイツにとって、俺たちは夢の中で起こるわずらわしい俗事でしかないのだ。なんて無力。
 そのことが腹立たしくて、切なくて、冷たい言い方を次兄にするしかない。知らず棘のある声が、自分の口から滑り落ちていく。
「……あんたが泣きわめいたって、そいつの眼は治んねぇよ!」
「よさんか、二人共……済んだことだ」
 低い声が割って入る。長兄だ。表情の読み取れない、その冷静な顔。
 ……ハーレムはこのマジックの態度にも割り切れないものを感じている。



「サービス! 可哀想なサービス……っ!」
 ルーザーがサービスを抱きしめている。
 サービスは、壊れた人形のようだった。その体が揺さぶられ、その度に長い睫毛がわずかに動く。しかしそれだけだった。
 あの泣き虫だった弟は、もう泣きもしないし笑いもしないのだと、ハーレムは思う。
 ただの乾いた抜け殻だ。そして涙を流すルーザーもまた人形のようだ。
「サービス。お前は部屋に戻っていなさい」
 マジックに命じられると、双子の弟はするりと次兄の腕をすり抜け、大人しくドアの向こうへと消えた。
 部屋にはルーザーの、こらえきれない涙の嗚咽だけが残される。
 ハーレムは顔を背けた。耐え切れないのだ。長兄が席を立ち、歩み寄る気配が感じ取れた。
「ルーザー、落ち着きなさい。お前が動揺してどうする」
「だけど、だけど兄さん! 僕の、僕のやったことは間違っていたんでしょうか……僕が間違うなんて、僕が間違うなんて……っ」
「間違っていたのなら、自分で直せばいい」
「どうやって? どうすればあの子の醜い傷はどうやったら治るんですか? 教えて、兄さん……あの美しい子があんな無様な姿を晒して……ッ」
「ルーザー兄貴、いい加減にしろよ!」
 思わずハーレムは、叫んだ。
 この偽善者。ハーレムは胸が痛んだ。
 天使のような顔を持つ、悪魔のような男。
 ルーザーを見る度、ハーレムの心の奥に翳るものがある。
 幼少の頃より植えつけられてきた、本能的な恐怖。どす黒いそれは、種から芽を出し根を張り、彼の内部を支配している。
 その男のこんな姿は、見たくない。
 偽善者ならそれでいいから、その美しい顔の内面など見たくなかった。



 ルーザーのやることは、美しい。
 彼は整然とした秩序を好み、徹底的に非合理的なものを排除しようとする。
 野放図に、無駄なことだらけで生きているハーレムは、ルーザーにとっては美しくない身内だった。
 父が亡くなりすぐに銃後を守っていた長兄が跡を継ぎ、幼かった自分たち双子の世話は一時期ルーザーの役目となった。
 ルーザーから支配され管理される恐怖は、ハーレムの幼児体験の中でトラウマとして色濃く残る。
 美しくて『いい子』なサービスがこの次兄の言いつけに従った後は、いつも美しくない『悪い子』なハーレムとのせめぎ合いが起こった。
 好奇心の塊みたいなハーレムは、見るもの全てに興味を持つ。
 キラキラしてるモノ。さぁっと動くモノ。パタパタはためくモノ。
 全てが不思議で楽しかった。つまらないいいつけに従うよりも、もっと楽しいことが好きだった。
 大好きだった鳥をルーザーに殺されたのは、いつの頃だっただろう。
 昼寝の時間に眠れなかった幼いハーレムは、ずっと愛らしく羽を広げる鳥と遊んでいたかったのだ。鳥の黒い目は自分に語りかけるようで、小さなくちばしは飽きもせずに軽妙な音楽を刻んだ。
 そのくちばしから、突然……チチチチチ、という胸が躍るような声に続いて、ギュウワァ……という断末魔の声が搾り出されたことを覚えている。
 細い指が鳥を握り潰した。一瞬のことだった。
『さぁ、ハーレム。僕の言うことを聞くんだよ』
 ルーザーは鳥を殺した。赤い血がぼとぼとと、ベッドの白いシーツに染みを作った。感じた恐怖は言葉に表せない。
 あの鳥が好きだった、とやっとのことで主張した自分に、彼はぞっとする程美しい笑顔で言い放った。
『馬鹿だなぁ――……鳥は鳥じゃないか!』



 ルーザーは、人間が何かを特別だと思う心が、わからないのだと思う。
 鳥は鳥。他人は他人。
 いくらでもかわりが利く。
 彼にとってかわりが利かないのは、数少ない身内である青の一族、つまり兄弟だけだった。
 それを維持することが彼の使命だったから。ルーザーは一族とそのさだめに仕えた。
 その一族の優秀な一人を、しかも彼が『いい子』だと信じて可愛がっていたサービスを、出来損ないの体にしてしまった。
 それはすなわち、ルーザーの判断ミスを意味する。
 きっと今までは、自らを完璧なコンピューターのような人間だと信じていたに違いない兄。
 青の利益のために、正しい道を邁進していると思い込んでいただろう兄。
 そして自分が間違いを犯したという事実のみに狂乱する兄。
 ハーレムは自分が泣きたくなった。
 ――サービスのことなんて、本当はどうでもいいんだ、コイツは。
 自分が、幸せな温室から追い出されたコトが悲しくてしょうがないんだ。絶対的に正しかった自分が間違っていたことだけに、傷ついているんだ。
 この男に、情なんて、ある訳がない。



「この偽善者!」
 長く共に暮らした生活の中で、ハーレムの鬱屈した感情がほとばしる。
 次兄の青ざめた顔が、目を見開いて自分を見ている。まるで奴隷が口をきくのだということを、初めて知った主人のように。
「アンタが……っ、アンタとあの汚い赤のスパイが、あいつの右眼を奪ったんだよッ!」
「やめなさい、ハーレム」
 またマジックが止める。ハーレムは、その長兄をすがるような目で見た。
 アンタ、アンタだって。
 おかしーよ、ヘンだよ、なんか。マジック兄貴。アンタだって、何かおかしい。
 そのマジックの視線の先で、ルーザーが震えている。小さく口を開いた。
「どうして……友達なんて、いくらでも代わりが効くはずなのに……どうしてあの子が大事な眼を」
「ルーザー、本当に落ち着いた方がいい。この話はまた明日にしよう、今日は休みなさい。ハーレム、お前も」
「……あの子をあんなにしたのは僕……? サービスを出来損ないにしたのは僕なのですか……それは僕が出来損ないだからですか……? 一体いつから僕は、間違っていたのですか。教えて、教えて下さい……」
「……」
 マジックは目でハーレムに外に出るよう促す。
「チッ」
 ハーレムは舌打ちすると、長兄に抱き寄せられるルーザーを横目で見ながら部屋を出た。



 全く反吐が出る。とんだ人形劇だ。
 ――ルーザーは、マジックに頼っていた。
 しかしハーレムには、マジックは、決して次兄にははっきりとした物言いはしないだろうことはわかっている。
 長兄の癖は、ただひたすら甘やかすことだ。
 真実や辛いことは全て自分が抱え込めばいいと思っている。そして俺たちをいつまでも頼りない子供扱いする。
 外の世界を見せてはくれない。温室に閉じ込める。
 俺たちは、いつも安心しながらも、何も知らされない恐ろしさと悲しさを感じている。
 騙されている切なさを感じている。
 ……ルーザーの温室を守り続けて、閉じ込めて、彼をあんな風にしたのはマジックだ。
 きっといつも通り甘やかされたルーザーは兄の腕の中で、こう思っていることだろう。
 これは美しくない、こんな美しくない世界は幻だ、と。
 でも……アンタの信じられない幻の方が、本当の世界なんだぜ?



 二人の側にあった青い石が、無性に腹立たしい。総帥室にいつも鎮座しているそれは、静かに青い輝きを放っていた。
 この人形劇を操っているのは誰なのだろうかと、ハーレムは無性に悲しくなったのだ。




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