さいはての街

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 ぴりっと稲妻のような緊張が走る。
 警護の者たちが、身構える。銃を取り出し、指で撃鉄を引き起こし、素早く王子に目で合図を送る。
 王子が頷いた。彼らは無言で二手に分かれると、数人を残して、残りは西北西の方角へと、ひそやかに駆け出した。
 残った者たちは、川から上がった王子と羊飼いの少年を、守るように取り囲む。
 そして小声で何事かを囁いているようだ。



 ――緊急事態だ。王子を狙う者たちが、この牧場に侵入してきたのだ――
 一瞬遅れて、事態をやっと悟ったシンタローである。
 とりあえずは急いで靴を履き、ハンカチを懐に戻すなどして、慌しい男たちの様子を眺めていたのだが。
 その内の一人が厳しい顔をして、自分の方に近付いてきたので、戸惑って鼻の頭を掻いた。
 冷たい声で言われた。
「お前は何処へなりと消えろ。その方がお前にとっても安全だ」
 ぼんやりしていたシンタローだったが、そう言って肩を押された時には、思わず憤慨してしまった。
 俺だけ危険から逃げろというのか。そしてまだ俺は信用されてはいないのか。
 シンタローは言い切った。
「どうしてだよ。俺だって役に立つ」
 俺だって、王子を守りたい。当たり前のことだ。
「お兄ちゃんは、強いよっ!」
 自信満々にそう言い切る羊飼いの少年の応援を受けて、シンタローは主張する。
「よくわからねえが、こういう時は一人でも多く人数いた方がいいんじゃねーのかよ。何より俺が、ホントに害意はないってコト、はっきりわかってるハズだ。侵入者たちと違ってな」
 俺はずっと、心を読まれているんだから。
 そう言ってから、『だろ?』と心の中で問うて、王子の顔を見ると。
 金髪の少年は、静かに頷いた。
「お兄ちゃんは大丈夫だよ……それにこんな所に残して、もし巻き添えになったら」
 結局、男たちはシンタローの同行を了承した。
 第一、そんなことに係っている時間もなかった。
「だが……途中までだぞ」
 その声には生返事をしておいて、シンタローは王子の側に駆け寄った。
 王子は言った。
「急ごう。僕たちはまず、この小川の上流を目指すんだ」
 一同は、走り出した。



 草をかき分け、咲き乱れる花々を通り抜け、小川の浅瀬で水飛沫を跳ね上げて。
 子供と大人は入り混じって走った。
 走る。走る。走る。
 頭上高く上った太陽は、木々の葉を掠めて、彼らの影を造る。
 走るかたちの影を造る。それらが、緑の草に、水面に、流れるようにして映る。
 お互いの鼓動が、聞こえるような気がしていた。
 背後から迫る侵入者から、少しでも遠くに離れなければならないことはシンタローにもわかっていたが、王子たちは、何処か他の場所を目指しているようにも思えた。
 ただ闇雲に逃げているのではない。
 一度あの高原の邸宅に戻らないのかと尋ねたが、即座に警護の男に『その方角から敵が来ているのだ、よけいなことは聞くな』と切って捨てられたので、それ以来口をつぐんでいるシンタローである。
 このような非常時のために、場合に応じたマニュアルが、彼らにはあるのだろうと推測しながら。
 走る。走る。走る。
 側で必死に駆ける羊飼いの少年が、石に躓いて転びそうになった所を、シンタローは寸前で受け止めた。
「あ、ありがと!」
 その汗の滴る笑顔に、シンタローが『おうよ、気をつけろ』と返事をしかけた時だった。



 遠方、背後で銃声がした。
 この自然の満ちる空間には、ひどく不似合いで残酷な、人が人を傷つける音だ。
 それは緑の景色を貫いて、一同の胸を不吉な予感で浸していく。
 隣で駆けている王子の細い肩が、びくりと強張る。
 だが、その白い横顔は、変わらなかった。
 シンタローはその様子を見て、顔をしかめた。
 『お兄ちゃん……』と、自分の服の裾を掴んでくる羊飼いの少年の、肩を抱いてやりながらも。無表情で無言のままの王子が、気になった。



 また走った。
 小川に沿って行くのだが、上流を目指すほどに、草深く、木々が茂り、草原といっても丈の長い草が増え、足場が悪くなる。
 野鳥が甲高く鳴く声がした。ざわざわと草が揺れた。
 ひと吹きの風が、頬を通り過ぎていった。
 それでも変わらず、無言で駆ける高貴の少年。
 その金色の小さな頭はひたすらに、遠方の敵が、自分に持つ害意を感じ取ろうとしているのだろう。
 そう考えるとシンタローは、切なくなってしまう。
 こんなコトに、まさか慣れてるのかよ、と心が暗くなる。
 敵意を持たれて、またそれを処理する術もちゃんと知っていて。それがこの一族である証で、いわゆる帝王学ってやつなのかもしれないけれど。
 かわいそうだ、とシンタローは思う。
 こんなに幼いのに……。
「お兄ちゃんは優しいね。だから……大好きだよ」
 脇から、心を読んだらしい王子の答えが帰ってきた。
 そしてまた、駆けた。



「……おかしい。侵入者たちの直進が止まった……」
 そう王子が呟いたのは、それからまた数分は駆けた時のことである。
 黄色い花々が群生していて、その小さな花弁を一杯に広げていた。
 その足は止めずに、形の良い眉をひそめる少年。
 走り続けたために、さすがに胸が弾んでいる。全員の額には、汗が滴っていた。
 警護の奴らが頑張ってんじゃねぇの、とシンタローは当然の推測を口にしたが、王子は納得いかない顔のままだった。
 4名の侵入者たち――それは4つの害意として感じられるというのだが――は、分散し、特異な行動を取っているのだという。
 やがて王子は言った。
「こんな遠方からは、僕は強い害意のみで、その侵入者たちの意志をはっきり読み取ることはできないんだけれど……これだけは言える。相手は僕の能力をある程度まで把握しているんだと思う。なぜなら一定の距離以上は、警戒しているのか、決して僕たちには近付いてはこない……まるで僕たちを中心にして円を描くように……」



 その事実は明らかに、襲撃は、計画的で練られたものであることを示していた。
 先刻まで侵入者たちは、正確に王子の居場所を目指して、直進してきていたというから侮れない。
 こちらの位置を、完全に把握しているのだろうかと、シンタローはまた首をひねった。
 一体、どうやって。
 しかも計画的だということは、王子がこの別邸に今日来ること、ここで水浴びをしていること、さらにはその間は警備が手薄なことを、完全に把握していた可能性があるということなのだ。
 考え込むシンタローの側で、王子の分析は続く。
「だから、侵入者たちが僕たちに攻撃してくるとしたら……遠距離の攻撃か、僕が思考を読み取ることのできない、人間ではないものを使うか……」
 そんな物騒なことを呟いた可愛らしい声が、周囲の緑に、消えるか消えないかの内に、その地鳴りは振動となって伝わってきたのだった。
 まず警護の数人が、背後を振り返って顔を強張らせた。
 遅れて、シンタローと二人の子供が、同じように後ろを見た。
 そして息を飲んだ。



 視界に入ったのは、来た道から迫りくる白い波だった。
 波は、低木や長草をなぎ倒し、木々の隙間すべてを埋め尽くすように、追いかけてくる。
 白い津波。
 先刻までは、穏やかな目をした動物。柔らかい毛を持つ、優しい家畜だったはずだ。
 撫でてやると、なめらかな感触がしたのだ。
 羊が――
 側で、のんびりと草を食んでいたはずの羊たちが。
 一斉に、シンタローたちを目がけて、襲いかかってきたのである。










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