日本庭園

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 その日彼が滅ぼした東欧小国の独裁者は、砦から離れた市街地に邸宅を構えていた。
 機密書類を押収させに部下をやったが、なかなか変わった作りになっているという。
 拘束した本人を尋問後に殺害した後、その攻略が呆気なかっただけに物足りない気分がしていたマジックは、戦闘地区の実地検分の帰りに自分もそこに行く気になった。
 彼は珍しいものや、少し毛色の変わった美しさが好きだった。



 ヘリから降り、邸宅のエントランスに入った時に兵が報告をしてきた。独裁者の娘とやらが隠れていたのを見つけたらしい。
 客間に入ると両手を拘束された娘が二人、椅子に背中合わせに座っている。
「あそこです」
 部下が指差したのは、ずらされた跡のある巨大な本棚と、壁に開いた大穴だ。そこに娘たちは隠れていたらしい。
「随分古典的な方法だね」
 独裁者自体の、軍の指揮振りも随分古臭かったと、マジックは戦闘を思い返す。
 全てが予測の域を出ない戦術。目新しいものは何もない。変わった作り、と聞いた家屋もつまらないじゃないか。
 マジックが辺りを眺めていると、娘の一人が自分を睨んできた。
 これは珍しいかもしれない。大概の者は、彼の前では男でさえ萎縮するものであるのに。
 その娘を見下ろしていたら、父はどうしたか、と聞かれたので『亡くなりました』と正直に答えると、きつい目がまるで炎を灯した様に燃え上がった。
 黒い瞳。黒い瞳は、感情が激すると色が濃くなるのか、と少し感心した。
 あの男と……同じだ。
 マジックは先日初めて抱いた男のことを思い出す。
 暴れ出した女を兵が押さえつけた。長い黒髪が振り乱れる。もう一人の髪の短い娘はただ怯えるばかりだ。
「あまり手荒なことはするな」
 二人の娘は姉妹とのこと。睨んでくる髪の長い方が姉で、短いのが妹。死んだ独裁者の愛人は日本人で、その子供らしい。
 彼が兵に詳細を聞いている間も、姉の方はずっと暴れ続け、兵の手を焼かせている。
 日本女性とは、この妹のように慎み深いものだと思っていたが、どうやら人によるらしい。
 マジックは、ゆっくりと首を傾げた。
 さて、どう利用しよう。



 ドアがノックされる音がして、すらりとした男が部屋に入ってきた。
「兄さん、ここでしたか」
「ルーザー。お前も来たのか」
 短期で処理できそうな国だったので、今回は連れて来なかった弟。単独で彼が前線に来るのは、かなり珍しいことだ。
「ここにL国との細菌兵器密輸取引の約書があると聞きまして。早急に確かめたいことがあるんです」
「ほう」
 普段は物静かだが、思い立てば行動の早いルーザーである。
 よく自分の裁断の前に、御膳立ては済ませてしまうことがあった。勿論その方が話が早いし助かることが多い。
 その時だった。
 押さえつける兵の腕が緩んだ瞬間に、女が拘束をすり抜け、マジックに体当たりしてきたのは。
 それを軽く受け止めた彼に、向き合った彼女は口の中に仕込んだ針を、その両眼に向けて吐いた。
 含み針だった。
「……」
 青い光が輝く。
 針は目を突き刺す寸前で、異能の力によって叩き落された。
「騒ぐな。どうということもない」
 浮き足立った周囲の兵に、マジックは二人を連れ出すように指示した。
 この場で殺害しておいても良かったが、血縁関係を詳しく調査すれば女だけに利用価値はあるかもしれない。
 この付近の小国は政略結婚を繰り返し、その国主達は縁戚関係にある。人質に使える可能性はなくはなかった。
 女は化け物、と叫んでいる。
 扉の向こうへと引きずり出される姉妹を見送ると、傍らに目をやった。
 側のルーザーはすでに窓際へと移動していた。



 テラスが太陽の光を受けて、弟の金髪と共に輝いている。マジックは、自分もその隣へと足を向けた。
 ルーザーは庭を不思議そうに見つめている。
「兄さん、これは異様ですね……こんな国に不釣合いな庭がある。大きな石がまるでちぐはぐに並んでます」
「日本式の庭園だな」
 東欧に、極東アジアの国の庭がある。
 秩序よりも、混沌の調和に重きを置く文化の庭園。
 ルーザーがくすりと笑った。
「これが完成型だとすると、おかしな美意識を持っている生き物ですね、日本人とは」
「……あの白砂は海を表現しているらしいよ、ルーザー。石は海の中に浮かぶ小島だろう」
「僕にはとてもそうは見えないな。砂は砂、石は石ですよ。もっとちゃんと並べないと気持ちが悪い」
 緑の苔は異国の太陽を受けてきらめき、細い腕に新葉をつけた桜の木が、空に向かって枝を広げている。
 白砂にひかれたうねる線模様は、おそらく波だ。
 凛とした静けさの中で、ただひたすら寄せて返してを繰り返す無限の波。
 若葉の香りが鼻腔をかすめて、優しい風が兄弟の黄金色の髪をなぶっていく。
 さっきまでの戦場が嘘のようだ、とマジックは思った。
 あの女の罵声も。



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「兄さん、例の女性を僕に頂けませんか」
 何でもない顔でそう言ったルーザーに、マジックは少なからず驚きを隠せなかった。
 人の能力にしか興味を示したことのない弟だ。
 ましてや一度見ただけの、女。とりあえず連れ帰ってきたあの二人は、ここ本部の最上階の一室に入れてある。
 マジックは食後の紅茶に口をつけた。
 今日はいつもよりウイスキーを入れすぎたか。ゆっくりと舌で転がして味わう。
 私邸の弓形出窓の内側に位置する居間では、暖炉の火が静かに燃えている。
 双子の弟が共に寮に入ってしまった今、この家を頻繁に使用しているのは自分たち二人だけになってしまった。
 瞳を夜空に向ける弟の問いかけに答えるには、少しの時間が必要だった。
「……どちらを」
「どちらでも結構です。ただそうですね、髪の短い方……妹の方がいいかな、大人しそうで知性を感じますから。気性が荒いのは面倒くさくていけない」
「珍しいな、お前が」
「そうですか?」
 そう言って笑った弟の唇は、薄い花びらのように見えた。



 人間への思慕、欲情、執着といった泥ついた感情とは無縁に生きてきた弟なのに。
 不思議なことだ、とマジックは思う。
 人の奥底の闇を知らない代わりに、人の高みの心を知らない。善いことも悪いことも知らない。
 中庸と混在の純粋さ。一つが崩れれば、全てが崩壊するだろう危うい美しさ。
 ――はかなさ。
 亡くなった父が一番案じていたのは、一族史上最大の力を持つ長男ではなく、この次男だった。
「兄さん、僕は」
 兄の目からはどこかまだ幼さの残る顔で彼は言う。
「僕はずっと考えてきました。僕たち青の一族のことを」
「ああ」
 十数年以上前の子供時代から、自分たち二人はこうして一族の将来について語り合ってきた。
 今、自分と弟は23と22。時を経て大人になってもその責務は何ら変わることがない。
 おそらくこれからも一族である限りは永遠に。
「どうすれば血の生得的質を高めることができるのかを」



 青の血の保存とその改善は、その世代を預かる者の重要な任とされている。
 古い血はすぐに濁り腐る。自分たちもその例外ではない。
「僕たち一族が、これまで旧態的な優生学の見地から血の純化にこだわってきたことは、兄さんも御承知の通りです。基本的には、優秀な血と優秀な血同士をかけ合わせて、さらに優秀な一族を作り出そうとしてきた」
 祖先たちが信じていた血の純化とその実践。
 その結果どうなったか。
 まるで神話の世界のように近親相姦等の不道徳が繰り返され、血は汚れ、弟言う所の『出来損ない』ばかりが、一族として生まれた。
 現在では青の力を持つ者は、自分たち直系の兄弟しか存在していないのが実情だ。
「……こういう話がお嫌いなことは知っていますよ。でももう少し僕に時間を下さい」
 やれやれ、ルーザーはいつも、自分のわずかな表情も読み取ってしまうと、マジックは苦笑する。
 祖先の遺志を尊重して現在も研究自体は続けさせてはいるが、どうにもマジックはそのような思想には、あまり関心を持てなかった。
 眉唾物の感が拭えない。
 強さとは研究室で作り出すものだろうか。遺伝学のデータを駆使した計算から、生み出されるものだろうか。薬等の付け焼刃でどうにかなるものであると?
 その根本的な疑問が、実感として存在する。
 以前にこの疑問をルーザーにぶつけると、彼は『それは兄さんが生まれながらの強者だからですよ』と言ってきた。
『強者は強さについて考える必要はありません。無駄なことです。ただ、世界の99.9%は弱者の出来損ないで、できていることをお忘れなく』
 じゃあお前自身は、そのヒエラルキーのどこに入るんだ、と尋ねると笑って答えなかった弟。



 優生学自体にはこのように我関せずの立場を取っているマジックだが、多少煩いと感じるのは寝所においてだ。
 研究所の学者共は、実験感覚で女を送り込んでくる。
 どう言い含められているのか、大人しく来ては抱かれ、また大人しく寝所を抜け出し帰って行く。
 彼が18になった時にこの儀式は始まったから、つまりは5年の間これを繰り返している訳だ。
 流石にもう慣れたが、こうやって改めて考えてみると実に面倒くさいことをしている。
 しかも子が出来たという話も聞かないから、全てが無駄になっているということだ。たまったものではない。
 マジックの心情を敏感に感じ取ったのか、ルーザーはまた微笑んだ。
「手短に言います。僕は青の血を強化するのは純化ではないという結論を出しました。兄さん、あなたは率直に言って異端です。一族でただ一人、両目に秘石眼を持っている。僕たち弟は兄弟でありながら全員片目なのに。僕たちは、あなたのコピーを生み出すことを目的にすべきです」
 自分よりも色の薄いブロンドが夜風に揺れる。テーブルの上の燭台の灯りがぼんやりと闇を照らす。それを映す弟の目はひどく澄んで美しかった。
「兄さん、あなたの母親はあなたを生んですぐに、出産に耐えられず亡くなった。彼女は当時最も青の血が濃い純粋血統だと考えられていましたが、僕の先日行った調査により、実は特殊配列遺伝子の持ち主であったことが判明しました」



 四人の兄弟は、長男、次男、双子とそれぞれに母親が違う。
 これは強大な力を持つ血故の孕み難さのせいで、一族当主には大勢の女が与えられるからでもあるし、しばしば出産時に死亡するケースが多いからでもある。
 しかし自分の母親の血統については初耳だ。
 そもそもそれをどうやって調べたのか。
「墓を開き、僕の開発した分離機と検査薬で残った遺髪を調べました。それでどうやら3代前に異種との配合があったことを突き止めたのですよ。家系図上はその女は純血であったのですが、実際は表に出せない不祥事があったようですね。やはり事実は、この手で調べなくては信用なりません」
 今更のことだが、ルーザーのやることや考え方にはどこか欠けた所がある。
 欠けているとわかってやっているのではない。
 この子にはそもそもそういう判断基準が欠落しているのだ。
「彼女の塩基配列は明らかに特殊でした。一族は勿論、僕や弟達の母親にも見られないものです。現段階では、その因子が一族のDNAに影響を与え、両目秘石眼のあなたが生まれた可能性が高い」
「その話と、最初のあの姉妹が欲しい、という話とはどう繋がるんだ」
 弟の瞳は生き生きとして、日常世界よりも研究が楽しくて仕方がないといった様子だ。
「そのDNAの特殊性一塩基多型……つまりSNPが日本人によく見られるものに似ているのです」
「……日本人、ね」
「あの姉妹は日本の血をひいている。島国の純粋培養で培われた日本人は、他人種に比較して、変異型の遺伝子を持つ可能性が極めて高いことが知られていますが。先刻、彼女達のDNA検査の結果が出ました。天の配剤とはこのことかと。二人共、兄さんの母上と似た因子の所持者です」
 一気に説明し上げたルーザーの顔は上気している。
 マジックは、弟がこの表情を決して他人には見せないのを知っている。
 要は、強い青の一族を作るための調味料に、日本人の女を使うという訳か。
「……お前が自分で生ませるつもりか」
「はい。これは僕の説ですから。まず僕の実験によって証明してからというのが筋だと考えました。おかしいでしょうか」
「いや……お前らしいよ。ルーザー……」
「サンプルは多い方がいいですからね。もし日本人型遺伝子を受け継いだ青の娘が生まれれば、あなたとのより強力な組み合わせも可能だ」
 仮定とはいえ、自分の娘を兄に与えるつもりなのだろうか。



 弟はまたひとしきり喋った後、一礼して部屋を去った。
 マジックは少し疲れを感じて、豪奢な椅子の背凭れに身を預けた。ベルを鳴らして使用人を呼び、冷たくなった紅茶の入れ直しをさせる。
 銀の燭台の蝋受けには、すでに白い液体が積もっている。ルビー色の液体をカップに注ぐ音と、立ち昇る芳香の中で、彼はそっと青い目を閉じた。
 脳裏には、今し方別れたばかりの弟の顔が浮かんでいる。
 彼はルーザーと話した後は、時々全ては自分の内部で行われていた出来事だったのではないかという錯覚に陥ることがある。
 もう一人の自分と会っていたという気分になるのだ。
 暗い自分の中の闇を覗き込む感覚。覗いても覗いても、際限のない底の底を漂っている。
 弟の顔が消えると、次はあの日本人姉妹が浮かぶ。
 そして水のない海、枯山水の日本庭園。
 まどろみの中で、悲鳴が木霊していた。
 化け物? そうさ、化け物かもしれない。
 自分と、そしてこの一族全体を覆うどろりとした粘液は。
 ただその血を存続させるために生きる、終わりのない化け物。





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