初恋の住む星

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 双子の寝顔。蛍と星の光に照らされて、それはとても穏やかだ。
 子供は、不思議。さっきあったことなど、けろっと忘れて。楽し気に、はしゃぐだけはしゃいで、今はすやすやと寝息を立てている。
「ねぇルーザー、何だか凄かったね、この子たちは! 二人共頑張ったよ、今日はさ!」
 自分の隣に座るマジックが、嬉しそうにその膝の上に折り重なるように眠りこけている、弟たちを撫でながら言う。ルーザー自身の膝の上にも、サービスの柔らかい金髪がある。
「……そうですね」
 無難に答えると、ルーザーは目の前の蛍の群に目をやった。
 二人はシロツメクサの咲く橋の下、川岸に座って、柔い風に吹かれている。
 一面の蛍。夜の中。華やかさと静寂。



 釣られたように同じく川面を見たらしい兄が、視線はそのままに、また話しかけてきた。
「そうだ、ルーザー。知ってるかい? 蛍の光の明滅は、自然界の呼吸なんだって」
「呼吸……ですか?」
 知ってるかい、と彼が問いかけてくるのは珍しい。
 たいてい知識系の話は、自分の聞き役に回るのが、長兄の常であったから。
「うん。自然ってさ……この蛍の光も……海の波が寄せる音だったり、川の流れや星の瞬き、したたる雨音……みんな、同じリズムで揺れているらしいよ。だから、呼吸してるみたいだって思って」
「ああ……1/fゆらぎ理論ですか……周波数の話ですね。それを呼吸だなんて。兄さんは時々、妙に感傷的な表現をすることがある。おかしいな」
「悪かったな。どーせ似合わないとか思ってるんだろう。でもね、一定の秩序を保った自然が、実はずっと揺らぎ続けることで生きてるなんて、呼吸に似てるって思うんだよ。揺らがないと生きていけないっていうか、さ……上手く言えないけれど」
 ……この秩序ある世界は、実はかすかに揺らぎ続けているのだという。
 世界の素材である電気的導体に電流を流すと、その抵抗値は一定にはならず、必ず揺らぐ。そのスペクトルが周波数:frequencyに反比例することから、ついた現象名が『1/fゆらぎ』。
 電磁波の中で、秩序は常に乱れ続けている。自然界と生体の秩序内に潜む混沌。
 論理の中の、非論理。非論理こそが論理を形作っているというパラドックス。
 ……確かに、そんな理論はあるけれど。
 それを、呼吸だなんて。おかしな、兄さん。いつもは大人の顔をしているのに。
 僕の前では少しだけ、子供っぽいですね。
 そして……きっと……そうやって、僕に何かを、伝えたいんですね。



 自然界の呼吸だという、蛍の光。それは、あの夜に佇む温室の光を思い出させる。
 たくさんの中の、一つ。その中で、僕だけにとって意味を持つ一つ。
 僕の世界。
 自分の思考を側で感じ取ったのだろうか、マジックがまた囁くように呟いた。
「……蛍はこうやって、たくさんいるよ。でも、僕らが約束したのは、たった一つの蛍だけだ」
「約束……?」
「約束だよ。人間はこの蛍や星の数ぐらいにいるけれど、僕らが約束をしたものは、その内のたった一つの光。僕たちが、兄弟であること……そして父さんの息子であること……青の一族であること……」
 不思議なことを言い出すと思ったが、ルーザーは黙っていた。
「僕ら四人が兄弟である、ということが、生まれる前からの約束なんだ」
「……」
 ルーザーは首をかしげて、兄の横顔を眺める。
 自分に似たその白い顔は、蛍に照らされて、夜目にもその輪郭がはっきりして見えた。淡い光の作る、彫りの深い顔の陰影。金色の髪。
 そして、だからお前は一人じゃないってことを、忘れないでほしい、とマジックは言い、光る川面に小石を投げた。



 上空の風が強くなったらしい。高みに上った蛍が吹き流され、美しい流線型を描いている。夜空の星と一体化して、それはまるで天の川のようにも見えた。
 天空の川と、眼下を流れる地平の川。二つは果たして相交わることがあるのだろうか。
 淡々とした兄の言葉は続く。
 ……生まれてからも、僕は父さんと約束したよ。
『私の留守中は、お前が家族を守るんだ』と肩を抱かれて、僕は頷いた。
 だから僕はお前たちを守りたいと思うのさ……勿論、嫌々守る訳じゃないよ?
 ちゃんと誇りを持って……そうだね、何だかんだでお前たちと一緒にいられることが僕は嬉しいのさ。
 これは本当の気持ちだよ。
「……」
「だから僕が、しっかりしてなくっちゃっていうのも、本当の気持ち」
 本当の気持ち、と繰り返して、こちらを向き笑った人。
 じゃあ嘘の気持ちも、彼の中には存在するのだろうかと思ったが、ルーザーには尋ねることができない。
「はは、守る、とか言っちゃって。何だか……僕は、お前にとって悪い兄なのかもしれないね」
 そうやって話が苦手な方向にずれてきたので、仕方なく、小さな声で『約束……』と自分も繰り返した。
 自分の声だけが、不思議と夜に溶けていくような気がして、ならない。
 ルーザーは膝に感じる、弟の重みに意識をやる。
 この重みが、そしてあなたが話す、この声が、約束……。
 うん、約束、とよく通る声で、兄は言った。



 全ては約束なんだと僕は理解しているよ。
 ただどうしてか、全ての始まりから決まっていること……お前たちと兄弟であることとか、こういう一族に生まれたことであるとか……この眼とか……力……
 そういうのって、ただ誰かに決められたことなんじゃなくって。
 自分の意志だって、入ってるんだと信じたいんだよ。
 そんなの、ただの気の持ち方、都合のいい方便だって、お前は思うかもしれないけれど。
 そう言って微妙な表情をした彼を見て、そうか、とルーザーは思った。
 兄さんは、そういう感覚なんですね。
 また……少し、僕の感覚と隔たっている……。
「約束を果たすためだけに、僕はこれからも生きていくのかと思う」
 そう響いた言葉の後、一瞬の間があって、ルーザーは自分の肩に手が置かれたことに気付いた。
 兄は、いつも通りの、体温の感じられない冷たい手をしていた。近くに寄せられた彼の目を見る。
 それは、自分の左眼と同じ陰りを含んだ、両の眼だった。
 ……ルーザーは時々、鏡で自分の両目を比べてみることがある。
 それは一見、全く同じであるように見えるのだが。しかし右は普通、左は特殊な目であるはずで。
 その違いを確かめたかったが、まさか取り出して実験する訳にもいかない。
 何事にも凝り性のルーザーは、試行錯誤の結果、ついにその見分け方を発見した。
 暗闇で蝋燭をかざすと、右目は普通の炎を映し出すのに、左眼にはどこか暗い炎が映る。どうしてか、常に輝きが陰影を帯びるのだ。
 それはよく観察しないとわからない程度の違いではあったが、青の眼の映し出す像には、確かに歪みと陰りがあった。
 青の眼……そして、ルーザーにとっては、今は淡い予感でしかない青の血。
 だが、ひとたびそれが目覚めれば、自分には暴発の可能性があるということも告げられていた……。
「今、『僕は』と言ったけど」
 兄の台詞で、また意識が引き戻される。
「『僕らは』って本当は言いたいんだ。さっきも言ったけど、僕は一人じゃないと思ってる。お前もいるし、この双子もいるよ。一人じゃないってことも、兄弟の約束なんだ」
 自分が彼の眼を見つめている間に、その言葉は進んでいる。
 弟である自分の顔と、そして辺りを舞う蛍の光を映し出している、マジックの青い眼。
 やはりその水晶体に浮かび上がる像は、どこかが違うと、ルーザーは思った。
「そして勿論、父さんもいてくれるしね。父さんがいてくれるから、お前だって、僕だって、一人じゃない……僕は約束を守るから……だから、お前にも、僕たちと兄弟であるっていう、約束を守って欲しいんだ……」
 長兄はその後を続けようとしたらしいが、そのまま黙り込んでしまった。
 彼の眼の中の自分は……うっすらと、微笑んでいる。



 何となくいたたまれずに、ルーザーは視線を落とした。自分の肩に置かれていた兄の手は離れ、今は草むらの乾いたシロツメクサを撫でている。
 その仕草を見ていると、彼の膝の上のハーレムの寝顔が目に入る。この子の、軍人になりたいという台詞。
 『軍人』の意味を軽く考えていることもそうだが、実はその後に続く『なりたい』という部分にも、ルーザーは違和感を覚えていた。
「兄さんは……軍人になりますか」
 あどけない寝顔を見ていたら、そればかりがまた気になって、つい口に出してしまう。
「ん……そうだね、なるよ」
 すぐに返って来る答え。
 ハーレムのように『なりたい』ではないこの人。
 そうですよね。そうで、あるべきだ。
 ルーザーは、自分がひどく当り前のことを聞いているのだと思った。
 しかし、次も答えがわかっている問いしかすることができなかった。
「人を、殺しますか」
「そうだね、殺すよ」
 変わらない表情で答えた兄は、また川面の蛍を見つめている。無駄なことだと知りつつも、ルーザーは変に食い下がってしまう。
「兄さんは、こんなに……家族を大事にしようとするのに、それでも人は殺せるんですね」
 我知らず責めるような口調になってしまって、そんな自分をおかしいと感じる。自分だって、彼と同じ感覚を持つ人間であるのに。
 今日は珍しい日。弟達と同じで、自分も何かに焦っている。
 兄はその額に落ちた前髪をかき上げると、少し笑って言った。
「こういう話があるよ。ある連続殺人犯が、死刑になる直前まで見ていたものは、牢の小窓から見える孤児院で遊ぶ子供たちだったんだって。残酷な人間ほど……子供や、動物や……家族が好きだったり、大事にしたりすることがあるんだ。僕は、自分がその類の人間だという予感がしている」



 蛍が、兄弟の間をゆっくりと浮遊していく。光が自分と兄の瞳に映り、そして消えた。
 その跡に、マジックの薄い唇が動くのだけが見えている。
「軍人、か。僕は……本当はどうだっていいんだ。自分の行く末が何であろうと。人を殺そうと殺すまいと。どうだっていいんだよ。こんなことを言うとおかしいけれど、僕は何でも一通りはこなすことができそうな気がするから。だから別に特定のことに拘ることはないし。特別何かを好きになる訳でもないし、嫌いになる訳でもない……本気で何かに一生懸命になることもない……」
 ルーザーが植物に関心を持ち始めたのは、この万能の兄よりも、自分が優ることができる領域を無意識に捜し求めた結果にすぎない。
 ただ相手がほとんど関心を持たない領域、というだけであるのかもしれないのだが。
 だからこの人が軍人になる限り、自分は軍人にはならないだろうと思った。
 一歩下がって彼を陰で支える存在でありたい。共に立つ人間ではいたくないと思った。
 芽の出なかった兄の植木鉢。
 芽の出た自分の植木鉢。
 自分は、彼の存在の隙間を探して、そこで生きていけたらいい、そう思った。



「ねえ、ルーザー。お前の世界は……左眼と右目で見る世界は、違うかい……僕は両方とも特殊に生まれついているから、普通の目で見る世界がわからないよ」
 ルーザーは、またちらりと兄の横顔に目をやった。彼の青い両眼は、相変わらず輝く水面を映している。
「だから、ただ……いつも、想像しながら毎日を過ごしている。ただ、形をなぞっているだけなのかもしれないと、時々思う」
 まねをしているんだよ。こうであるべき姿を。
 そうやっていたら、いつか本当になる気がしていて。
 だから……お前の気持ちが、僕にはわかるって、さっき言ったんだ。
 でも、そうやって繰り返していくしかないんだと思ってる。
 僕の世界は……この僕が見ているものは……何が本当なのかを誰かと共有して、確かめることができないから。
「そんなことを言わないで下さい」
 弟たちや自分もそうだが、今日の兄は少し違う。
 ルーザーは腹を立て、マジックの言葉を遮る。そして、また心の芯に、刺すような痛みを覚えた。
 ハーレムとはまた種類の違う痛みを、この人は自分に与える。
「なぞっているんじゃないですよ。兄さん。あなたはそんなことをする必要は、ないんです。あなたは本当に正しくて、完璧なんです。本当に強い人なんです」
「……そう、決まっているから、だろう……? お前の言葉を使えば」
「その通りですよ。だって、全ては決められているじゃないですか。最初から」



「兄さん。あなたは冬に生まれ、僕はその半年後に異母弟として初夏に生まれた。あなたが先で僕が後。その順序が全てだ。全ては生れ落ちた時から決められていたんです。あなたは僕の上に立つ。それが青のさだめです。それで何か間違っていますか」
「……いや」
「あなたは、その決まりを先刻、約束と呼んだ。呼び方はどのようでも構いませんが、それが約束なら、その責任を負うこともまた約束ですよね」
 また自分は相手が百も承知していることばかりを、必死に話している。
 短い二人の歴史の間に積み重なった、不文律ばかりを。
 ああ、そうか。自分は、不安なのだ。ふとルーザーは気付く。
 さだめ。秩序。そして約束。それらを、この人は本当に守ってくれるのかどうかが。
 だから二人の間にある、暗黙の了解事項を語らずにはいられない。
 必死に彼を見つめずには、いられない。
 ……マジックは目を細め、自分から視線をはずした。
「そうだよね。決まっているんだよね。だから僕はその決められたことを完璧にやり遂げようと思うよ。僕はお前の兄で、この双子の兄で……そして将来において……軍人になる。本当にやりたいことや執着すべきことは僕の世界には存在しないから……人を殺すことが、さだめであるなら、それでいいさ。僕は人を殺すことで一番になれると思う。その自信はあるよ……でもね」
 だけど僕は同時に、愛を感じることができるよ。
 それは父さんがいるから。父さんのあの暖かい温もりがある限り、僕は道を間違えないと思う。
 この眼で普通の世界が見えなくても。
 ……父さん自身だって、今、戦場に立ちながら、何か僕には想像もつかないような葛藤と戦い続けているはずなんだ。
 でも、そんな中で、あの人は愛してくれるから。
 父さんが愛してくれるから、僕は、さだめを自分からした約束だと思うことができるんだ。



 愛、なんて。
 まただ。そんなものを引っ張り出して来なくても、あなたは十分やれるのに。そんな、見えない、形のないものを。
 ルーザーは、再度、違和感を感じる。
 一番になることができるのなら、それを堂々とこの人には貫いて欲しい。
 それが強いということだから。
 他人を負かし、そして……この自分を負かして、敗北者を踏み台にするということだから。
 マジックには、自分の上に立つ責任があると思った。
 敗北者の、そしてこれから無限に積み上げていくはずの敗北者たちの、失くす未来の責任があるのだと思った。
 兄さん。僕は一番にはなることができない人間だ。
 だが、あなたの踏み台になれば、僕は一番の踏み台になることができる。
 ルーザーは自分の存在意義をそこに見出そうとし、身を投げ出そうとする。
 だから僕は、あなたの内面は、知りたくない。強いままの、あなたでいて欲しい。
「ルーザー、あの去年の夏の、海の底を覚えている?」
 僕のこの気持ちは、あなたが一番よくわかっているはずでしょう?
 でもそれでも、今日は珍しく語り続けるんですね。
 ルーザーは俯く。膝上のサービスの寝息を手の平に感じ、息をつく。
 気付きたくない。
 こんな風に、確かめるように、わかりきった言葉を重ねていく今日の兄は、自分と同じで、不安を感じているのだということに。
 ああ、また僕は痛みを……。
「ルーザー、海の底……あそこはとても暗くて、冷たかったけれど」
 淡々とした声音が響く。
 それでも、いつも太陽の光が差し込んでいたよね。
 僕らはそれを目指して、水面に戻ることができた。
 光を辿って、海辺に帰ることができる。その光が、僕らにとっては、父さんなんだと思うよ。
「たとえ、海の底に沈んでしまっても、水面から光が差す限りは……僕は、僕たちは、大丈夫だよ……」
 兄と自分。そして双子。
 この時、兄弟を虜にしていたのは、微かな不安――やがて訪れる未来への予感だった。



 海、という言葉を聞く度、ルーザーにはもう一つ思い出すことがある。
 自分が成長するにつれ、次第に……特に眠る前の意識のたゆたう時間に、現れるようになった内面の青い海。
 闇の中で目を瞑ると、体が遠い何処かを漂っている感覚に陥る。
 いつか、沈んでいくのだという諦念。
 未だ自分にはその時は訪れないが、何か得体の知れないものが、身の内に巣食っているのだという確信。
 巡る血の粘液。幼さから抜け出る前の、身の疼き。



 ――双子が生まれ、今の暮らしをするようになる迄は。
 あの子供部屋が二人の兄弟に与えられた部屋だった。
 例のベッドで一緒に眠っていた自分たちだが、夜目を覚ますと、隣に兄がいないことがよくあった。
 長い間帰ってこないので、幼いルーザーはずっと暗い天井を見つめている。孤独な空間を、一人耐えている。
 そして、砂時計のように心の砂が落ちきった後、やっと自分も起き出す。
 長い廊下。遠く囀る夜の鳥。身に纏った毛布を引き摺り、小さくスリッパの音を響かせ、長く伸びる暗闇の影を辿り、明かりの漏れる方へと向かう。
 そんな時、兄はいつもキッチンにいることを知っていた。
 嘔吐している。
 ルーザーはその姿を見るのが、嫌だった。
 扉の陰から、まだ幼い背中が苦しそうに上下しているのを見ると、彼は自分がおかしくなっていくという疼きを覚えた。
 その光景は、自分と兄の間の秩序を壊す。
 強い人のかたちを壊す。



 青の血。その目覚めは、父の言葉によれば個人差があるという。
 目を閉じて、闇の中に青い海を見る度、ルーザーは着実に自分の時が迫っていることを感じていた。
 青の血の本質は、欲望と暴走。一族はその制御技術の会得に苦心する。
 その持つ力が大きければ大きい程、苦しみもまた壮絶であるという。
 自分もいつか……あの濁った青い海を最後まで越えなければならない。
 兄にひどく遅れた自分だけれど。
 沈んでいく。
 ただ、ひたすら沈んでいく予感。
 熱くて、冷たい。
 全てが青い汚濁にまみれて消えていく。
 粘る、苦しさとあきらめの水の中で堕ちて行く忘我の果て。
 今は、その前兆を経験しているに過ぎない自分ではあっても、父親が水面から差す光のようだ、という兄の言葉は、その瞬間を指して言っているのだろうということは、容易に想像がついた。
 兄はいつも苦しみに耐える時、父の姿を思い出しているのだ。
 ――僕は。
 常に父親の側にある青い石が目に浮かぶ。
 あの石と……僕らの、青い血。
 さだめ。
 たとえ、それが自分からした約束なのだとしても。
 たくさんの輝きの中から、自ら選んだ一つの輝きなのだとしても。
 ――僕は……兄さん、僕らは青の一族なんですよね……。



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 しばらく静寂が続いていた。ふと、二人の間から場違いなしゃっくりの音が聞こえた。
 マジックの膝の上で寝返りを打ったハーレムが、そこだけは器用に寝ながら喉を鳴らしたのだ。
「……」
 二人の兄弟は目を見合わせ、そして笑った。
 マジックが言う。
「まったくハーレムは……可愛い顔して大人しいと思ったらこれだ……きっと帰ったら、起きて騒ぐだろうから、また本の続きを読んでやらなきゃ」
「何の本を読んでやっているんですか」
「お前、読んだことあるかい。『星の王子さま』っていうんだけど」
 ルーザーが首を横に振ると、兄は自分を見てどうしてか照れたように言った。
「一人きりで星に住んで、花の恋人を持つ王子さまの話さ。真ん中ぐらいまで読み終わったかな……そうだ、お前も今日はちゃんと顔を出すように。双子が不安そうだったよ。不安だから、いつも以上に悪さをしたり喧嘩したりして。僕も困る」
 その顔が本当に困っている風だったので、ルーザーは思わず相好を崩し、頷いた。



 風に乗り、曲線を描いて輝く蛍。
 星。夜に輝く光の星。太陽の光を受けて、輝くことができる黄金色の星。
「……でもその王子は……その子供は、不幸だったんでしょうね」
 何とはなしに、そう口に出すと、不思議そうな声が返って来た。
「何故? 花が恋人だったからかい?」
「いいえ。仕えるべき王がいないからです」
 ルーザーは言い切った。
「王もいないのに王子も何もないでしょう。その子は、王がいなかったから不幸なんですよ。自分を従え支配する人がいなかったから、不幸だったんです」



 そろそろ、行こうよ。
 兄はただ、そう言った。
 ルーザーは頷き、サービスを抱き上げ、大人しく立ち上がる。彼らしくない、下手なかわし方だった。
「……SPたちが不審に思う頃だ。ああ、ばれないようにハーレムは裏の抜け穴から家に入れなくっちゃね……」
 この兄といい。僕といい。この双子の弟たちといい。
 今夜の僕たちは……何かが違う。どこか浮き足立っている。
 どうしてか、こう……まだ見えない何かに……怯えているような……。
「たまにはお前がハーレムの面倒みろよ」
 わざとしかめた顔に、こう言われる。ルーザーは小さく笑った。
「いいですよ。今は眠っているから大人しい。大人しい子は好きですし」
「……まったく、お前ときたら」
 呆れている兄と、互いに抱えている子供を交換すると、その体を肩に背負う。
 自分の背にかかってくるハーレムの体重は、サービスと全く同じであるように思えた。
 同じ温もり。どちらも、同じ弟。
 黙っていれば、同じなのにね。



 サービスを背負ったマジックは、目の前の橋を見上げている。この石橋の壁面には、一つの宗教画が彫られていた。
 それが蛍の光に、淡く照らし出されて、ぼうっと闇に浮かび上がっている。
 古来からの絵画の主題。天使と悪魔の交歓図。神に頭を垂れ、跪く人間。
 裁かれる罪。その軽重に応じて、生きた肉体を、天使と悪魔が奪い合う。人が死の瞬間に、導かれる場。
 ――最後の審判。



「ハーレムと、サービスが……」
 兄が呟く声が聞こえた。
「この図がね、お前に似てるって……言うんだ」
 ルーザーは肩をすくめる。描かれた天使と悪魔の顔は、双方共に美しく、同時にそこが芸術というものの限界点であるのだろうと彼は思う。
「へえ……それは光栄ですね。でも天使と悪魔、二種類ありますよ。どちらのことを指して言っているんでしょうね」
「……この二人は……感性が違うから」
 兄は言葉を濁した。そして再び、行こう、と言って川原を歩き出す。革靴が草を踏みしめる音だけが、した。
 その後について歩きながら、ルーザーは思う。
 ――兄さんなら、どちらを本当の僕だと感じるんですか。



 振り向いても、まだ橋壁の『最後の審判』図は蛍に照らされて、静かな夜に佇んでいた。
 ルーザーは、柔い風に吹かれて、その金色の睫毛を伏せる。そして答えが返って来ないであろう、目の前の背中に向かって、呟く。
「芸術の永遠のモチーフも、こうして見ると実に陳腐ですね……でも、それが真実であるからこそ、逆に陳腐であるのでしょうか」
 ただ歩き続ける兄の後姿。その背に背負われる弟。この肩の重みをした弟。
 そして、自分。
 四人の内……誰が先に、あの場所へと導かれるのだろうか。
 ルーザーはもう一度、遠くなる川面の蛍を振り返り、その明滅と共に、静かに息を吐いた。
 呼吸。繰り返す度に、世界と僕は、死へと近付いていく。



 その刻印が描く姿は、抗えぬ、この世のさだめ。
 罪に堕ち、人は神を見上げて、跪く。
 天使と悪魔に引き裂かれ、そして最後に、裁かれる。





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