総帥猫科

BACK:17 | HOME | | NEXT:60



 足にまとわりついてくるように動くシンタローに、微笑を隠すことができない。
 幼い頃のシンタローと一緒にいるようで、ふと懐かしくなって、マジックは苦笑した。懐かしい空気にとらわれる。時間が遡る。
 ちっちゃな頃のシンちゃんは、ね。マジックは口の中だけで歌うように、自分に語りかけた。
 いつも、私の後を、小さな足音をさせて、ついてきて。
 料理をする時も、私の足にまとわりついて、パパ、パパ、と嬉しそうにしていたっけ。
 可愛かったな。今も勿論可愛いけれど。いつだって可愛いんだ。私のシンちゃんなんだから。
 ……シンちゃん。今も、パパのこと。好きでいてくれるかな。
「寝る前だから、ミルクがいいかな」
 マジックは棚から小振りの鍋を取り出し、鍋底をコンコンと手の甲で叩いて、シンタローに尋ねてみた。
「ウニャーウ」
 足元の黒猫は嬉しげに鳴いた。どうやらOKのようだ。
「それでは作らせて頂きます、シンタロー様」
「ニャウ」
 丁重なマジックの申出に、厳かにシンタローが、許可を与えた。



 鍋に火をかけ、ミルクを温める。
 視界の隅では、しなやかな黒シッポが揺れていて、不思議な気持ちになる。三角形の猫耳が動いて、声が聞こえて、シンタローがマジックを呼んだのがわかった。
「ナー。ンナア」
「なあに、シンちゃん」
 答えながら、マジックは思う。ああ、おしゃべりし始めた頃のシンタローも、こうやって話しかけてきたんだっけ。
「ンニャ」
 シンタローは、マジックの腿あたりに頭を擦りつけてから、こちらを見上げてきた。やけに素直だ。
 よく考えたら、猫のときも人間のときも一緒だな、とマジックは思った。そして子供のときも大人のときも、同じ。シンタローはずっと変らない。
 機嫌のいいシンちゃんが甘えてくるときって、こんな感じなんだ。子供じゃなくって、今の大きなシンちゃんだって、私にこうして甘えてくる。さりげなく、ね。
 いつもは私に、『なんでアンタって、こんなベタベタするのが好きなんだよ!』って文句言うクセに、自分だって体を寄せてくるときがあるんだ。シンちゃんってば。
 指摘すると怒るから、言わないでおくけど、ね。
「はは。もう少し待ってね」
「ニャ!」
 鍋が気になるのか、黒く長いシッポを泳がせて、うろうろマジックの側を歩き回っているシンタローに、マジックはまた微笑した。バスローブの白い紐を床に引きずりながら、動く黒猫。
 息子の時。そして今、恋人の時。どれも大事な私のシンタロー。
 白いローブの裾から伸びている黒いシッポが、やけに扇情的でさえある。シッポが、ぴんと上に立つと、裾がくいくいとまくれあがって、露になった太腿の上の方から、さらに上部までが見えそうになるのである。
 あーあ、またこのニャンコは。無意識にそんなことをして。
 マジックは思わず苦笑し、同時に、可愛いなと思った。



「蜂蜜を入れて、ハニーミルクにしようか」
 色とりどりの瓶の中から、茶色の瓶を手に取ったマジックは、その蓋をきゅっとひねり、スプーンを差し入れて、とろりとした蜂蜜をすくった。
 熱いミルクにそれを垂らすと、一筋の線が白いミルクに回転しながら混じりあい、円を描いて消えていった。
 頃合を見て、鍋の火を止める。
 いつもの習慣で、ついお揃いのマグカップを二つ取り出してから、マジックは首をかしげた。猫には、これでは飲みにくいだろうと思ったのである。
 ええと。やっぱり平らな皿に入れた方がいいのかな。一つを棚に戻し、脇から手ごろな深皿を出してみた。これなんか、飲みやすいかな?
 マグカップと皿を並べ、鍋を傾ける。白い液体を注ぎ入れる。
「ナーウ」
 シンタローは伸び上がって、シンクの縁に猫足をかけ、期待の瞳で皿とマジックの顔を、交互に見ていた。
 すんすん鼻を鳴らして、ミルクの香を間近で嗅ごうとするシンタローを、『熱いよ』と優しく手でさえぎる。
 不満そうな顔で見上げてくるシンタローに向かって、マジックは言った。
「冷ましてあげるから、ちょっと待ちなさい」
 トレイに皿とマグカップを乗せて、湯気と甘い香りと共にマジックは部屋中央へと戻る。ソファにかけ、ローテーブルにトレイを置いた。
 マジックより先に回りこみ、テーブルの端に猫足を乗せて、すでに待ち構えているシンタローに、ウインクして言う。
「ふうふう、してあげる」



 ミルク皿を自分の口元に持ち上げたマジックだったが、うっかりして、熱い皿の底に指が触れてしまった。
 自分でシンタローに注意しておきながら、とんだヘマをしたものである。シンタローの表情にみとれていたからだろうか。
「あちちち」
 皿が傾き、少しだけだが中身がこぼれた。マジックの右手は、ミルクに汚れた。
 慌てて皿をテーブルに置き、指をひらひらさせて熱をやり過ごす。濡れた手で耳たぶを掴む訳にもいかなかったから、そんなことをしていたのだが。
 その時、驚くべきことが起こった。
 不意に、シンタローがその濡れた手に飛びついたのである。猫足で、はっしとマジックの右手を掴み、躊躇なしに自分の口に含んでしまった。
 シンタローの赤い舌が、マジックの指を舐める。ミルクを舌ですくいとる。ぴちゃぴちゃと湿った音が響く。
「シ、シンちゃん!」
 中指を根元まで含み、無心に吸う黒猫に、マジックは慌てた声をあげる。
 舌の感触がひどくリアルで、マジックの胸はざわめく。舌は、中指の爪から第一関節、第二関節をたどり、やわい指の間までをなぞる。
 ちゅ、ちゅ、と指に吸い付く唇は、熱い液体に潤い、淫猥だった。
 肌から伝わってくる感覚と、この光景に、マジックは動揺した。らしくないが、どこか後ろめたい気がしたのだ。思わずマジックは、手を引っ込めてしまった。まったく柄にもない。
 急に手を引かれたシンタローは、びっくりしたような表情をした。玩具を取り上げられた赤ん坊のような目をしている。
「ンニャア――」
 おすわりをして首をかしげた黒猫は、ややあってから口を尖らした。恨みがましくマジックを見る。
「あは、シンちゃん、ごめんね」
 その場を誤魔化すようにマジックは、慌てて皿をシンタローの前に誇示する。ニッと笑って、相手の顔を覗き込みながら言う。
「はい、シンちゃんのミルクはこっち。パパの手じゃないよ。ふうふうするよ」
 シンタローの注意をひきながら、懸命にマジックは、ミルクを冷まそうと息を吹きかけた。
 物理的には、こんなことで温度が下がるとも思えないのだが、時間を稼いで、猫舌のやけどを防ぐためである。黒猫は波打つミルクの水面を、待ち遠しそうに眺めては、マジックに催促するように体をもじもじさせていた。



「さあーて、もうそろそろいいかな」
 かなりオーバーアクション気味に頑張って、マジックが何とか程よい熱さにまでしたミルクを、ようやっとテーブルに置くと、
「ニャアオ
 嬉しそうに一声鳴いて、シンタローは鼻をひくひくさせて香りを楽しみ、皿に向かった。
 舌を伸ばし、最初は控えめに白いミルクをすくいとる。目を細め、ゆっくりと味わってから、今度は忙しくミルクを舐めはじめた。
 お気に召したのだろう。よかった。
 そう考えながらも、胸をなでおろす。
 ああ、驚いた。そして自分の手を見て思う。でもかなり勿体なかったなあ。くすんくすん。
 今はミルクを舐めている、あの赤い舌に絡めとられた指は、まだ少しひんやりとしているような気がした。
 少々の残念感を胸に、それでもマジックは自分のやるべきことを思い出す。
「さてと」
 マジックは、シンタローの肩に、そっと触れた。
 お食事(?)中に触られるのは嫌かとも思ったのだが、意外にもシンタローは、ちょっと眉根を上げて迷惑そうな顔をしただけだった。猫耳を少し動かしただけで、またミルク皿に意識を集中し始めた。
 おやおや。マジックは、その様子に思わず頬を緩めた。これは、世話をする許可を得たと思って良いのだろうか。
 それでは、謹んで。お世話させて頂きます、シンタロー様。
 マジックはまずは猫の体に静かに手を回し、ほどけかかっているバスローブの紐を、しっかりと結んでやった。
 まったく、シンちゃん。目の毒だよ。
 それからマジックは、シンタローの結った髪をほどいた。雫が黒髪の先から滴る。マジックの手の平が今度は冷たい水で濡れた。
「シンちゃん、こんなままでいたらさあ、折角あったまったのに、冷えちゃうよ」
 ミルクを飲んでいる猫の邪魔にならないように、そっとタオルをあてて水分を拭き取ってから、ドライヤーで乾かしてやることにする。
 カチリとドライヤーのスイッチを押した瞬間、熱風が黒髪をなぶりはじめる。まるで黒い草原が風でなびくようだ。不思議だ。同じシャンプーを使っているはずなのに、どうしてかシンタローからは太陽の香りがするような気がする。
 黒髪の根元から優しく風をあて、目の粗いブラシで毛先までを流しながら梳いてやる。
 ふよふよと毛先の揺れる様が、マジックの心をくすぐる。弾力のある健康的な黒髪を、マジックは愛していた。



 ドライヤーを止めると、ちょうどミルクを飲み終わったシンタローが、空の皿を最後まで舐めたところだった。クフ、と息をついて、猫はこちらを振り向いた。
 マジックと目が合う。おや、と思った。なんと黒猫の口元には、ミルクがついてしまっていた。
 そういう飲み方をしたのだから当たり前なのではあるが、普段は見ることのできないシンタローの姿に、マジックはおかしくなった。
「あは、真っ白な、おヒゲが生えちゃってるよ」
 口まわりを指でぬぐってやると、シンタローは不服そうに『グゥ』と喉の奥から声を出した。
 まだ物足りないのだろうか。名残惜しそうに皿を眺めている。右を見て、左を見たが、ある時、ピタリと動きを止めた。じっと見つめているものがある。
 視線の先には、マジックが自分用にミルクを入れたマグカップがあった。まだ手付かずのまま残っていたのである。
 おやおや。私の分まで欲しいのかな。
 ――実はシンタローは、甘いものが好きなのだ。だが本人的には、それは格好のつかないことであると思っているらしく、そのことを隠したがる。他ではよくブラックコーヒー等を飲んでいるようである。
 甘党の総帥なんて、カワイイじゃないか、とマジックは思うのだが、どうやらそれはシンタローの総帥理想像からは遠く離れるらしい。カワイくてはダメらしい。カッコよくなければいけないらしい。
 さすがにマジックの前では、子供時代からの蓄積があるからか、そのようなフェイクはしない。かなり素直に甘いものを食べたり飲んだりしている。そう、歯磨き粉だって、甘いのが好きなんだよね。
 そういう行動自体が、やっぱり可愛いんだと思うけれどな、シンちゃん。
「ん、じゃあシンちゃんにあげようか」
 マジックは手を伸ばし、カップを手に取った。そして中身を全部、皿に注ぎ入れようとしたのだが。
 シンタローは一瞬、嬉しそうな顔をしたが、すぐに必死で首を振った。猫足で、ぽんぽんとマジックの腕を叩く。
「なあに?」
「ニャウ」
「ああ、私にも飲めって?」
「ニャウニャウ」
「それじゃね……」
 マジックは皿に半分を注ぎ、自分のマグカップには半分を残した。
「半分こ」
 シンタローは我が意を得たりという風にマジックの方を見た。マジックもまた嬉しくなって、まるでお祝いの時の様に、カップを高く掲げる。それから腕を下ろし、皿の縁に、カチリと触れ合わせた。
「かんぱーい」
 するとシンタローも、まねをするみたいにして、口を動かした。
「ニャンニャーイ」
 一人と一匹は、カップを傾け、もしくは皿に舌をつけた。人肌に近い温度になったハニーミルクは、甘く穏やかな味がした。
 温めたミルクに蜂蜜を混ぜただけの、シンプルな味のはずなのに。不思議だ。簡単のようで複雑なこと。絡めた糸のようで真っ直ぐに続いていく未来。
 互いの温度を口に含む。甘い。甘さに身体が満たされていく。これが幸せの味なのだと思う。



 空になったカップと皿、そして鍋を洗う段になって、マジックはくしゃみをした。
 そこでようやく気付いた。
「そういえば、自分の髪を乾かすのを忘れていたよ」
 急に濡れた髪が冷たく感じられた。
 もう一度ドライヤーを手に取り、ベッドに腰掛けた。黒髪ではなく金髪を乾かしにかかる。ベッドに腰掛けた。その間に、部屋中を、うろうろと猫の視点で散策しているシンタローである。
 マジックの手元でドライヤーが唸る中、猫はあちこちをひっくり返したり、覗き込んだりしている。
 その姿を微笑ましく見守りながらも、うーん、何かシンタローに見つけられて困るものはあったかな、と胸に手をあてて考え込むマジックであった。後ろ暗いことがありすぎて困る。
 とりあえず、ヤバいものは皆、秘密のシンタロー・コレクション部屋に隠しているはずなのだが。
 シンタローとマジックは、勿論、互いの部屋に入り浸っていたりするので(そりゃ恋人同士だからネ)、マジックは基本的にヤバいものを隠すということは学習しきっているのである。主にマジック側の数々の失敗を経て。家が崩壊するほどの激震を乗り越えて。
 危機管理能力にかけては、我ながら成長したなあとマジックは、しみじみ過去を思い返していた。そしてふと、昨夜の自分の行動に違和感を覚えた。
 あ、あれっ、私ったら。一人寝の寂しい夜に心を慰めるための、シンちゃん秘蔵写真って、ちゃんとしまったっけ? 確か昨日の夜は、それを見て和んだはず。ほんわか気分で眠りについたんだよね。私の安眠アイテムさ。まだその辺にあったらどうしよう。
 アレ見つかっちゃったら、まずいなー。なんせ、ヨダレ垂らして眠ってる萌え萌えショットから、勿論あーんなカッコやこーんなカッコの大胆ショットまで、色々あるもんなあ。刺激的ラブ。うーん、アレが見つかっちゃったら、Hの時にシンちゃんの監視が厳しくなって、こっそり写真が撮れなくなっちゃうよ。うーん、うーん。
 そわそわし始めたマジックは、今さらのようにこっそりと部屋を窺い、とりあえずは安全を確認する。ベッドの上にもサイドボードの上にも、それらしきものは何もない。見つけられた形跡もない。
 昨日の私、ちゃんとしまったよね? うん、よし。そうに違いない。安心しよう。よーし、安心した! それに決ーめた!
 心の中で勝手に一段落ついたマジックが、耳の後ろ辺りに熱風をあてていると、
「ん?」
 何やらシンタローが、洗面所近くの部屋隅で、ごそごそしている様子が目に入った。
 一瞬、すわ何か見つかったか! と目まぐるしく頭を回転させたものの、すぐに違うと気付いて、マジックは猫の動作を注視した。
 黒猫は、ハンガーにかけておいたマジックのジャケット――すでにボロボロの泥だらけであるが――を、しきりに前足でいじっているようだ。何かを探っているようである。
 ピンときたマジックは、ドライヤーを止めた。部屋は急に静かになった。
 猫に声をかける。
「さっきの手紙かい?」
 シンタローはバツが悪そうな顔をして、恨めしげにこちらを見た。
「……クゥ」



 沈黙が訪れた。マジックは静寂の最後に、大きく腕を広げた。呼ぶ。
「おいで、シンタロー」
「……」
 何か考えるような素振りをして、黒猫は逡巡しながらも、マジックの前まで来たものの、
「ニャウ」
 プイと無視して、マジックをスルーし、その隣、ベッドの上にかろやかに飛び乗った。ベッドがしなる。猫はふかふかの大きな枕の辺りにうずくまり、こちらを見た。
 んもう。
 空振った腕を下ろしてから、改めてマジックは黒猫に対して語りかけた。
「ごめんね、シンちゃん」
 黒猫は答えない。じっとマジックの顔を見つめている。
 何と言おうか、マジックは迷い、結局は、こんな言い方になった。決して上手くはない話の持っていき方だと思ったが、他に考え付かなかったから仕方がない。シンタロー相手には、どうにも不器用だと自覚している。
「ほら。あのね、パパってそんなにモテないんだよ」
「フンッ」
 黒猫は、馬鹿にしたように鼻で笑った。ベッドの上で、伸びをする。マジックは言葉を続ける。
「さっきのもね、シンちゃんを心配させようとして、わざとそれらしいとこ、読んだんだよ」
 マジックは立ち上がると、歩いていってジャケットの内ポケットから例のファンレターを取り出し、それを手にベッドへと戻ってくる。
 シンタローの前に広げる。
「ほらね。ただのお礼状だよ」



 森で、シンタローの注意を引きつけるために、意味ありげに手紙を読んだことを思い返しながら、マジックは言った。
「本当にごめんね。悪いことしたよ」
 黒猫は、のっそりと首を伸ばして、目の前に広げられた手紙を眺めていた。猫になったシンタローに文字を読むことができるのかはわからないが、熱心に見入っているようである。
 そしてふと、マジックの視線に気付いて、また、フン、と鼻を鳴らして、慌てて首を引っ込めた。今さら興味のない振りを装っても遅いのに、とマジックは肩をすくめる。
「で、思うんだけど」
 ベッドの、今度はもっとシンタローに近い場所に腰掛けたマジックは、言葉を止め、部屋隅を見つめ、窓へと視線を移した。カーテンが引かれてあったが、シンタローの先程の大暴れのせいで、レール部分が壊れていたため、床にずり下がっている。夜が途切れ途切れに姿を見せている。今は大分、傾きを大きくした満月の光が差し込んでいた。
「何と言うか……例えばファンクラブでさ。講演会とかサイン会とかイベントで。私に会うために、色んな人たちが集まってくるのは、みんな私が好きで集まってくるんじゃないと思うんだよね。そりゃファンは有難いけれど」
 マジックは両手を重ね、祈るようなかたちにして自らの顎下に置いた。
「みんなね、集まることが目的なんだよ。みんな何かに夢中になりたいと願ってる。大勢で一緒に何かを讃えて、一体感やら満足感やら非日常的感覚やら……とにかくそういうものをね、得たいと感じてるだけなんだと思うんだよ。その対象は何でもいいんだ」
 呟くように言った。



「お前とは違う……」
 マジックは再び言葉を区切ると、目を閉じた。視界が暗闇に染まったが、目を開けると穏やかな光が自分を包むのを感じて、彼は薄く笑った。
 側にある体温が、どうしようもなく愛しくなって、その気持ちを笑いで誤魔化さずにはいられない。
「かな? って、よく考えるんだけど。ねえ、シンタロー。その辺、どうなの。私のこと、好き?」
 ちらりと隣に目を遣ると、黒猫はしかつめらしい顔をして、お座りをしている。
 マジックは素早い動作で、シンタローに腕を伸ばした。つかまえた。猫がすり抜けていってしまわないように、ぎゅっと黒い頭を抱え込んだ。
 抱きしめながら、言う。
「好きでしょ? 本当の意味で好きだよね? お前は私のことが好きなんだ。なんだか最近の私は、かなり信じちゃってるんだけど。この私がだよ。ああ、もう私をこんなにさせて。もし嘘だったら、私は死んでしまうよ」
「……ンナーウ」
 シンタローは小さく鳴いた。だがまだ難しい顔をしている。マジックは黒猫の髪に頬を押しつけながら、囁いた。
「私は総帥を引退して、軍事的に世界征服することは止めたのだけれど、もしかしたら今もやっていることの方向性は同じかもしれないね」
 沢山の人を支配したくて……世界を動かしたくて……。
 ここでマジックは、また目を閉じそうになり、思い直す。
 今、言いたいことは、そんなことじゃなくって。
「だからさ、うーんと、私の言いたかったことは。お前は別に心配することないんだよ、ってこと」
 マジックは、抱えた黒い頭を離す。かわりに両肩に手を置いて、猫を正面から見据えた。
「それとね、いつも、心配させて、ごめんね、ってことが言いたかったんだ」
 心配なんてしてない、とでも主張するように、シンタローは脇を向いた。マジックはそんなシンタローの頭を撫でながら言う。
「だいたいさ、それを言うなら、私の方が心配さ。こっちこそ不安だよ。お前は人気があるし。捨てられたらどうしようって、いつも悩んじゃうぐらい」
 マジックは、両手を広げて、ぽふっとベッドに背を沈めた。駄々っ子のように転がってみた。
「あーあー、どうしよう。シンちゃんに捨てられちゃったら、どうしよう」
「ギャーウ」
 シンタローは口を尖らせながら、ばしばしと猫足でマジックの体を叩いてきた。
「シンちゃん、そんなにパパのファンクラブ、好きじゃないのかな」
 構わずマジックは、ベッドに転がりながら言葉を続ける。ベッドが揺れ、シーツが波打った。
「でもね、シンちゃんだって、誰でもと親しく話すじゃない!」
「ンギャーウ」
「私だって普段は何でもない顔してるけど、シンちゃんが誰かと仲良く話してるのを見ると、内心ではムッとして、『シンちゃん、そんなヤツじゃなくって、こっちを見て! 私の方を見て!』って、思ったりすることあるんだよ」
 広いベッドの枕元に陣取ったシンタローは、まるで鼠に相対した時のように、前かがみになって攻撃してくる。だが前述の通りに、爪を出さずに肉球が武器であるので、痛くはないのだった。
「私以外の人間と話さないでってお願いしたら、聞いてくれる? 聞いてくれないよね。わかってるんだ」
 そこでマジックは、転がるのを止めた。膝を抱えて体を丸めた。黒猫に背を向ける。
「……昔は私が総帥で忙しくて、今はお前が総帥で忙しい。なかなか一緒にいられないね。今日は久しぶりに、二人きりでゆっくりできると思ったのに、大騒動だったし」
 本気半分で、拗ねてみた。
 シンタローの肉球の感触が気持ちよくて、マジックはそのまま叩かせておいたのだが、業を煮やしたらしい黒猫は、しゅたっとマジックを飛び越えて、正面に回ってきた。
 ぺしぺし。
「むぐっ」
 唇のあたりを執拗に攻撃されて、否応なしに飛び起きた。
「ンニャウ」
「シンちゃんったら」
 起き上がったマジックに、勝ち誇ったようなのシンタロー。
 その頭を、マジックが強く抱きしめた。乾いた黒髪がマジックの鼻をくすぐり、幸せな気持ちに胸が満たされていく。
「大騒動でも、今夜はシンちゃんと過ごせて、嬉しかったよ」
心からの言葉が、口から漏れた。今日だけじゃなく、これからも。
「ずっと一緒にいたいな」








BACK:17 | HOME | | NEXT:60