美しい人

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 士官学校寮は成績順で部屋が決まるシステムを取っている。
 常にトップを争っていたサービスやジャン、高松は、試験の度に互いの一人部屋を入れ替わり差し替わりしていた。
 現在は、一番の成績を示す最右の部屋はサービスが、その隣がジャン。そして高松。
 先日の最終試験の成績で、卒業式で答辞を述べる首席が決まる。
 二年の月日は早い。
 もうすぐ、卒業だ。その後にはすぐに初陣が待っている。
「卒業ねェ? 全然実感ないけど。だってすぐ隣の軍の宿舎に移動するだけだし」
 笑ってジャンが言う。
「……まあね」
 髪をかきあげてサービスが答えると、彼は眩しそうに目を細めた。
「……」
 近頃、自分たちは二人きりになることを避けるようになった。



 この数日、研究所に泊り込んでいた高松が戻ってきた。
 部屋に行くと机の上に光るものがある。卒業祝いにルーザーに貰ったタイピンだという。
 おかしい。コイツならもっとはしゃぐだろうに。
 不審に感じたサービスの胸に、高松の疲れた様子がひどく気になった。
 放課後、サービスが研究所に立ち寄ると、ルーザーは敷地の裏手で、風に吹かれていた。
「ああ、サービス。一段落ついたものだから。ここは少し寒いね」
 兄はそう言って、自分に目を細めた。
 春にはまだ早い。淡い色をした草々が、身を縮ぢ込めて季節を待っていた。
 何でもない話題の合間に、タイピンのことをそれとなく聞いてみる。
「うん。なんだか欲しそうな顔してたから。それでなくても高松にはよくやって貰ってるし」
 やはり特別な意味はないらしい。
 良かった、と思う。
 サービスは弟ながら、いつもこの兄のことが心配になる。
 自分も人のことは言えないが、どこか浮世から離れた場所に彼の世界はあった。
 また風が吹いている。
 ルーザーの長めの金髪と、白衣をふわりと巻き上げて、風はどこか遠い所へと彼をさらっていくかのように見えた。
 はかない横顔。



 サービス自身も顔立ちが美しいとよく言われる。
 しかし、ルーザーは顔立ちはむろんだが、雰囲気やその立ち居振る舞い歩き方、日常の何気ない動作全てが集まって一つの調和美を生み出していた。
 何か一つ欠けてもいけない、余計でもいけない、そのバランスの危うさ。
「ふふ。さてはサービス、お前も卒業祝いが欲しいんだろう? ちゃんと考えてあるよ。こないだ兄さんと相談した」
 サービスは、そんなルーザーに向かって微笑んだ。
 本当に優しい。大好きな兄だ。
 長兄には密かなコンプレックスを、双子の兄には複雑な思いを抱いているサービスだが、この次兄ルーザーに対してだけは素直に好きだという気持ちを表現できた。
「首席は取れそうかい? 高松も頑張っているようだけど、実技が入るとお前の方が優勢だと聞いているよ。あともう一人ライバルがいるんだっけね。たまに見かけるお友達」
「ええ。頑張ります。結果はまだわからないけど」
 僕の方もね、と兄は言った。
「長年やってる実験が成功しそうなんだ。僕たち一族に関係する実験だよ……兄弟って不思議だね。今までどうやっても駄目だったのに、マジック兄さんが手伝ってくれた途端、上手くいったんだ。血の濃い者同士には力を増幅させる作用があるのかもしれない……研究してみる価値はある」
 ルーザーの研究内容はいつもながらわからなかったが、その嬉しそうな笑顔にホッとする。
 まったく研究の虫なんだから。
 サービスは彼のこういう純粋な部分を見ると嬉しい。
「お前とハーレムもそうなんだと思うよ。双子でいつも一緒にいただろう。もう少し仲良くしてみたら?」
「それだけは、いくらルーザー兄さんの頼みでも無理です」
 即答すると綺麗な顔が苦笑した。
 そうだね、お前たちが仲良くしてたのなんて、滅多に見たことないよ。
 ルーザーはそう言うと、冷たい風が吹いてくる方の空を見て、遠い目をした。



 冬と春が入り混じった白い雲は、濃淡に別れてゆるやかに流れていく。
「でも、一度だけ二人がくっついてたのを見たことあったかな。ホラ、避暑地でお前たちがマーモットを追いかけて森に入ってしまった時のこと。覚えてるかい」
「……」
 あまり思い出したくない過去だ。
『リス! リス!』
『ばか、ハーレム、あれはマーモットってゆうって』
『ボクがつかまえる! よわむしサービスはみてろヨ』
『ばかにつかまえられるもんか、ボクがつかまえる』
『なんだとお!』
 森で一緒に穴に転がり込み、一晩過ごして朝方助け出された。
 あの時の父や兄の真剣な顔は今でも目に浮かんでくる。
「枯れ草の中で眠っていたお前たちはまるで天使だった」
 そう言って微笑むルーザーの方が、サービスには天使に見える。
 穢れを知らない人。
 今にも美しい世界へと地上から飛び去ってしまいそうな、美しい人。
「懐かしいね。久しぶりに昔を思い出したよ」
 そしてルーザーは風の中で、また静かに笑った。



 その夜、士官学校寮内では非常灯火統制が敷かれた。
 現在軍は複数の敵対国と激しい交戦状態にある。そのため実質的な脅威はなくとも、情報が入るといくらかの統制が敷かれることは日常化していた。
「信じられない! 信じられませんよッ! これは私に対する嫌がらせですかッ!」
 数日後に研究コース用の卒業論文提出を控えた高松が騒いでいる。
 明かりを使えないので、ライトの光程度では数多の資料を照らし合わせた最終チェックができないらしい。
 へえ、ほう、とサービスとジャンが納得している間に彼は荷物をまとめ、研究所の地下室に行くと言い捨て飛び出した。
「研究バカって凄いね」
 ルーザーの熱心さには尊敬を覚えるサービスだが、なぜか高松には『へえ』としか思えない。
 その自分の奥には何があるんだろうと時々思うが、まあどうでもいいことにしていた。
「バカって言ってやるなよ。俺は高松のああいうトコ、結構スゲーと思うよ」
 ジャンがこうして隣で素直に感想を言うからなのかもしれない。
 だから自分は何に対しても素直になれないのだ、穿った見方をしてしまうのだ、とサービスはとりあえず責任を黒髪の友人に押し付けてみた。
「いたたたた! またそーやって突然俺をイジメるッ!」
 手の甲をつねってやった。自業自得だ。



 主のいなくなった高松の部屋を後にして、二人は暗い廊下に出る。他の大部屋の生徒と離れたこの個人部屋棟は、ひっそりと静まり返っていた。
 全ての明かりが消された、黒い世界。
 この雰囲気はいつも苦手だ。
 しかも今夜は闇夜だ。月の光さえない。
「……」
 壁際の彫像が動いた気がした。
 気のせい。気のせいだと、サービスは自分に言い聞かせた。しかし。
 ガタッ!
「……!」
「なんだ、猫か」
 ほとんどセキュリティの施されていない学生寮では、たまに動物が入り込む。この猫は個人棟常連の生徒たちに可愛がられていた黒猫だった。
「……」
 思わずサービスの手がジャンの服の裾をつかんでいる。そしてしまったと気付いてすぐに手を離した。
 ジャンがにやにやしているのが暗闇でもわかった。
「……サービス。本当は怖いんだろ」
「そんな訳あるか!」
「まったまたヤセ我慢しちゃって。いいよ、一緒に部屋に行ってやるよ」
「誰も頼んでない!」
「ハイハイ」
 最近ではうまくあしらわれているような気がするサービスである。



 サービスとジャンは、特に何をするでもなく、狭い部屋でベッドに並んで座ってラジオから流れる音楽を聞いている。
 二人の距離は20cm。それ以上近付くと互いが緊張し、遠いと不安になった。
 サービスは彼と出会ったばかりの頃の、あの幽霊騒ぎを思い出す。
 あの時、こんな風に二人は初めて側に座った。
 あれから何か自分たちは変わったのだろうか。
 ジャンの方はわからないが……少なくとも自分が変わったことには気付いている。
 僕の肩は、この近くにある体温に緊張している。
「……今年のスケジュール聞いた? 卒業式の翌々日から早速初陣だ」
 ジャンがこちらを見ずに言う。
「ああ。最近は敵対国の攻勢が苛烈化してるらしいから。新兵を遊ばせておく暇はないってね。速攻で戦場に放り込まれる。結構大変な時期に卒業が当たってしまったみたいだ」
「遅いか早いかの違いだから、別にいいけどナ」
「うん……」
 また話題がなくなった。
 ラジオのありきたりな流行歌だけが小さく響く。
 白い壁の、傷がやけに目について、離れない。



 サービスは前々から抱えていた疑問を胸の内に見つけ、聞いてみた。
「ジャン」
「ん?」
「ジャンってさ、どうしてここに入ったの」
「……どうしてって」
 彼が戸惑っているのがわかった。
「お前は、あんまり士官学校なんて所にいるタイプじゃないだろ。人を殺す職業なんて、似合わない」
「それを言うなら、サービスだって」
「僕は例の一族だよ。ジャンは僕を誤解してる」
「別に誤解なんてしてないよ。俺は、ちゃんとわかってるよ……」
 どうだか。サービスは俯く。
 普通の人間には絶対にわからないのだと思う。
 一人になると、暗い世界にいると、自分の中にたぎるもの。
 異様な衝動。ざわめく心。震える足先。それは何か恐ろしいものが身の内に住む感覚だった。
 支配されているという気付きと諦観。
 広い海の横たわる砂浜まで行って戻るその繰り返し。
 僕はきっと、簡単に人が殺せる。
 僕にはその力がある。
 他人などどうでもいい、ただの自らの欲望に汚れた生き物。
 この想いをわかってくれるのは、同じ血を分けた兄弟しかいない。



 ――初陣。
 サービスは想う。
 僕が人を初めて殺す所を、ジャンには見られたくない。
 でも僕はまだ……完全に汚れてはいない気がする。
 もしこの青の力を使うなら、それはジャンのために使いたいと思えるから。
 ジャンがいれば、僕は……。
「……また、黙っちゃったナ、サービス」
「……」
「暗いから? だいたいサービスって何で暗闇が怖いの」
「別に怖くなんか」
「強がり」
 ……光が。
 昔あったからだ。
 遠い昔の幼い頃。
 それを知らなければ自分が闇にいることを知らないで済んでいた。
 僕たち兄弟はずっと、夜の海の中でかげろうの光を追って彷徨っている。
 でも僕は。
 ……。
 なぜか、ジャンからはその光と似た匂いがするような気がするんだ。
 サービスはいつの間にか自分が目を瞑っていたことに気付き、ゆっくりと目蓋を開いた。
 ジャンがいつもの距離より近い位置にいる。
「……」
 見詰め合った。
 たった数秒のようにも、もっと長い時間のようにも思えた。数cmの距離が近くて遠かった。
 そしてそのまま二人は顔を背ける。
「……もう遅いからな。寝るだろ? 俺ももう寝るよ。また明日も早いから」
「そうだね。おやすみ、ジャン」
「……おやすみ、サービス」
 ジャンは立ち上がる。ぎしりとベッドがきしむ音がした。
 そして去り際に彼はこんなことを言った。
「初陣が終わったら、俺の話を聞いて欲しい」
 旧式のラジオからは、まだ音楽が流れている。
 ――僕とジャンはいつも、こういった果てのない問答をしながら、この日々を生きていた。



 サービスが兄二人に子供が生まれることを知ったのは、それからもう少し後のことだった。





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