訓練試合
一族私邸の玄関ホールに単身現れた高松は、いつにも増して魂が飛んでしまっていた。
「フフフ……そうですか、ジャンは予選通ったんですか、それは良かった、ハハハ……ウフフフ……」
「妖精を見てるナ、高松……」
「ジャンの予選通過を知らないのにここに来たってことは、どっちにしろ家に押しかけるつもりだったんだろお前」
「押しかけるなんてそんな……フフ……そんなッ! 困りますッ……ルーザー様……」
これはしばらく放っておくしかないな。
ジャンの袖を引っ張り、サービスは居間に戻る。
「いいの? アレ」
「いいよ。あいつがトリップしたら長い」
次兄ルーザーからは、実験の方で急に動きがあったとかで、今日は帰れないという連絡を受けている。
さぞ高松はがっかりするだろうと思ったが、どうやらそれを超越してしまうような出来事があったらしい。
研究所で何かあったのだろうか。まあ、どうせ高松が勝手に思い込みと妄想で勘違いしてるんだろうけど。高松に対するサービスの評は、手厳しい。
壁のウエストミンスターの時計が6時を告げた。
「ジャン」
「……あ、はいはい」
ジャンは来た時から、家や庭のあちこちを物珍しそうに見渡している。
自分には珍しくない家だが、彼には初めて見る調度品や内装ばかりだそうで。
そういえば、自分が人を招くのはあまりなかったことだ。
「夕飯は7時半頃でいい? そう頼んでくるけど」
食事については、現在ではそのほとんどを使用人に任せている。
自分たち双子がそれぞれ学校と軍に入ってからは、この家を頻繁に使用しているのは長兄と次兄ぐらいのものだった。
多忙な彼らが寝に帰るくらいか。
「う、うん、よくわかんないからサービスのいつもの通りでいい」
きまり悪げにソファの隅で縮こまっている姿がおかしかった。
何だかカワイイな。
そう、サービスが、微笑ましい気持ちになったのに。
「サービス……」
不穏な気配。ゆらりと背後に高松が立つ。
復活したのか、ストーカー。
振り向けば、高松はやけに顔を赤らめている。
「ル、ルーザー様がいつもお座りになっている椅子はどれでしょう……」
「……お前にだけは教えない」
サービスはくるりと踵を返すと部屋を出、厨房に向かった。
今日は本当に、ルーザー兄さんが忙しくて良かったよ!
「ねえ、ジャン」
食後の時間に。少し気になって、一階サンルームで紅茶を入れながら聞いてみた。
サービスには、自分で彼をこの家に迎えると言い出しておきながら、不思議に思っていることがあった。
「本当にこんなのが楽しいの?」
えっ、とジャンは黒瞳を見張ってこちらを見る。口元を緩めながら答える。
「すっごく楽しいよ! サービスは楽しくないの。今日は大変だったけど予選通過できてよかったヨ!」
最終戦でジャンは砂時計制限、時間切れで両者失格の直前に、相手に蹴りを当てた。
側で見ていたサービスがハラハラするような戦いぶりだったが、どの試合も何とかこなしたジャン。
長兄まで連れてきてハーレムが何か野次っていたが、聞こえない振りをした。
十分コイツは凄い。一族でもないし特殊能力も持ってないのに。
「……お前、授業でも思ってたけど結構強いね、驚いた。18歳以下クラスは上級生だって混じってるのに、ギリギリでも本選に出られるなんて」
へへ、たまたま運が良かっただけさ、最後のも偶然当たった蹴りで、相手が倒れちゃってサ。サービスだって、出てないしね。
オーバーなアクションで肩をすくめる友人。
こうして話すだけのこと、お茶を飲むだけのことに、彼はひどく喜ぶ。
サービスの家に来れただけでも嬉しい、と邪気のない顔で笑う。
ゴハンがとても美味しかった。綺麗な家を見られて楽しかった。サービスのことを知ることができて嬉しかった。
その顔がサービスにはとても新鮮で、滅多に動かない自分の内面が、どこか浮き立ち、どこかチクリと痛む瞬間だった。
「あァ、ここは星が綺麗に見えますね」
一人温室を見に行っていた高松が庭から戻ってきた。
「しかしさすが温室も素晴らしい……特にあの美しい花々を美しいあの方が育ててらっしゃると思うと、私は……ッ」
「ルーザー兄さんが育ててるのは毒草が多いって聞いたけどね」
「フフフ……毒草こそ美しいんですよサービス。ところで、あの方の使ってらっしゃるカップは……」
「……お前、本当にさっきから……いい加減にしろ。大体兄さんのタイプは『大人しくて控えめな人』らしいよ。前に言ってた」
「!!!!!!!!!!!!」
高松は一瞬で大人しくなった。なんだ、最初からこうすれば楽だったんだ。
三人で座って、紅茶を飲む。
静寂が辺りを支配した。
フゥ、とサービスは吐息をつく。指で金色の柔毛をくるくると巻いた。なんとはなしに呟いてみる。
「一週間ぐらい前だったら、マジック兄さんの焼いたケーキがあったらしいけど」
「ブッ!!」
「ゲホッゲホゲホッッ!」
紅茶を吹き出し咳き込む二人。サービスは、驚いて友人たちの顔を見た。
「……お前ら、あの人は結構家庭的だぞ。忙しい時はともかく」
「へ、へぇー……似合わない……」
「嫌な一面を知ってしまいました……」
テーブルの上では、文字の刻印された小さめのオイルランプの火が燃えている。星明りとどちらが明るいだろうか。
ジャンが頭をかきながら、笑って言う。
「あのさ、サービスのお兄さんたちってサ、ナンか強烈な人ばっかじゃない?」
すかさず高松が割って入ってくる。
「ちょっとジャン、ルーザー様はそこに入ってるんですか?」
「いや、その人あんまり見たことないから。知らない。入学式にいた人?」
「ルーザー様を知らないとはっ! ますます聞き捨てなりません! 人生損してますねアナタッ」
「……そんなことを僕に聞くのはジャンが初めてだ」
サービスは思った。
こうして素朴な顔で遠慮無しに思ったことを聞いてくる。
ジャンのこういう所を自分は好ましく思っているのかもしれない、と今さらながらに感じる。
一族は特殊だと思われているから、周囲は自分に遠慮するか、腫れ物を触るようにサービスに接してくるのが普通だった。
サービスとしては、特別視されたり自分を無条件に褒め称えられることは嫌いではなかったが、このジャンのような人間は本当に初めであったのだ。
「……青の一族」
高松が言う。この高松も遠慮のない珍しい人間だったが、決して直球ではなく、常に何か内に秘めている素直ではないものを感じる。
「と、そう呼ばれてますね、アナタ方は。代々受け継がれる古き異能の血。化学者の卵としては、非常に興味があります。ジャンは知ってます?」
「え。なに、それ」
知ってほしくないな、ジャンには。
自分が他人にどう思われるかなど気にしたことのなかったサービスだが、なぜかこの時はそう願った。
自分の腕の裏を見る。青く静脈が透けて見えた。
ここに流れているのは……。
頭上で星が瞬いている。
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サービスと高松がそれぞれ二つある浴室で湯を使っている間に、ジャンは邸内を見学したいと言って部屋を出た。
すでに夜は遅く深夜零時を回っている。広い家屋は所々に灯るランプの光にぼんやり暗く照らされている。
豪華な内装がそれだけに不気味に翳っていたが、大方の部屋構成と場所はもう把握していた。
建物自体は三階建て。その建屋に円形ドームをいだく塔屋が立つ。一階は塔屋東側に正面入口があり、前方に車寄せ。南東ファサードに居間、食堂、厨房、客室が並び、南側にはサンルーム。玄関ホールから南は階段室。すぐ側に地下室への入り口がある。西に進む廊下は応接室に繋がり、さらに二階への裏階段へと繋がっている。そして……。
――車輪とエンジンの音がする。
正面玄関の扉を縁取るステンドグラスが、車寄せのライトの光を透かして伝える。
この家の主人が帰ってきたのだ。
自分の気配はすでに感付かれているだろうから、今、ここで動くと怪しまれるだろうと判断したので。
ジャンは玄関ホール隅の彫刻脇に立った。その造形を眺めているような振りをする。
やがて重く扉の開く音。
彼、が正面玄関を抜け、ゆっくりとホールに入ってくる。
軍靴が柔らかい絨毯を踏む音が近づいてくる。
深く青い瞳が自分を見た。
「こ、こんばんは! お邪魔してます」
「……こんばんは」
自分と高松が来ていることは、サービスが伝えているはずだった。
目の前で、マジックはいつもの超然とした顔で自分を見下ろす。
暗がりの中で、その弟たちよりも濃い金髪が輝いている。
「……」
ジャンの視界の中で、男の薄い唇の端が、少し笑ったように見えた、その瞬間。
隼のように手刀が踊る。
白い指先はジャンの髪をかすめ、左耳の背後の壁に鈍い音を立てた。乾いた漆喰の欠片が、ぱらぱらと頬にかかる。
こめかみに冷たい汗が流れるのを、ジャンは感じている。
声が落ちてくる。
「目を瞑らないのは当然だが、私の手が当たらないことはわかっていたみたいだね」
「……いえ……速すぎて避けられなくって……ッ」
堅い壁と長身との間に、自分が挟まれている。覗き込んでいる二つの眼から視線が離せない。
自分は逃げられない。
足が震えたが、ここが正念場なのだ。
ジャンは意を決した。
その目を見据えたまま、ジャンは、頬のすぐ側にある男の右手に、自分の手を重ねる。
ぞくりとする程冷たかった。
男が整った眉間を寄せる。自分を見る。また意外そうな顔。
「……何故、君の手はこんなに熱いんだ」
「総帥の手が冷たいからそう感じるだけです……多分」
「そうかな」
氷の感触が、ゆっくりと自分の中指と人差し指の間を探っていく。
指を弄ばれる。凍気が触れられた場所から染み込んで自分を支配していく感覚を、ジャンは感じていた。
氷結したように手の先から凝固していく自分の体。
これが心臓まで届いたらきっと死んでしまう。
「手と言えば」
耳元で男が囁く。
「君は今日、試合で手を抜いていなかったかい」
「と、とんでもありません! どれもギリギリで勝つことができたくらいで……」
「そう」
――試合会場で射るような殺気を感じた。
この男に何かを投げつけられたが、咄嗟に避けようとする自分の体を制して、気付かない振りをした。
背後から迫り来る恐怖。
全身に冷たいものが流れ、右肩の後ろに、その何かが当たるまで筋肉が硬直して震えていた。
試合後、背中を見ると赤い花粉のようなものがついていた。
あの時、我慢できずにあれを避けていたら、完全に見破られていた――
……明日、同じ擬態を繰り返すことはできない……。
自分に疑念を投げつけたその手は、今は自分の首元にある。
ジャンは顔をわずかに傾けて、重ねた手に唇を寄せた。
そうしなければならなかった。
口内に指を含む。濡れた音が辺りを静めた。
間。
「……君は……」
そう言いかけたまま総帥は黙り、静かに自分を離した。
すぐに廊下の向こうから足音がする。
「兄さん、お帰りなさい」
廊下の角からサービスの色素の薄い髪が現れた。
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当日は晴れ渡った空だった。
今日は士官学校の授業も午前までで終わり、午後からはいよいよ本選が始まる。
高松は校舎裏の丘で日光に当たりながら、早速入手してきた速報に目を通していた。
赤ペンを指先でくるくると回しながら、呟いている。
……まずは計画通りですね。◎……本命ハーレムのオッズが1.63倍。○……対抗は……△……×……▲……黒三角さえついていないジャンは13.8倍ですか。これは当たるとデカイ。やはりジャンにするしか……しかし、ちと実力的にはそのままでは不安……。
「高松……また今日もサボリかい?」
顔を上げると、当のジャンが寝転んでいる自分を見下ろしていた。なんだ、もう昼休みですか。
午前の実習は面倒くさいので出なかった高松である。
「お坊ちゃん育ちなモンでね」
「よく言うぜ!」
「ああ……そうだジャン! 今日の訓練試合私はあなたに賭けてるんですよ!」
「……やっぱ、俺に賭けたんだ」
ジャンが微妙な表情をしている。おそらくサービス辺りに、気をつけろとでも言われたんでしょう。
高松はニヤリと笑った。
しかしィ! 今日の私は正攻法でいきますよ。
なぜならルーザー様にお会いして、私の心は清められました。
あの方の……あの方の血を1mgでも引く人間は、たとえどんなに御本人からかけ離れた、名前にハのつく超ド俗物であろうともッ……この手にかける訳にはいかないのです……。
高松の内面は、どんどんヒートアップしていく。トウシューズを履いて踊りだしそうな勢いだ。
フフ、それに昨晩、私はサービスから聞いてしまいました。
あの方の好みが『大人しい控えめな人』だということをッッッ!
これからの私は、何事も控えめにすることを誓いましょう。
あなた好みになれるなら、この高松はどんなことをも厭いません。
ですから……ですからッ!
「私が作った栄養剤です。絶対勝ってくださいよ!」
高松は起き上がって、懐から用意していた薬瓶を取り出す。
今回はこのジャンを大人しく控えめにドーピングしまくるしかありませんッ!
「サンキュー高松!」
良かった。ジャンは素直に受け取ってくれました。
「いいですか、飲んでから30秒で効き目が出る超即効性ですから、試合の直前に……」
「……なァに怪しい相談してやがんだオマエラ」
二人の背後に、軍服の胸をはだけたハーレムが呆れた顔で立っていた。
「そんなうさんくさいモン飲んでまで勝とうとすんなよ、捨てろ」
ハーレムは不機嫌そうに言うと、煙草をくわえて火をつける。深く煙を吸い込んで、吐き出した。
そしてボサッとしているジャンを、じろじろ上から下まで眺めている。
高松は声をかけてみた。
「ハーレム、アナタが一番人気ですネ。見ました? 最新オッズ」
「ヘッ、当り前だろそんなのよォ! 単勝でオマエも俺に賭けときな、酒代くらいは儲けさせてやんゾ」
ニヤリと笑って、ジャンをねめつける。
「……こんなデクノボーと一緒にされちゃ、たまんねーぜ」
ハーレムは足元の草をしきりに踏みつけている。
後ろを結わえた金髪をだるそうにかき回して言った。
「テメェの試合、見た」
「はあ」
ジャンが困ったように応えている。高松は、やれやれと肩を竦めた。
気の毒に。ハーレムは一度絡むとしつこいですからネ。
「新入生にしちゃなかなかヤリやがるが、俺の敵じゃねェ。今日オマエは俺に勝てねーよ」
「はあ」
「クッソ」
ハーレムは、今度は高松の方を睨んできた。
「オイ。サービスのヤツは、何でこんな弱っちい、しかも気の利いたことも言えねぇガキんちょを買ってンだよ? 何の役にも立たなそーじゃンかよ」
「んー、それはですね……」
高松が言いかけた言葉を、ジャンが遮った。
「あ、あの、でも大丈夫です。サービスは俺が守りますから」
「ナっ! ああァっ?」
あーあ、地雷踏みましたね。
物凄い勢いでハーレムがジャンの胸倉をつかみあげる。ドスのきいた低音が響く。
「ガキがいきがってンじゃねーよ……首洗って待ってな……名前、なんつった」
「ゲ……ゲホッ……ジ、ジャンで……す……」
「ケッ」
そのまま芝生にどすんとジャンを投げ捨てたハーレムは、高松を一睨みすると、吸殻を投げ捨てて舌打ちしながら去っていった。
その後姿を二人で見送る。
「うーん、ナチュラルに敵を煽るジャン、素敵ですヨ」
「……俺、なんか不味いこと言っちゃったのかな」
黒髪の友人はきょとんとしている。
ハーレムはもうきっとアナタのこと、許してくれないんじゃないでしょーかね。
総帥訓示が終わると、武道館には試合前の緊張した雰囲気がみなぎった。出場選手たちは裏手に消え、準備に入る。
観客席でサービスが白皙の顔をしかめた。
「高松……朝に貸した4万円、本当に返してくれるんだろうね」
「任せといて下さい、サービス!」
隣で高松が明るく笑ってみせると、サービスは更に嫌な顔をした。
手持ちがなかった高松は、今朝邸宅から出かける時に金を借りた。
その金で、彼はジャンとハーレム中心に手堅く複勝と3連複を買っている。
大穴のジャンが2位か3位までに入れば、最低1万円最高6万円の利益が出る計算だ。
単勝一点買いのハーレムとは違い、彼は細かく計算し、策略をめぐらして賭け事をするタイプだった。
――だが、その結果は似ている。
ジャンは本選の壇上には出てこなかった。
審判の説明によれば、裏手で瓶詰めの薬を飲んできっかり30秒後、腹痛を起こして倒れたそうである。
「アレ? 私、何か調合間違えましたかねェ?」
「……」
「国産ガゴメ昆布から抽出されたヌルヌル成分フコイダン! 体中の細胞大満足のバイオアルゲンA! ロシア科学技術アカデミー開発のイワン馬鹿貝! 南米チリ産アナコンダエキス配合サルノコシカケ! 石川県金沢市名産かぶら寿しのアスパラギン酸! 韓国産カリカリ割干しキムチに『香りマツタケ味シメジ』なグルタミン酸を配合して飲みやすくした心尽くしのカプセル錠剤でしたのに……」
「……」
サービスの冷たい雰囲気に背筋が寒くなった高松だった。
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「オイ、お前。裏に来い。俺と勝負しろ」
医務室にまで乗り込んで来たハーレムに、サービスは本気で腹が立った。
「病人を相手にしようなんてお前も最低だな」
「……どーせ仮病だろ。俺のカンでわかる。プンプン臭うぜ、逃げたんだよ、そいつは」
「ハーレム!」
「おい、高松のウサンくさい薬なんてホントは飲んじゃいないンだろ? テメエはよ」
ずかずかと、奥のジャンが寝ているベットに踏み込む。手には、試合時間計測用の砂時計を持っている。
「コレで今すぐヤろうぜ、おら、起きろ」
「いいかげんにしろよッ!」
サービスは両手を広げて、その間に立ち塞がった。
「何だってそんなにジャンにしつこくするんだよ! こいつがお前より強かろうが弱かろうが、関係ないだろ!?」
「……そいつが、お前を守るとか言い出すからよ、腕前見てやろうとしてるだけだ」
「守るって……僕を?」
つきんと胸が透き通るのを感じた。
背後の彼を振り返る。毛布から覗く黒髪しか見えない。
「……じゃあ、今は僕がお前からコイツを守るよ。とにかく、病人なんだから出ていけよ、ハーレム!」
「クッ……俺はッ、そのオマエラの、オメデてぇ友情ゴッコが気に入らねえ」
「お前たちの諍う声は、私がどこにいても聞こえてくるな」
医務室の扉が開いて、講堂で表彰式を最後まで終えたらしいマジックが入ってきた。
「兄さん! ハーレムをどうにかしてよ!」
彼はまたか、という顔をしている。
双子の兄の方を向く。
「喧嘩の度に仲裁しなきゃならない私の身にもなりなさい……お前は今日、優勝した。その子は棄権した。それでいいじゃないか」
「……そーゆー問題じゃねーんだよ……」
「その砂時計は私が預かる。渡しなさい」
「……」
悔しそうに口元をゆがめたハーレムは、兄にそれを投げ、荒っぽい足音を立てて医務室を出て行った。
途端に白い部屋に静寂が満ちる。
マジックがサービスの頭を撫でてくる。相変わらずその手は、大きくて優しかった。
「サービス。あの子はお前に構いたくてしょうがないんだよ。少しはわかってやりなさい」
「嫌です」
誰があんな無神経野郎に。
即答する自分に、彼はやれやれと踵を返す。
そして手の中で砂時計を弄びながら、今度は横たわるジャンを見下ろした。
そのまま数秒沈黙した後、言う。
「……次は君の本当の姿が見たい」
そう残すと、長兄も足音を残して、悠然と部屋を立ち去っていく。
何のことだろう。
「ジャン」
二人残されたサービスは、ベットを覗き込んで彼に声をかける。
かわいそうに、苦しいのか額に汗の玉が浮かんでいる。高松の薬も酷いものだ。
「サービス……ごめん」
ジャンが呟いた。
「変な薬を飲ませる高松が悪いんだよ。気にしないで寝ろ」
うん、と弱弱しい声がする。
そしてまた小さく『ごめん』と聞こえた。
――くらいよ。コワいよ。まっくらだけど。
でもボクはおにいちゃんなんだからサ。
「サービス、オマエはボクがまもってやるよ」
「……」
しらないダレかが、わるいヤツがオマエをさらいにきても、ボクがまもる。
いつもケンカばかりのボクたちふたり。
だけどこのときは、サービスのきんいろのあたまが、こくんとうなずいたようにみえたんだ――
ハーレムの小さな約束はまだ果たされてはいない。