さいはての街

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「や、やめろよ……っ!」
 どうして自分の声は掠れているのだろうと、シンタローは頭の隅で不思議に感じている。
 月光の描く白と黒のコントラストの中、男は優しげに、唇の端をあげた。
 それは微笑みのかたちになる。
「だって君、金貨を受け取ってくれないでしょ。だからこっちでお礼をするよ」
「は? ば、ばっかやろ……」
 その男の声で、先刻の口付けで霞んでしまった意識が晴れる。
 ハッと気がついて慌てて、シンタローは力の入らない腕で、圧し掛かってくる男の身体を押し退ける。
 ぎい、ぎい、と古い木のベッドが抗議の声をあげて、窓の外では小さく風が吹いて、その木枠がきしんだ。
「くっ……!」
 シンタローは尻をずらして後ずさったが、すぐにさして大きくもないベッドの隅、サイドボードに背が触れて、びくっと身を硬くする。
 もう逃げ場はない。
 狭い屋根裏部屋の天井の勾配を見上げて、何でだろう、何でだろう、とシンタローは混乱する自分に問いかけている。
 何でこんなことになったんだろう。
 それに、それに。自慢じゃないけど、俺は腕っ節では、ここらのヤツらには負けたことがないのに、とシンタローは焦る。
 なのに、腕や脚を振り上げて男を追い払おうとしてみても、綺麗にかわされる。
「あ、あっち行けよっ! 何しようってんだよっ!」
「威嚇してみせたって。私にとっては可愛いばっかりだから、あまり賢いやり方ではないんじゃないかな……?」
 じわり、じわりと――淡い光に照らされて。
 白い手が。静かに、近付いてくる……。



「く、くぅ……このぉっ!」
 怖くなったシンタローは、間近に迫る男の顔を、息を止めて睨みつけると。全身の力を込めて、固めた握り拳で、男に殴りかかった。
 その攻撃も、男の腕で受け止められたが、しかし。
「……」
 シンタローの目の前で、急に男が、肩を落とした。彼は額に手を遣り、顔をしかめている。
 例の頭痛だろうかと、シンタローはこんな場合にも関わらず、心配になってしまった。
「おい! アンタ、大丈夫かよ!」
 無意識に身を乗り出した刹那であった。
「優しいな、君は」
 あっさりと背後を奪われ、後ろから抱き込まれてしまった。



「なっ……! ひやっ」
 つうっと首筋を濡れた感触が這って、シンタローは声をあげてしまう。
 大きな膝の上に、軽く抱きかかえられているようでいて、男の腕の拘束はきつい。
 じたばたしたって抜け出せない。まるで天敵に捕らえられた、ちっぽけな生き物。
「色気のない声、出しちゃって」
 耳元に触れている唇から、そんな低音が響いて、シンタローは身を捩じらす。
「やだっての! 離せ! 離せよっ! こーの恩知らず! があっ!」
 精一杯に威嚇してみたが、笑われただけだった。
 相手の息が、舐められたばかりの自分の首筋にかかって、最初にひんやりと冷たい感触がして、次にぞくぞくと震えが来るのがわかった。
 イヤだ。何だ、この震え。
 それに声……暗い屋根裏部屋に、沈み込んでいくような声……。
「お、俺は、男だっての! 何でこんなコトすんだよっ!」
 自分の身体に、まるで蛇のように纏わり付いて離れない、その声を振り切るように、シンタローは背後の男に叫んだ。
 すぐに信じられない答えが返ってくる。
「男でも女でも可愛ければ一緒だよ」
「だっから! 俺はカワイくねーッ! 目ン玉、腐ってんじゃねーのかよ! ほら! ほら!」
「可愛いよ。ああ、無理しない、無理しない」
 背後への攻撃を諦めたシンタローは、今度は自分の頬っぺたを引っ張ったり口を曲げてみたりして、百面相をしてみたが。
 相手の笑う感触が、首筋から伝わってくるばかりだ。



 部屋の隅で小さな音がして、板張りの床に何かが落ちる気配がした。
 先刻シンタローが、木棚に乱暴に入れた本が、今頃になって平衡を崩して床で悲鳴をあげているのだ。
 日に焼けて乾燥した紙が、ぱらぱらと捲れて、その内にゆっくりと動きを止めていく。
 それにシンタローが気を取られた瞬間を狙って、背後から手が伸びてくる。
 静かに頬を撫でてくる。
 長い指、なめらかな肌、冷たい感触……。
 冷たい……。
「うう……このぉ!」
 シンタローは大きく口を開けると、間近にあるその指を噛んだ。
 容赦しなかったので、歯は男の皮膚に喰い込み、口の中に温く鉄錆の味が広がった。
 血が――
「……?」
 避けると思ったのに。やりすぎたかと、シンタローは怯んで口を緩めてしまう。
 男がまた背後で笑う気配がして、耳朶が軽く吸われた。
 また自分の背筋が痺れて、
「……っ……ん……」
「はは。本当に優しいね。そんな所が私なんかの思う壺なのに」
「……んーッ! ん、ん、う……んっ!」
 唇の間に入り込んだ指が、逃げ出すどころか、そのまま口内をなぞり出す。
 血の味と唾液とシンタローの柔らかい舌を、掻き混ぜて、ゆっくりと、そうかと思えば激しく、出入りを繰り返す。
「ほら。吸ってごらん……」
「ん、む……うっ……ん! んっ」
 口の中でそれが、蠢いている。
 濡れた水音と一緒に、自分の唇の端から透明な液体が零れ落ちていく感触が、信じられなかった。
 含み込まされる男の指で、息が苦しくて、空気を求めて口と舌とを動かすと。
 そこにつけこんで指の動きも勢いを増すので、シンタローの舌は、男の指先や硬い爪やすんなりした指節に触れて、まるでそれを愛撫するような形になってしまう。
 シンタローの意識は、もう咥えた指のことで、一杯になってしまった。
「ふ……う……っ!」
 闇と月明かりの屋根裏部屋。
 静けさの中で、ちゅくちゅくと自分の口元から漏れる音、それ自体が生き物のように滑る指、背中と首筋に感じる男の厚い胸板と、息。
 舌を弄られ、歯列を擦られて、その度に沸き起こる感覚。
 そして、何とかこの指から逃れたい、新鮮な空気を吸いたいという思いでシンタローの脳裏が占領されていく程に。
 気がつかない内に、下半身から甘い痺れがぞくぞくと全身に広がっていく。



「! んんぅっ! んむ……や、やっ……!」
 シンタローが指に意識を集中していた所に、突然、男の空いた左手が、下半身に向かう。
 すでに反応しきっているシンタローのその場所に、夜着の上からゆうるり触れてくる。
 不意を突かれて、シンタローは背筋を突っ張らせた。腰がじんと疼く。
「もうこんなになってる。そんなに私の指が良かったのかな……こっちも可愛がってあげないと可哀想だね……」
「んうっ」
 男の指がひときわ深く口内に突っ込まれたのと、衣服の間にするりと手を差し込まれて、自身に直に触られたのは、同時だった。
 熱い自分のそれに、絡み付いてくるその冷たい手。
 また耳元で男が言う。
「ここ、濡れてるよ。随分とお口だけで感じちゃったんだ」
「……っ! うぅっ……! ん、は、はぅ……」
 上の口への責めはそのままに、下の高ぶりへの愛撫が加えられる。
 すでにその先から透明な涙を流しているシンタロー自身を、根元からゆるゆると男の手は撫で上げていく。
 男の指の腹は柔らかく、温度が無く、それに触れられただけで腰が震える。
 力が抜ける。シンタローの何かが奪われる。
 そして、軽く、先の部分を親指と中指で挟み込まれて、敏感な鈴口を、人差し指の腹で擦られた瞬間。
「ん、あっ……んぅ、う、うぁっ……!」
 シンタローは呆気なく吐精してしまっていた。



 口から指が抜け、男が身体をずらしたので支えも失って。
 シンタローは荒い息をしたまま、ベッドシーツの上に崩れ落ちた。
 夜の部屋が、まるで瓶底から眺めたかのように揺らいでいる。
 目を閉じると、ぽろりと雫がこぼれ落ちて、涙が溜まっていたせいなのだとわかる。
 胸の動機が激しい。やっと自由に吸える空気が、温い。
 そしてシンタローが目を開くと、男の端整な顔が、すぐ傍にあった。そっと囁かれる。
「早かったね。私がいたせいで溜まってたのかな。今のだけじゃ、楽しむ間もなかったんじゃないかい……? じゃあ、今度はね、もっとゆっくり……」
「……? や、な、何……何す……」
 シンタローが事態を把握する前に、男は、半ばまでずり下がっていたズボンと下着を、完全に剥ぎ取ってしまう。
 下半身が完全に曝け出される。
「ひゃっ」
「大人しくしておいで。もう一度気持ちよくしてあげるから」
 そう微笑むと男は、脱力して投げ出されているシンタローの脚を、大きく割り開いた。



「やだ……やだって……! お、俺、こんなの、何で、なんで……」
「やだって言っても……ねぇ……?」
「あ、ああっ!」
 男は、すっと一度シンタローの鍛えられた脇腹を撫で上げると、放出の余韻に震えるシンタロー自身の根元に口付ける。
 そして、ちゅ、ちゅ、と、いやらしく音を立てて、優しくそれを舐め始めた。
「はん……っ……う……んっ」
 シンタローの身体は途端に跳ね、両端に広げられた太股は、ぴくぴくと痙攣を繰り返す。
 腰が嫌がってうねるのを両手で押さえ、再び起ち上がり始めたそれに、男は舌先でちろちろ刺激を与える。
 それから口内に包み込むように、含む。
 舌のぬるついた感触と、男の内頬の柔らかさに、シンタローはただ暗い天井に向かって喘ぐことしかできなかった。
「ん……ふっ、う……」
 苦しい。
 シンタローは唇を半開きにして、感じやすい身体に快感が溢れ出すのを、遣り過ごそうとしている。
 その開いた口から、桃色の舌が微かに見えたのに気付いて、男が薄く笑った。
 意地悪く、そっと性器を吸い上げた後に、歯を軽く立てる。
「つっ……! や、あ……ん……」
 シンタローはたまらなくなって、男の金髪に手を絡めた。



 恥ずかしいぐらいに屹立したそれ。
 男の唇の動きに合わせて、後から後から先走りの蜜が零れ出してきて、シンタローは泣きそうになった。
「う……ふぅ……」
 でも止められない。刺激に感じてしまう生理現象が悔しい。
 いいようにされている自分の身体が、悔しい。
 しばらくシンタローは、相手の技巧に翻弄されるがままだった。
 ねっとりと絡みつく舌が、どうしようもなかった。
 高められて、弄られて。あともう少しで登り詰めるという、その手前で。
 男が、顔を上げたことに気付いた。



 男は、咥えていたものを離すと、その長い指に雫を絡めて、シンタロー自身の先から根元に向かって、静かにそれを滑らせていく。
 指は真っ直ぐに双丘を目指して降り、最奥の蕾に辿り着き、その周りを円を描くようにして撫でた。
「……っ!」
 シンタローは目を見開いて、息を飲んだ。
 今までとは違う感覚。
「な、何っ……アン……タ、何……を……っ」
 男はやけにのんびりと答えた。
「何って……君、初めて?」
 初めてとは何のことだ、と、シンタローのぼやけた頭は必死に回転し、冗談混じりで知った聞きかじりの知識を掘り起こす。
 そうだ。そういえば。
 男同士は……そこ、使うこともある……って……。



「初めて……?」
 男はもう一度、今度は無機質に尋ねた。
 シンタローは乱れた意識を懸命にかき集め、身体に力を込めて、男に精一杯の答えを返す。
「あったり前だろォがっ! バカか! あ、アンタぐらいしか……んな、こんな、こんなコト……」
 女はともかく、どうしてこの自分が男に襲われなきゃいけないのだと、シンタローは声を荒げる。
「……そう。良かった」
 すっと手が伸ばされて、頭を撫でられたと感じた瞬間。
「なぁにが……やっあ、ああっ……!」
 もう一度両脚が大きく広げられて、自分の屹立した中心に、再び男の金髪が沈んで、柔らかくてぬめるものに咥え込まれて、何が何だかわからなくなっていく。
 また舌と指に愛撫されているのだと、途切れる意識の合間に、シンタローは感じているが、すぐに白いもやに世界が塗り込められていく。
「あっ……あっ……ふぅ……ん、ん……ああ……ん……」
 濡れた音と、自分の情けない喘ぎ声と、吐息が入り混じり、ベッドがきしみ、掴んだシーツがたわみ、全ては夢の世界で起こっていることのような気がしてくる。
 夢の世界だ。
 男をあの森で拾ったことも。
 一緒に暮らして、なぜかすんなり馴染んで、どうしてか、こんなことになって。
 この手だ。この、俺をめちゃくちゃにしてくる、冷たい手。
 声。甘くて低いこの声が、俺を、おかしくする。
 遠くなる視界。それでもリアルな感触。
 快感。



 その後、シンタローは意識を失ったのだと思う。
 彼に残る最後の記憶は、静かな室内で、男が自分の髪を撫でている感触だった。
 さあっと月光が、閉じた目蓋を照らしていたのだとも思う。
 そして、おそらく、小さくこう聞こえた。
 あの声だ。
「私を……拾ってくれて、ありがとう」









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