総帥猫科

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『ンナア――ッ』
 苛立たしげに肩を地面にごしごしすりつけ、そのまま、ごろんと転がって夜空に向かって前足をしゃかしゃか回転させて、憤懣やるかたなしといった風に、呟いているシンタローである。
『コレダカニャ、アイツニャア!』
「ほら、また私のことを言っている。これだから、あいつは、って」
 マジックが画面を指差して主張しても、秘書たちは気のない返事である。
「そうですかぁ〜?」
「我々には、ニャーニャーとしか聞こえませんが」
「猫の声だっぺ!」
 互いに顔を見合わせて、秘書たちが口々に言う。いつの間にか馴染んでいる津軽少年も、秘書たちに賛成のようだ。
 マジックは首をかしげた。不思議なことだ。シンタローの言葉を聞き取ることができるのは、自分だけなのだろうか。
 それともシンタローを愛するあまりの幻聴なのだろうか?
 黒猫はまた、夜空を見つめて叫んだ。
『オニャジ! オボエテロニャ――ッ!』
「親父、覚えてろよ、かな、これは」
「やっぱりニャーニャーですよね〜」
 後輩ができて、カッコイイ所でも見せようとしているのか、妙にいつもより自信ありげにチョコレートロマンスが言い、他の秘書たちも、うんうんと頷く。
「……そうかな」
「そうですよー」
 おかしくなったと思われるのも癪なので、マジックはそれ以降は口を噤むことにしたのだが、心中では、これは決して幻聴などではないぞと考えていた。
 私だけに聞こえる、シンタローの声。
 これって、やっぱり愛の力なんじゃないの。ねえ、シンちゃん。



『ウニャ!』
 黒いシッポを、ぴーんと立てて、三角の猫耳までも、つーんと立てて、シンタローがニャンニャン怒りながら画面の外へと出て行ってしまう姿を、マジックはじっと見つめていた。
 豪華椅子にかけたまま、足を組みなおし、黙然と考えている。
 しかし……あのシッポ。根元が気になる。
 上着にちょうど上手く隠れてしまったのと、暗い映像なので、細部まではよくは見えないが、察するに。
 月の光を浴びてシンタローにシッポが生えた時に、その勢いで、ズボンのお尻の上辺りが、少し裂けてしまったのではないかと思う。そうでないと、あんな風に綺麗にシッポが外に出るはずがない。
 さっき押し倒した時は、正面しか見えなかったんだよね。もっと観察しとくんだった。
 そうか。ズボンのお尻の辺りが……そうかそうか、お尻の辺りが……。
 あれさ、やっぱりさ、あんな風にシッポ立ててると、角度によっては見えちゃうんじゃないの。穴の開いたお尻のとこがさ〜。まったくカメラも気が利かないよねー。何で斜め上からの撮影なのかなー。どうせなら斜め下のアングルが欲しかった。こう、ちょっとでもいいから、ちらっと。ちらちらちらっと。
 いやいや私。流されるな、ファイトだ、私!
 うーん、でもシッポの生え際って、どうなってんのかなあ。いやいやいや。これはあくまで学術的な興味だよ。私のうろ覚え辞典に収録するためには、必要な知識ではある。
 そっか、でも、お尻のとこに、穴が……。
 くっ……くうう!
 頑張れ、マジック! よからぬことを考えるんじゃない、マジック! うーんうーん。
 マジックが真剣な表情で、葛藤の最中にあった時。
「大変です! マジック様!」
「今度は何だ」
 再びチョコレートロマンスが、声をあげた。
「ドクター高松がこちらに接近中です!」
「またか……」



 ティラミスの差し出したモニターには、ピコーン、ピコーンと座標軸上を光点が、こちらに向かって移動してきているのがわかる。
 グンマにおびき寄せられた高松は、あきらめたのか、また狂科学者としての興味を優先させたのか、とんでもない速度で移動を再開し始めたのであった。
 しかし光点は、ほぼ一直線である。ぐんぐんと最短距離でこの森に接近中だ。なんて情熱だ。
 まさか障害物を飛び越えて、走っている訳ではあるまい。一体、どんな乗り物に乗ってきているのであろうか。医者だ。お前は、医者だぞ、高松。秘書たちでさえ陸路で来させたというのに、お前は空か。何だこの速度は。ヘリか。小型ジェットか。
 だとしたら軍用のものを使っているということで、おそらく急患だ、何だのと、勝手な理屈をつけているのではあるまいか。
 そこまでして……と、マジックは、溜息をついた。
 軍用ヘリか何かなら、目からビームで撃ち落す訳にもいかないし。何だかんだで不死身の高松であるが、騙されて同乗しているだろう操縦者もいることだし。ていうか、壊しちゃったら、後でシンちゃんに見つかって、怒られるのは私だし。
 なんだい、高松が悪いのにー。いっつもこういう場合、怒られるのは、私なんだよねー。まったくシンちゃんは、もう!
 思考を巡らせながら、マジックはまた携帯電話を手に取る。
 今度も数回のコールの後である。
 とんでもなく暗い声が、鼓膜に飛び込んできたのは。



『伯父上……』
 どよ〜んとした重苦しい空気が、伝わってきて、マジックは不味い所に出くわしたと思った。
 彼の可愛い甥っ子、キンタローである。
 なんだかちょっとラブな気分になった時に、暗雲立ち込める気配を感じて、思わず自分まで、電話越しの相手がしているだろう深刻な表情をしてしまうマジックである。
 この甥は、眉間にシワを寄せることに関しては、一族の中で追随を許さないエキスパートであるのだ。それはもう、こちらまで影響されてしまう程に。
 つい同じく眉間にシワを寄せたマジックに向かって、キンタローは地の底から聞こえてくるような声で、言葉を発した。
『こんばんは。寒暖差の激しい日々が続いていますが、伯父上、そちらはいかがですか……こちらは……先程、強い風が吹きました……増築した南塔の屋根は少々薄いらしく、俺の……いいですか、俺の研究室からも、みしみしいう音が聞こえ……』
「いや、天候の話はいいから。その声から察するに、キンタロー……また……」
 落ち込んでいるらしいのに、それでもイギリス紳士らしく、挨拶と天候の話をし始めるキンタローをおしとどめ、しかしこちらの用件をいきなり切り出すのもためらわれて、マジックは尋ねてみる。
 容易に予想できる事態。
『……』
 相手は押し黙った後。
『……ッ……不甲斐ありません……』
 搾り出すように言った。どうやら自らを恥じているらしい。
 マジックは、呟いた。
 なんだかわからないが、とにかく。実験に。
「失敗、したんだね……」



 キンタローの背後からは、プシュ――、キシュ――、シュウ――……等の、すでに爆発後の余韻であると思われる音が、無情に響いている。
 彼の作るメカは、外見は比較的まともなことが多いのだが、実は性能や中身は、グンマのものと変わらないことが多い。二人の違いは、グンマは何となくアバウトに。キンタローは、とにかく緻密に几帳面に。
 亡き弟ルーザーに、姿ばかりではなく性格まで似て、彼は異様なまでに完璧主義であった。余人なら気付きもしない細かな部分が気になって、一睡もしないで出勤することもあるのだという。目の下にクマができている時だってザラにある。
 ついついマジックも、彼に優しくしてやりたいような気分になるのが常だ。キンタローのピュアな性格は、年長者から見て、なんだか危なっかしい所も多く、構いたくなってしまう。
 今回も、なぐさめてやらなければいけないような気になって、マジックは言った。励ますように、わざと明るい声を出す。
「ほら、キンタロー。今度の休みにさ、一緒にお前の好きなジダイゲキでも見よう! 今話題の『赤ひげ危機一髪』」
『……』
「なんでもサムライな医者が江戸の町で繰り広げるハイパースリルサスペンスらしいよ!」
 相手の興味をひくように、楽しげに言ってみるマジックである。
 最近のマジックは、料理番組のみならず、サムライものにも嵌っている。日本大好き。シンタローに構ってもらえない時などに、自分が拗ねて居間でテレビを見ていると、キンタローも興味を示し、仲良く一緒に見ることがある。
『……』
「それとも『ハラキリ犯科帳』がいいかい? これはね、鬼と呼ばれたサムライの親分がね、必殺技のハラキリを駆使して……」
『……<遠山の金さん>がいいです……』
 ぼそり、とキンタローが呟いた。どうやら少し元気が出てきたらしい。いい兆候だ。
「よし、それね! 何だか知らないけど、ダンディなサムライが、半裸になったら悪人が黙るってヤツね! 半裸にそんな効果があるとは! それはいい、いいチョイスだよ」
『同じ名を持つ先人の偉業を、知っておかねばならないと思いまして』
「ああ、そうだね。いい心がけだね、これで次の休日の予定は決まったよ!」
『……はい!』
 キンタローの声に力が篭ったのが、わかった。
 少し安心したマジックは、さて、本題に入ろうと試みた。キンタローには悪いが、急がねばならない。高松の毒牙は、すぐ近くにまで迫っているのだ。



「キンタロー。実は電話したのは、休日の予定を決めようとしたからじゃあないんだ。ちょっとお前に頼み事があってね。先刻、グンマにもお願いしたことなんだが……」
『そういえばグンマはアフリカ1号で、出かけていたようですが』
「そうそう。それなんだよ」
 マジックは単刀直入に言った。
「ちょっと外に出て、高松に電話してほしいんだ」
『お断りします』
 しかし、あっさりと拒否されてしまった。
「うーん、ダメかなあ。諸事情あって、こっちはとっても困ってるんだよ。キンタローが、ちょーっと電話してくれると、とても助かるんだけど」
『他ならぬ伯父上の仰ることですが、それだけは嫌です。俺は、自分が高松に電話したいと思った時にだけ、電話します』
 これもグンマと似た返事である。
 反抗期の連鎖反応。高松が気の毒になったマジックである。
 先述したように、反抗期というものは、特別な人間に対してしか起こりえないものであるから、キンタローが高松に対して抱く想いは、これも特別なものであるのだろうと推察される。
 特にキンタローが拘るのが、名前である。
 名前――自己のアイデンティティーの拠り所。先刻の遠山の金さんではないが、彼は自分が自分であることにひどく拘る。失われた24年間を掻き集めようとする、その象徴が、自分自身の名前であるのだろう。
 彼のその名前をつけた人間は、高松その人である。
 キンタローが高松に向ける気持ちは、いかばかりのものなのだろうかと、マジックはグンマの場合と同じように、ちょっと切ない気持ちになった。



 さて。どう頼もうか。
 マジックが考えている内に、キンタローの背後から、暢気な声がした。
『あ、おとーさまでしょー、キンちゃん。もう高松、引き返しちゃったんだ〜』
 これはグンちゃん、いい所に! とマジックは思う。
 グンマから事情を説明してもらえば、話が早いだろう。協力してもらえるかもしれない。
 マジックがそんな期待を持った時である。
 声をひそめて――こちらに丸聞こえなので意味がないのだが――グンマが、キンタローに耳打ちしているらしい様子が伝わってきた。
『あのねえ、なんだか、おとーさま、焦ってるみたいでさぁ、高松にちょっとワンギリするだけで、今だったら何でも買ってくれるよぉ〜 キンちゃんもお願いしちゃいなよぉ』
『そうなのか?』
 ぐ……。
 何でもって。何でもって、グンちゃん! おとーさま、そんなにお金持ってないんだよっ!
 総帥時代ならまだしも、今は、特にシンちゃんの厳しい目が光ってるから、そこまで無駄使いできないんだよ!
 私はお金よりも、尻にひかれる愛を選んだんだから!
 マジックの心の声など聞こえるはずもなく、グンマのアドバイスはエスカレートしていく一方なのである。
『チャンスだよ! 僕なんかねえ、ソニー買ってもらっちゃうんだから。キンちゃんも何かおねだりしちゃいなよ!』
『ふむ……何でもか』
『そうそう、何でも
 だから、グンちゃん! キンタローをそそのかさないで! あんまり高いもの頼ませないで!
 心中で叫ぶマジックの耳に、こんな声が聞こえた。
『しかし、申し訳ないような気もするな』
 おっ、さすがキンタロー! 良い子だ!
『大丈夫だよぉ キンちゃんは、いっつも真面目なんだから、たまにはいいよっ! それにおとーさまにとっては、キンちゃんは、たった一人の可愛い甥だもん キンちゃんが頼めば、断れる訳ないよ!』
 折角のキンタローの気遣いに、水をさすグンマである。
 知恵をつけるな! キンタローによからぬことを教えるんじゃないよ、グンちゃん!
 それに断りにくい雰囲気を作らないで! 頼むから!
『確かに前から欲しかったものはあるのだが』
『ほらほら、おねだりしちゃいなよ なるべくなら、僕も使えるものがいいな
『わかった。分けてやろう』
 ちょっと待って! 一体何がくるの!



 どんな高価なものが来るのかと、マジックは息を詰めた。グンマがソニーと聞けば、もっと高いものも大丈夫であると、純真なキンタローは思うのではあるまいか。
『失礼しました、伯父上。今グンマから、おおよその事情は聞きましたが』
 おおよその事情って、おねだりについてしか話してなかった気がするが、とマジックは心の中でツッコミながら、身構える。しかも断れない。この感じだと、自分が断ればキンタローはショックを受けるかもしれない。
『その……欲しいものを言っても……よろしいのですか?』
 それにこんな風に控えめに尋ねられれば、こちらとしても、鷹揚に振舞うしかなくなるのである。
 だからマジックは、口元を引きつらせながら、言わざるをえなかった。
「あ、ああ、いいよ? 何でもいいよ、どーんとおいで! はっはっは!」
 半ばヤケになったマジックの台詞にも関らず、キンタローは言いよどんだ。ためらいがあるらしい。
『ですが。グンマとは違い、伯父上は俺の父親ではありませんし、やはりこんなことをして頂くのは……』
「キンタロー、何を言っているんだい! 私はお前を息子同然だと思っているよ! そんな遠慮をするもんじゃない!」
『伯父上……』
『わあ、おとーさま、カッコイイ よかったねぇ、キンちゃん、何でも頼みなよ
 感動しているらしいキンタローの声と一緒に、ちゃっかりグンマの声までも聞こえてくる。
 言ったことは本当の気持ちであったが、マジックは虚ろな目で、夜空を見上げた。これで本格的に断ることができなくなってしまった。
『では……』
 なんだ。何が来るんだ。キンタローの関心領域からすると、NASAか。MITか。スペースシャトル1ダース分とかか。むしろ月1個とかか。科学ってどうしてこう、金のかかるものばっかりなんだろう。
 ああもう。よしきた。何でも来い。こうなったら何でも来い。
 しかし、グンちゃんめ。いやでもしかし、元はといえば高松が問題なのか? この博士軍団め。
『伯父上。申し訳ありませんが、今度、日本へ行かれた時に』
 ごくり、とマジックは、唾を飲み込んだ。
『お土産に、俺に、金太郎飴を……』



「……」
 打ち合わせをすませ、マジックは携帯を切った。
 背後からは、グンマの『もーう、何でそんなもの頼むの〜』という悲鳴のような声が聞こえていたが、キンタローは満足そうだったので、よしとしよう。
 すぐに彼は家を出て、高松をおびき寄せてくれるはずだ。
 ふう、とマジックは、溜息をついた。
 さささ、とティラミスが、和三盆の菓子を差し出してくるので、マジックはそれを一つ口に入れ、ほうじ茶を飲んで一息入れながら、思った。
「キンタローが、私よりもピュアなルーザーに似てて、よかった……」



 やれやれと肩を軽く叩いたマジックは、ややあって、モニター上の光点が、くるりと踵を返し、また本部の方へと向かうのを確認した。
 ふむ。上手くいったか。さすがはキンタロー、仕事が速い。新生ガンマ団の必殺仕事人。
 同時にテーブル上に置かれた携帯から、『人生〜楽あ〜りゃ、苦〜もあ〜る〜さ〜♪』とキンタロー用のメロディが流れ、メール着信を知る。
 確認すると、『オヌシモ アクヨノウ』とあったから、これはあの子もやるな、いつか見た時代劇の暗号だとクスリと笑い、『ナンノ オブギョウサマ コソ』と返信を済ませる。
 最近はキンタローも日本文化をわかってきたじゃないか、私と対等に渡り合うとはね、等と、ほのぼのしていると、なにやら周囲の秘書たちの様子が尋常ではない。自分が電話をしている間に、何事かが起こったようである。
「大変です! マジック様!」
「ええい、今度は何だ!」
 チョコレートロマンスが、声をあげた。今度は悲鳴のような声である。
「我々の乗ってきた軍用車が、襲撃されました!」
「何イィィィッ!!!」
 予想外の事態に、マジックは立ち上がった。



 総員で、軍用車のとめてある森の出口まで戻ると、そこには無残な光景が広がっていた。
 暗い夜の中、つけっぱなしの車のライトに照らされた惨状。
 あちこちについた、巨大猫の足跡。肉球の跡。
「一名、見張りの者が残っていたのですが、あっけなくやられたようです」
 ティラミスが指し示した先、倒れている団員の背中には、これも泥で彩られた、猫の巨大な足跡がついている。スタンプのように、ぺたん、と。
 扉が開け放された軍用車、その暗い装甲の屋根にも、ぺたん、ぺたんと肉球マーク。
 広い車内にも同様の印が、あちこちについている。荒らされたらしく、器材や道具などが、土の上に引きずり出され、台無しである。
「くっ! なんてことだ!」
 マジックは、天を仰いだ。
 まさかこれがシンタローの報復なのだろうか。怪盗のように、自分の仕業であることをわざと残していったとしか思えない、至るところにつけられた猫の足跡。こんなに大きな猫って、ちょっと他にはいない。
 ああ、これは明らかにシンちゃん。シンちゃん猫の仕業。俺様がやってやったぞと、犯行声明か。
 とんだキャッツアイ。あなたの瞳にキャッツアイ。シンちゃんったら、セクシーにゃんこ!
 先刻、やたらに『マジックの奴!』と言っていたから、その対抗手段だろうか。



「マジック様!」
 気を失った団員の介抱をしていたチョコレートロマンスが声をあげたので、振り返る。
 チョコレートロマンスの腕の中では、気付け薬をかがされた団員が、目をしぱしぱさせていた。やがて苦しげな息の下から、証言が漏れ聞こえてくる。
「と、突然、目の前に、大きな黒猫が……かろやかに、しゅたっと出現して……」
「かろやかに! しゅたっとか!」
 マジックの大声に、力なくうなずいている団員である。
 運転席で団員が見張っていたところ、ボンネットがきしみ、何事かと目を擦れば、長いシッポをなびかせた黒猫が佇んでいたのだという。
「目にも止まらぬ早さでドアがこじあけられて……あちこちを……荒らさ……れ……不覚を……くぅっ、申し訳……ありません……!」
「いい、それは仕方ない」
 シンタローにかなう者など、ガンマ団にいるはずはなかったから、マジックは曖昧に首を振った。
 ぐったりとした団員を抱えているチョコレートロマンスが、『おい! 大丈夫か! それからどうなったんだよ〜』とその体を揺さぶっている。
 津軽少年が急いで持ってきたグラスの水を、一口飲むと、揺さぶられた団員は、また震える言葉を紡いだ。
「正体を確認しようと……ライトをあてたところ……幻覚が……黒猫の顔が、シ、シンタロー総帥に見えて……スルメの足をくわえてました……そ、それで俺は、これはもう気絶した方がいいと思って……意識を失い……も、申し訳……」
 そこで、がくっと首が落ちて、再び団員は気絶したようである。記憶が蘇ったのであろう。自ら気を失ったか。
 この団員は、ここで車の見張りをしていたため、事情を理解していなかったようだ。
 辺りの惨状を見回して、肩を落とすマジックに、ティラミスが報告のために駆け寄ってきた。



「食料を中心に荒らされております。マジック様のティータイムにお出ししていた茶菓子やツマミ類が、すべて消失、もしくは食べかけにされていました。泥まみれです。また、我々が持参してきた罠用の器材も、破壊されている模様です」
「シンタロー……おそるべし!」
 マジックは唸った。スルメをくわえながら、黒い蝶のように、蜂のように舞って、華麗に車上荒らしをするシンタローの姿が、マジックの目の裏に浮かび上がる。
 さすがだ。さすがだよ、シンタロー!
 これで更なる新しい罠を仕掛けることもできなくなり、自分がこの森で、快適に滞在することもできなくなったということである。シンタローの食べかけなら、むしろ望むところだが、泥まみれなのはいただけない。
「まず外堀から埋めてきたか! 猫になっても策士だな、シンタロー!」
「破損した器材ですが……」
 ティラミスが報告を続けるのを、苦虫を噛み潰したような表情で、マジックは聞いた。
「……以上ですが……なお、猫じゃらしが、消失しております」
 最後にそう言われて、マジックは思わず聞き返してしまう。
「猫じゃらし?」
「はい。マジック様のご命令で、我々が移動中に、作成していたものです。これだけが器材の中で、消失しております」
 そういえば、作っておけと命じた気がする。お約束だから。
 消失したって。シンタローが、持って行ったってことだろうか。
 猫じゃらしを?
 マジックが思考し始めた時、津軽少年のおずおずとした声が聞こえてきた。
「……マジック様……」
 マジックは答えずに視線を下げ、彼を見た。津軽少年は慣れていないのだろう、少々ビクッとしたが、それでも勇気を出したらしく、離れた方に指をさす。
「あの……あっちの茂みが、ガサガサ動いとりますっぺ!」



 『あっち』と示された方に視線をやる。マジックの青い目が、細められた。
 茂み――というより、低木の生えた場所である。腰の辺りまでの潅木が、細い枝と葉を絡めている。大木の根元は日が当たりにくいために、丈の低い植物はこうして横に広がることになる。
 それが、揺れている。少年の言う通りに、ガサガサ、ガサガサ、揺れている。
 明らかに、不自然だ。
「……」
 マジックは、周囲を見回し、目で『お前たちは来るな』と指示してから、自分だけが歩を進め、茂みへと近付く。秘書たちが見守っている視線を背中に感じている。
 自分は、気配はおろか、足音さえ消してはいない。
 しかし茂みの揺れは、止まらない。むしろ一層激しくなるばかりだ。明らかに何かいる。
 耳をすませば、心なしか『ンナ! ンナンナ!』といった鳴き声も聞こえてくるようだ。
 明らかに……。
 よく地面を見れば、車の方からこの茂みまでに、何かを引き摺ったような跡がついているのだ。
「――」
 ついにマジックは茂みまで辿り着く。目の前で、相も変わらず揺れている茂み。
 彼は、えいっとばかりに、覗き込んだ。



 潅木の向こうには、意外に広いスペースがある。
 大きな黒猫は、大きな猫じゃらしと格闘中であった。
 マジックが秘書たちに、とにかく巨大なものを用意するように、と言い置いていたからであろうか。その猫じゃらしは、柄の部分だけで1m、先のボンボンの部分は2mはあるんじゃないかと思うぐらいに、長い。
 うねうね、うねうね、まるで生き物のように動くそれを押さえつけようと体当たりし、覆い被さり、するりとすっぽ抜けられてしまうことを繰り返している黒猫。
「フニャァッ! フギャッ!」
 猫足を振り上げ、ばしんと叩きつけるように下ろす。逃げるボンボンを、必死に追うその姿。
 自分が覗いていることにも気付かずに、猫じゃらしに熱中しているシンタローを、マジックは呆然と眺めた。
「ンナウア〜〜〜〜〜!!! ウニャァッ――!」
 両足で挟み込もうとするのだが、立てた爪の間をすりぬけられてしまうのが腹が立つらしく、シンタローはカンカンに怒っている。
 しかし焦れば焦るほどに、猫じゃらしというものは、上手く捕まえられないようになっているのだ。猫を興奮させるための道具なのである。
「ニャアア――!」
「シ、シンちゃん……」
 思わずマジックが呟いても、シンタローは気付かない。没頭しきっているのだ。気付かず、ますます怒って、猫じゃらしに突進していく。
 猫じゃらしに向かって、抱きつく。タックルする。落ちた葉や砂が舞い散る。長いシッポが、ぐるんぐるん振り回される。
「ウニャニャニャア――ッ!」
 渾身の力を込めたシンタローの攻撃は、またもやかわされてしまった様だ。
 猫じゃらしはシンタローの爪先から、ぽ〜んと宙を飛び、くるくると三回転して。
 あまりの光景に立ち尽くしているマジックの前に、ぼとんと落ちた。






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