真夜中の恋人

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「チッ……まーた真夜中だぜ……どーしてこう、アンタと何をするにも時間がかかるんだ」
「時間をかけてね。愛を、育んでるんだよ! 時間をかければかける程に、深まる愛」
「あああ、うっざ! だいたいアンタはなあ……」
「ところでシンちゃん、醤油、何に必要だったの? ちっとも使ってないようだけれど」
「……そ、それは……そ、そーだ、明日は久々に、弁当でも作って持ってこうとか、思ったんだよ……でも、アンタのせいで時間なくなったから、ヤメた」
「ああ、お弁当ね。そっか、シンちゃん、いつかパパに愛妻弁当、作ってね」
「ぐわっ! ナンだその表現! アホかっての!!!」
「パパが作ってもいいよ。パパが三人分、愛父弁当、今度作ってあげるよ」
 酒は、熱燗。自室のキッチンで。シンタローは、ぶつぶつ文句を言いながら、湯を沸かしている。
 マジックは、その様子を、隣で嬉しそうに眺めている。
 他愛の無い会話が、続く。



 湯が沸くと、シンタローは弱火にしてから鍋に徳利を入れ、湯煎をする。
 ときどき徳利の首に指で触れ、加減を見る。
 隣の冷蔵庫に凭れているマジックが、手を伸ばしてくる。
 しきりに、子供っぽく湯気に手をかざしては引っ込め、かざしては引っ込めしている。
 かと思えば、シンタローの周りをうろうろ落ち着きなく歩き回る。
 何くれとなく話しかけてきて、意味もなく色んなものを触っている。シンタローに、くっついてくる。まとわりついてくる。
 ホントに、台所で母親の周りをぐるぐるしているガキみたいだぜと、シンタローは苦笑半分、何でこうなのだろうと溜息半分で、ともかくも二人は、火をかけて、ほんのり温まった空間に、一緒にいるのだ。
「ああ、いい香りがしてきた。でも日本酒って、米から作ってるんだろう。どうしてこんな果物みたいな甘い香りがするのかな」
 そう不思議そうに、男が言うから。
「大吟醸だかンな。普通のよりも、もっと低温で、もっとゆっくり発酵させてんだ。美味いぜ」
 なんて、色々教えてやっていたら。
「あっちっち……」
 つい湯加減を間違えて。
 シンタローは、慌てて徳利の首に触れた指を離し、耳たぶを摘んだ。
 するとマジックが、そのシンタローの熱い指をとって、自分の大きな両手で包んでしまった。
 そして笑って見下ろしてくる。
「パパの手の方が、冷たいよ」



「チッ……ぬるめにするつもりが、アンタのせいで、すっかり熱すぎの飛びきり燗だぜ」
 十秒くらい経ってから、勢いよくシンタローは、マジックの手から自分の指を抜いた。
 そしてガチャガチャと乱暴に、酒器を並べだす。
「ふふ。熱いの、直ったでしょ。パパの手、ひんやり気持ちよかった?」
「うっせえなあ。無駄口叩いてねえで、手伝えよ! 刺身でも冷蔵庫から出しやがれ」
「はいはい。でもね、シンちゃんって、すぐ耳たぶ赤くなって熱くなるから、指を火傷しそうな時に触っても、意味ないと思うんだ」
「ああああ?」
「ほぉーら、今だって」
「無駄口叩くなっつったろぉがぁ!」
「こわーい」



 肴は、先刻マジックが仕事(シンタローによれば、キャーキャー言われたい目立ちたがりの末路)の帰りに寄った料亭に、包んでもらった刺身。幾許かの魚介類。
 シンタローは棚から網を出してきて、殻付きのウニを焼く。
 生もいいが、この少し水分を飛ばした焼きウニのホコホコした舌触りと、芳香がたまらないのだ。
 隣では、シンタローに言われた通りに静かになったマジックが、例の醤油瓶の蓋を開ける音がした。
 部屋の灯りにキラキラと輝く、橙色のいくら。それに香味と一緒に醤油をかけて、いくら醤油を作っている。
 テーブルで折り詰めを開いて、平目やフグの刺身を並べて。
 素焼きのお猪口に、互いに熱い酒を注いで。静かに目配せをして。
 二人は、酒を飲み始めた。



 そして。
「あれ。アンタ……もう酔った?」
 相手は答えない。
 襲われたり怒鳴ったりを数セットこなした後である。
 数度、徳利を空にして、シンタローが、湯煎のために席を立った間に、マジックは、またソファに座ったままの姿勢で、目を瞑っていた。
 眠っているように見える。
 右手にお猪口を持ったままだったので、シンタローは、そっとその手から、それを外してやった。
 そして、しめしめと思い、同時に、へえと感心した。
 冷酒の時は、潰れるまでに、もっと時間がかかった気がする。
 もっと色々、襲われたし。されたし。
 そっか、酒の温度によって違うのか! 奥が深い!



「うーん、とりあえず冷酒と熱燗だったら、やっぱ熱燗の方が酔いやすいのかナ。よっしゃ、また一つ秘密が明らかに!」
 こうして、相手の弱点を分析していくのは、なんとも楽しいものである。
 相手の秘密を、どんどん暴いていくような気持ちになる。
 うししと笑って、これからはマジックと飲む時は、熱燗にしようと、シンタローは考えた。
 それとも正確に酒の温度と、こうなるまでの酒量を計測して、温度別に統計なんか取っちゃおうかと、ちょっとワクワクしている。
 グンマやキンタローに頼んで、データ化してもらってもいい。
 おっ、そうだ、グンマに習って、観察日記でもつけるべきか。
 マジックが酔うまでの、自分の身を守るリスクを考えると、これは必要な作業である。
 総帥たるもの、自らのリスク管理は最重要事項であるのだ。
 ふんふんと、とりあえずは今回の酒量を、手近にあった処理済みの書類の裏に、忘れないようにメモしていると。



 すうっと、マジックの目蓋が開いた。睫が光を弾く。そしてそのまま、虚空を見つめている。
 シンタローは、相手を凝視した。相手は常通りの青い瞳をしていた。
 ……これは、どっちだ?
 やはり見極めかねて、意を決したシンタローは、口を開く。
「マジックのMは?」
 やや間があって、静かに薄い唇が開いた。響く低音。
「男心はミステリーのM……かつてある男が言ったよ。強くなければ生きては行けない。だが、優しくなければ生きている資格がない」
「よっしゃあ――――ッッッ!!!」



 シンタローは、幼い頃からクールに自分に接してくるサービスに憧れたように、五人組戦隊モノに例えるとすれば、ブルーに憧れるタイプであるのだ。
 カッコイイ。頼れる。クール。男らしい。余裕たっぷり。美学。古い男だと言われようが、そういう属性が燃えるのである。
 そして自分もそうなりたいと考えている。
 まあ、なりたいっつーか、俺は元々そうなんだけど。
 だってヒーローだし。なんてったって総帥!
 だから、そんな自分のカッコ良さの殻を崩してしまうような人間は、苦手なのである。
 ありていに言えば、マジック。
 だから、自分が余裕じゃいられなくなる相手は、イヤなのである。
 ぶっちゃけて言えば、マジック。



 しかししかししかし、である。
 今、そのシンタローの理想の自分像、カッコイイ俺様像を乱すマジック自身が、シンタローの理想そのものの漢になってしまったのだ。
 これを喜ばずして、何を喜ぼうか。
 召喚成功!
 思わずガタンと長椅子を揺らして、勢いよく立ち上がったシンタローは、ガッツポーズをした。



 それからは、男たちはひたすら飲み続けたのであった。
 そして男について、語り合い、意気投合した。
 つまりは、本人たち的には、いい雰囲気でなのである。
「アンタ! もっと飲む? ほら、お猪口持てよ! 注いでやるから!」
 うきうきシンタローが徳利をつかんで、酒を注げば。
「ああ、貰おうか」
 男は、薄く笑って、それを綺麗に呷る。
「へっへ、いーい飲みっぷりじゃねえの」
「お前の飲み方を見習ったのさ。いい酒には、相応の敬意を払うべきだし、相応の飲み方がある」
「やっぱ、そーだよなぁ〜! おっ、あ、俺にも? さんきゅ。じゃ、俺も、ぐぐーっと」
「ああ、飲もう。飲まないという法はない」
「ぷはぁ〜! いやあ、ウマいなあ、俺も酔っちまいそうだぜ」
「フ……私も酔いに身を任せていたい。男は、極上の酒と、惚れた相手の笑顔には、酔わずにはいられない」
「あー、ホントそーだよなぁ〜って! (エ、惚れた相手って、俺のコト? うああああ渋い! ロコツに言いまくるより絶対シブい!)」
「私の心は、いつもお前に酔っているのかもしれないね……シンタロー……」
「!!!!!」



 杯を重ねて、さらにさらに、どんどん飲み続ける二人である。
 一升瓶が、次々と空になっていく。驚異的なペースであった。
 ふと、飲んでばかりだと気付いたシンタローが、ぽんとマジックの肩を叩く。
 ちょっと動作がフラついて危ういのであるが、本人は気付いていない。
「そぉだっ! な、ナンか食うかよっ? 刺身、あー、もうほとんどなくなっちまってるけどよぅ……」
「いいよ……お前を見ているだけで、十分さ……あとは夜空の星があればね」
「えっ! ……星って! 俺はともかく! ほ、星なんかで、腹が膨れるかよ……っ!」
「輝きの価値は、見る者が決める。ルールは自分で決めるものさ」
「!!!!! そぉーだよな! 男なら、何でも自分で決めるべきだと俺も思う! はっはっはー!」
「私もそう思うよ。他人が何を言っても、自分の道を突き進む。逆に、そう決め込まなければ、男という弱い生き物は、虚勢を張り続けることができないのかもしれないね……」
「深い……深いぜ……複雑なんだな、ヲトコ道……」
「一度決めた道を、ひたすらに歩き続けるのも、辛いことではあるがね」
「うん、うん」
 すっかり素直になったシンタローは、マジックの話を熱心に聞いている。
 相手も、ちゃんと自分の話を聞いてくれるのだ。
 間違っても、隙あらば襲ってこようとか、そんな邪悪な意志は持ってはいないのである。
 好意の示し方も、元のマジックに比べれば、ありえない程に、さりげないのである。
 かーっ! これだよ、コレ! 俺の求めてたカッコイイ関係って、コレなんだよ! と。
 シンタローは、すっかり嬉しくなってしまっていた。
 相手が、自分の目の前で、静かに口を開く。



「お前の決めた道はなんだい、シンタロー」
「決めた道ぃ……」
「じゃあ、好きなものでもいいよ。お前の好きなもの、好きな道はなんだい」
「へ? 好きなぁ? コタローと美少年……って! 正直に言っちまった……酔ってるのかナ、俺……ひっく」
「それならお前は、弟道と美少年道を突き進むがいいね。だが決して振り返らないことだ……後戻りはできない」
「オッケ〜〜〜! 俺ぁ、突き進むぜぇ、ブラコンとショタコン・ロードをぉ〜! 誰にも負けねぇ〜!」
「疾走すればいい、シンタロー……お前が正しければ、世間は後からついて行くだろうね。私はここから、お前の背中を見送っているよ」
「よっしゃあ! 見送れ! あ、じゃ、じゃあさ! アンタの好きなものってナンだよ!」
「フッ……それを聞くのは、野暮だろう……?」
「なんだよぉ〜 言えヨ! 教えろよォ〜」
「そんな潤んだ瞳で訊ねられては、ますます口を閉ざすしかなくなるな……その頬は、誰を騙すために色づいているんだい……すまないね、坊や。お前も私も、少々酒が過ぎたようだ」
「教えろよォ〜! なぁ、ちゃんと言えよォ〜!」
「やれやれ、この子は。とんだ小悪魔だ。尻尾はどこだい?」
「わわっ、やめろってぇ〜」



 と。
 何だかこんな風に。漢同士の会話は、続いている。
 彼らがそうだと思えば、それがヲトコの道。俺と私のルール。
 結構二人とも、酔っ払っているのである。



「やっぱさぁ〜、ナンか食おうぜぇ〜」
 すっかりいい気分で、すっくと長椅子から立ち上がったシンタローは。
 歩き出そうとして、床に転がっている空の一升瓶につまづき、つるんと転びそうになった。
 次の瞬間、ふわっと自分の身体が受け止められたことに気付く。
 なんだか世界が逆さまで、のけぞった背中の下に、強い腕の感触がした。
 ……マジック。
「危ないよ。気をつけて」
 ム、とシンタローは、とりあえず助けてもらったからには、礼を言わねばなるまいと思い、『悪ィな』と、のけぞったままで偉そうに言う。
 すると相手は、
「どういたしまして」
 そう、爽やかに言ったと思ったら。
 シンタローは、自分の視線が、ぐっと持ち上がったのに気付き、あれあれ、と周りを見渡すと、自分はどうやらマジックに抱き上げられてしまっているのであった。
 いわゆる、お姫様抱っこというヤツである。



「……う……」
 脳が、自分の取るべき行動を判断するのに、数十秒を有したが。
 とにかく、シンタローは騒ごうと思った。手足をバタバタさせてみる。
「降ろせよォ〜! お、俺は漢だぞぉ、総帥だゾォ〜! あんだよ、これはよォ〜!」
 肘鉄で、ちっとも動じない相手を攻撃しようとしてみたが、酔っているので力が入らず、大して効果がない。
「暴れないで」
「暴れるっつーの! あんだよ、抱っこしやがってぇ! 降ろせ!」
 でも相手は、降ろしてくれないのだ。静かな笑みを浮かべているだけなのだ。
 今まで、そんな素振りはなかったのにと、シンタローはちょっと腹が立った。
 こんなの、男らしくないのである。
 抱っこなんて! マズい、ヲトコ道に反してしまう!
「降ろせっつーのォ! アンタ、ンなコトしやがって、漢じゃねぇ〜! おーろーせーぇ!」
「大丈夫さ」
「ちっとも大丈夫じゃねぇ〜! ライジョーブらねぇ〜!」
「心配ない。だってなぜなら」
 男は、今度はにっこり笑って、間近でシンタローに囁いた。
「なぜなら、私たちは親子じゃないか」



「!」
 ぴたりとシンタローの動きが止まる。思いも寄らないことを、指摘されたのだ。相手の顔を、まじまじと見つめる。
「親子だから、大丈夫。抱っこなんて、小さい頃はいつもやっていたじゃないか。過去と現在、私は何も変わりはしないし、お前も何も変わりはしない。お前はもう、忘れてしまったのかい……悲しいな。こんなことができるのは、親子の特権さ……」
「!!!」
「男とは、男であることそれだけに囚われてはいけないのさ。時には絆のしがらみに、身を焼かねばならないことだって、世の中にはたくさんある。忘れてほしくはない。私たちの、最初の関係を」
「!!!!!」
 シンタローは、深く反省した。
 男らしさ、そればかりに、自分は拘っていたような気がするが。
 そのために、大事なことを俺は見失っていたのかもしれない、と。
 そうだ。俺たちは、男である以前に。
 親子であるのだ。
 ヲトコ道の前に追求するべきは。
 親子の道! ヲヤコ道!



 シンタローは、黒い瞳に感動の涙をためて、感慨深げに言った。
「そっ! そっかぁ〜! 親子だから、いいのかぁ〜! 抱っこ!」
「そう。親子だから許されるのさ」
「そぉだよなぁ! 漢だけど、だけど、親子だから、自然だよなぁぁぁ! はっはー!」
「何処から見ても、普通の親子さ。さあ、何処に行こうか。お前の望みのままに」
「え、えと、腹が減って……そっか、夕飯の残りがあったんだぜぇ! それ探しに行くとこだった!」
「世界の終わりまで共に行こう」
「おっし、行けぇ〜! 下のキッチンまで連れてけぇ〜! いやぁ、オヤコでよかったぁ!」
「親子で良かった」
「オヤコでよかった!」
「親子で良かった」
「オヤコで〜」
「親子で〜」
「……」
「……」
 こうして、真夜中。
 二人は大声で『親子で良かった』を連呼しながら、お姫様抱っこで、階下の居間に向かったのである。



 抱っこは便利だった。
 歩かなくっても、移動できるなんて。
 俺はこれまで、抱っこを軽視していたぞと、シンタローは酔った頭で考えた。
 階下の共用キッチンで、床に降ろしてもらうと、シンタローは、とてとて歩いて、冷蔵庫に辿り着いて(ごく短い距離だったのだが!)、バタンと扉を開いた。
「ええっとなぁ〜、今日は大したモン、作ってねーんだけどさぁ、残り物、アンタも食うかよォ?」
 今日の夕御飯は、肉じゃがを作ったのだ。
 シンタローが、タッパーを開けて、レンジで肉じゃがを暖めている間に、マジックはダイニングテーブルについていた。
 横目で見ると、彼はテーブルに肘をつき、何やら思索に浸っているようである。
「フッ……」
 そして意味ありげに、青い瞳が微笑んだような気がして。
 どーしたんだよと、シンタローはついつい聞いた。
 そんな雰囲気だった。
「いや、昔を思い出してね……」
 男は、どこか寂しそうな笑顔を浮かべている。
 そう言ったきり、沈黙が続いた。



 チーン。
 レンジのタイマーが鳴って、シンタローが肉じゃがをテーブルに並べても、男は口をつぐんだままだった。
 何だろう、とシンタローは思う。
 昔って。俺に……言えねえコト、なのかな……。
 いつもは強気なシンタローだが、ことマジックの過去に関しては、どうしても気後れしてしまう所があった。
 知らないこと、ばかりで。そして、自分が知らないという事実に、悲しくなる。
 居たたまれなくてシンタローは、皿に盛った肉じゃがを、意味もなくかき回した。
 ほんのりと暖かな湯気が、立ち昇っていった。
 しばらくして、男が言った。
「酒をくれないか、シンタロー。酒で濡らさなければ、開かない過去の扉というのも、存在するのさ」



 シンタローは慌てて、側のキャビネットを開けて、手近な赤ワインを取り出し、ワイングラスに注ぐ。
 赤い液体が灯りに揺らめいて、二人の間を彩った。
 二人は向かい合って、小さくグラスを合わせる。硬質の音が響いた。
 グラスの酒を飲み干すと、マジックは、静かに語り始めた。
「……なんてことない話さ……遠い昔に……父がね……」
 ビクリとシンタローは、緊張した。
 マジックは、普段はこんなことを話してくれるような人ではないのだ。



「勿論、こんな和風ではなかったけれど、ジャガイモを使った素朴な家庭料理をね……忙しい仕事の合間に、作ってくれたんだよ。それを今、思い出した」
 そう言って彼は、また一口、ワインを口に含んだ。
 シンタローは何と言えば良いのかわからず、相手を見つめた。
 すると、一瞬だけ目を伏せたマジックも、睫毛を上げて、こちらを見つめてくる。
 二人は見つめ合った。
 静寂の中に、声が低く甘く響く。
「今ではお前以外に……私に作ってくれる人は、いないよ……お前だけだ」



 きゅん!
 シンタローの胸が鳴った。漢のハートが鳴った。
 マジックが、テーブルに置かれたシンタローの手に、大きな手を重ねてきた。
 戸惑ったような顔をしたシンタローに、彼は真剣なまなざしをして、言った。
「お前は……雰囲気が父に似てるね……」
 きゅんきゅん!
 今度は二回、鳴った。



 しかしすぐに相手は重ねた手を離し、自嘲気味に呟く。
「語りすぎたようだ。お前の優しさに、まどろむ夜は、余計なことを口にしてしまう」
「え……いや、余計って……別に……」
 むしろ、こんな話、聞きたいんだよ、俺。
 シンタローがそう素直に言う前に、
「お前なら、語らずとも……」
 マジックはシンタローに目くばせをすると、自分のグラスを持ち上げて、シンタローのそれに再び軽く合わせた。
 硝子の澄んだ音が響く。
「こうして真夜中に、お前とグラスを重ねる。それだけで、伝わるものだろう……?」
 きゅんきゅんきゅんきゅんきゅんきゅんきゅん!



 まるで非常灯のように、激しく回転しているシンタローのハートである。
 シンタローは、こういうのに弱い。弱いったら弱い。
 普段は……絶対にこんなコト、言ってくれないクセにぃ!
 彼は服の裾を、震える指で、ぎゅっと握りしめた。
 搾り出すように叫ぶ。
「俺……俺、アンタが良ければ、毎晩肉ジャガ作るよ!」
「無理しなくていい、シンタロー」
「ううん、無理なんかじゃねえ! 俺、頑張るっ! 頑張るよ! だって……」
「だって……?」
 シンタローは、立ち上がった。
 そして叫んだ。
「俺たち、親子じゃないかぁっ!」



「シンタロー!」
「父さぁん!」
 親子は、滂沱の涙を流しながら、しっかりと抱き合った。
 これが俺たちの親子道。
 酒の流れる谷間に、ひっそりと咲く愛の華。
 修羅の風吹く、けもの道。薔薇の花散る、ヲヤコ道。
 普段は素直になれない二人の、真夜中の純情だった。



 そして翌日からしばらくの間。
「ええ〜、シンちゃん、また肉じゃがぁ〜? もう僕、飽きたよぉ〜」
「栄養が偏る! いいか、炭水化物、タンパク質、脂質の三大熱量素をはじめとし、ビタミン、アミノ酸、各栄養素の相互バランスが崩れると! まず免疫体系が崩れ、疲れやすくなり、集中量が欠け仕事量に影響し、いずれは生活習慣病に」
「あー……二人とも、あんまり大声出さないで……頭痛が……でも二人の言う通りだよ、シンちゃん……それにパパ、なんだか二倍の量を食べさせられてる気がする……」
 シンタローは、フリルのエプロンをひらひらさせて、おたまを振りかざし、聞き分けのない家族たちを説教することになるのである。
「うっせえ! ガタガタぬかすな! 作ってやったんだから、いいから食えよ! だが食いすぎるな! 適度に残せ!」
 青の家族の食卓は、肉じゃがに占領された。



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 さて。こんな調子で。今夜も、シンタローは、マジックと酒を飲んでいるのだ。
 昼間に素面のマジックを説き伏せ、時には飴(ベタベタしてきても、しばらく撃退しない)、時には鞭(口を利かない)を使いこなして日本酒を飲ませ、シンタローはこの真夜中のマジックと語り合うことに成功を収めているのである。
 彼との時間は、日常のオアシスだった。
 ただ、マジックがマトモ(シンタローいわく)になるまでには、相当の酒量を必要とするので、その頃にはすっかり自分も出来上がってしまうのが難点ではあるが。
 翌朝、ちょっとハメをはずしがちだったかなと、こめかみを押さえる瞬間もないことはないが。部分的に記憶がさだかではないことも、あるにはあるが。
 このストレス社会において、総帥の激務にあっては、あのマジックに熱烈ラブされているこの身にしては。
 たとえば糠床をグリグリかき回すより、シンタローは、ずっとずっと癒されるのである。
 話していると、御機嫌なのである。



「おお〜し、持ってきたぜぇ〜! ひっく、俺様特製のッ! 漬物ォ〜!」
 時は草木も眠る丑三つ時。
 シンタローは勢いよく、バーン! と部屋の扉を開けたのだが、先程まで一緒に酒を飲んでいたはずのマジックの姿は、ソファから消えていた。
「あれ……おーい、ドコ行きやがったぁ〜?」
 食べたいって言うから、俺が折角、糠漬けを下の台所まで取りに行ってやったのに! と。
 憤慨しながらもキョロキョロ辺りを見回すと、大窓が開け放たれていて、夜空が視界に入った。
 男はベランダに出ているようだ。



「あんだよ……星、見てンのかよ」
 マジックは、ベランダに一つだけ椅子を出して、空を眺めていた。
 手にはグラス。
 短めの金髪が、シンタローの方をゆっくりと振り向いて、青い目が返事をした。
 なんとなく口を尖らせて、自分も夜空を見上げる。
 澄んだ空気。
 ひやりと冷たい風がシンタローの頬に触れ、長い黒髪をなぶっていく。
 夜とは、世界から温度を奪い去る時間なのかもしれなかった。
 やがて、声が聞こえた。
「星の数を、数えていたのさ」
「ふーん」
 ちょっとぶっきら棒にシンタローは、持ってきた漬物の皿を、マジックに差し出した。
 相手は、小さく『ありがとう』と言って、受け取った。
 そのままシンタローは、所在なさげに、ベランダに突っ立っている。
 すると、マジックは言った。
「……座るかい?」



「へ? ドコに?」
「ここに」
 椅子にかけた相手が、ぽんぽんと指し示したのは、膝だった。
 マジックの膝の上に、座れというのである。
 普段だったら、問答無用で眼魔砲なのであるが。シンタローは、戸惑った。だって。だって、これは真夜中のマジックなのだ。
 そんな真剣な瞳で言われたら!
 俺の漢ハートが、ピンチだぜ!
「は? あんだよ、す、座れるワケねーだろっ! 俺ぁ、男だっての」
 そう思いながらも、何とか断ったのであるが。
「……そう……」
 マジックは、寂しげな微笑を浮かべて、また暗い空に視線を遣ったのである。
 痩せた月が、薄い輝きを放ち、夜を淡く包んでいた。
 シンタローは、気遣わしげな視線を、マジックに向ける。
 その鋭利な横顔は、どこか沈んだようにも見えた。
 傷ついているようにも――見える。



 シンタローの胸は、罪悪感で波打った。
 ……落ち込んでるみてぇだ……断ったりなんかして……悪いコト、しちまったかな……。
 ぐるぐると思考は、酔いに任せて巡り出していくのだ。
 別に……別に、マジックはきっと、ヘンな意味で膝に座れって言ったんじゃないのに……。
 きっと純粋な気持ちからッ! 俺に座る場所が、なかったからッ!!!
 そこで、ハッとシンタローは、以前に高松から聞いた言葉を思い出したのである。
『マジック様は、幼少の頃にお父様を亡くされて、それ以来、自分を捨てて……』
『日常生活では満たされることのなかった欲求が、無意識的な願望が……』
『だから、もしまたマジック様が酩酊状態に陥っても、好きにやらせておあげなさい』
 そうだった! マジックがこんな風になるのは、そんな切ない事情からだったんだよ……
 それを、俺は……! ヒドいコト、しちまった……ッ!
 いつもはともかく、今は優しくしてやんなきゃいけないのにッ!
 俺……俺ってヤツは……ッ!
 ガバッと、シンタローはマジックに向き直った。
 夜空を見上げていたマジックが、少し驚いたように、こちらを見る。
 その寂しげな顔に向かって、シンタローは叫んだ。
「俺ッ! 俺、座るよ! そこに座らせてくれよォッ! 父さぁん!」
「シンタロー……」
「だって……だって……」
 黒い瞳から、ボロッと涙が零れた。
「俺たち、親子じゃないかぁっ!」



 という訳で。
「へっへ。親子だから、いーんだよナ〜!」
「ああ。親子だから、いいのさ」
「オヤコでヨカッタ!」
「親子で良かった」
 マジックの膝の上に、どっかりシンタローは腰掛けた。
 すると相手は、ぎゅっとシンタローの背中に胸をつけて、優しく抱きしめてくる。
 なにしろマジックは、親子愛に飢えているのだ、とシンタローは考えた。
 それを満たしてやるのが、やっぱ、ヲヤコ道ってもんだよなぁ〜、ひっく。
 だからちゃんと、されるがままにしてやっていたのである。
 しかも、この体勢は、なかなか快適だった。座り心地は良好。
 小さい頃以来、ずっと座ってなかったもんなと、シンタローはなんとなく懐かしい気持ちに囚われた。
 そんな瞬間に、
「はい、シンタロー。あ〜ん、してごらん」
「ム? お、おう! あ〜ん」
 タイミング良く言われたので、ついシンタローは、あっさり口を開けてしまう。
「はい、水茄子だよ」
 口に入れられたのは、漬物だった。
 一瞬戸惑って考えたものの、すぐに自分の中で納得して、シンタローは、それを大人しく頬張った。
 よく考えれば、皿に盛られた漬物を、こうして『あ〜ん』で食べるのだって、親子だから当たり前なのである。
 むぐむぐと、自分の漬けた自信作を頬張りながら、シンタローも対抗して、皿に手を伸ばす。
「おっし、俺も! ほら、口開けろ! あ〜ん」
「フッ……あ〜ん」
 相手も素直に口を開けてくれた。シンタローは満足げに、その口に漬物を食べさせてやる。
「よぉし、これは蕪。美味いゾ〜」
「お前の言葉は、いつだって真実だ……美味しいよ」
「だろォ? だろォ? おっし、もう一回! あ〜ん」
「あ〜ん」
 こんなことが、延々と繰り返されたのである。
 親子道は、深いのだ。



 食べるものがなくなると。いつしか黙ってしまったマジックを、シンタローは、少し頭を反らせて窺う。
 金髪の男は、シンタローを背後から抱きしめながら、その肩に顎を乗せて、ぴったりと密着しているのだ。
 木製の椅子が、ぎいと音をたてた。
 また、静かな夜が、世界を支配していた。
 相手の溜息が、首筋にかかったような気がして。沈黙に耐えられなくて、シンタローは、思わず聞いてみる。
「……さっき、アンタ……なんで星の数、数えてたんだよ」
「ああ……どうしてかな……」
 耳元で、囁くような声が響いた。
 シンタローは、瞬きをした。夜空でも星が、同じように瞬いている。
「昔から、人恋しくなると、私は星を数えるんだ。そうすると気が紛れる。さっき、お前が階下に降りてしまった時、ふとそんな気持ちに囚われてね」
「!」
「星は、すぐに消えるだろう。月が輝けば、そして太陽が昇れば、消えてしまうんだ。ひどく、はかないよ……はかないのだけれど、私はそんな星たちに、夢を託さずにはいられないんだ……はかないお前が、できるだけ長い間、私と一緒にいてくれるようにと……ね」
「!!!」
「星のはかなさに、永遠を願う……フ……馬鹿だね、私は……そんなこと、無理な願いだとわかりきっているのに……」
「!!!!!」



「む……無理なもんかあああ!」
 たまらず、シンタローは叫んだ。
 その叫びは、夜を切り裂いた。
 そして、男が手にしていたグラスの酒を奪い、ぐっと飲み干した。
「シンタロー?」
 背中から、相手の、驚いた雰囲気が伝わってきた。
「星なんか、星なんかに願うなよぉ……! 俺……俺に願えよォッ!」
「シンタロー……」
「どんな危険なとこだって。俺、俺、アンタが願ってくれれば……」
 シンタローは、そこで声を途切れさせる。
 これ以上は、感情が込み上げてきて、言うことができなかった。
 いつだって、何処でだって、一緒にいるよ、と。言いたかったのに。
 だがマジックの静かな声が、聞こえた。
「……たとえ、世界の終わりでもかい……?」
 言わなくても、相手は自分の気持ちをわかってくれていたのだと、シンタローは感動した。
 そして、答えた。
「一緒に……一緒に、行くよ! 何処にだって連れてってくれよ……!!!」
「行こう……一緒に、行こう、シンタロー……!」
「行くよ……俺、行くよッ! 父さぁん!」



 だって! 俺たちは! 私たちは!
 親子じゃないか!!!



 そして泣きながら抱き合った二人は、本当に家を飛び出し、いなせな小型ジェットで二人乗りして出かけたのだ。
 夜空の星だけが、そんな真夜中の恋人たちを見送っていたのである。



----------



 遠くで、蒸気船が鳴らす汽笛の音が聞こえた。
 夜の街は、淡いネオンに息衝いている。
 街は闇の中で喧騒に埋もれ、種々の人、金、欲望に乱れ、きらめくのだった。
 そのきらめきの中でしか、そんな雑踏の片隅でしか、生きることのできない男というのも、存在するのである。闇があれば、そこに蠢く者があるのも、また世の理であった。
 ハーレムは、そんな夜が、好きだった。



 某国――
 港町の酒場――
 木看板が、カラカラと風にはためく。色取り取りの酒瓶と、重ねられたグラスが鈍く輝く。
「……おっと」
 手が滑って、褐色の酒を満たしたグラスが音を立てて、割れた。
 誰もいない空間に向かって、ハーレムは振り向いて。
「ケッ」
 鼻で笑って、また新しいグラスに、違う色の酒を注いだ。
 ここは街の片隅に、ひっそりと影が佇むような、喧騒からは忘れ去られたような、そんな酒場だった。
 ハーレムは今度は琥珀色をした酒を、一気に煽る。それでもまだ足りずに、今度は瓶ごと呷る。
 ただ喉に、酒を流し込んでいく。
 そんな乱暴な飲み方を、咎める者もいなかった。この店には今、彼の他には誰もいないのだった。
 他の客は、てめえのねぐらへ帰りやがったらしいと。空になった瓶を背後に投げ捨て、古びたカウンターに陣取ったハーレムは、酔った頭で考える。
 すでに、浴びるように、自分は酒を飲んでいた。
 途中まで付き合ってくれていたイケる口のロッドは、用足しに行くと言い残して、そのまま姿を消してしまった。
 バーテンまでもが、ハーレムの酒の飲み方に呆れたのか、勝手にやってくださいとばかりに、裏へと引っ込んでしまった。
「……ヘッ……どいつもこいつも……」
 ハーレムは、もう一度、鼻で笑った後、また新しい酒を呷った。
 その笑いには、自嘲も半ば含まれているのかもしれなかった。
 古巣からは、新総帥に追い出された形である。
 自分にはもう、帰る所はない。
 ま、それが俺らしいのかもしれねえなと、彼はまた一人、酒の色を眺めて、クククと笑った。
 出口の見えない酔いの中で、ひたすらにあればあるだけ、酒を飲む。
 ハーレムは一人自分を煽り続ける。そんな時だった。



 静かに背後で、酒場の扉が開いたのがわかった。
 ぎいっと蝶番の音が鳴り、石畳に立つ一人分の靴音が聞こえたのだ。
「……」
 ハーレムは、振り返らずに、その相手が立ち去るのを待った。
 空瓶が散乱する中を、こんな柄の悪い大男が、酒を浴びているのである。
 普通の人間なら、慌てて扉を閉め、元来た道を引き返して、またハーレムに孤独を返してくれるはずであった。
 ハーレムは酔ってはいたが、自分というものの客観的姿を、見失う人間ではない。
 だから、待った。それなのに。
 酒場の扉を開けた客は、そのまま店内に足を踏み入れてきたようだ。
 いーい度胸だ、これはカモか、と。相手してやろうじゃねえのよと、ハーレムは背中で待ち構えた。
 客の気配と足音は、無謀にもハーレムに近付いてくる。
 その気配が、カウンター席、自分の隣に来た時。ハーレムは、ゆっくりと振り向いた。
 思いっきりガンを飛ばしながら。
 しかし、そこにいたのは。
「しばらくだな……我が弟よ」
「ゲッ! 兄貴ッ!!!」
 思ってもみなかった顔に遭遇して、ハーレムは心底、ギョッとした。



「どっ、どーしてここにッ!」
「ああ……気まぐれの風が吹いたのさ……」
 驚愕のあまり、思わず泡を吹きそうになったハーレムに。
 兄は、そんな台詞を吐きながら、散乱している酒瓶を払いのけ、自分の隣に座ってしまう。
 彼は長身に暗色のスーツを纏い、肩に長めのフロックコートを羽織っていた。
 足を組んでいる。
「バーテンはいないのかい。さてはお前が追い出したんだろう。たまにはカクテルもいいかと来てみたんだがね」
 そんなことを言いながら、空のグラスを取り、手近のワインを開けているマジックである。
 ハーレムは、横目でその兄を窺った。
 すると、自分の視線に気付いたのか、マジックは『お前も飲むかい』とワイングラスをもう一つ取り、酒を注いでいる。
「……」
 その横顔を見ていたら、なんとなく、彼がここまで出向いてきた訳が、推測できるような気がして。
 ハーレムは、不機嫌に言った。
「……俺に、説教しに来たのかよ」
 流石に彼に、こんな荒れた状態を見られたことは、あまり気持ちのいいものではなかった。
 ハーレムの苦手なモノは、『自分を怒る奴』。
 つまりは、この長兄マジックと、亡き次兄ルーザーであるのだ。
 怒られるのは、イヤなのである。



 すうっと、マジックはカウンターに、ワイングラスを滑らせる。
 赤色の液体で満たされたそれが、ハーレムの手元に、綺麗に止まった。
「……そう警戒するな。私は何も言わないよ」
「ヘッ、何言われたって、俺ァ、俺の道を行く。兄貴に口出しされる筋合いはねーぜ」
「何も言わないと言ったろう」
 そう呟くと、マジックは、勝手にハーレムの手元のグラスに、自分のグラスを合わせて、静かにこう続けた。
「言いたいことは……酒で、心の奥底に流し込む。男というのは、そんな痛みをため込むことで、苦笑を覚えていくのかもしれないね」
「は?」
 ハーレムの背筋が、悪い予感にぞくりと震えた。
 まさか。まさかまさか。
 兄貴は。この兄貴はまさか!
 怒られるのよりも、もっとイヤな記憶が蘇る。
「オイ、兄貴……ッ! アンタまさか……」
 マジックの肩に手をかけて、ハーレムがそう言いかけた瞬間に。
 バーンと勢いよく酒場の扉が開いて。足取りも軽やかに、ますます厄介な人間が入ってきてしまったのである。



「よーお、オッサン!」
「ぐ……シンタロー!」
 ハーレムは、思わず立ち上がった。
 自分がガンマ団を出たのは、兄の跡を継いで新しく総帥となった、このシンタローと揉めたからである。
 思わずやり場のない感情が高まるのも、無理はなかった。
 しかし相手は、妙に上機嫌なのである。
「リストラしてやったが、元気かぁ〜、へっへ、あーいかわらず、アル中まっしぐらってェとこだな」
「てめェ〜! 言うにコト欠いて、このクソガキがぁ〜!」
 ハーレムは、カウンターに近付いてきたシンタローに、掴みかかろうとした。
 しかし。
 ひょいとそれをかわして、シンタローは、さも当然のように、マジックの膝の上に、座ったのである。



 !!!!!!!
 ハーレムは、自分の目を疑った。俺、酔ってンのかァ?
 怪奇現象が、今、見えたような……。
 ごしごしと、目を擦る。
 ええと、ちょっと待てよ、こいつら、兄貴とシンタローだよな?
 しかし、激しく目を擦った後の視界でも、シンタローとマジックは、『おー、ワインか』『飲むかい?』『飲む!』などと、何やら和気藹々とイチャついているのである。
 な、なに、コレ!
 幻覚か、幻聴かと、しばらく口をパクパクさせたハーレムは、やっと喉の奥から、言葉をひねり出す。
「お、オマエ、シンタロー、お前、いいのかよッ!」
 兄貴はともかく! 兄貴がアレなのはともかく!
「ああん? ナニがだよ」
 ピタリとイチャイチャを止めて、眉を顰めて、シンタローがマジックの膝の上から、自分を胡散臭そうに見ている。
 胡散臭いのはソッチなんだよ、このアホ総帥!
「こ、この状態だよ! コレ、コレ!」
 相手はイマイチわかっていない風なので、ハーレムは仕方なく、二人に指をさす。お前らがおかしいんだと、指摘してやる。
 この状態! この膝抱っこ! オカシイ! 絶対、オカシイ!
 しかしそんなハーレムに、シンタローは愚問だという風に、さっくり言い放った。
「ばっきゃろう。親子だから、いーんだヨ」
 ええええええええええ! ちょっと待てェェ――――――ッッッ!!!



「ア、アンタら……」
 ガラガラガラッと、タイミングよく派手な音を響かせて、ハーレムの背後に積み上げられていた空き瓶の山が、崩れた。
 ハーレムの心と一緒に、である。
 そんなことは気にもせず、目の据わったシンタローは、『ツマミがねーなあ……おーい、マスター! マスター! いねーよ!』などと騒ぎ、『ったく、獅子舞のせいだナ? オッサン、かわりに貰うぜェ? ひっく』とハーレムの前にあった、生ハムの皿を持って行ってしまった。
「て、てめー……シンタロー……酔って、酔ってやがるな……」
 受けたダメージの大きさに、カウンターに突っ伏していたハーレムが、慌てて最後のチーズの皿を死守しようとすると。
「ああ、悪いな、ハーレム。口出しはしないが、手は出させてもらう。世界は弱肉強食……実力行使さ」
 そんな長兄の手が、食料を素早く浚ってしまって、ハーレムの手は空しくテーブルにカタンと落ちる。
 ハーレムは、肩を震わせて叫んだ。
「絶対、絶対、両方酔ってやがる……!」



 シンタローの眉毛が、ぴくりと上がった。プライドを傷つけられたらしい。
「ああん? 俺は酔ってねェよ。素面も素面。酔ってンのは獅子舞、オッサンの方だろ。酒くせーよ」
 生ハムをくわえて、心外だという風に、新総帥は胸を張った。
「俺は酔ってねー。見りゃぁワカんだろ」
「膝抱っこされてて、その台詞――――ッ!!!」
 むぐむぐ口を動かしながら、シンタローは、ちらりと背後を見上げて言う。
「ま、親父はこの通り酔ってるケド。マトモになったから、いいじゃんよ」
「ああ……私は、酔っているよ、シンタロー」
 赤ワインのグラスを掲げながら、マジックも唱和する。
「……お前に」
「……父さん……」
「だ――――――――ッッッ!!! オカシイ!!! 絶対オカシイッッッ!!!」



 ダン! ダン! と勢いをつけて、ハーレムはカウンターを叩く。
「オイ、シンタロー! てめェ、兄貴に日本酒飲ませたのかァ!」
 しかし、そうハーレムが問い詰めても、相手は聞いてなんかいないのである。
 生ハムとチーズの、食べさせっこで忙しいのである。
「フッ……、シンタロー。あ〜ん」
「あ〜ん。おっ、ウマイな〜、ちょっと、しょっぱいケド。んじゃ、アンタも。あ〜ん」
「あ〜ん」
 巨大な男同士が、膝抱っこしつつ、『あ〜ん』合戦。
 その光景を、至近距離の隣席で観賞させられて、ハーレムの意識は、息も絶え絶え、消え入りそうになった。
 幻覚はいつまで続くのか。今日は俺の厄日なのか。
 しかもその内に、
「……シンタロー……口の端に、チーズの欠片が」
「へ?」
 そんな台詞が聞こえたかと思うと。
 ちゅ。
 マジックが、シンタローに、キスを、した。



 うわあ……。
 これは流石にシンタローは怒るだろうと、イヤ〜な顔をしつつも、ハーレムは思ったのである。
 今まではこういった突然のキスやスキンシップが原因で、ガンマ団本部で眼魔砲がいったりきたりの大喧嘩が始まることが、多かったのだから。
 いつもはマジックが一方的にベタベタして、それをシンタロー嫌がるというパターンが、繰り返されていたのだ。
 やれやれ、いい迷惑だ。
 さあ眼魔砲が炸裂するぞと、ハーレムが身構えていると。
「うー……あー……」
 なんだか、シンタローの様子が変だ。対応に苦慮しているようなのである。
 そこにすかさず、マジックが言った。
「親子のキス、さ」
「!!!!!」
 ぱあっとシンタローの瞳が、輝きだす。
 納得のいく解釈を得たらしい。
「そっかぁ! 親子のキスだから、いーんだよナ!」
「そうさ、いいのさ」
「いいのかあああああ!!! アンタら、それでいいのかよオオオオオオ!!!!!」



「そぉだよなぁ! キスなんて、親子だから自然だよなぁぁぁ! はっはー!」
「何処から見ても、普通の親子さ。英国人のたしなみ」
「そっか――ッ! たしなみ! キスはヲヤコのたしなみ!」
「親子の道には、避けて通れない儀式だろうね」
「くっ……さすが、さすがだぜ、親子道! 俺もまだまだ甘かったゼ……」
「大丈夫。今からでも間に合うだろう。人生は、いつ目覚めても、遅すぎることはないのさ……だから」
「おう、だから、ナ! がんばるぜェ! 精進するゼ、浪花節ィィ!!!」
「親子で良かった」
「オヤコでヨカッタ!」
 だからって何ですか、がんばるって、ナニをですか、とハーレムが突っ込む間もないのである。
 くるりとマジックの方に向き直ったシンタローは、正面からマジックの首に、ぎゅっと抱きついて。
 ちゅ。
 キスを始めてしまった。



 ちゅ。
「ア、アンタら……」
 ちゅ。ちゅ。
「あ、兄貴ぃ! 兄貴……ッ!」
 ちゅ。ちゅ。ちゅ。
「シ、シンタロー……ォォォオオオ!!!」
 ハーレムは、叫んだ。自分の両肩を抱きしめる。
「う、うああああ……寒気が……鳥肌が……いつの間に、そんなセキララにィィィ!!!」
 なんだよ、うっせぃなぁ、とシンタローが、仏頂面で、こちらを向く。
 長く黒い髪を、かきあげる。
 そして、自慢げに言い切った。
「ばっきゃろう。これが親子なんだヨ!」
「嘘つけ――――――エエエエエエエエエエエエエ!!!!!」



 ハーレムの絶叫が、酒場の壁に反響し終わった頃に、マジックが、寂しげに呟いた。
 勿論、抱っこはしたままである。ぽんぽんと、シンタローの背中をなだめるように叩いている。
「シンタロー。あまり強く言ってやるな。ハーレムは物心つく前に、父親を亡くしたから……親子関係というものを、よく知らないんだ」
「ハッ! そーか、そーくわぁ! しゅん……すまなかったゼ、獅子舞……」
「え? っつーか、兄貴? マジでこれが親子カンケイ? 俺が知らないだけかよ?」
「そう、親子……OYAKOのOは、無限大の零……」
「おいオッサン、こんなので良かったら、たまに貸してやるヨ」
「そうだぞ、ハーレム。お兄ちゃんの胸に飛び込んできなさい」
「へっ? オカシイのって、俺の方? いや、飛び込むのは、ちょっと……ってか、俺までアンタらの仲間に入れようとすんなあああ!!!」



 ついにハーレムは、匙を投げた。
「ケッ! やってられっか!」
 こんな酔っ払い二人には、もう何を言っても無駄なのである。
 諦めたハーレムは、うさ晴らしに酒をまた煽ろうとして、その辺の酒瓶をすべて飲み尽くしてしまったことに気付く。
 仕方なしに不機嫌に舌打ちして、先刻バーテンダーが消えた裏口の方に、大音響で呼んだ。
「おーい、マスター! 酒だァ! 酒持ってこぉい!!!」



 しばらくして店の奥から、やっと黒のスーツを着込んだ男が、現れた。
 何やら抱えているようである。
「お待たせしましたー」
 近付いてきた。
 そしてハーレムに向かって、カウンター越しに、愛想よく微笑む。
「スペシャルドリンクは……」
 そしてその男が手にしていたものは。
「銃弾のシャンペンシャワーです」
 ハーレムの眉間に、コルトM1911A1が突きつけられる。
 ふと気付けば、屈強な男たちが、ハーレムの周囲を取り囲んでいるのである。
 へっ……ワナかよ。ご苦労なこったナ。
 この俺に刃向かうとは、いい度胸だ。
 世界中から恨みを受けている身には、日常茶飯事である。珍しくもない。
 とりあえずは、小物のその勇気に敬意を表して、能書きを聞いてやるかと、ハーレムはニヤリと笑う。



 余裕綽々に、くつくつとバーテンが下卑た笑みを浮かべた。
 上手く行ったと思っているのだろう。チンピラ風情が。
 俺を殺して幾ら貰うつもりかと、ハーレムは自分の値段を考えた。
 相手は、したり顔で語りだす。
「特戦部隊隊長、ハーレムさんよォ〜」
 ちゅ。ちゅ。ちゅ。
「荒っぽすぎる戦い方で、新総帥と衝突して――」
 ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。
「ガンマ団を離脱させられた噂は、本当らしいな……」
 ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。
 ハーレムは、ダダダダダダン! と激しく両手でカウンターを叩いた。
「ぐおわァ――――ッ!!! 聞こえねええ! うるせえぞ、外野ッ!!!」



「騒々しいゾ、オッサン!」
「机を叩くとは、マナーに欠ける。やれやれ、この愚弟は……」
「マナーもクソもあるかああッッ!!!」
 逆にたしなめられて、ハーレムは火を吹きそうになったが、このアホ総帥親子に構っているのも時間の無駄なのだ。
 ほんっと、やってらんねーぜ……。
 溜息をついている間に、自分の役目を思い出したのか、硬直していた殺し屋たちが、台詞を続けだした。
「内輪モメか、ハーレムさんよぅ……だが最後まで俺たちの台詞は言わせてもらうぜっ!」
 殺し屋さんたちも、必死だった。大役を背負って、彼らなりにテンパっているのかもしれない。
 バーテンダーの服を着た男が、今度は邪魔されないぞと大きく息を吸い、一気に語る。
 彼がこの一団のボスらしい。
「え、えーと、アンタが新総帥に追い出された話までした所だっ! 戦線を離れて酒浸りらしーが、アンタのその、なまった体にゃ莫大な懸賞金が賭けられてんだ! 死んでもらうぜッッ!!!」



 ハーレムは、再び余裕たっぷりに、ニヤリと笑った。
「あ〜ん……殺し……」
 しかし決めようとした台詞の間に、シンタローが入り込む。
「てか、追い出したの、べっつに俺は悪くないからナ! オッサンがやりすぎだっつーの。無駄使いしまくりだしヨ」
 殺し屋たちが、抱き合っている親子を見て、今、初めて気付いたという風に驚愕した。
 今まではピンクのオーラに紛れて、視界に入らなかったらしい。
 まず、抱っこされてる方を目撃。
「ヒイイ! 新総帥!」
「まあそれは、やりすぎ使い込みしすぎのハーレムが悪いんだろう。私はノータッチ」
 次に、抱っこしてる方を目撃。
「ヒイイイイイ!! 前総帥!」
「お前ら、今まで気付かなかったのかよォォ!」



 しかし殺し屋たちは、ポジティヴ思考であった。
 こうでなくっちゃ、この世知辛い御時世、チンピラはやっていけないのである。
 何でここに、特戦部隊隊長と、新総帥と前総帥がいるのかなんて、しかも後者二名はラブラブしているのかなんて、気にしていたら、おまんまの食い上げなのである。
 絶好の機会だ、まとめてやっちまえ! とバーテンダーが叫ぼうとした、その時である。
「おっと」
 そう、前総帥のワイングラスを持った手元が、わずかに揺れた。その瞬間。
 ズガ――――――ン!!!!!
 凄まじい衝撃音がして、壁に、ぽっかり大穴が開いた。
 銃を構える殺し屋たちの、すぐ隣である。



 マジックはクールに、殺し屋たちに謝った。
「フッ、気にしないで欲しい。秘石がないと秘石眼のコントロールが、つい」
 ハーレムは叫んだ。天を仰ぐ。
「ぐぅわあああ! 両目秘石眼の酔っ払い運転が始まりやがったああああああ!!!!!!」
 ついにハーレムが最も恐れていた事態が、始まったのである。
 日本酒で酔うと、兄は性格もアレになるが、さらに酒が進めば、眼の制御もかなりヤバいのである。
 秘石眼の酔っ払い暴発、しかも両眼、は、それはもうとんでもない。
 若い頃、ハーレムはこれで酷い目にあった。
 しかも。しかもしかも。今は、もっと悪いことに。しかも。
「大丈夫かよ? ……あ……俺が秘石を持ち出したから……しゅん」
「ああ、ちょっと酔ったかな……秘石よりも美しく輝く……お前の瞳に……」
「父さん……(きゅん)」
 今は、さらに変な酔っ払いが、隣にいるのである。
 この二人の酔っ払いが掛け合わさると、ナニが起こるかわからない。
 酔っ払い×酔っ払い=親子のOは無限大の零。
 ハーレムの背筋は悪い予感にゾクリとし、とにかく早く撤収しようと、状況を理解できてない殺し屋たちに、とりあえず心からの忠告をした。
「あー……オマエラ、まぁ折角、俺を狙って来てくれたのはワリィんだが……今夜はちょっと訳アリで……」
「おっと」
 ドカ――――――ンッッッ!!!!!!!
 今度は、ハーレムの頬を掠めて、衝撃波が壁を吹き飛ばした。
 もう一刻の猶予もならないのである。
 だからハーレムは、焦って言った。
「だからオマエラも死にたくなけりゃ、早く退散……」



 しかししかししかし。
 これで大人しく退散するような賢いチンピラなら、チンピラなんてやっていないのである。これで話がワカれば、もっと大物であるはずなのだ。
 青の一族の空気なんか、読めるはずがないのである。
 彼らには、とりあえず自分たちのできることは、前に進むことだけだと考えた。
 鉄砲玉の思考パターンである。
 勝手に背水の陣。
 バーテンダーは、やぶれかぶれに叫んだ。
「てめえら! もーよくワカんねーが、まとめてヤッちまえええ!!!」



 あ〜あ。
 ただでさえイラついていたハーレムは、うんざりした。
「クッソォ……人が親切に忠告してやったのに、聞きやがらねえ……ケッ! お望み通りにしてやろーじゃねえかよ!」
 ハーレムの左眼が妖しく輝く。
 自ら秘石眼を発動させようとした、その時である。
 ズガアアアアアアアアアアアアアンッッッッッ!!!!!!!!!!!!
 これまでとは比較にならない衝撃音が、耳をつんざいた。
 次の瞬間、ハーレムは、満天の夜空の星の下、瓦礫の中に立っていた。
 今までいた酒場は跡形もない。
「……」
 しばらく立ち尽くした後、ハーレムは、ゆっくりと背後を振り向く。
「グッドラック……野獣死すべし!」
 長身を僅かに斜めにそらして、マジックがフッと煙草の煙を吐き出していた。



「あ、兄貴……俺が言いたかねェが、アンタ、やりすぎなんじゃ……つーか、これは俺の役割……」
「先手必勝。男は売られた喧嘩は買うものさ」
 まだ手に持っているワイングラスを、優雅に口にしている兄に向かって、ハーレムは顔を引きつらせて苦情を言う。
 この店どころか、この区画全体が、なんだかすっきりしていた。すっきりしすぎである。
 そういやシンタローは、と辺りを見回すと、彼はマジックの背後で、俯いていた。
 よく見れば肩が震えている。拳を握り締めている。
 ……コイツ……。
 ハーレムの視線の中で、シンタローはぐっと顔を上げ、マジックに食って掛かった。
「アンタ! これ、どういうことだよッ!」



 兄は総帥を引退した時点で、人殺し稼業から手を引いたはずなのだった。
 そしてそれを一番望んでいたのは、新しく総帥職を受け継いだ、このシンタローで。
 ハーレムはその事情を知っていたから、複雑な気持ちになる。
 自分がやり過ぎるのは構わないのだが、この兄がやり過ぎるのは、やはり一抹の良心が、痛むのである。
 マジックは、シンタローをなだめている。
「安心しなさい……シンタロー」
「だって! アンタ、もう人殺しはしないって……!」
 でも!
 言い募るシンタローの前で、マジックは、静かに言った。
「大丈夫だ。眼魔砲は……」
 微笑む。
「みね打ちだ」



 えええええええええええええええええ!!!!!!!
 ハーレムは、辺りの瓦礫を見回した。
 そう言えば……暗がりでよくワカんねえが、あちこちで息を吹き返している野郎ドモが……モゾモゾと……。
 シンタローは、ハッと息を飲んでいる。
「!!!!!」
「フ……男が一度そう約束したのなら、そういうことだ。約束は守る……特に、シンタロー……お前との……」
 フロックコートの裾を靡かせて、マジックが夜の虚空に向かって呟いた。
「私が約束を違えると、思ったのかい。子猫ちゃん……」
 うるうるっとシンタローの瞳が揺れた。感極まった。
 飛びついた。
「父さぁぁぁぁ――――んっっっ!!!」
 受け止めた。
「シンタロ――――――ッッッ!!!」
 ぎゅう〜〜〜〜〜!!!!!!
 熱き抱擁を交わしている親子の前で、一人ハーレムが、自分の手を交互に見た。
「ええええ! 眼魔砲の、みね打ちってあるのかよ?????? どーやんだよ、ソレぇ!」



 そうこうする内に、元気溌剌のシンタローである。
「それじゃ、安心して戦闘に参加できるナ!」
「ああ、久しぶりに腕が……いや、目が鳴る」
「ええ? アンタら、まだ戦うつもり?」



「う……うう……」
 そして瓦礫の中で、よろよろと殺し屋さんたちが、復活し始めた。
「オイ、オマエラ、マジで撤収した方が」
 そんなハーレムの親切心なんて、意に介さずに、携帯なんか取り出している。
 仲間に連絡しちゃったりしている。
 顔中、灰だらけにした、よれよれのバーテンダーの格好をした男が、それでも頑張って言った。
「ククク……ハーレムさんよぅ……もーすぐ援軍が来る……年貢の納め時だぜ……」
 これ以上頑張らんでも、と、ハーレムは、遠い目をした。
 こんな風に、いらんことに頑張るから奴がいるから、と。
 ハーレムは、次に近くを見た。すぐ隣。
「へっへー! 依頼じゃなくって、フラリ立ち寄った町で、世直し! 俺たち、水戸黄門みたいだナ! ひっく」
「フッ……私の配役が気になるが、とりあえず我が愚弟は、うっかりハチベエがお似合いだね……」
 こんな風に、張り切りだす酔っ払いたちが、いるのである。



 ああ、酔っ払い退散。面倒くせェ。
「アンタら! ここはもう、俺や、こーなりゃジキに来るだろー特戦に任せて、さっさと帰れ……」
 ハーレムが、そう言いかけた瞬間。
 一筋の閃光が走り、自分の長い金髪が数本、はらりと地面に落ちたことに気付く。
 敵の攻撃が、始まったのだ。
「ケッ……猶予ナシかよ! このチンピラ風情がぁッ……!」
 そう吐き捨てると、ハーレムは構えて戦闘態勢をとった。
 流石に手馴れたもので、シンタローとマジックも構え、三人は背中合わせで瓦礫の中に立つ。
 ザッ! と砂塵を踏む靴音が、鳴った。
 薄い月明かりと星たちが、白い輝きで彼らを包んでいた。
 また銃弾が跳んだ。
 敵は三人を囲んで、コンクリートの土台を盾に、銃撃戦を仕掛けてくるつもりのようだ。



「ハーレム……ここは頼む」
 背中越しに、マジックの厳しい声が聞こえる。
 そういえば、兄貴と一緒に戦場に立つなんて、どれぐらい振りのことなんだろうと。
 小さな懐かしさを噛み締めて、苦笑してから、ハーレムは答えた。
「……おうよ。こっちは任せとけ」
 背後は、二人が守ってくれるだろう。
 そして銃弾を防ぐために、前方に力を集中して、防弾膜を張った。
 援軍が到着したのか、敵の銃声が四方八方から雨霰と降ってくる。



「観念しな! 特戦部隊隊長ッ!」
 闇と硝煙の煙に紛れて、そんな小憎らしい殺し屋たちの声が聞こえてくる。
 一気にフッ飛ばしてもいいのだが、敵は自分たち三人を包囲するために、分散している。
 何かでおびき寄せて集中した所に攻撃しないと、効率の悪いことこの上なかった。
 だが……どうする?
 小物と言えども多勢は、口で言う程バカにはできないことを、ハーレムは実戦の感覚で知っている。
 ガガガガガガガガガガッッッッ!!!!!!!
 相手は散弾銃まで持ち出してきたようで、ハーレムの脇の白壁の残骸が、蜂の巣になって音もなく崩れ落ちた。
 四面楚歌。全方位から攻撃されている。
 銃弾が瓦礫に反射して、跳弾となって何倍にも危険を増すのだ。
 とりあえずは、防戦するのが利口だなと、ハーレムは考えた。
 まあ、一人だったら、強行突破でガンガンやるっつー手もあるが。
 三人、それも兄貴とシンタローが後ろにいるからナ。
 二人が俺の後ろを守ってくれンだから、俺は前面だけに集中すればイイ。
 防御して、三人で策を考えるとすっか。
「ヘ……」
 ハーレムは、前面の銃弾を防ぎながら、ニヤリと笑った。
 背後に、安心感がある。
 ……家族で、戦場に立つっつーのも……新鮮で……悪かねーかもナ……。



 ズガガガガガガガガッッッッドガ――――――ンッッッ!!!!
「うおわあァァァッッッ!!!!」
 ニヤリと笑った瞬間、ハーレムの背中を容赦なく銃撃が襲って、彼は飛び上がって避けた。
「あ、危ねえええ! コラァ、後ろ、何してやがる――――ッって!!!」
 そう慌てて怒鳴ると。
「父さぁ――んっ!」
「シンタロ――ッ!」
 いつの間にか。
 ハーレムが真面目に防御している間に、親子は瓦礫の上で、涙を流しながら抱き合っているのである。



「……聞こえないのか、ハーレム」
 マジックは、遠くに耳を傾けるような素振りをし、呟いた。
「霧笛が私を呼んでいる……」
「聞こえる! 聞こえるよッ! 父さぁん!」
「ああ、聞こえるだろう、シンタロー。あれは濃い霧の中で、船がお互いの位置を知らせるために鳴らし合う霧笛さ……今夜の海上は、霧が濃い」
「聞こえねええええ!!! 頼む! アンタらッ!!! 包囲されたらお願いだから戦ってッッッ!!!」
 構わず嬉しそうなシンタローの声。
「すげェ、濃い霧が、互いを隠しちまうんだ……! 互いを包んじまうんだッッ!!! なんてカッコいいアイテムなんだっ! 霧ってよ!」
「カッコ良さより、とりあえずの命を優先しやがれえええ――――ッッ!!!」
「ああ、港ばかりでなく、ここにも霧が出てきたようだよ、シンタロー」
「ほんとだっ! 白い霧がッ! 俺たちを包んでいるぜッ! 父さんっ!」
「いや硝煙の煙だし。つーか、アンタら、マジ迷惑だから……って! おわわわッ!!! どーして俺のとこばっか、弾が飛んでくるんだよッ!!!」
「しのび逢う恋を包む夜霧よ……知っているのか、私たちの仲を……」
「父さ――ぁんっ!!! 夜霧……今夜も、サンキュ! オレたち、ひみつの仲だぜェ!」
「あだだだだだッ!!! どーして、俺のとこばっか! 弾が来るのォォ!!!」



 とりあえず。
 お前らは、しのんでねェ――――ッ!!! ひみつじゃねェ――――ッ!!! と、ハーレムが義理堅く突っ込む前に。
 好戦的なワリには全然戦おうとしない彼らの代わりに、全方位の防御をするハメになったのである。



「さあ。ワインで旅立ちに祝福を……しのぶ恋に」
「ひみつの仲にっ! へへー!」
 カチンと透き通った硝子の音を響かせて、二人はワイングラスを傾け、静かに乾杯した。
 チュイーン! と、そんな見詰め合う二人の間を、銃弾が飛び交いまくっている。
 ダダダダダダ! と、隣の瓦礫が、蜂の巣になって粉々になっている。
 しかし、何故かこの二人には、弾は当たらないのである。
 するっするっと、銃弾が上手いことすり抜けていく。
 どんなオーラ出してンだよと、ハーレムは突っ込みたい。ツッコみたいけど。でもツッコむ暇がなくて、額に青筋、イライラしながら戦っているハーレムである。
 ピンクオーラは、銃弾も避ける。だって、怖いから。あんまり関わりたくないから。ある意味、最強の防護壁。
 くぅ……! だから酔っ払いはイヤなんだよっ!
 ハーレムは、部下が聞いたら悶絶死しそうなことを、口をひん曲げて考えている。
 自分のことは棚に蹴飛ばしておくのが、青の一族の伝統技なのである。
 彼はギリギリと唇を噛む。
 ああ〜! しかもコイツラ、まぁだ酒飲んでやがる! 底なしかよ!
 酔っ払いの燃料補充しまくり。ますます事態は悪化。
 この酒場に来てからも、ワインを少なくとも10本はあけている二人である。
 その前にも相当飲んでいるはずだから……日本酒を、とハーレムは考えて、真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。
 ヤになった。
 そうこうする内に。自分の背後では。



「霧笛に呼ばれているのは私だ。行くのは私だけで十分だ」
「なんでだよぉぅ! 父さぁん……」
「お前も私と共に行くというのか。いや、いけない。お前には未来がある」
「一緒に連れてってくれるって、言ったじゃないかぁっ!!!」
「それは罪だろう……そんな値打は私にはない」
 少し目を離すと、またドラマが始まっているのである。
 ナンだか、いつの間にか別れのシーンらしい。
 三人分の銃弾を防ぎながら、ハーレムは遠い目をした。
 そして力なく思った。
 早くきて〜……ロッド、マーカー、G……。
 俺は、面倒見るより、見られたい。
 ああ……と、ハーレムが浸っている間に。



「♪俺らは親子〜 無敵な親子〜 俺らが怒れば嵐を呼ぶぜ 俺らが惚れたら嵐を呼ぶぜ♪」
「ナンか肩組んで歌ってるしィィィ――――!」
 景気よく歌いだした二人の酔っ払いは、優しく目配せをしながら、叫んだ。
「そうだ! 俺たちはッ!」
「私たちは!」
「「親子じゃないかぁぁっ!!!」」
「共に行こう! シンタロー!」
「ああ、行くぜ! 世界の果てまでもッ! 父さんッ!」
「「二人は離れられない運命じゃないかぁぁっ!!!」」
 金髪と黒髪の親子は、そう誓い合うと、肩を組んだまま、突然駆け出した。



「オイッ! 兄貴ッ! シンタローッ! 危ねぇ! アブねえって――――ッッ!!!」
 ハーレムの静止も聞かず、二人は敵の中に、突っ込んでいく。
「おっと」
 途中、マジックの肩がわずかに低くなった。
 どか――――ん!!!
 そこにあった地面が、吹っ飛んだ。
「邪魔だゾ、オマエラ」
 シンタローが、そう言い放った。
 ごか――――ん!!!
 そこにあった建物が、吹っ飛んだ。
 ズガ――――ン!!!
 ボカ――――ン!!!
 ズギャアアアアアアアアアアンッッッッ!!!!!
「あ〜〜〜れ〜〜〜〜っっ!!!」
 なんか、殺し屋さんたちが、まとめて空にキラリと星になっていた。



 ハーレムは、無言で、闇に突き進む青い光を見つめていた。
 爆発が一直線になって、夜に輝いていた。
 二人の通った跡には、巨大マンモスの通った後かと誤解するほどの壮絶な大穴が、ぽかり、ぽかりと空いていて、瓦礫の山が、ガタリと崩れた。
 街ごと、破壊……か。
 酒が切れるまで……進むんだろうなあ……。
「……」
 広々とした空間に、一人取り残されたハーレムは。
 とりあえず、煙草に火をつけて、吸った。白い煙が、ゆっくりと立ち昇っていく。
「……」
 すると、三つの人影が闇の中から現れて、『わぉ、隊長、どーしたんすかぁ、コレ〜』『隊長』『……』と言った。
「……ワカんねえ……」



 でも、ハーレムは、ちょっと新しい知識を、呟いてみた。
「OYAKOのOは、無限大の零……って、知ってるか、お前ら」
「は? なんすか、それ」
「不知道」
「……」
「そーか、知らねぇか、おめーらも……いや、いい。こっちの話だから、イイ」
 ハーレムは、二人が去って行った方角を、見つめた。
 夜空は、まるでそこだけ夕焼けが堕ちたように、赤く染まっていた。
「ケッ……」
 舌打ちしてからハーレムは、俺もちょっと酒を控えようかなあなんて、できもしないことを、一瞬だけ考えたのである。



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 そして。
「もーお! おとーさまもシンちゃんもぉ! 夜遊びしすぎぃ! おしりペンペンの悪い子だよぉっ!」
「玄関で寝転がって寝るとは! いいか、俺がトイレに行く時に踏まなければ、いいか、もう一度言う、俺がトイレに行く時に踏まなければ……」
「グンちゃんキンちゃん……そう怒鳴らないで……頭に……響くよ……」
「あたた……おめーら、うるへーよ……俺まで飲みすぎちまって……あんま記憶がねえ……あだだだっ……」
 翌朝。
 流石に、げっそりした二人が、家族の居間で、さんざんに問い詰められることになるのである。
 真夜中には秘密が一杯、危険も一杯、スリルも一杯。
 真夜中のMは、ミステリーのM。
 だけどきっと、迷惑のM。




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