総帥猫科

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 ここで綺麗に終わっておけば、よかったのである。



 愛するシンタローを腕の中に収め、大事な宝物のように撫でているマジックである。撫でられて、力を抜いた黒猫は、地に仰向けになったマジックに身をぴったりと寄せていた。
 微熱のためか、それとも他の理由か、やや赤くなった頬が、マジックの首筋辺りにある。早く連れ帰らなくては、と思う反面、ひどく可愛らしいなとマジックは思う。
 ますます、優しく撫でる。指先に心を砕く。こんな美しい月と星空の下で、抱き合うのもロマンティックだなと考えてしまう。
 夜空を眺めていたら、ふと気がそれた。長い黒髪にそって、静かにシンタローを撫でていた手が、ある瞬間、つい背中まで伸びてしまった。
 でもまだこれはよかったのである。
 折角なので、今度は冷たくなった軍服の背中を、ゆっくり撫でてやると、シンタローは気持ちよさそうに『ンナウ』と鳴いた。
 背を撫でるのもいいと、マジックは思った。シンタローの背は、いつもより心持ちやわらかいように感じられるのだが、気のせいだろうか。本物の猫のようだ。髪もそうだが、撫でているこちらも気持ちがいい。
 優しく優しく撫でてやる。
 撫でていれば、ある瞬間、手が腰まで伸びた。つい、撫ですぎたのである。
 つい、うっかり。
 あ、不味い。そう思ったマジックが、少し首を傾けて、間近のシンタローの顔を窺うと、相手はまだ目をつむったままであった。特に怒っている様子はない。
 よかった。心地よさに浸って気付いていないか、撫でる際の不慮の事故として見逃してくれたのだろう。
 ふう、やれやれ。
 マジックは安心し、シンタローの腰に伸びた右手を、元に戻そうとした。
 なにしろここでシンタローを怒らせたら、すべてが水の泡なのだから。最後まで素敵な純愛マジックを貫き通すべきだった。それしかない。当然の選択だった。
 だから手を、戻そうとしたのだが……。
 しかし、なんとしたことか。何という悲劇であろう。
 マジックの手は、主人の意志に反し、動かなかったのである。



 マジックの手は、びくとも動かず、シンタローの腰に触れている。ちょうど軍服の黒いベルトの辺りである。革の感触と、ちょっとイケナイ感触が伝わってきた。
 ははは、どうしたんだ、私の手。冗談キツいゾ
 心を落ち着けるためにマジックは笑い、再度、手を動かそうとした。
 しかし、動かない。動かないったら動かない。脳の指令を、彼の右手は拒否しているかのようである。
「……」
 マジックの額に、冷や汗が流れ落ちた。今度こそ、と右手を動かそうと念波を送る。
 お願い、私の神経細胞! 頼むよニューロン! 脳の命令を右手に伝えて! 早く! 一刻も早く!
 やはり、動かないのである。ガンとして動かない。マジックの右手は、シンタローの腰から一ミリたりとも離れる気がないようだ。
 焦りを隠すことができないマジックである。この右手め、なんて図々しい奴なのだろうと腹が立つ。
 くっ、動け! 動け、私の手! えい! えいーっ!
 と、ぴく、とマジックの指が動いた。
 よし、よしよしよし!
 彼は真剣なまなざしを、自分の手に送った。なんとか動いた。よし、よしよしよし、もう少し……。今度は、大きく動いた。
 ずるっ!
 マジックの右手は、主人の意志とは反対方向、つまりシンタローの尻を目指して、移動した。



「あっ、そっちじゃなーいっ!」
 思わず口走ってしまい、慌てて口を閉じるマジックだ。
「……ンニャッ?」
 不審な表情をしたシンタローが、薄目を開けた。不味い。慌ててマジックは、『何でもないよ、大丈夫、大丈夫、シンタロー』と、これは自由に動く左手で、黒髪を撫でてやる。
「……ンナウ」
 多少、微妙な表情をしたものの、シンタローは再度目をつむった。やれやれだ。
 さて、どうしよう。
 ばれないように小さく溜息をついたマジックは、いまいましげに自分の右手を見遣った。シンタローの腰と尻の間の微妙な位置に置かれた、その右手。
 シンタローの尻の感触を脳はキャッチしていたが、理性がまだそれを押し止めていた。意外に頑張る理性であった。これも愛のなせる技か。
 いけない。いけない。くっ……ダメ、ダメッ……シンちゃんのお尻の感触が、小指の先からするけど……耐えるんだ、耐えるんだ、私!
 さっき以上に正念場だぞ! 頑張れ、私!
 今なら、まだ誤魔化せる。はっはっはー、パパ、ちょっと撫でる勢いあまって、いきすぎちゃったなー、で、誤魔化すことができるのだと思う。小指と薬指が、尻にかかっている状態だ。他の三本の指はベルト付近にあるから、多数決で、まだ言い訳は効く。
 しかしこのラインを越えて、完全に尻にまで右手が伸びてしまえば……これは不味い。深刻に不味い。誤魔化しようのない事態が待ち構えている。
 今なら生還可能。よく聞け、右手! 今ならまだ間に合う!
 後でシンちゃんに怒られたり嫌われたりするのは、私なんだからな! お前は右手だから好き放題やろうとしているが、私の立場にもなってみろ!
 ひっぱたかれたり、今のシンちゃんは猫だから、ひっかかれたりするのは、顔なんだぞ!
 だから私の言うことを聞け! こら、右手! 私の右手――!
 しかしマジックの嘆願を無視して、右手は、さわ……と動いた。



 ああああ――っ! そんな! そんなイヤらしい形に動いて! ダメだよ、ダメだったら!
 シンちゃんが気付くじゃないか――!
 マジックの右手は、まるでピアノを弾くときのように卵形になり、シンタローの尻に軽く触れた。
「……ンナッ?」
 また薄目を開けたシンタローに、マジックはさも何でもないかのように顔をそらす。
 偶然だよ、これは偶然だよ、シンちゃん。たまたま触れたんだ。別に触りたいから触ったんじゃなくて、事故なんだ。
 そう強く念じ、シンタローの気をそらすために、左手で優しく猫耳の後ろをかいてやった。人差し指と中指の腹で、弧を描くようにする。
「ナーウ」
 シンタローは、また目を閉じた。ほっと息をつくマジックである。しかしもう猶予は許されない。最終段階である。今度こそ、これがギリギリなのである。
 マジックは左手で猫耳を忙しく愛撫しながら、ギロリと暢気な右手を見た。相変わらずシンタローの尻を狙って動こうとしない右手を、睨んだ。
 くっ……。
 むやみに他人を攻撃しないと誓った私であるが、自分の右手なら。右手ならっ!
 もうこれしかない。きっとちょっと痛いけど、秘石眼で右手を動かすしかない!
 思いつめたマジックは、自分の右手に、力を発動させかけたのである。純愛を貫きたかった彼の心意気は、ここまでのものだったかと、褒めてやってほしい。だがしかし、そう上手くはいかなかった。
 マジックは、心中で叫んだ。
 くらえ! いくぞ秘石眼! 発ど……。
 ――と。
 双眸に青い輝きを湛えたその瞬間、攻撃目標の右手の側にあるシッポが、マジックの心を捉えたのである。



 右手の側に生えている黒いシッポは、今は気持ちよさそうに弛緩して、だらーんと伸びていた。
 結構太いな、シンちゃんのシッポって。
 なんだか、そんなエロいんだかエロくないんだか微妙なことを考えながら、マジックの心は、シンタローのシッポへと吸いつけられていった。
 先刻、悩んだばかりの問題が、ふと脳裏をよぎる。魔がさした、というのだろうか。
 このシッポ……根元が気になる。
 上着にちょうど上手く隠れてしまっているから、この至近距離でも、まだその生え際がどうなっているのかは視認することはできなかった。
 ズボンのお尻の辺りが裂けて、その隙間から、こんな風に綺麗に外に出ているのだろうか、この猫シッポは。
 また論理的思考を重ねれば、ズボンの下のパンツまで、裂けているのだと推測されるのだが、果たしてどうか。
 シンちゃんはトランクス派だけれど、たまーに私のプレゼントした勝負下着をつけてくれることも、ないではない。
 ほら、今日は遠征の後に外で待ち合わせしたから、シンちゃんがどんな下着つけてるかは、私は知らないんだよね。
 もしかしてこんなにスッとシッポが出てるってことは、今日のシンちゃんは、私とデートだからって、面積の小さいパンツをはいてきたんじゃないだろうか?
 うわっ、そんなシンちゃん! 参ったよ、シンちゃーんっ!
 えっ、ちょっと待って、シンちゃん。この下、どうなってるの?
 そもそもシッポって、お尻のどの部分から生えてるんだっけ?
 ああ、学術的興味が。止まらない……! 気になる! 気になりだしたら、止まらない!
 右手に遅れて、マジックの頭は煩悶し始めた。まだ目をつむったままのシンタローを身体の上に乗せたまま、うんうん苦悩に塗れている。


 シッポ。されどシッポ。さりとてシッポ。
 切ない溜息をつきながら、マジックは右手の側に、にょっきり生えているシンタローの黒いシッポを眺めて、考えている。
 ああ……聞いたら怒るんだろうな、シンちゃんがどんなパンツはいてるか知りたいって。
 ダメかな。ダメだよね。
 でも何だか凄く新鮮。だっていつも私は、朝にシンちゃんのパンツを確認してから、仕事に行くからね。むしろ、はかせてあげることもあるからね。
 フフ。こんなことで悩むなんて、私たち、やっぱりまるで付き合いはじめの恋人みたいだ……ドキドキする。ドキドキするよ、シンちゃん!
 ああ、パンツも気になる上に。目下、眼前に立ち塞がる誘惑の罠。
 シッポ。されどシッポ。さりとてシッポ。参ったぞシッポ。困ったぞシッポ。
 猫が猫じゃらしの誘惑に耐えられないように、マジックも、シンタローのシッポの誘惑に耐えることは難しいようである。
 どうしても考えてしまうのだ。猫にマタタビ。マジックにシンタロー。
 打ち払ってもなぎ払っても、どうしても誘惑が目の前にちらついて離れないのだ。
 くっ……やっぱり結構太いな、シンちゃんのシッポ。
 やわらかそうで、もふもふしてる……。
 これを、ぎゅっと握ったら、どんな感触がするんだろう。きっと弾力があって、手の中でしなるんだろうな。それともほら、生きのいい魚を捕まえたみたいに、ぴちぴち勢いよく動くかな。
 ぎゅっと握ったら……シンちゃんは、どんな顔をして鳴くんだろうか……。
 引っ張ったりしたら……。
 もはやマジックの頭と右手は、一体になっていた。志は同じ。
 昨日の敵は今日の友。数分前だけれど、右手よ、お前の気持ちはよくわかる。



 触りたい。触りたいったら、触りたい。
 ああ、でもいけない! 純愛を貫くんじゃなかったのか、私!
 あっ、あっ、あああ……っ!
 でも! でも、手がぁっ! この手があ!
 気持ちはわかるけれども、しかし。ああでも、しかし。
 マジックの指は宙に浮き、悶えている。長いシッポに、あと数センチという距離で、いざ近寄らんとして、しかし理性が止めんとして、葛藤の中に震えている。

 <マジック心のコマンド>
   さわる
  →さわらない

  →さわる
   さわらない

   さわる
  →さわる

  →さわる
   さわる

   さわる
  →さわる

 ああああ――っ! どっちを押しても、『さわる』じゃないかっ!
 バカ! バカ! 私のバカ!
 どうしたらいい! どうしたらいいんだ、シンちゃん!
 しかしマジックの目の前にあるのは、魅惑的な赤い軍服。黒いベルト。流線型のまろやかな背中。そしてその上着の下から伸びる、黒いシッポ。
「……っ……ううう……」
 ダメだ。いや、ダメっていうか、いややっぱりダメだよ、右手! 私の右手――ッ!
 しかし止める立場のマジックの頭さえ、すでに『触りたい』という欲望に占領されてしまっているのである。頭の中は、期待で一杯だ。
 如何ともしがたい状態なのだ。
 ついに――。
 ちら、とマジックの小指の先が、もふもふの根元近くに、触れた。
 すると、僅かに触れただけであるのに、シンタローのシッポは、ぴく、と震えた。
 マジックは思わず唾を飲み込んだ。
 び、敏感だ――ッ!



 小指の先は、ゆっくりゆっくりと赤い軍服の上着の下へと滑り込んでいく。
 マジックは心中で呻く。
 あっ、あっ、あっ! いけないよ、私の手ー! もとい小指! マジカル小指!
 止めなさい、止めなさいったら!
 しかしそう言いながらもマジックの目は、シッポに釘付けになっている。男心は複雑。
 小指から伝わってくる感触は、素晴らしかった。やわらかな毛並み。理性をうっとりと麻痺させるほどに。
 欲望に正直なマジックの小指は、つうっとシッポをなめらかに滑り、その曲線に沿って動き、根元に向かって沈み込んでいく。
 その動きに合わせて、ひく、ひく、と長いシッポの先が震えた。感じている。
 小指が、触れていく。なんという心地よさ。極上の絹のような触れ心地。
 そしてマジックが、指先からあたたかな肌の温度が伝わってきたと思った瞬間である。
 シンタローの背中がしなり、肩が緊張にはりつめ、左手に撫でられたままだった猫耳が、物欲しげに動いた。
 腰が浮き上がり、ビクビクと大きく震えた。喘ぐように、口から声が漏れた。
「ンンッ……ンナッ……ニャァ……ッ」
 黒猫はマジックの上で、身を突っ張らせた。



 こ……これは!
 下着じゃなく肌に。指が直接お尻に触れちゃった――?
 するとシッポの根元から、肌の感触がしたということは! したということはだ!
 やっぱり多分おそらく推測するに、シンちゃんのズボンに穴が開いているということは確かである。さらにパンツにも穴が開いている、もしくは、もともと面積の小さいパンツをはいているという可能性も高まったという訳だよ! くぅ、早く国際シンタロー学会に報告しなければ! 時は一刻を争う事態だ! やはり通説は正しかったのか!
 しかも! しかもしかもしかもっ! この反応! ビクンって、この反応!
 彼の脳裏に、ぱらぱらぱら〜とミスターマジックのうろ覚え辞典が、素早くめくられていく。
 『猫の性感帯』の項目を探すが、その途中に『シンタローの性感帯』の項目を見つけ、しばし読みふけってしまう。ああ、そうそう。シンちゃんって、性感帯多すぎて、辞典がパンパンなんだよね。そろそろCD-ROMに移行しなきゃ。しかも私が開発熱心だから、どんどん増えるし。はっは、まだまだ増やすつもり……って。
 いやいや、そんな意気込みを語ってる場合じゃない。そんなことしてる場合じゃない。今の私に必要なのは、猫の性感帯だ。あれ、そんな直な項目はなかったっけ。それじゃシッポだ、シッポ。おっ、見つけた!
 ◆猫のシッポ: 付け根が性感帯
 そうか――! そうだったのか、だからシンちゃんはこんなにビクビク反応しちゃってるんだ!
 わかったぞ、ありがとう、ありがとう、ミスターマジックのうろ覚え辞典!
 (以上、すべてマジック脳内の出来事)



「ニャッ……アッ……アアッ……」
 マジックの目の前で、シンタローの首筋が反る。四つんばいの黒猫は、マジックの両肩に前足をついたまま、甘い声をあげて息を吐いた。
 なめらかな肌のしなりに我を忘れて、マジックは思わず指に力を込めてしまう。
 これはすでに条件反射と同じなのである。こんな色っぽいシンタローを前にして、力を込めずにいられるだろうか。もはやマジックにとって、太陽が東から出て西に沈むぐらいに、それは抗いがたい運命だった。
 そして彼はついに――。
 ついについについに、ムギュ! とばかりに、シンタローのシッポの根元を、右手で握ってしまったのである。
「ンナアッ! ンニャアアア……ッ!」
 ビクビクビクッとシンタローの体が、電流に撃たれたように震えた。艶めいた黒いシッポが、大きくしなる。
 マジックの心臓が高鳴った。
 手の平から伝わってくる柔らかな感触は、筆舌に尽くしがたく、とろけていくような心地さえした。
 そう――例えるならマシュマロのような。しかしそれでいて芯がある。弾力に富み、指の間で一個のしなやかな生き物のように魅惑的にうごめいて……。
 ああ……シンタロー……!



「痛い!」
 陶然としていたマジックは、呻いた。
 一瞬、焼けつくような痛みを感じて、甘い夢の世界から我に返る。
 よほどうっとりしてしまっていたのか、余韻から抜け出し、事態を認識するまでにかなりの時間を要してしまう。シンタローに、噛み付かれたのだ。
「……シンタロー?」
「シュ――ッ! フゥ――ッ!」
 遅ればせながら、シンタローの顔がひどく間近にあると気付き、首筋になまあたたかい息がかかっていると認識する。かぷりと犬歯が――猫の歯なのに、こういうのもおかしなものだが――自分の肌に突き立っている。
 マジックが気付いたと見るや、すぐに首筋から噛み付いていた口を離し、腰を震わせながらもフウフウ怒っているシンタローの姿に、
「あ」
 しまったと感じて、握っていたシッポから、ぱっと手を離したマジックである。手から離れ、まるで鞭のようにしなる長く黒いシッポ。
 途端に体の自由がきくようになったのか、シンタローはマジックの身体の上から慌てて跳び退りる。
 安全距離をとった場所からマジックを睨みつけ、体を低くし猫耳を後ろに倒して、威嚇をしている。
 マジックも慌てて、身を起こした。いけない。つい欲望に我を忘れてしまった。
 首筋を指先で押さえる。ぴりりと痛みが走る。
「シンちゃん、いや、あのね、」
 とにかく何か言わねばと思い、続く言葉も考えつかないままに、シンタローへと声をかけるマジックである。
 しかしそんな彼の声を遮って、カンカンに怒ってしまったシンタローは、叫んだ。髪の毛がまた逆立っている。
「アンタニャンカ、カラダガ モクテキナンニャ――!」



 あんたなんか、体が目的なんだ。突然投げつけられた言葉に、マジックの脳は硬直する。
 背後で草のざわめく音がする。時間が止まる刹那、夜の森。
 なんだか凄いことを言われた気がする。体が目的。目的って。
「違う、シンちゃん、ちがう、体が目的なんじゃないっ!」
 とりあえず否定せねばと、やっとのことで口を動かし弁解しようとしたマジックは、だが、はたと気付いた。
 ちょっと待て、マジック。よく考えろ。
 うーんうーん。
 うーん……あ、でもシンちゃんの体は勿論ほしい!
 慌ててマジックは、うっかり言い直してしまった。こんな時はやけに正直になってしまうのは、運命の悪戯か。
「いや体は目的だけどね! 目的なんだけどっていうか、いやとにかく違うって! 誤解だよ、シンちゃん!」
「フギャ――――ッ! アンタニャンカ、サイテイニャ――ッ!!!」



 ますます怒り心頭のシンタローに対し、ますます泥沼に入り込んでいくマジックである。
 体だって心だって、どちらもシンタローである以上、自分は欲しくてたまらないのである。
 だがその説明の仕方がわからない。
「いや、違わないけど、違うっていうか、ああ上手く説明できないよ、正確には目的じゃないけど、過程というか……いやだって、シッポが! シンちゃんのお尻がね! いやパンツがね! ああっ! 私は何を口走っているんだ!」
「フゥ――――ウ!」
「違うニャ、シンちゃん、違うニャ……って、あっ、うつってしまった! 違う、違うんだ、シンタロー!」
「シギャ――――!!!」
 ばりばりばりばり!
 飛び掛ってきたシンタローに、ほっぺたを激しく引っかかれて、思わず仰向けにのけぞりそうになる。黒猫の爪はまさに凶器である。
「痛っ! イタタタタッ! 痛いよ、シンちゃん〜」
「バカニャロ――――――!!!」
「あっ! 待って、シンちゃん!」
 しゅたっと身を翻して、走り去ろうとするシンタローを、マジックは追おうとした。



「待って……」
 数歩を踏み出したマジックの視界が、がくんと急上昇した。夜の森の景色は残像を描いて上方に消え、暗闇が辺りを支配した。
 いや、正確には、マジックの身体が下降したのだ。ああ、このパターン。
 彼は、先刻自分が指示して仕掛けさせたままだった落とし穴に、見事に落ちたのである。
 こんな所にまで掘ってあったとは。ちゃんと配置図を見せられていたのに、失念してしまっていた。まったく秘書たちの有能さには目を見張る。
「くっ!」
 落ちたマジックは、流石に両足で着地したのだが、なにせ下は、シンタローのための心配り、あったか仕様のために毛布敷きである。
 不安定な足場に、思わずよろけ、柔らかな毛布の上に仰向けに倒れこんでしまう。
 ばふっと音がした。背中に優しい感触。
 額に、つうっと汗が滴る。この私が。
 この私がシンタローにかかると。
 カッコ悪いこと、この上ない。なんてこった。このザマだ。
「……シンタロー……」
 半ば放心してマジックが穴の底から、上空を見上げれば、穴の縁では猫耳が見え隠れして、うろうろとシンタローが縁を歩き回りながら、こちらを窺っている様子が見て取れるのだった。
「……」
 見上げていれば、今度は前足をちょこんと穴の縁にかけて、覗き込んできたシンタローと、ばっちり目が合った。
 マジックは、情けない気持ちで、シンタローを呼んだ。
「シンちゃん……」
「……ニャッ!」
 曖昧な表情を浮かべたシンタローは、しばらくそこで、またうろうろしていた。
 しかし、一声鳴いて、駆け去ってしまった。








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