初恋の住む星

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 朝は戦争だ。
「お前たち! ほら、早く着替えて!」
 マジックはラッセルホブスの銀色のトースターにパンを押し込む。忙しくテーブルにサラダを並べ、カップに紅茶を注いでいる。
 ハーレムは寝起きのぼんやりした頭で、よいしょっと自分の席に座った。
 隣にサービスも座る。相手も寝ぼけまなこだ。
「じっとして」
 ハーレムは食べこぼしをするため、背後から長兄に幼児用スタイをかけてもらう。
 首の後ろでちょうちょ結びをされるのを感じながら、彼は食卓を見た。
 テーブルの上座はいつも空いていて、カップと皿だけが用意されている。
 父さんの席、とマジックやルーザーは呼ぶ。ボクとサービスは、パーパの席、って。
 そこには、座っちゃいけないんだ。
 待ってる。ボクらは、いつだってパーパを待ってる。
 ハーレムは自分の斜め前の席に目を移した。
 次兄の席もぽっかり空いている。
 その視線に気付いて、ハーレムの正面の席に座ったマジックが言う。
「ルーザーはまた花の所だよ。もう食事も学校の準備もすっかり終えた後さ。まったく要領がいいんだから」
「……マジックにーたんも、あーいうの、なっちゃう?」
 ハーレムは目の前の皿と、そこに乗せられたパンを見ながら聞いた。
「ほらサービス、ジャムは……ん? いや、僕は一つのものに入れ込むタイプじゃないから。でもルーザーもそうだと思っていたけど、ああなったね。驚いたよ」
 それはそうだろうと思う。
 マジックにーたんは、みんなのおにーたんだもん……。
 それはそれでハーレムには複雑な気持ちがあったのだが、今はルーザーのことが気になった。
「ハーレム! また玉ネギ端によけてる! いい加減に無駄な抵抗はよしなさい!」
「む〜!」
 いつも通りに隣のサービスの皿に玉ネギを放り込んだが、相手も慣れたもので、さっと皿をどかす。
 べちゃっと花柄のテーブルクロスの上にひしゃげるサラダ。
「ナマハゲ、のろい」
「なんだとぉ! コドモのマジョぉー!」
 だんだん目が覚めてきた双子である。
 そしてお決まりの一日が始まる。
「やめてくれよお前たちッ! どーして僕の家はこんな朝早くから動物園開いてるんだよ……お客さんは一体誰だよ……飼育係にはこれから学校があるんだよ……」



 兄たちが学校に行った後は、ハーレムとサービスは広い家で長い時間を過ごす。
 使用人が昼食、そして昼寝の世話をしに来る時以外は、双子はいつも二人きりだった。
 自立性を重んじる一族の慣例と主に父親の方針で、使用人は最低限のことしかしないようにと決められていた。
 だから昼間は、何をしようと双子の全くの自由だ。
 ただ、悪さには気をつけないといけない。どんなに上手く隠したつもりでも、夕方に帰ってくる長兄に、必ずその形跡からやった事を見破られるからだ。
『……ハーレム!』
 幼児のように高くもなく、大人のように低くもないその声。
 ハーレムはそれを聞いた瞬間、尻尾を後ろ足の間に挟んだ仔犬のように、どこかへと逃げ込むしかない。
 どこか。だけど彼の姿が視界に入るぐらいの、遠くないどこかに。
 それはベットの下であったり、カーテンの裏側であったり、テラスの隅の茂みの中であったりする。
 そうしてハーレムは、いつもマジックに叱られるのを待っているのだ。
 自分がお小言を受ける場所は、大体、居間であることが多い。
 マジックは、学校帰りにした買い物袋を、キッチンと居間の境目に置く。
 そしてそれを丁寧に仕分けして冷蔵庫にしまってから、ハーレムの悪戯を検分するのが常であったから。
 だからガミガミされている時、自分はサービスとルーザーの視線に晒されている訳なのだが。
 四人の兄弟が集まる場所は居間だった。
 しかし昨日は違った。次兄がいなかったのだ。
 今日だって、きっとルーザーは居間で本を読まずに、すぐに温室に行ってしまうんだろう。
 双子が昼寝から起きて、夕方になると、昨日と同じ、急いで帰ってくる足音が聞こえた。
 普段は決して急ぐ人ではないのに。二階に向かう足音。そしてまた階段を下りて、中庭へと直行する足音。
 自分たちがオモチャで遊んでいる居間は、やはり通らない。
「……」



「おや。お前もこの花を見に来たのかい? ハーレム」
 そう微笑まれて、ハーレムは温室に入らざるをえなかった。
 花壇の陰からこっそり覗いただけだったのに、見つかった。
「……ルーザーおにーちゃん……」
 ガラス一枚隔てただけなのに、温室内は外とは空気の肌触りが違った。
 中央のファンから微風が流れ、人工的に調節された澄んだ空気と暖かい温度。
 その中央の立派な台の上の、白い花。そしてその側に立つ、金髪碧眼の人。
 彼は土の温度を測っていたようだったが、温度計を棚に置いて自分に話しかけてきた。
「どうだい、綺麗だろう。ああ、お前は余り近付かない方がいいかな、万が一のことがあってはいけないからね」
 手の平で制止されて、ハーレムは鉢の1m手前で足を止めた。そこから兄と花を見上げる。何か世界が違うような気がしてならなかった。
 自分と、兄と花の間にある、見えない壁。
「……」
「お前には気に入らないかい?」
「……ううん。キレイだよぉ」
「そう」
 ルーザーはゆっくりと側の椅子に座った。
 小さなラックに置いてあった、栞の挟まった皮表紙の本を手に取る。それを開いて、長い足を組む。
 自分が花を褒めようとけなそうと、彼にとってはどうでもいいことだったのだろうとハーレムは思った。
 ルーザーはいつも一人の世界に住んでいる。ハーレムは、どうやってもそのルーザーの世界に自分が入り込めないことに、いらだちを感じる。だからいつもうるさく何か言わずにはいられない。
 見えない壁に向かって、体当たりせずにはいられないのだ。
「……おにーちゃんはぁ、ずっとお花といっしょに、いたいのぉ?」
 ルーザーは何か細かい文章を目で追いながら自分に答える。
「え? ああ、そうだね。側にいたいよ。一日中世話をして、見つめていられたら嬉しいね」
「お花のおせわって、たのしいのぉー?」
「楽しいというか、ね。難しい花なんだよ。とてもわがままだ。まず高温を保たないといけないし、根が空気に触れるとすぐにボロボロになってしまう。水の量や栄養もバランスを崩すと、すぐに枯れてしまうのさ。それだからこそ一層魅力的なんだけどね」
「……んー」
 この兄の話はいつもハーレムには難しくて長い。
 だけど聞き返しても、また返事で難しいことを言われるのが常だから、いつもわからないままでどんどん話が進んでいく。



 こんな時、ハーレムは長兄が語り聞かせてくれた海の底を思い出す。
『海っていうのはね、潜っても潜っても底が見えないんだ。その内胸が苦しくなるから、海面に上がる。そしてまた潜る。その繰り返しさ』
 ルーザーおにいちゃんといると。
 もぐっても、もぐっても。ボクは息が、くるしくなるよ。
「お花のおせわ、たのしいなら、お花やさんになるのぉー?」
 だから、あっぷあっぷして、あわてておかしなコトばっか言っちゃう。
「花屋? まあそれもいいかもしれない。美しいものを世に送り出す仕事だからね。とても有意義だ」
 相変わらず椅子に凭れて、本に目を落としながら答えるルーザー。
 それを見ていたら、ハーレムは一層大きな声で主張せずにはいられない。
「ボクわぁー、おッきくなったらパーパみたいな軍人になるんだ――!」
 それは最近の彼、お得意の台詞だった。
 つよい、パーパ。かっくいい、パーパ。
 大好きな、パーパ!
 今は自分は小さくて、一緒についていくことができないけれど。
 早く大きくなって、大人になって、ボクはパーパと一緒に戦争に行くんだ!
 すると兄は手元から目をはずして、ちらりと自分を見て、口を開いた。
「……軍人になる、ね。だけどお前はそれが、本当はどういう意味だかわかっているのかな、ハーレム」
「?」



 次兄の青い瞳は、薄く透き通るようだった。
 末っ子のサービスと似た色だったが、どこかが違う。柔らかそうな金髪も似ていたが、どこかが違う。
 ガラスの密室の中で、静かに声が響く。
「殺し合いをする、ということだよ?」
「……ころ……?」
「そうだよ。ああ、具体的な例が必要かな? だってお前は本当に幼いから」
 ルーザーは側の花を見やると、目を細めてその茎につく小さな虫をつまみあげた。
 細い指でハーレムの目の前にそれを差し出す。
「例えば、この虫。今この花に近付こうとしていたよ。どんなに僕が守っても花に虫はつく……まあ虫けらだって生きているんだから仕方ないよね。汁を吸わなきゃ生きられないんだから。相手も必死さ。だからね、」
 ハーレムは、兄の顔とその手の中の虫を、忙しく交互に眺めた。
 ルーザーの表情はいつも通り柔らかい。虫は足を盛んに動かしている。
 彼には次兄が何を言おうとしているのかがわからなかった。
「だから、こうして僕の手の中で、いつも生と生がぶつかり合うのさ。花を守りたい僕の生と、汁を吸いたい虫けらの生がね。そしてこうやって……」
 ルーザーはゆっくりと、黒い虫をつまんでいる親指と中指に力を込めた。
 音はしなかった。目の前で虫が押し潰され、磨り潰されて黒い粉になる。
「……っ……」
 ハーレムは目を見開いたまま、離せない。
 次兄の形の良い唇が、静かにふうっと粉を吹き飛ばした。
「……生きているということは、こうして一瞬で塵になる。命ははかない。とても簡単に終わる。弱き者は強き者に従うか、殺されるか、だよ」
 たった今、目の前にいた小さな虫は、温室内の清涼な空気に消えてしまった。ルーザーの白い指にはもう何もない。
 そしてまた彼は優しく微笑んで、ハーレムを見下ろした。
 今この瞬間は僕が強き者だった訳だよ。
 支配するか支配されるか。強いか弱いか。殺すか殺されるか。とてもわかりやすくて美しい構図だ。
「そんな秩序の世界を作る者、それが軍人さ」



 あの粉はどこへ消えたんだろう。
 ハーレムは兄の足元を見た。何もない。消えたとしか思えない。
 粉?
 そもそも、あの粉が最初は黒い虫だったことが信じられない。
 ルーザーは『殺す』という言葉を使った。しかし今、それが行われたとは信じられなかった。
 あまりにも静かで、何の生々しさもなかった。
 ただ何もわからなくて、困って兄の顔をまた見上げる。
 彼は白い花に頬を寄せて、目を瞑っていた。
「……ルーザーおにいちゃん……」
 呼ばれてその人はそっと目を開く。長い睫毛が綺麗な影を作っていた。
 自分を見下ろす。
「ハーレム。僕はね」
 口調は淡々としている。
「僕は、お前がそんなことさえ知らないで、ただ甘えて人を殺す職業を選びたいと繰り返す。それが気に入らないんだよ。どうしてお前はそんなに幼いんだろうね、ハーレム? 無邪気であれば許されるとでも思っているの?」
 ハーレムの足は震えた。
 言われていることはわからなかったが、責められていることだけはわかった。
 泣き出しそうになったが、ここで泣いても何も変わらないことは経験で知っている。
 こんな時のルーザーには、ちっぽけな自分がかなう訳がない。
 否定されるのは、自分が悪いからだった。
 おバカなボク。虫けらみたいなボク。
 いつか粉にされて、吹き飛ばされるボク。
「双子だけど、サービスはそんな口のきき方はしないのに」
 サービスと違って、選ばれないボク。
 次兄は立ち上がると足を踏み出し、言われた通りに花の1m手前で立ち尽くしている自分の肩をつかんで、言った。
「ほら、どうしたの? もう一度言ってごらんよ。お前は将来何になりたいの?」
「……」
 凍りついたように口が動かなかった。
 次兄の顔はマジックにそっくり、髪はサービスにそっくりだったが、自分からは一番遠い人だった。
 ルーザーはしばらくハーレムを見つめた後、『もういいよ、行きなさい』と言って花の方を向く。
 またその世話を始める。自分にはもう目もくれない。
 ――捨てられるボク。
 ハーレムにとって、ルーザーは自分への不安そのものだった。



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「なんだ、今日のハーレムは元気がないな」
 夕食後に不思議そうにマジックに言われて、ハーレムはどきっとした。
 居間のソファで並んでテレビを見ているサービスが自分を見た。
 ちょっと俯いてしまう自分をどうしようかと思った。
 双子の前にはテレビがあって、遠い国の戦争を伝えている。そこでは人が、死んでいるという。
 ……実感がわかない。
 しかし夕方言われたことが重ね合わされて、無性に悲しくなるのだ。
 ころ……す?
 軍人。
 あの虫と、ルーザーおにいちゃんの、白い指先。
 ちつ、じょ?
「でもね、そんな元気のない子に元気の出るニュースがあるよ」
 そんなハーレムの目の前で、長兄は嬉しそうに隠していた右手を差し出した。
「じゃーん! 今日は父さんから、レターが来たんだよ!」
「!」
「!」
 双子は顔を見合わせ、次の瞬間一緒に飛び跳ねた。



 急いで温室のルーザーを呼びに行ったサービスが戻ってくると、マジックはレターを再生する。
 懐かしい顔が映像に浮かび上がる。
 ――パーパ。
 赤い総帥服。流れる金髪、青い目。
 ボクらの、すてきなパーパ。
 兄弟の父親の薄い唇は微笑んで、いつも通りに優しかった。
 元気か、しっかりやっているか、不自由なことはないか。
 内容は毎回ほとんど変わらなかったが、その同じことの繰り返しが、家族にとっては大切だった。
 レターはいつも簡潔で、短い。
 兄弟をいたわる言葉の後、『しばらく戻れない』が繰り返され、同じ最後の一言。
『私はお前たちを愛しているよ』
 それを待っていたハーレムは、その微笑みに向かってソファから駆け出す。
「パーパ! ボクもねぇ! ボクも、パーパを……」
 同じように『あいしてる』と叫ぼうとしたが、先程次兄にうまく説明できない言葉を使うなと言われたばかりだ。
 だから、こう叫んで画面に飛びついた。
「ボクも、パーパが大好き!」
 隣でサービスが同じように『大好き!』と叫んでいる。
 この時だけは、双子は同じことをしてもケンカにはならなかった。
 画面は灰色に波打っている。砂がざあざあ混ぜ合わされるような音がしていた。
 それでも、いまここに、ボクらのパーパがいた。
「ほら、お前たち。ココアを入れたから、こっちにおいで」
 マジックに呼ばれるまで、双子は床にぺたんと座ったまま、一緒に画面に抱きついていた。



 ――花と別れて、星から地球の砂漠に下りてきた王子さまは、遭難……つまり迷子になった飛行士に会うのさ。大人であることに疲れた飛行士なんだ。
 そこでずっと二人で問答を、お話をね、繰り返す。
 恋人だったわがままなバラの花との思い出を語るんだよ。
 花はとってもわがままでね、おかしなことを言って王子さまを困らせてばかりいた。
 だから王子さまは地球に降りてしまったんだけど、そこでたくさんのバラが咲く庭を見て、自分にとって大切なバラは、あのたった一輪のバラだったってことに、気付くんだ。
『……王子さまは言いました。<僕は、あのバラとの約束を守らなきゃいけない>……』
「はい。今日はここでおしまい。おやすみなさい」
「はーい」
「はーい」
「なんだ、随分聞き分けがよくなっちゃって。これも父さんのお陰だね。感謝しなきゃ」
 マジックは本を閉じ笑って立ち上がると、双子の並んで寝ているおでこに、それぞれにキスをした。
「お休み。ちゃんと毛布をかぶって寝るんだよ」
「おやすみなさーい!」
「おやすみなさーい!」
 明かりを消し、扉から出て行く長兄。
 暗くなった部屋。しーんとした空間。
 しばらくして、サービスが隣で呟いたのが聞こえた。
「……ルーザーおにいちゃん、今日もこなかった。また温室かなぁ……」
「む〜……」
 会話はそれだけで、双子がたまに仲良くなる夜は終わった。
 この夜は二人は途中で目覚めなかった。



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 翌日。兄たちが学校に行くと、ハーレムはサービスを誘って中庭に出た。
 この日は晴天で、青空が二人を優しく見下ろしていた。
 緑の芝生でしばらくボールで遊んだ後、木陰で寝転びながらハーレムは温室の方を見る。
 ガラスに透き通る温室の中で、白い花は相変わらず偉そうな顔をしてそこにいた。中庭で遊ぶ自分たちを監視しているかのように。
 ハーレムにはそれが少し嫌だった。サービスが自分の視線に気付き、同じ方向を見る。
 そして言った。
「あのルーザーおにいちゃんのお花、すっごくいいニオイがするんだよ! あまーい、の」
「ニオイ? あまーい、のぉ?」
 自分は1m手前でしか見せてもらえなかったので、匂いは嗅げなかった。
「うん! あまーいニオイ!」
 目を閉じてそれを思い出すような様子の弟。
 サービスはおそらくルーザーに近くで花を見せてもらったのだろう。
 ハーレムはとても悔しくなった。むっとした。
「ボクも、かぎたい」
 彼は立ち上がった。



「ハーレム……おこられるよ?」
「だいじょーぶ! またカギかけて、もどしとけばいーよぉ! なんだい、よわむしサービス」
「むー!」
 温室の鍵は、中庭への出口のある玄関ホールの壁に取り付けられている、ケースに入っている。
 ハーレムはいつもの木椅子を持ち出すと、それに乗ってあっさりと鍵を取り出した。
 そして温室扉の面付箱錠型鍵穴にそれを差し込み、右に回す。
 きん、という金属音がして、簡単に温室が開く。
「あけるよぉ!」
「……知らないよ?」
 扉を開けると、あの清涼な空気が双子を包んだ。
 白い花は、恐る恐る足を踏み入れた二人を、中央で堂々と待ち構えているみたいに見えて。
 この花が自信満々なのは、ルーザーおにいちゃんに可愛がられているからなんだろうな。
 ハーレムはそう思い、恐る恐る歩くのをやめて、こっちも自信ありげに足を踏み鳴らして鉢の方へと向かってやった。
 こういう場合は弱気になった方が負けなのだ。
「……」
 ハーレムは仁王立ちになって花と睨み合う。花は背が高く、台と鉢の高さを合わせて遥か上から彼を見下ろしていた。
 大きな花びら。光を浴びて輝く花。洗ったばかりのシーツより、もっと白い。
 今までよごれたことなんかないだろう、そんな白さ。ただ世話をされることしか知らない、そんな白さ。
 鉢には几帳面な字をした小さな名前札が刺さっていたが、ハーレムにはよく読めなかった。
「ユー……ゆ? ちゅ……」
「ユーチャリス」
 脇からサービスが口を出す。実は彼は先日教えてもらった名前を言っただけなのだが、勿論ハーレムは腹を立てた。
 アルファベットをもっと真剣に習えばよかったと思った。
 長兄はそんなに教育熱心な方ではない。
 できなければできないでいい、できるならできるでいい、といった雰囲気で、休みの日にたまに双子に読み書きを教えてくれるぐらいだった。
 そう大したことじゃないさ、勉強だって何だって、好きなようにやればいい。
 それは当然、マジック本人は習う前から何でもできるから、そういった発想になるのだろうが。
 マジックにーたんがもっとボクに、キビシク教えてくれればよかったのにぃー!
 ハーレムはふざけてばかりの自分を棚に上げて、長兄を逆恨みした。
 それに。
 むー。サービス。ボクの弟のくせに。
 横目で見ると、彼は素知らぬ顔で花を見上げている。
 その様子を見ていたら、ハーレムはここに来た目的を思い出した。
 そうだ。ニオイを嗅ぐんだった。
 彼は鉢の脇の椅子に飛び乗った。ルーザーがいつも座っている椅子だ。革張りがされていて、それがぎいっと、きしんだ。
「ハーレム。あぶない」
 サービスにそう言われると、ハーレムはますますサービスにはできないことをしなくてはいけないような気になる。
 椅子の上に立って、花弁を広げている白い花に向かって、背伸びした。
 ……もうちょっと。鼻先を花の綺麗なおしべがかすめた。
 その瞬間、彼はバランスを崩して前向きに倒れ、鉢にぶつかった。
 白い花の鉢は、ハーレムと一緒に地面に台から落ち、大きな音を立てて、あっけなく割れた。









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