ハーレム

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 ――くらいよ。コワいよ。ココ、どこ?
 パーパもおにーたんたちもいないよ。
 まっくらやみ。
 サービスがないてる。
 ボクだってなきたい。
 ダレかしらない人がきたら、どうしよう――



「だ―――ッ! 変な夢見ちゃったぜッ」
 机に投げ出していた足をガツンと鳴らしたハーレムは、もともと緩めていたシャツの襟元を全開にして、寝汗を手でぬぐった。
 待機室にいた他の隊員たちは一瞬驚いたようだったが、堂々と昼寝をしていた彼に何も言ってこなかった。
 横目で年下の自分を窺っている。
「ケッ! 根性ねーな」
 つまらなそうに舌打ちをし、また椅子を乱暴に揺らして、寝入る体勢に戻る。
 ……ハーレムは機嫌が悪かった。
 現在、軍は交戦国とは小康状態にある。
 寄せる波のように戦争とは生きた動物だ。ある時は苛烈を極め、ある時は息を潜めて次の獲物を待つ。
 そんな雌伏の時期。
 風の止んだ凪は彼にはひどく不満だった。
 波よ来い。
 もっと荒れろ。
 俺を暴れさせろ。
 ――早く戦いたい。



 士官学校に進んだ弟とは違い、彼は16になってすぐに戦場に出た。
 サービスからは何やら楽しそうな雰囲気は伝わってきたが、ハーレムに言わせればそんなもの糞くらえだ。
 強くなるには仲良しこよしはいらない。
 強くなるには実戦で自分を崖っぷちに投げ込んで、体で覚えるしかない。
 人を殺す? 上等だ。ヤらなきゃこっちが殺される。
 俺に言わせりゃ、殺人のやり方のお勉強で、学校なんて通ってウキウキしてやがる方が気持ち悪いンだよ。
 偽善だよ。
 やっぱナマだろ? ナマ。
 ギリギリ。このギリギリ。賭け事と同じのギリギリ感。
 これがなくっちゃ、俺は生きていられねェ。
 鋭い刃の上を渡る感覚が、俺を鍛え上げる。
 それが倫理的に最低な行為だということはわかっている。
 しかしそれらを全て了解し、それでも強さを求めるのが彼の生き方だった。



 ハーレムは一刻も早く強くなりたいと願う。
 強さ、というものを彼が思い浮かべる時、まず想うのが淡い記憶の中の父の姿だ。
 物心がつくかつかないかの内に戦死してしまったが、大きな腕に抱きしめられた暖かさは覚えている。
 自分のありのままを受け止めてくれる広い胸。
 許されているという感覚。
 守られることを知った少年は、次に守ることに憧れる。
 全てを包み込み、大切なものをあまさず守ることのできる力へと。
 その高みへの憧憬が彼の原点だ。
 その幼少に生まれた想いは、父の死後にすぐ跡を継いだ長兄マジックに対するものへと受け継がれた。
 口にゃあ恥ずかしくて出せないが、はっきり言って兄貴は凄い。グレイトだぜ。
 十代前半のガキの頃からこんなデケぇ組織のトップになって、しかも更に版図を広げている。
 マジでありえねえ。
 ていうか本気で世界を征服するって考えてる時点でありえねえ。
 刃向かう小国まで潰したり、汚いやり口で政府を転覆させたり暗殺したりで、容赦ない冷血漢だけどな。
 眼も二つ光るけどな。すぐお仕置きするけどな。
 でも……俺がギリギリのことしてもしヤバくなったら、死ぬ寸前にはきっと助けに来てくれる。
 まったくムカツクぜ。
 つーか俺はあいつに追いつく。ぜってェに。
 いつか見てやがれ!
 だから俺は、学校なんかでチンタラしてる訳にはいかねェ。
 大体あいつだって当り前みたいに学校行ってねぇじゃんかよ。
 早く同じ土台に立たないと、差は開くばかりで。
 早く、戦いたい……。



 人を殺す、ということはつまりは賭けに勝つことだ、とハーレムは理解している。
 命と命がぶつかりあって、その後俺が生きて相手が死ぬ。
 一瞬気を抜けば、逆も当然ありえるワケだ。
 そんな振り子の世界。
 そういうモンだろ、人生って。
 戦った後、生きてたら嬉しい。死んでたら、もう終わり。
 それでいい。
 そこに興奮するんだよ。
 それはもしかすると素朴な思想と呼んでもいいかもしれない。
 しかし自分の先を行く彼の二人の兄たちには、そういった殺人の思想は存在しないだろうということは、わかっている。
 ハーレムには直感でわかるのだ。
 目的のために邪魔であればそれが何であろうと排除する。
 殺人はその手段の一つにしかすぎない。
 彼らには自分の命を天秤にかけるという発想はなく、ただ処理するだけだ。
 彼は初めてマジックを戦場で見た時に、自分の胸が空っぽになってしまったような気がした。
 空になった胸に、熱い気持ちと冷たい気持ちがないまぜになって流れ込んでくる感覚。
 足が震えた。
 苦しくなって体の芯がただ締め付けられた。
 あれは戦闘行為ではなく、無差別の虐殺。
 興奮もなく喜びも悲しみもない無の世界。
 次兄ルーザーの戦う姿は見たことがなかったが感覚的には同じなのだろうと思う。
 実は彼が一番不安に思うのはこの次兄だったのだが……。
 とにかく、この感覚の違いは彼をいつも切なくさせる。
 しかしそれがいいことか悪いことなのかハーレムにはわからなかった。
 強くなるということは、難しい。
 追いつかなければいけないということは、難しい。
 それでもハーレムは遠い背中を追って駆け出さなければならないのだ。
 弟として生まれた宿命として。



「はぁーあ」
 今度は眠ることができなくなって、仕方なくハーレムは大きな欠伸をした。
 行儀悪く揺らした足の下で、くしゃくしゃになった競馬新聞が音を立てる。
 空き缶がカランと床を転がっていった。
 戦いのない軍ってのは、こうも腑抜けだ。
 彼はまた目を瞑る。今度は弟を思い浮かべた。
 ……だけど俺は、早く戦場に出た分、サービスよりも前にいる。
 長兄には素直なコンプレックスを感じ、次兄には不安を抱いているハーレムだが、弟に対する感情はより一層複雑だった。
 ハーレムはサービスと競いたい。
 でも競いたいのに、相手にしてくれない。
 幼い頃はよく取っ組み合いの喧嘩をしたものだが、今のサービスは彼がいくら挑発してもするりとかわしてしまう。
 いつも『お前には関係ない』。
 こっちはこっちで相当にムカツク。馬鹿にしてんのか?
 くっそ、魔女みてえな面しやがって。
 双子は精神が繋がっているという。
 その真偽はともかくとして、それを一番意識しているのはハーレムだった。
 生まれた時からずっと隣にいて一緒に育ってきた。
 並べられ、比較され続けてきた。
 生来の負けず嫌いが仇となって、サービスのやること為すこと、すべて自分もやらなければ気が済まない。
 弟が電車の模型で遊べば、自分もそれをやりたくなって奪い合いの喧嘩になる。
 弟が長兄から何かを借りると、途端に自分もそれが欲しくてたまらなくなる。
 その繰り返しで生きてきたようなものだ。
 本当は、サービスの通っている士官学校が気になって仕方がない。
 軍施設と学校の境目の金網からよく覗いてみたりするし、実際に乗り込んでみたりしている。
 団体生活が苦手そうなサービスが、よくもまあ順応してるものだと感心し、同時にそれがまた腹立たしさの原因にもなっている。
 サービスの行動にいちいち相反する複雑な感情を抱くのは、もう自分の習性と言うしかないのだが。



 訓練試合があるという。
 年に数回程度、閑静期に行われる士官学校と軍の合同訓練の中で、それはちょっとしたイベントだった。
 賭博がこの時ばかりは公然と許されるからである。
 学校と軍それぞれで予選を勝ち抜いた出場者たちは年齢別にランク分けされ、18歳以下のクラスでは士官学校生と少年兵が入り混じる。
 少年兵たちはここぞとばかりに張り切るのが常だ。
 通常士官学校の卒業生は士官の地位を与えられ、いずれは叩き上げの彼らの上官として赴任する。
 そんな戦場の厳しさを知らない言う所の『甘ちゃんでお坊ちゃん』な奴らに、自分たちの実力を見せつけて叩きのめしてやろうというのがその魂胆であった。
 あまりそのような鬱憤晴らしには興味のないハーレムだったが、サービスが出るというのなら話は別だ。
 むしろ賭博の方に非常な関心があったのだが、それはこの際後回しだと思える程に。
 参加自体は自由意志なのだが、慣例的に優秀な生徒は、この訓練試合に出ることを勧められるのだ。
 サービス、あいつは出てくるんだろうか。
 最初は退屈を持て余すとろくな事にならない軍の、ガス抜き兼訓練として始まったらしい。
 立地的に士官学校と軍本部は隣接していたが、訓練試合開催の報が入ってからは、普段はじゃれることを禁止されている鞠を許された猫のように、軍内がどこか浮き足立つ雰囲気をハーレムは感じていた。隣に住む軟弱な獲物に、堂々と襲いかかることができるのだ。
 出陣前の殺伐とした緊張感とは異なる遊びめかした高揚感。
 本気の生死を知るが故に、それには中身が伴っていた。
 お上品な学校より、こういう生身が剥き出しになる軍の方が、彼の生には合っている。
 なにしろ兄の総帥までもが賭けてみようか等と言い出す始末だ。



「なあ兄貴、アンタ、もし俺たちが両方出たらどっちが勝つ方に賭けンだよ。サービスぅ? それともオレ様?」
「……」
 総帥室でおどけて言うと、腕組みをして考える仕草を長兄はした。
 自分が言い出したにも関らず――こうして評価される瞬間、それがどんなにくだらないものであっても、ハーレムは自分の身が竦んでしまうのを感じる。
 それが条件反射だ。
 『いい子』のサービスと『悪い子』のハーレム。
 成績優秀、言うことを聞く子のあいつ。
 成績最悪、言うことを聞かない子のボク。
 選ばれない自分。
 特に次兄のルーザーによって植えつけられた恐怖は、その絶対的な評価と共にハーレムの心の中に根を下ろしているのだ。
「……じゃあ、私は両方に賭けて、お前のは大口にしてみようかな。意外性があるからね」
 腕組みを解いたマジックは、そんなことを言った。
 ハーレムは舌打ちをする。
 チッ……人の心の中読みやがって、と思うと同時に、どこか安心している自分が、腹立たしい。
 長兄はこう続ける。
「サービスにはついこの間ダンヒルの万年筆を入学祝いにやったから」
 そう言えば会話の間にも、書類に滑らせているマジックの手元のペンが前と変わっている。
 前のはナンか、金色だった。今は茶色。
 やった、とかってどーせ、サービスが欲しいって顔したんだろーよ。
 ムッとしてハーレムは手の平を突き出す。
「ナンだよ、アイツばっか甘やかしやがって。俺は? ずりィぜ、ナンかくれよ」
「お前にはこないだ小遣いやっただろう。もしかしてもうなくなったのか? 良からぬ賭け事はいい加減に……」
 マズイ。また説教だ。
 ハーレムは身を翻すと、扉に向かって駆け出した。こういう時は逃げるに限る。
 そして振り向きざまに言った。
「ヘッ! 儲けさせてやっからナ、兄貴! そんで一攫千金、ソニーを買い取ってドラえもんを作らせ、もしもボックスでタマネギをなくすとお願いしてやる!」
「私には、お前のその発想の方が不安だよハーレム……」



 こうしてハーレムは訓練試合にやる気満々になったのだが、サービスの方はそう簡単にはいかなかった。





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