還る

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 その日、戦没者慰霊式があった。
 大規模戦闘の後には必ず行われるそれは、最近その数が増えてきたような気がする。
 二年生に上がったサービスたち士官学校生も喪章をつけて参列したが、どうしたことか今日は世界が揺れて見える。
 初めは強い太陽の日差しの中で、黒と白の景色に酔ったのだろうと思っていた。
 しかし献花が済み賛美歌が済み、総帥式辞が始まる頃には立っていることが辛くなってきた。
 広場に静かに響く兄の声を聞いている内に、サービスの意識は遠くなった。
 しまった、と思った瞬間にはもう崩れ落ちていた。
 ジャンの驚く声と引率教師の叱責の声、そして淡々と続く兄の声が耳の奥で混濁し、ふっと消えて行った。



「病気ってサ、体が疲れたって言ってるんだよ! 熱が出て汗が出るってコトは、体が辛くて泣いてるんだ。それってスッゲェ自然なコトだと思うゼ。全然どうってことないヨ!」
 ジャンが一生懸命にベットの脇で話している。
 よりにもよって総帥式辞の最中に倒れたからだろう、教師がまるでそれが義務だというように、先程まで寝込んでいるサービスの側で説教をしていった。こういう場合は優先順位があるのか、一族であるサービスにも容赦はしない。
 ジャンはそれを気にして、もしかして自分を慰めているのだろうか。でもそれなら、その隣の高松をまずどうにかしてほしい。
「サービス! 大変でしたねェ。風邪ですって? ささっ、この私特製の薬を飲むといいですよっ」
「……」
「ウン、とにかく病気って自然なコトなんだヨ……だから無理に人工的な薬とか飲むより、寝て休んだ方がいいんじゃないかな……高松には悪いけどサ」
「ジャン……アナタ、最近私の研究に否定的になったような気がそこはかとなく」
「気のせいだヨ! よっ! 天才化学者高松っ!」
「ジャン……アナタ、妙に世渡りが上手くなったような気がそこはかとなく」



 ぶつぶつ文句を言いながら、研究所に行く時間になったと高松が出て行った後、ジャンは自分を側の椅子から見下ろして言った。
「サービスは頑張りすぎてるんだよ」
「そんなことない」
 ジャンが笑った。ちょっと口調がムキになってしまったかもしれない。見透かされているのだろうか。
「そんな頑張らなくていいよ、たまには、休めヨ」
 答えず、サービスは瞬きをした。
「……だってオマエが一番取ってる数、多いよナ、この奥部屋」
 士官学校は試験の度にその順位によってあてがわれる寮部屋が変わる。
 上位の人間はこの一人部屋からなる個人棟が定位置だ。中でも長い廊下の一番奥にある部屋が、最上位である生徒の証だった。
 この一年と少し、ジャン、高松の間で入れ代わりがあるものの、最もサービスの使用頻度が高い。
「無理、するなよ」
「無理なんてしてない」
「嘘ばっか。俺にはわかるよ……ナンか、見ててつらい」
「……」
 ジャンが自分の目を覗き込んでくる。黒い瞳が優しかった。
「……総帥に……あの人に追いつこうとか、そうやって無理しないでいいと思う……だって、サービスはそのままで十分、」
 そう言って彼は言葉を止める。
 しばらく間があって『サービスはそのままで十分いいヤツだよ』と続けた。



『そのままでいいのに』
 本当にそれでいいのだろうか。
 既成の風邪薬を飲んだ後、サービスは眠りと覚醒の間をうとうとと彷徨った。
 さっき聞いたジャンの声が頭に木霊している。
『サービスはあのハーレムみたいに表に見せないで頑張るから』『そんな頑張らなくていいよ』『見ててつらい』『頑張りすぎ』『あの人に追いつかなくても』『そのままで十分』
 本当にお前はそれでいいの、ジャン。
 あの人に追いつかなくても?
 強くならなくても?
 僕はそのままで十分?
 十分、なに?
 ……。
 ジャンはいつも自分の価値観を揺るがす。いつも初めて聞く言葉をくれる。
 一族としての僕を、遠くへとさらってしまう。
 ……。
 グラスの倒れる音。ぼんやりとした意識が、薄い明かりの中で見開かれていく。
 二人の兄弟が自分を見ていた。
 ルーザー兄さんと……ハーレム。



「ほら、お前のせいでサービスが起きてしまったよ? ハーレム」
「……ッ」
 首周りの寝汗が不快だった。
 側に一晩中ついていそうな勢いだったジャンの姿はない。自分の言うことを聞いて、自室で寝に行ったのだろう。
 そう、あいつまで病気にさせたら困るからな。
「すまないね、サービス。具合はどうだい」
 心配そうに尋ねてくる次兄ルーザー。相変わらずの優しい笑顔だった。
「……ただの風邪です。それよりごめんなさい、あんな公の場で倒れてしまって」
「体調が悪いなら仕方のないことだよ。また休んで頑張ることだね……ほら、ハーレムも何か言ったら」
 ルーザーにつつかれて、ふてくされた表情をしてこちらを見ているハーレム。ジャンと鉢合わせないで良かった。
 まったく、と次兄は溜息をついた。
「僕が研究所からここに来る途中、この子が寮の側をウロウロしてたんだよ。だからこうして引っ張ってきた。本当に素直じゃないんだから」
「なっ! 違うよっ! たまたま眠れなかったからこの辺まで散歩しに来てただけだよっ!」
 ハーレムの慌てる様子にサービスはおかしくなる。暗がりの中でもその頬が赤かった。
「……お前も風邪ひきそうな顔してる癖に」
 何だかハーレムがしょんぼりしているように見えて、サービスは声をかけた。
 そう言えば幼い頃からこうだった。
 自分が元気な時は何とかして自分をへこませようと煩い彼だが、いざサービスが病気になると遠巻きにして近付いてこない。
 きっと、かける言葉が見つからないからだ。サービスにはそれがよくわかる。自分もそうだからだ。
 ハーレムが病気になった時、幼かった自分もよくそうやって彼を避けていた。
 もっとも、双子の兄が風邪をひくとすぐに自分も気分が悪くなって寝込んだものだが、逆もまたしかり。
 繰り返しで忙しく熱を出し、わざとやっているのではないかと、困った長兄が父に愚痴を言っていたのを覚えている。
 淡い霧の向こうの記憶。
 ……楽しかった……。
「バーカ。俺はオマエとは鍛え方が違うからヨ。もう風邪なんてひかねーよ」
 明日早いから、としきりに帰りたがるハーレム。ルーザーは苦笑している。
「ルーザー兄さんも戻って。僕も眠ります。多分学校に入ってからずっと風邪なんてひかなかったから、一度にどっときたんだと思う」
「そうだね、おやすみ、サービス。邪魔をして悪かったよ」
 兄の細い指先が、自分の寝乱れた毛布を直してくれる。そしてにっこり笑って背中を向けた。
 サービスも微笑む。
「おやすみなさい。来てくれて嬉しかった」
「ケッ……じゃーな」
 ちらりと自分を見て立ち去るハーレム。
 二人が出て行くと、また静けさがサービスを包んだ。ぼうっとした橙色の明かりに部屋が染まる。
 うとうとと意識がまどろみに落ちていく。再び、ゆっくりと目の前に薄闇の海が広がっていく。



 ……。
 額に触れた冷たさに、沈み込んだ闇から引き揚げられる感触がした。
 ……氷……?
 いや、そういう物理的な冷たさではない。
 もっと……触れたものの熱を奪いすべて凍てつかせるような……氷らせ粉微塵にするような……そんな破壊的な冷たさ……。
 肌に染み込んでくる……体の芯にまで……。
 ……。
 死の匂い。
「……ッ」
 はっとして目を開ける。
 デスクライトの光の中に、黒髪。
 ジャン。
「あ、サービス。起きたんだ。ちょうど今、氷嚢を取り替えようと思って」
 切れ長の黒目が言った。
 気分はどう? 熱はこの分じゃ明日一日大人しくしてりゃ下がりそうだナ。今、4時。外じゃ猫がにゃーにゃー煩くって。今ってそんな季節?
 サービスは自分の額に手を当てる。
 まだ感触が残っていた。



「今……ここに」
 え、とジャンが聞き返す。
 なんとなくそれ以上言えなくて、一言『冷たかった』と漏らすと『この氷嚢だろ?』という答えが返ってきた。
「……さっき起きた時、お前はいなかったね」
「ウン、ちょっとどうしても眠くなって部屋に戻っちゃったよ。もしかして寂しかった?」
「まさか。ただ聞いただけ」
 サービスは襟元を緩めて、右肩を下にして横を向いた。少し息苦しくなったからだ。
 ジャンは弟の自分に、あの感触がわからないとでも思っているのだろうか。
「コラ、横向くなよ。ちゃんと氷嚢当てて。折角取り替えてやったんだから」
 そのままサービスはまた目を瞑った。
 今度は脳裏に昼間の慰霊式の光景が浮かぶ。
 死んだ人々。あの冷たさの中で、殺された人々。命を粉微塵にされた人々。
「……死ぬ、って、どんなことだと思う」
 そうぼそりと呟くと、ジャンが不思議そうな声で返してくる。
「どうしたんだよ……ははあ、さては熱出て気弱になったンだろ。オカシイな、サービス」
 サービスが黙っていると、今度は少し困ったような、真剣なような言葉が背後からした。
「……死んだらみんな土に帰るんだよ。動物と同じさ。それだけの、ことだろう?」
「土に、ね。ジャンは相変わらず素朴な答えしかしない」
「どうせ俺は面白みのない男だよ。でもそれが本当のことだろ。俺が知ってる……生き物たちは、みんな土に帰っていった。そこで眠って逝ったよ。そういうモンだと思う……」
 その言葉は、最後が少し歯切れが悪かった。
 そこで会話は途切れて、いつしかサービスは再び微熱のまどろみへと堕ちこんでいく。



 ……僕らに帰る場所なんてあるんだろうか。
 ジャンは死ねばみな土に帰ると言った。
 そうなのかもしれない。
 でも僕の予感は違う。僕らの、この血は違う。
 土ではなく永遠に世界と時間とを放浪する海に帰るような気がする。
 波に揺られてたゆたう小瓶のように、たまに誰かに引き揚げられてコルク栓を抜かれ、意識が目覚める。
 また栓をされ、海に投げ捨てられる。その繰り返し。
 何が目的で何処に流されるのかもわからない。
 誰が僕らを拾い上げているのかもわからない。
 帰る? 何処へ? 元いた場所へ?
 ……いや、還る。
 何かもっと大きなものに。遥かな先の真実へと。
 僕らは流されながらも、向かっている。
 闇の中で、粘ついた泥と血に塗れながらも、壊れながらも、還りたいと願っている。








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