終わりの初陣

BACK:8:酷い男 | 長めの話 | HOME | NEXT:9-2:終わりの初陣


「ジャン?」
「……え? あ、いや何でもないよ」
 危ない。一瞬意識が飛んでいた。
「ジャンは大物だな。敵陣の中で、しかもこんな状況で全然緊張してないなんて。図太いとも言うけど」
「放っとけ」
 薄い金髪は、太陽の光を浴びて銀色にも見える。
 猫のようなしなやかな柔毛は、サービスが身動きするたびに空気を跳ね、辺りがぱあっと明るくなる。
 輝いてる。綺麗だ。妖精がいるとしたら、きっと彼に似ている。
 綺麗だ。
 綺麗で、可愛い。好きだ。どんな言葉でも足りない。
 俺のこんな気持ち、きっとコイツは知らない。
 知ってるのは俺と……そしてあの男だけ。



 ずきりと肩の傷が痛む。
 肉を喰い千切られる寸前だった傷口は、時がたつに連れ鈍い痛みを増してくる。
 銃を使うには支障のない位置だということが、兵の実用性を重んじるあの男らしくて嫌になる。
 あの後、赤の玉に危険性を報告したが返答はまだない。
 様子見という所なのだろうか。自分の正体がばれているのかどうかは、昨夜だけの出来事ではよくわからない。
 自己判断で潜入を中止すべきかもしれなかったが、それではここまで築き上げてきた赤の玉の計画を台無しにすることを意味する。
 それにもし青の一族による自分の駆逐が決定されていたとしても、その総帥たるあの男が、自らそれを匂わすような行動を取るだろうか? 
 結局昨日は抱かれなかったが、ただの気まぐれかもしれない。
 ジャンが警戒しながら自室に戻ってからも、何の変化もなかった。
 ……殺すつもりなら、あの時殺されていただろう。
 初陣に旅立つ士官学校生を見送る出陣式も、何の滞りもなく済み、壇上で訓示を行う総帥もいつも通りだった。
 赤い軍服が朝陽に映え、自分の隣に立つサービスも、いつもの誇らしそうな顔で兄を見つめていた。
 これ以上にないくらい晴れ晴れしい光景だった。




終わりの初陣





 何の違和感を持つ出来事もなく、以前から決められていた通りに自分とサービスは同部隊に配置され、戦地へと送られた。
 そして今、その部隊は壊滅し、サービスと二人で岩場に身を隠している。
 だが最初から激戦地帯に派遣されたことだけには驚いたが。
 士官学校でトップを争った実力を買われてのことらしいが、自分はともかくサービスは総帥の弟だというのに。
 親族ではあっても特別扱いはしないという姿勢を見せつけているのかもしれない。
 サービスの双子の兄であるハーレムは、すでに第一線で危険に身を晒し続けている。
 一族が一族であるが故に優遇されるのではなく、その優秀さ故に特別なのだということを彼らは身をもって証明しているのだ。
 上官は戦死し生き残ったのは新参兵の二人だったというのは、戦場の不思議という他ないが、サービスの優秀さの証明にはなる。二人が隊の防御方面を任されていたことも大きいかもしれない。



 自分が潜入を中止しなかったのは、サービスの存在が大きかったことには気付いている。
 少しでも長く彼の側にいたい。その想いが自分の判断を狂わせる。
 何が正しいのかはわからないこの世界で、それだけが確かさのような気がした。
 自分を作った赤の玉の指令がない限りは。
 ……もしサービスを殺せと命令されたら、俺はどうするだろうか。
 ジャンは考える。
 仮に赤の玉が計画破綻の危険性を察知したなら、ジャンに撤退を命じる時に少しでも青の一族の勢力を殺ごうとするに違いない。おそらく取り入った人間の暗殺を命じられる。
 まずサービスを殺し、あわよくば一族の長であるマジックを。
 実感が湧かずに、じっと手を見る。
 この手は青の一族を殺すために作られたというのに。
 泥だらけの手は、今は初めて愛した青の人を守るために使われている。
「今日のジャンは静かだね。気味が悪い」
 いきなりサービスに顔を覗き込まれ、胸が痛む。
「いつもは煩いぐらいなのに。本当は……緊張してるのかい?」
「緊張? そりゃしてるさ。なんたってこんな寂しい場所でサービスと二人きりだぜ? 俺がイジメられても誰も助けちゃくれない。もうドッキドキさ」
「なんだよそれ」
 サービスの美しい顔がしかめられ、こつんと頭を叩かれる。
 そしてふっと微笑む。
 でもお前と一緒に生き残れて良かった、とその口が言った。



 夕闇が辺りを包む。夜になったら行動開始だ。
「しかし最初の実戦が負け戦とは……ついてないな、サービス」
「明日になれば援軍がくるよ。もう少しの辛抱だろう」
「ならばいいがナ!」
 こんな暗い状況なのに、何故かサービスといると心が明るくなる。
 自然に笑いが込み上げてくる。
 あ、サービスも笑った。彼も自分と同じように感じてくれていたら嬉しいけど。
 ジャンは立ち上がって、巨石に隠れて周囲を偵察する。
 数分毎に360度を割り振り、決められた偵察を行って全方面を警戒する。
 異常はない。小高い岩場から見下ろす荒れた大地は、人影も緑もなく貧しい国に見えた。
 沈む太陽の赤い斜光が消えてゆく。こんな場所まで版図に入れる必要はあるのだろうか。
「……しかし君の兄上も欲が深い。何もこんな辺境の国まで落とさなくても」
 事前に教えられていた情報の中で、青の一族は執着が深いというものがある。
 モノに対しても金に対しても権力に対しても、世俗の何に対しても。
 何かを手に入れたいという欲望自体が青い血の持つ力の源泉なのだという。
 赤い玉は彼らを欲望の一族と呼んだ。
 欲にまつわるドロドロした人間として汚い一切のこと。
 その穢れた沼のような海から生まれる途方もない強さ。
 それを体現した一族とその総帥。
「彼は生まれながらの覇王なんだよ……」
 深まりつつある闇の気配の中で、サービスが呟いた。
 覇王、か。
 そう考えると、じんじんとジャンの肩の傷が痛みを増してくる。
 あの人と同じ、そして一番若い青の血族、覇王の弟サービス。
 こんなに欲とは無縁の顔をしているのに。
 その言葉にはどれ程の深い意味があるのか。



 この2年、ジャンはいつももどかしい想いを抱えてきた。
 サービスに近付きたいのに近づけない。
 赤と青の狭間が自分たち二人の前に立ち塞がる。
 それとなく伝わってくる、彼の抱える青の血への悩みと、そして自分の秘めた赤の番人としての罪悪感。
 ……それゆえに犯し続ける不義と葛藤。
 サービスは自分の正体を知ったらどう思うだろうか。
 友人面をして自分を騙したと憤るだろうか。自分を憎むだろうか。
 側に近付いたのは計略だと、俺の気持ちを疑うだろうか。絶対的な敵として自分を容赦なく殺そうとするだろうか。
 そうなったら……自分はどうするのだろう。
 ジャンはまた手を見、隣のサービスを見た。
 俺のことを何も知らない、闇の中の白い顔。
 寂しくなって声をかける。
「……サービ……っ!」
 その声は怒号で遮られて闇に消えた。



 闇に乗じて行動を起こそうとするのは、何も自分達だけではないということは十分わかっていたはずなのに。
『いたぞ! 敵兵だ!』
 敵兵に発見されてしまった。しかも相手の数が多い。
 岩の谷間を数十の迷彩服が、こちらに向かって我先にと突進してくる。
 おそらく団員一人の殺害につき、いくらかの報奨金が出るのだろう。
 今、二人は荒々しい男達の早い者勝ちの獲物にされていた。
「ちッ!」
 ジャンは銃を構えると、敵の進入口に立って体で防ごうとした。
 背後を振り向かずに、言う。
「逃げろ、サービス!」
「ジャン!」
 しかし駆け寄ってくるサービスの足音が聞こえる。
 バカ。何してるんだ、逃げろ。
「俺のことはいいから、早く!」
 叫びながら、ジャンは敵兵を銃で殴り倒す。
 鼻先を掠める銃弾。相手の発砲を、倒した敵兵の体を盾に防ぐ。
 守りたい、サービスを。
 もうそれしかなかった。
「何やってるんだ! 逃げろ!」



 あとからあとから群れ満ちる敵兵。通常の戦闘ではこの数は防ぎきれない。
 サービス、早くここを立ち去れ。逃げろ。そればかりを祈った。
 ジャンの状況判断ではここは赤の力を使うしかなかったが、それは彼の前では使えない。
「サービ……」
 ついにジャンが焦って振り向くと、サービスは立ち尽くしていた。
 その背後にはキャノン砲を構えた敵兵がいる。いつの間にか回り込まれて、退路を絶たれていたのだ。
 ジャンの意識が、研ぎ澄まされるように凍りついた。俺たちを吹っ飛ばすつもりか。
 したり顔をした敵兵の声。
「おっと待った。キレイな顔した兄ちゃん!」
 不味い。俺はともかく、サービスは。
「ガンマ団の奴らはみんな死刑だ!」
 不味い。
 ジャンは唇を噛んで、ある決意をする。
 力を。俺が力を使って。俺の正体が暴かれる危険を冒しても。
 赤の力で……青のお前を。
 俺はお前を守りたい。
 ……。
 その瞬間、ジャンは押し寄せる波を感じた。
 濁流。制御されない怒涛の圧力。
 それは夜の闇すらも飲み込む深い闇の波動。
 一帯に青い光が炸裂した。



----------



「……」
 口の中に溜まった血を吐き出すと、ジャンはのろのろと立ち上がる。
 咳き込む。喉を押さえる。吸い込む空気すら、棘の塊のようだ。
 全身が引き裂かれたかと思うほどに痛い。肌にくい込む割れた石の感触が、意識を苛む。
 自分の額から、粘ついた赤黒い血が、大地に滴り落ちていく。
 ジャンが、その霞む目で一番に探したのは、サービスの姿だった。
「サ、サービス……」
 彼は傷一つない体で、岩場に横たわっていた。
 足を引き摺りながら、やっとのことで近づき、ジャンはサービスを抱え起こす。
 頚動脈に指を当て、次に唇に当てて、その生を確かめる。
 よかった。気絶しているだけだ。
 凄まじい青の力の暴発を目の当たりにしたのは、初めてだった。
 辺りを見渡すと、ばらばらに砕け散った肉片が散乱していた。
 月の淡い光に、人の脂がぬめり輝く。漂う血臭。凄惨な光景だった。かつては人間として息を紡いでいたそれらは、今はただの無機物として静まり返っている。
 ジャンは、そっと腕の中の人を見下ろす。
 こんな暴力的な力を使った後だというのに、目を閉じた彼の顔はとても美しく見えた。



 ――青は、不思議だ。
 一人ジャンは、虚空を見つめた。
 金色の美しい姿に凶暴性を秘め、望むままを行う。
 勝手でわがままで無神経で……そして一途だ。
 一生わかり合えないのかもしれない。赤と青のさだめ。
 だから惹かれる。
 こうして力を見た後でも、自分の中の想いは消えない。
 そんな自分がおかしかった。
 俺は赤の番人だというのに。
 作られた心が勝手に成長し、創造主に反抗してしまっている。
 ジャンは笑った。
 しばらく声を立てて一人笑ってから、気付いた。
 ……どこからか乾いた足音がする。



 月光に照らされて岩影から男が姿を現した。
 ジャンが今頭に浮かべた通りの特徴を持つ男だ。
 もう一人のサービスの兄。
 普段は各方面の研究所に篭って、士官学校生とは馴染みが薄いが、同級の高松が彼に心酔していることは知っていた。
 天才的な頭脳と優しさを併せ持つ男だという。
 表情のないまま、血と肉片の海を平然と進むその姿には、どこか無機質な造形美があった。
 どうして今、この場所に彼が。そう不思議に思うよりも、ジャンは呆然として、その姿を目に映していた。どこか非現実的な光景だった。
 男の顔は――ジャンに深い傷を与えた、総帥と似た顔立ちだが、何かが違う。
 この男は果たして地面を歩いているのだろうか。
 彼は、自分たち二人の数歩手前で立ち止まった。
 そのままでこの惨状を見ている。



「あ……あなたはサービスのお兄さんの……」
「ルーザーだよ、赤の一族くん」
 やっと唇から言葉を漏らしたジャンを遮り、透徹した声が静かな岩間に響いた。
 ずっとジャンが思い描いていた瞬間は、想像もしていなかった男によってもたらされた。
 突然のことに、その場から動くことができない。サービスを抱いたまま、ジャンは青の声を聞いている。
「新入隊員の血液検査は僕の担当でね。君の特殊な血、調べさせてもらったよ」
 どうしてだろう、これが現実だという感覚がない。
 時間が自分を置いて流れているみたいだ。
 血の通わない彫刻のような顔をした男が、月の光の中で生あるものとは見えないからだろうか。
 この腕の中のサービスの重みしか、確かなものは何一つない。
「随分よく普通の人間の血に似せてあったようだが……僕の目は誤魔化せない。数年前ならこれでも通用したんだけどね……」
 溜息がゆっくりと漏れた。
「兄として忠告させてもらうが」
 ルーザーは背を屈める。ジャンの顎を強く掴む。
 その兄よりも薄く、その弟よりも濃い青い瞳がジャンを射すくめた。
 抵抗できない。
 サービスの力を受けた俺の体にもうその力はない。
 ただ処理される、その感覚。
「弟には、永遠に近づくな」



 サービス。
 ごめん、サービス。
 お前が目を覚ますまで、俺は側にいてやれない。
 とうとう本当のことを話せなかった。
 お前との終わりが、今なんて。
 こんなあっと言う間の終わりなんて。
 再び青い閃光がジャンの世界を押し包んだ。







BACK:8:酷い男 | 長めの話 | HOME | NEXT:9-2:終わりの初陣