美しい人

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「女性って難しいね」
 その突然の言葉を聞いた時、ハーレムはスナック菓子を噴出しそうになった。
 激しくむせる。
「ゲ、ゲホッゲ、ゴホッ……ッ」
「どうしたの、お茶を飲むといいよ、ハーレム」
 そう言うと、ルーザーは長い睫毛を伏せてまた手元の本に目をやる。
 週末の私邸はきらめく陽光に包まれていた。
 ハーレムは寝転んでいた床から手を伸ばして、ポットの紅茶をガブ飲みすると、上目遣いで彼をまじまじと見つめる。
 このある意味人間を超越してるルーザー兄貴が、そんなコト言うなんて。
 天変地異の前触れか? 
 たまに人が家に帰ってきてやったと思ったらコレかよ!?



「……」
 涼しい風の次兄の横顔。ハーレムの胸に兆す疑念。
 ……ひょっとしてルーザーは女と付き合っているのだろうか。
 いつの間に?
 俺とサービスが家を出てから早いもので、一年と……いや、もうすぐ二年。
 その間にナンかあった?
 ハーレムには想像すらできない。
 彼としてはそれをもの凄く聞いてみたかったが、聞くのが怖い。
 なんとなくモジモジしていたら、さらにスゴいコトを兄は言ってきた。
「ハーレム、お前は女性と付き合ったことあるかい?」
「ナ、ナナナッ! えええええええ!?」
 瞬間湯沸かし器のように自分の頬が沸騰してしまう。
 ルーザーは、なんだ、と苦笑する。
「もう17なのに」
「うっせーよ! 俺はそんなヒマねえの! 強くなるの!」
「今、お菓子食べてるのに」
「コレは! コレは燃料なんだよ! 夕方から戻って特訓すんだヨ!」
 火照った顔を誤魔化すためにさらに紅茶を流し込んだが、どこか兄の言葉に人間らしさを感じて嬉しくなるハーレムである。
 同時に少しばかりの寂しさを覚えてしまう。
 一緒に育った兄が自分たちから離れて、遠くに行ってしまう感覚。
「お前もいつか子供を作らなきゃね」
「えあっ?」
 またそんなサラリと。
 ヤバい。本格的に頭のてっぺんにノボった血が引かん!!
 ハーレムは手に持った競馬新聞をバサバサやってみた。フカフカの絨毯の上をゴロゴロやってみる。



 彼が家にたまに帰ってくるのは、実はこの絨毯ゴロゴロがやりたいからだ。
 軍の寮では勿論そんなコトはできない。下士官待遇の身では絨毯などとは無縁であるということもあるのだが、何より体面というものがある。
 常に総帥の弟として特別視される自分だ。一族というだけで、この俺にビビる根性ないヤツら。
 しかしハーレムはその自分の位置が嫌いではなかった。
 俺が歩いてるだけでビビるなら、もっとビビらせてやりたい。
 こう、負けた馬みたいにブルブルとよ。
 俺が息をするだけで小便チビらせてやろうか?
 そのためには、早く強くなりたかった。
 そしてその時は、堂々と人前で絨毯ゴロゴロをやってやるのだ。
「ハーレム、本当にお前は子供っぽいことが大好きだね。もうちょっと落ち着いてサービスを見習えばいいのに。お前も一族を背負ってる一人なんだから」
「……フン、ルーザー兄貴は一族一族ばっかりだよナ。俺にゃあ頭悪いからよくわかんねーや」
 口を尖らせると兄はパタンと本を閉じた。顔を上げ、静かに澄んだ瞳でこちらを見る。
 ビクッ。
 ハーレムは自分の体が緊張するのを感じた。この雰囲気。
 クソッ、また条件反射だ。
「ハーレム」
 兄が呼ぶ。
「……な、ナンだよ……」
「お前は頭が悪いと言うより、わかろうとしてないんじゃないのかな」
「ち、違うって。だっていつもアンタやマジック兄貴の話してるコトって難しーじゃんかよ……使命とか秘石とかナンとかカンとかってさ……実感ねーもん……」



 兄二人は早くに死んだ父親から教えを受けていたらしいが、自分たち双子にはぼんやりとした記憶しかない。
 ただ父の側には、青い石があった。そして今、それは長兄の側にある。
 兄たちからの教育により、自分たち兄弟が特殊な力を持つ人間であるということは理解していたし、それはあの青い石のせいらしいということも知っている。そしてその対として、赤い石と赤の一族というのも存在するらしい。
 ハーレムは、ぐるりと首を回して、考えた。
 それで、青と赤が対立してて、食うか食われるかの世界で、俺たちは青の一族繁栄? 復興? のために、頑張らなきゃならないって。
 ……どーもピンとこない。
 それって、頑張らなかったらどうなるんだろう。
 頑張って、赤の一族を滅ぼして、青と赤の石を二つ揃えると世界が手に入るとかそういうのはあるらしいけど。
 父親も頑張ってたらしいけど。マジックやルーザーもその跡を継いで頑張ってるらしいけど。
 俺、赤の人間とか見たコトねーし。見たコトねーモノはどうも信じられないよ。
 もし俺が頑張らなかったら?
「殺されるよ」
 ルーザーが冷たく呟いた。ハーレムの心臓がどきりと跳ね上がった。
「そんな甘いことを言っていたら、お前は殺されるよ。生き残れない……」



 ルーザーはいつも本気だった。本気でない時がなかった。
 ハーレムは、ついじゃれてその領域に深く入り込みすぎ、鋭い刃物で切りつけられることになる。
 怖い。このキレイな顔が怖い。
 蛇ににらまれたカエルのように哀れな俺。
 負けて殺される前の馬みたいに震えるしかない俺。
 選ばれなくて、いつかは捨てられる俺。
「お前には血を感じる瞬間がないのかい?」
 兄が問い質してくる。ハーレムが答えられずにいると、そのまま言葉を続けた。
「僕にはあるよ。常に感じていると言ってもいい。特に目を瞑って眠る前の瞬間、意識がどこかへと流れていく時。その流れていく道筋が血の道だと思う」
「……」
「このどくどくとした鼓動が、僕たち兄弟を一つの場所へと導いているんだよ」
 ルーザーはハーレムの左腕を取った。手首の脈に耳を当てる。
「……脈が速いね。お前はいつも僕といる時は緊張している。僕のことが嫌い? 好き? まあどちらでもいいんだけど。兄弟なんだから同じことだ」
 兄は笑っていた。
「今この瞬間も僕はお前との間に血を感じている。本当にお前は感じないの? 気付かない振りをしてるんだよ。遅咲きだな。おかしいね、ハーレム」
「……血、血って」
「そう、血だよ。僕ら四人をつなぐ血。ほら、目を閉じてごらん。お前にも見えるはずだ」



 ハーレムはただ恐ろしくて、大人しく目を閉じた。
 暗闇の中に自分がいる。
 ……怖い。
 蘇るあの時の想い。幼い日のこと。だけどあの時は、側にサービスがいた。
 守らなきゃって思った。あいつがいたから、俺は踏ん張れたんだ。
 でも今は一人。孤独の中に一人。俺は一人。
 そう感じた瞬間、足元が揺らめいた。
 自分は大きな青い海の中にいた。
 海は自分をさらう。どこか果ての国へと体全てが持っていかれる。
 溺れる。ハーレムは必死にもがいた。
 この水は重い。粘り手足に絡みつく。呼吸を塞ぐ。
 海面が遠くなり、沈んでゆく自分。
 ここであきらめれば楽になれる。それだけが遠くなる意識の中でわかった。
「……ハーレム」
 その声でハッと意識が覚醒する。
 次兄の顔が倒れこんでいる自分のすぐ側にあった。



「お前にも見えたかい」
 ハーレムはただ荒く息をついた。
 本当に死ぬかと思った。本当の自分が死んでしまうかと思った。
 この体の奥底の青い海。あれは……。
「それが完全に見えるようになれば、お前は力をコントロールできるようになるよ」
 マジックやルーザーはあの海を最後まで越えたのだろうか。
 目の前の次兄はゆっくりと言う。
「お前が目覚めれば兄さんが訓練してくれるだろう。時期を見計らってね。それが一族の伝統だ」
 ハーレムは唇を噛み締めた。
 ……俺は。あの海は越えたくない。
 それが運命だとしても、彼は溺れたくなかった。あきらめずにもがきたかった。
「……そんな、生まれた時から決まってるモノに、どーこーされンのはイヤだよ……」
 呟いた言葉をルーザーは聞き逃さなかった。細い指で強く肩をつかまれる。
 兄の左眼が輝いた。
「……ッ」
 堪えようのない圧迫感。精神が押し潰される。
 ハーレムの頭の芯がガンガンする。なす術もなく追い詰められる。
 恐怖。
 戦場でのギリギリ感を超えた、自分が虫けらになる恐怖。



「お前、左眼がうずくだろう。僕と同じ左眼だよ。左眼に、僕らの心臓はある」
 その輝きに反応してか、ハーレムの左眼からは涙が溢れ出した。
 変だ、この涙はべとべとしている。
 痛い。苦しい。熱い。冷たい。
 まどろっこしくて今の自分には吐き出せないどろりとしたもの。
 それは大きな力。しかし動けない。全てを自由にできるのに全てを自由にできない。
 これが力? これが血?
「お前が失敗しても、それはお前一人の問題じゃない。一族皆に迷惑をかけることになる。特に兄さんの足を引っ張ることだけは、僕は許さない。それを忘れないように」
 生まれた時から連帯責任なんて、そんなのひどい。
 よくわからない何か大きなものに縛られている。
 あの石と過去から受け継がれてきた古い血。
 ハーレムにとって青の血とは、たまに青い石と共に篭るマジックの部屋の扉であり、ルーザーのこの美しい顔であり、自身の体の中で時折うごめく、何か得体の知れない濁った心だった。



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「兄さん、どうも難しいです」
 深夜の私邸では、ルーザーがマジックに報告を行っていた。
「なかなか受精しない。試験管の方もだめですね」
「……」
 血が濃いとその困難性が増すのはわかっていたが、僕程度でも難しい、と弟は言った。
 そして尋ねてくる。
「もう一人の方も対象にしてよろしいですか?」
 ルーザーが孕ませようと苦心していたのは日本人の妹の方。それを姉まで相手にするのか。
「姉妹で……本人達が嫌がるだろう」
「姉の方は、ちゃんとお話したら理解してくれましたよ」
 何でも先回りしてしまう弟だ。
 どう話したのか、と聞こうとしてやめた。
 何であれ、結局のところ、女は妹が人質に取られた状態だから了解したんだろう。
 きつい目をしていた黒髪黒瞳の女。
 その顔を思い出そうとすると、別の顔が脳裏に浮かぶ。
 あの男の場合の人質はサービス……?
 ……考えるのはやめておこう。



 色んな想いが絡まって、憂鬱な気分になる。
 弟の顔を見た。自分の視線を受けて、彼は優しく微笑む。
 自分の線を細く、より女性的にしたらこの顔になるんだろう。
 ルーザー。
 おそらくその姉の気持ちは、兄である自分のこの弟への気持ちと同じであるだろうに、彼にはそれが理解できない。
 血縁関係というものはわかっているだろうが、それに伴う情がわかっていないのだ。
 長年の疑問が脳裏をかすめる。
 ルーザー自身は、兄である自分や弟たちのことをどう思っているのか。
 この頭のいい弟は、もしかしたら兄弟を演じているだけなのかもしれない。
 情よりも知性で世界を理解しようとする男。
 自分には、それが異常なことであると、彼にはっきりと説明することができない。
 真実は知りたくないからだ。それが演技なら最後まで騙されていたかった。
 だから根本的な説明をせず、その間違いを正さず、マジックはルーザーの好きにさせる。
 そしてたまに起こす悪い結果のみを処理するのが常だった。
 ルーザーの本質について見ない振りをしている自分。
 その知りたくないという気持ちの下に、根本的な問題が存在していることには気付いている。
 双子程わかりやすく素直ではないが、自分たち二人は似た者同士。
 つながっている。
 顔かたち精神は勿論のこと、双子が生まれる前の5年、二人っきりで側にいた。
 十数年、二人っきりで一族を支えた。そして今も、二人っきりでここにいる。
 その同質性ゆえに、ルーザーを深く見る時、マジックはの自らの内面を見ることになる。
 それが嫌なのだ。
 血を感じる。お前といると鏡のように自分を感じるよ。
 ひとたびは越えたはずの深い闇が再び視界を閉ざす。
 闇の海は幼い日のあの時より暗い。
 ――ひどく儚い笑顔の男、ルーザー。
 ――白い花のような弟。



「……弟が来るはずでしたが。私でもよろしいですか」
 日本人の姉の所へは自分が行った。
 自分の行動は、ルーザーよりも謎に満ちているのかもしれないとマジックは考えた。




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