はね

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 連日戦闘が続いている。
 おとーさまが総帥代理として、ハーレムおじさまが軍指揮官として復活して、行方不明のシンちゃんの穴を埋めている。
 僕らも一刻も早く、あの南の島とこの世界との時空を越える装置を開発しなきゃいけなくって、忙しい毎日なんだ。
 でもこの間、キンちゃんとケンカしちゃってさ。
 というより、ちょっとした言い争いかな。
 でも珍しいかも。僕ら、あんまりケンカってするコトないんだけど、キンちゃんって時々すごく頑固な時があるんだ。
 だって、機械って絶対に壊れるじゃない。
 壊れない機械なんてこの世にはないと思うんだけど。
 キンちゃんは自分の開発した装置が、壊れてるってこと、認めないんだよ。
『……だいたい、そのキンちゃんの『好き』って気持ち、間違ってる可能性はないの?』
『ない。一端そうと理解し、考察を深めたからには、この俺が間違うことなどある訳がない』
 ……でも、僕への『好き』って気持ちは間違ってたと思ってるのかもしれない。
 キンちゃんは僕と目を合わさないけど、全然普通に戻っちゃったから。
 もう知恵熱は治まっちゃったのかな。
 今は非常事態だから、そんな余裕ないのかもしれないんだけどね。
 きっと無事で生き延びてる、シンちゃんを迎えに行くために。
 僕ら、毎日開発室で背中を合わせて、ただ黙々と作業してる。
 たまに司令室に呼ばれて、おとーさまに指示されることはあるけれど。



 この日は雨だった。
 窓の中から覗く世界はひどく灰色をしていて、空から何か重いものが垂れ込めているみたいで。
 梅雨の季節だからね。外はきっと寒い。僕が入れたココアの湯気で、ガラスがほんのり曇る。
 南の島へ向かうための、時空移転装置の開発は行き詰っていた。
 キンちゃんには砂糖を入れないココア。いつもそう決まってる。
 ……あ、でも今、変な顔をした。
 僕は自分のカップに口を付けて、苦さを感じてカップを間違えたことに気付いた。
 だって今は飛行船の中の開発室に移ってるから、カップは軍配給の白いみんな同じのを使ってるからさ。
 間違えたってしょうがないじゃない。
 キンちゃんは僕が自分用に入れた、砂糖たっぷりのとびきり甘いココアを何も言わずに飲んでいる。
 甘いの、好きじゃないはずなのに。
 怒ってるの? 言わなきゃ、全然わかんないよ。
 間違えたっていいじゃない。
 どうせ僕は間違ってばかりだよ。どうせキンちゃんは間違わないよ。
 何で黙ってるんだろう。
 みんなみたいに、おバカって言いなよ。
 そうしたら、僕だってカワイく『えへへ、ごめ〜ん』って笑えるのにさ。
 ……僕は、こんな風にキンちゃんといると、卑屈になってしまう自分が好きじゃない。
 また窓の外に目をやった。この狭い開発室には、逃げ場がない。
 その時、壁の発信機が鳴った。
 おとーさまの呼び出しだ。



「二人に総帥権を委ねる。私の不在の間、軍の全権指揮を執るように」
 思ってもいない言葉だった。
 僕たち二人は、おとーさまの前で並んで息を呑んだ。
 隣でキンちゃんが拳を握り締めたのがわかる。
 声は続く。
「見ての通り、本作戦はほぼ終了し掃討戦に入っている。後は残存する地雷と無人戦闘機群の破壊で足りるだろう。私はこれから司令部を一時離脱して、前線のD-3地区に向かう。すでにハーレムには連絡済みだ」
「しかし……」
 キンちゃんが何か言おうとした言葉は遮られた。
「お前にはシンタローの補佐経験があるだろう。一部の指揮も取っていたと聞いている」
「ですが、それは艦船の指揮であって、軍全体の指揮ではありません」
 でもね、とおとーさまは僕たち二人の顔を交互に見て、ゆっくり言った。
「ルーザーは昔、やり遂げたよ」
「……!」
「遠い昔に……そういうことがあった」
 これは私の下した決定事項だから。命令として従いなさい。
 そしておとーさまは立ち上がる。
 キンちゃんの肩に手を置いた。
 この二人は並ぶと、僕となんかよりも本当の親子みたいに見える。
 とても似てるからね。
 そしておとーさまは僕の頭にも手を置いた。
「二人共、頼む」
 そして赤い軍服の上着を脱ぐと、司令席の椅子にそれをかけた。
 脇に置いてあった黒いコートの袖に腕を通す。
 よく見ると、それはシンちゃんが残したコートだった。
 元々それはシンちゃんには少し大きめだったんだ。
「……しかし難しいね。殺さないというのは。あの子のやり方は、難しい」
 そう遠い目をして呟いた後、視線を移す。
「お前は強くなりたいと言ったね」
 そう、司令室の隅に立っているコタローちゃんに向かって、言った。
 丸い大きな瞳をした可愛い子が上目遣いをしてる。
「お前は訓練のためにサービスに預ける。シンタローのようにね。しかしその前に、私は今のお前の潜在能力が見たい」
 近付く。
 手を差し出した。
「おいで、コタロー」
 コタローちゃんは名前を呼ばれて、びくりと体を震えさせた。
 戸惑っている。
「おいで」
 彼は恐る恐るその父親から差し出された手を取る。
 いいの、とその幼い瞳が言っているように、見えた。
 いつもは気の強いコタローちゃんだけど、僕は彼のこんな部分に出会う時、自分の弟だということを確かに意識する。
 僕には――君の気持ちが、よくわかるよ。
「……おとうさん」
 コタローちゃんの呼び方が……いつの間にか前と変わってる。
 おとーさまはその手を握ると、引き寄せて腕に抱き上げた。
 小さな体は緊張して固くなっている。
 そして振り向いて、僕ら二人に言った。
「三日したら帰る」



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 一日目は無事に過ぎた。
 キンちゃんは本当に優秀だから、テキパキと指示をこなす。
 いくら掃討戦……勝敗がついた後の敵を追うって段階だって、色々難しいのにさ。
 無人とはいえ、敵機はまだ残っているんだ。
 僕はまた見ていただけだったよ。
 あの南国の島の時と同じみたい。
 司令室の全方面を取り巻く大きなスクリーンに、ゲームみたいに映し出される戦況。めまぐるしい点滅。
 なんだか人に世話を任せてきたアヒルが心配になってきたよ。
 小さな丸椅子にちょこんと座った、そんな僕に比べて。
 目の前で赤い総帥服がかけられた椅子に座る彼は、相変わらず完璧な人で。
 ……キンちゃん、カッコいいな。
 過去にこうやって指揮を任されたことがあるっていう、それを立派にやり遂げたことがあるっていう、ルーザー……おじさまもこんな風だったんだろうか。
 僕の憧れの人。
 流石キンちゃんだね。
 遠い幻像と今の現像。
 そのどちらにも、僕には手が届かない。



 その日の夜。
 司令室から程なく離れた簡易仮眠室で、交代で睡眠を取った。
 僕が3時間眠った後、キンちゃんと入れ代わって。
 一人で司令室にいたけど、戦況は何も動かなかった。だってキンちゃんの立てた作戦は完璧だったから。
 そして、おそらく何も動かない時間に、自分が休んで僕を一人にしたから。そんな所まで気遣いはばっちりなんだ。
 夜の静かな司令室。時々、オペレーターの人の靴音と機械音だけが高く低く響く。
 僕は相変わらず司令席に座ることができないで、所在無げに脇の丸椅子で、足をぶらぶらさせていた。流石にお菓子は食べなかったけどね。
 眼前に広がる、止まったみたいな大スクリーン。
 ここでビデオなんか見ちゃったら、すっごい迫力なんだろうな。
 おとーさまたちは大丈夫なのかな……。
 コタローちゃんの緊張した肩を、思い出す。
 お兄ちゃんなのに、折角君が目を覚ましたのに、何もしてやれなくて、ごめんね。
 いつも僕は見ているだけだよ。こんな360度の大きな二次元の画面をね。
 無力で価値のない人間。みんな僕を画面の中で通り過ぎていくのかな。
 去っていった……高松みたいに……。
 古い……写真のように……。
 今日も外は雨。
 僕の誕生月、5月はこの近辺、東アジアでは雨の季節。
 ヒマラヤ山脈に気流がぶつかって、二つに割れて、その片っぽがこの場所に雨を降らせてるんだって。
 悲しくて……泣いて雨を降らせてるのかな……5月の雲は。
 ルーザー……おじさま。
 あなたを継いだ二人の子供は、どうしてかこんなにバランスが悪いです。
 僕が、あなたの立派なところを、少しでも受け継げれば良かったのにって思います。
 でもそれって人のせいにしちゃダメですよね。僕の努力が足りないんだ。
 ――小さな電子音がして、あっという間にキンちゃんが起きる時間になる。
 僕はドアの方を見て、彼が姿を現すのを待った。
 時間にうるさいキンちゃんは、絶対にすぐ、一部の隙もない格好でやって来るに違いなかったから。
 ……でもしばらく待っても、あのイヤミな程きちんとした人は、来なかった。
 おかしいな。
 僕は席を立つと、仮眠室の方へ走っていった。



 仮眠室は内側からロックはされていなかった。
 扉の認識装置を見つめると、簡単に瞳の虹彩を認識して開錠される。
 狭い部屋の中で、ベットにもたれて床にキンちゃんが座り込んでいた。
 何となく雰囲気が違う。僕は恐る恐る近付いて、声をかけた。
「……時間だよ……? キンちゃん」
 彼は珍しくぼーっとしているみたいで、しばらくして、やっと僕に気付いた。
 目に生気が戻り、しまった、という顔で腕時計を見る。
「すまない。遅れた。すぐ用意をする」
 キンちゃんは何事もなかったかのように立ち上がると、すぐ側の洗面所に入って鏡を見た。
 僕には背中だけを向けている。
 ……疲れて、いるのかな……?
「キンちゃん、疲れてるの? だったらもう少し休んでていいよ。僕がもう少しスクリーン見てるから」
「いや、大丈夫だ。お前はもう一度休め。そろそろ状況に変化があってもおかしくない時間帯だ」
 その言い方に、僕はムッとした。
 いや、よく考えれば当り前で、とっても理不尽な苛立ちなんだけど。
 キンちゃんも、僕に何もやるなっていうことなんだなって思って。
 能力差を考えれば本当に当然の……コトなのにね。
 僕は心配することさえ無駄で必要ないんだね。
 そう腹を立てて、半分逆恨みでキンちゃんの方を睨む。
 ……と、顔を洗うか何かするかと思っていた彼は、そのまま鏡を見て立ち尽くしていた。
 どうしたんだろう。やっぱり体調が悪いのかな。
 もう一度心配になって、僕は座り込んでいたベットから腰を浮かす。
 すると、キンちゃんが口を開いて話しかけてきた。
 振り向かずに、だ。
「……お前は、俺のことがたいして好きじゃない、と言った。俺のどの部分が一番好きじゃないのだ」
 え。突然そんなコト言われても。



「顔」
 あ。言っちゃった。
 つい素直に飛び出してしまった自分の言葉にびっくりした。
 キンちゃんは鏡を見たまま、動かない。
 そしてそのまま言った。
「顔? ……そうだな、俺も好きじゃない」
「……?」
「……俺が殺した人の顔だ」
 声は暗く低かった。
 南の島での出来事。
 乗っ取られた体に、降りてきてくれた本物のルーザー……おじさまの魂。
 とても澄んだ瞳をした人だった。
 キンちゃんは、そんな彼を僕の目の前で撃ったんだ。
『大丈夫だ、俺がお前を死なせはしない』
 そう僕に向かって言った彼。
 あの時、確かにキンちゃんは僕を守ってくれたよ。
 その時のことは、鮮明にまだ心の中に残っている。
 いつも『大丈夫だ』と言う人。
 だけど……今は彼の心がそれとは反対の事実を告げている。
「マジック叔父貴が撃つなと言ったのに、俺は撃ってしまった。そのことをずっと後悔している。鏡を見る度、思い出す」
 僕は洗面所で突っ立っているキンちゃんの背中を見つめた。
 鏡に映った表情は、薄い光に反射して、よくわからない。
 でも、そんな背中をしたキンちゃんは……初めて見た……。
「過去、一人きりでいた時、俺は自分の顔も知らなかったよ。そんな顔に執着はない。自分の顔だという思い入れもない……あの時の沼は……濁っていて、顔さえ映らなかった。だからこの顔は、親父の顔だ」
 沼?
 途切れる言葉。
 空調の音だけがやけに大きく聞こえて、キンちゃんの一人の世界が、静かに僕の心に触れてきた。
 ゆっくり、ゆっくりと。
 僕はベットに座ったまま、キンちゃんは洗面所で黙って立ったままだったけど、確かに何かが二人の間に掠めては消える。
 それはきっと色にすると白い。ぼんやりとした霧。生暖かい人肌の感覚。
 夜眠る時に、夢の中で押し寄せてくる寂しさの形をした霧。
 キンちゃんの世界の霧。僕の世界の霧。
 それが溶け合う瞬間。触れ合う瞬間。
 でも僕の一人の世界は、それを怖がっている。
 僕の一人の世界。
 誰も自分を見てくれない、あきらめの世界。
 ――自分、というものの存在しない世界。
 ――それは、僕しか知らない孤独だと思っていた。
 曖昧な間が続いた後、その背中がぼそりと呟いた。
 そして僕の方を振り返った時は、彼はいつもの『大丈夫』な表情をしていた。
「俺はこの顔だがな。だがお前だって似た顔をしている。しかし……何かが違うな。あくがないよ。優しい顔をしている。父は天使のような純粋さを持っていたらしい。お前にはその部分が受け継がれたのかもしれないな」
 天使……?
 こんなに性格悪く、キンちゃんに嫉妬する僕が?
 ただのおバカな僕が?
 キンちゃんは僕に近付くと、正面に立った。
 いつもはきちんとしている彼の金髪が、少し乱れていた。
「……離れていた間。ずっと、考えていた。どうして好きなのか、というお前の質問に答えられなかったからな」
 正確でない答えをするのは気分が悪い。
 だからこんなに時間がかかった。
 でも答えが出たから、お前に会っても俺の熱は引いていた。
 そうして言葉を切ってキンちゃんは、久しぶりに、まっすぐに僕の目を見つめた。
「俺は、お前のそういう所に惹かれている。俺にない部分。お前の優しさと純粋さが俺は好きだ」



 その時、部屋にサイレンの音が響き渡った。
 戦況に異変があったということだ。
 僕たちはそのまま、仮眠室を飛び出して司令室に向かって駆けた。
 前を行く背中。僕の心臓は、大きく波打っていた。








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