僕の先生

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 締め切られた部屋、カーテンの隙間から漏れる夕刻の日差し。
 校庭で遊ぶ子供の声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
 笑い声、言い争う声、はしゃぐ声。それらは重なり合い、初夏の風に乗って色とりどりのきらめきとなる。
「先生……」
 ごく近くから、細い声がする。
 まだ変声期前の綺麗なソプラノ、だけどどこか、その響きは甘い。
「先生……僕、僕……変なんです。おかしいんです……」
 この狭い部屋には、俺たち二人だけの息遣いだけが。
 俺は、その声のする方に視線をやる。
 すると、まっすぐに俺を見つめてくる……青い瞳。



「先生を前にすると、胸がどきどきして。奥の方が熱くなって、心が……きゅんとしてくるんです……」
 その必死な面持ちに、俺はゆっくりと唇を開く。
「マジック……お前」
「あっ、先生。僕、先生に名前を呼ばれると、嬉しい……」
 金髪の少年は、二人の間にある机の上に置かれた、俺の手の甲に、そっと自らの小さな手を重ねてくる。
 俺の手を握りしめながら、マジックはもう一度、囁くように言った。
「先生、僕の名前、もう一度呼んでください」
「……マジック……」
 請われて俺は、またその名前を口にする。少年は、花のつぼみが開くように、すうっと嬉しげに笑った。
「せんせ……い……目を閉じて……僕、僕っ……んーっ」
「マジック! だああああ――――!!! いいかげんにしやがれ――――ッッッ!!!」
 がしゃん、と俺は、テーブルをひっくり返した。



 悩み相談室、の真っ最中なのである。
 この学校では、放課後の数時間を使って、教師たちの持ち回りで悩み相談室なるものが開かれている。
 そして、その本日の担当が、俺なのだった。
 相談者であるはずの少年は、横転したテーブルの足の側で、何食わぬ顔。
「ああもう、先生ッたら、乱暴なんだから 暴力よりも、愛を語り合いましょう! 愛が最後は勝つんです!」
 キラキラと輝く瞳で、両手を胸の前に合わせ、俺に訴えかけてくる。
「先生……僕の悩みを聞いてくださいっ!」
「だからあ! ふざけんなって! ここはそういう場じゃないの!」
「ふざけてなんかいません! 先生って、恋には臆病なんですね……大丈夫、信じてください! 僕は先生ひとすじです!」
「何、言ってんだぁ――っ! こらっ、抱きつくなッ!」
「先生と生徒の無邪気なスキンシップですよ ああ〜、先生の胸って落ち着くなぁ〜! あったかーい
「離れろ! こらあ、スリスリしてくんじゃねえぇっ!!!」
 かといって、まさか子供に実力行使する訳にもいかないのである。
 俺は、抱きついてくるマジックから身をそらしながら、とほほと手の平で頭を抑えた。
 心の中で、溜息をつくしかない俺である。



 就任以来――
 始終、こんな調子なのだ。
 俺は、この少年から、毎日熱烈なアタックを受け続けている。
 休み時間は勿論のこと、授業中なんかも、少年は最前列から、うっとりとした目で俺のやることなすこをを見守っている。
 どうかすると、熱い吐息なんかついちゃって、俺を注視しているのだった。
 こいつ、ぼんやりしてやがる、と俺は、よく指名して、意地の悪い質問をしてやったりもするのだが、返ってくる言葉は常に完璧な正答で。
 授業は、悔しいくらいによく聞いているようだから、教師としては文句のつけようがない。
 加えて品行方正、態度も真面目で他の生徒や教師からの信認も厚い、とくれば、新参者の俺が何をいわんや、である。
 他の人間は、俺へのマジックのこの態度を、随分懐いているなぐらいに思っているようである。
 俺が就任する以前には、マジックはこんなに誰かを情熱的に信奉するような、そんなタイプではなかったということで、このことは職員室でも格好の話題になっている。
 一度などは、俺は面と向かって、年配の教師に、
『シンタロー先生は凄いですなあ。いや、失礼ながら若くて元気がとりえの先生だと思っていましたが、どうしてどうして』などと、褒められたのだかよくわからない評価をされてしまった。
 なかなかお上手で、将来が楽しみですな等と嫌味を言われたこともある。
 相手にすれば、この俺がマジックを初めとする創立者一族に取り入っているのだと思われているらしい。
 不在がちな理事長も、マジックの父親であったから、そう思うのも無理のないことかもしれないのだが。
「はあ〜」
 現実を見てもらえれば、一発でわかるのになあ、実際はこうなのになあ、と俺は疲労を感じて、パイプ椅子にぎしっと腰を下ろした。



 今も。俺の目の前で、マジック少年は熱弁を奮っている。
「シンタロー先生は人気者なんですから! 悩み相談室とか、こういう機会を利用しないと、なかなか二人きりになれないでしょう?」
「……お前ナ、俺を買いかぶりすぎだっつーの」
 顎に手の平を当てて、ほう、と溜息をつきながら、俺は虚ろな目をしてしまう。
 俺の口調も、かなりくだけてきているのだが、何だか疲れているから仕方ない。彼に慣れてきたのもある。
 もうこのマジックに対しては、『優等生の良い子』という認識を、俺は捨てていた。捨てざるを得ない。いや、優等生は優等生なのだが……
「買いかぶってなんかないですって! 先生はすでに学校のマドンナになりつつあるんです!」
 ……こんな風に、彼は、ちょっとオカシイ。
 いや、かなり。大分。何かがずれている。何かが……
「マド……お前、ぜったい言葉使い間違ってるぞ……だいたいそんなに俺が人気者ならなあ、」
 俺は肩を竦める。
「今日のな、俺の担当の悩み相談室に、生徒はお前しか来ないって、どういうことだよ」
 ぐいっと人差し指を突き出して、俺は少年をねめつけた。



 悩み相談室は、事前予約制である。
 職員室前の掲示板には、相談を受け持つ教師の日程表が貼ってあり、その下に置かれている木箱に、悩みを持つ生徒は希望の日時を書き込んで投函するのである。
 そして前日までに事務員がスケジュールを調整し、生徒と教師に連絡をする、と。
 とまあ、相談者の秘密を保持するために、そのような仕組みになっているのだが。
 どうしてか俺の担当には、今までこのマジック少年しか来たことがない。今回で三回目である。
 しかもその相談内容といえば、この通りで。
『先生 結婚してください
 と、口を開けばこうである。
 今日などは、『五月の花、グレースリリーです。純潔と高貴な美しさを、先生に……』と、相談室の扉を開いた瞬間、大輪のユリの花束なんぞを持参してきたりするのである。
 何か勘違いしているとしか思えない。



 目の前で、花瓶に生けたユリの花が、窓際で揺れている。
 しかし俺の問いかけに、ロマンチストな夢見る少年は、爽やかに答えた。
「ああ、そのこと。他の子の分は、僕が事前に処理してるんです」
「はあ? 処理ぃ〜?」
 あまりの返事に、俺は、ずいっと身を乗り出した。
「ええ
 窓から爽やかな風が流れてきて、部屋がユリの仄かな香りで染まり、少年のの綺麗に整えられた短めの金髪が、ふわりと揺れる。
 マジックは、明るく笑って言った。
「シンタロー先生の相談日の前日に、職員室前の木箱を、僕がチェックしてるんです」
「あああ?」
 俺は、ぽかんと口を開けた。
「で、相談表を抜き取って。申し込んできた生徒には、僕が前もって出向いて、穏便に話を聞いて、穏便に彼らの悩みを解決してあげるという、とまあ、そんな便利屋みたいなことを。いやいや、僕も苦労するなあ」
「ああああ? なんだそりゃー! そしたら、俺に相談したかった生徒は、他にもまだいたのかよーっ!」
 俺は、がたんと椅子を揺らして立ち上がる。
 反対に、やれやれと椅子に座ったマジックは、こくんと頷いた。
「今日なんて、希望者は10人もいたんです。回を追うごとに増えていきますね。僕にとっては、よくない兆候です。いやあ、僕も大変でした。昨日は10人の悩みを、脅して……いや、あくまで穏便に聞き歩いて。いじめられているという悩みを聞けば、いじめっ子を実力で……いや、話し合いをして解決し、九九が覚えられないという悩みを聞けば、お仕置き方式で暗記させ……人間、命ギリギリになれば何でも覚えられるもんなんですね。その子は、この一年の悩みが、たった二時間で解決したんです! 僕もこの年で慈善事業に関わるとは思ってもみませんでした。僕って教師に向いてたりして〜えへへ」
「じゅ、10人だあ〜! ってお前! 穏便って! 実力って! お仕置き方式ってなんだ! マジック、お前〜〜〜!!!」
「やだなあ、よくやったってねぎらってくれないんですか? 僕は先生の仕事を減らしてあげたんですよ」
「なにををを〜〜〜〜!!! 余計なお世話じゃっ!」
「それもこれも、こうして先生と二人っきりになるためです。参っちゃうな、僕って一途なんです



 拳を振り上げ、ワナワナと震える俺に、少年は余裕の笑みである。
 その10人の生徒たちの名前をせめて教えろと、俺はマジックに迫ったが、『イヤですよ。どうせ会いに行くんでしょう。他人に、シンタロー先生と二人っきりの状況をお膳立てしてあげるなんて! 僕は敵に塩を送るようなバカなマネはしない主義です』なんて、無下に断られてしまう。
 くう。
 どうしたらいいんだ!
 俺は、俺に頼ってくれる生徒たちのことが、気になって仕方がないのである。
 この……この、カワイイ顔した小悪魔め!
 小悪魔は、しれっとした顔で、俺の勢いに肩を竦めた。
「ですけどね。他の子供たちの目的は何かということを考えると。究極的には、それは悩みを解決する、ということに尽きる訳ですよね」
「あああ? ま、まあ、そりゃあ悩み相談室だから、そーだろうが……でもな、お前!」
「だから悩みが解決されればいいんだから、別にその解決者が先生じゃなくっても、僕であったとしても、構わないってことになるでしょう」
「それとこれとは別だ! その子たちは、わざわざ俺を頼ってくれたんだろ!」
「解決者が誰でもいいってとこが、僕と、その有象無象の10人との違う点です」
 少年が賢しげに微笑んで、白い歯がきらりと輝いた。
 勢い上、俺はこう聞かざるを得なくなる。
「じゃ、じゃあ、お前は何のためにここに来たんだ!」



「もっちろん」
 待ち構えていたといった風に、少年が飛びついてくる。
「シンタロー先生と、二人っきりになるためです
「うおっ!」
 のけぞる俺。ぎゅうぎゅうしがみついてくる少年の細い体。
「シンタロー先生、大好きで〜す
「帰れ――! 悩みがないなら、帰りなさぁ――いッ!」
「やだなあ、だから悩みもその目的から副次的に発生してるんですってば。照れ屋のシンタロー先生が、なかなか僕とイチャイチャしてくれないんです……先生、どうしたらいいんですか?」
「イチャイ……お前はまた! 絶対何か勘違いしてる――!!!」
「その上、先生は人気者なんです。でも本人にはその自覚がないんです。先生どうしよう! だから僕は不安で仕方ない! 先生の貞操を守らなきゃって、いつも……」
「てっ……ててて!」
 俺は言葉につまり、それからつい、カーッと赤くなった。
 貞操って。
「なんだそりゃ――っ!!!」
「だって……だって!」



「とにかく、もう悩み相談室は終わり! 帰りなさい! 俺の相談は、もう、終わり!」
 ぱんぱん、と俺は手を叩いて、お開きを宣言する。
 少年を押しのける。
 相手は不平たらたらである。
「ええ〜っ。もう? 早すぎますよ、シンタロー先生!」
「早かねえよ! そんな悩みは相談しても解決しません! 永久に解決しません! はいはい、お開き、お開き!」
「先生〜。二人の時間は、こんなに簡単に過ぎ去ってしまっていいものじゃあ、ありません〜 もっと甘く切なく! 恥じらいながらも、大胆に!」
「ぐー! もう、ンなワケわかんねえコト、主張しないの! さあ、帰った、帰った!」
 俺は、マジックのペースに乗せられないことが肝心だと、とにかく唇を引き結ぶ。
 相談室の、出口を指で示して、言葉でも仕草でも、『帰りなさい』ということを伝える。
「じゃあ僕は帰りますから、先生が僕の家に来てください ご招待しますよ
 それにも関わらず、代替策を思いついたのか、別の提案を始める少年である。本当に、懲りない。
「ダメだって! それは何度も言ったろ! そんな一人の生徒だけを特別扱いするようなマネ、先生はできません!」
「いいじゃないですかぁ〜! ね、先生、ちょっとだけ! みんな待ってますから!」
「しつこい奴だなあ。だーかーら! 家庭訪問は、もう年度始めに前の先生が済ましてるんだろ? 今さら俺が行く理由なんて、まったくありません! ほら、もう、粘ってないで、帰りなさい!」
 すると。
 意外なことが起こった。
 マジック少年が、めそめそ泣き出したのである。



 俺は、慌てた。
 しょんぼりと俯いた少年の目元に、きらりと光るもの。
 薄い肩が震えている。
「えっ……オイ、お前……泣いてんのか」
 そう聞くと、マジックは、両手で顔を覆った。
「うっ、ぐすっ……う、うえええ……泣いて……泣いて、なんかぁ……っ」
「おい、マジック……」
 俺の怒気は、みるみるうちに萎んでしまう。
 大人気なかったと後悔する。
 『帰れ』だなんて。きついことを言ってしまった。
 何と言っても、まだほんの子供なのだ。子供相手に、俺は。
 小さなその姿は、可愛い子供である。俺は、子供たちを笑わせるために、教師になったのではなかったか。
 泣かせるために、教師になったんじゃあない。
 それを俺は。
 もっと賢い、器用なやり方があったはずなのに、俺ってヤツは。



「悪かったよ。先生が悪かった」
 俺は、そう声を落とした。
 きっとこの子は、寂しいんだ。
 聞けば、世界中を飛び回っている父親――企業グループの総帥とのことだが、この学校の理事長でもある――の代わりに、弟たちの面倒を見ているそうである。並大抵の少年にできることではない。
 遊びたい盛りであろうに。
 色々な面で飛びぬけているから、信奉者はいても、心から話し合える友達というのがいないのかもしれない。
 だから、どうしてその対象が俺なのかはわからないけれど、過剰な甘えや、スキンシップを求めてくるんだ。
 全部を全部受け入れる訳にはいかないけれど、もっと上手いやり方が、きっとあったはずなのに。
 俺って、未熟な教師だなあ……。
 そう考えると、俺は、この少年が気の毒になった。
 震える小さな肩が、可哀想で。切なくて。
「マジック……」
 俺は歩み寄り、その金髪に、ぽんと手を置いた。そして言う。
「先生な、まだまだ先生になったばっかりだから、余裕なかった、な。ごめんな」
「うぇっ……ぐすん……」
「お前の家だって、機会があったらその内、きっと行くから。悪い。そんな、完全に否定したつもりじゃなかったんだ……」



 すると。
 さっと少年の顔が上がって、ぱあっと笑顔が広がって、きゅるるんと大きな瞳が輝いた。
「わあ、ホントですか? やったね! 確かに聞きましたよ、シンタロー先生
 ウキウキとまるでステップを踏みそうな子供。
 その頬には、涙の後すらないのである。
「泣きまねかよ――ッ!!! あっ、ああああっ!!! お前、何だその目薬はっ!」
「ひっかかる方が悪いんですよ んもう、そんな所もカワイイんだ・か・ら
 つん、と人差し指で、俺の鼻先をつついて、泣き顔どころか喜色満面の少年は、ウインクしている。
「せ・ん・せ 僕、楽しみにしてますから
「ぐっ……!」
 やっぱり、いつの間にか相手のペース。知らぬ間に罠にかかっている。
 こんな子供に、手玉に取られてしまう俺って。
 一体。
「ああ、安心したらおなか減っちゃった! 帰って、お茶にしよう〜っと! せんせーい、さよーならー!」
 さっさと帰り支度をし、ぶんぶんと手を振る上機嫌のマジック少年とは対比的に。
「……おう、さよなら……」
 がくり、と、俺は頭を下げて、落ち込んだ。



★★★



「どうしましたぁ、シンタロー先生〜。元気ないみたいですねぇ〜」
「はあ……」
 かけられた声に、俺はゆっくりと、机に突っ伏していた頭を上げる。
 職員室の大窓からは、穏やかな光が、机や椅子を飴色に照らし出す。
 俺を優しくのぞきこんでくれている、長めの金髪をも染め上げる。
 後ろ髪を束ねた大きなリボンが、ふわりと揺れた。
 ――グンマ先生。



 すでに帰宅時間とみえて、人もまばらな室内には、放課後の静けさが漂っていた。
 俺の投げ出した腕の側に、コトリと熱い湯気の立ち昇るカップを置いてくれた、この同年輩の教師は、親しげな笑みを浮かべて。
 きい、と椅子を引いて、もう下校したらしい隣の教師の空いた席に、さりげなく座った。
「あ、ありがとうございます」
 俺は慌てて姿勢を伸ばし、いれてもらったお茶を、遠慮なく頂く。
「あちち」
 ふうふう拭き冷ましながら嚥下すれば、疲れた身体に、熱がじわりじわりと広がって。
 人心地ついた俺は、隣のグンマ先生を、まじまじと見詰める。
「フフ」
 俺の視線を受けて、再びグンマ先生は、にっこりと笑った。



 斜光に輝く金髪。悪戯っぽい色を含んだ、青い瞳。
 彼は、この学校の創立者の一族の一人なのだという。つまり――マジックの親戚。
 おそらく、とんでもなくややこしいであろう家系図の何処に位置するのか、正確な所は知らないが、何度かこの教師とマジックが会話を交わしている姿を、自分も見かけたことがある。
 そんな彼が、なぜ教師になろうと思ったんだろう、と俺は少し疑問に感じたが、勿論今は、突然そんなことを聞く訳にもいかない。
 目の前のグンマ先生は、いかにも良家の出身らしく、おっとりとした柔和な雰囲気を漂わせている。
 低学年担当の彼は、いつも小さな子供たちに囲まれている。
 彼自身も、いい意味で無邪気な子供のような印象を与える人間のようだから、自然に好かれるのだろう。
 今もグンマ先生は、男にしてはやけに大きい瞳で、俺を見つめてくるのだった。
「お疲れのご様子ですねぇ〜」
「いや、すみません。ちょっと疲れちゃって」
 俺は、首を回した。肩まで凝っている。
「ですよね。新しい環境って、慣れるのに時間かかりますよねぇ! お疲れ様です〜」
「お茶頂いたお陰で、はは、元気出ました」
 この親切な同僚に、そう答えながら。
 同時に俺は思う。疲労の大半は、あのマジックのお陰なのだと。



「本当に元気が出たのか。顔が暗いぞ」
 すると背後から、また別の声がかかる。
 俺が振り向くと、そこにはグンマ先生と同じ金髪碧眼の教師が、地図か何かだろう、細い紙巻を脇に抱えて、立っている。
 グンマ先生が、座ったままで、にこやかに口を開く。
「キンタロー先生、明日の授業の準備ですかぁ〜。一段落ついたんだったら、一緒にお茶飲みましょうよぉ!」
「ああ、頂こうかな」
 キンタロー先生、と、やけにくだけた口調で話しかけられた青年は、きびきびした動作で、俺の斜め前の椅子を引き、背筋を正して座る。
 お茶を入れるために、席を立ったグンマ先生の代わりに、俺は今度は彼の顔を見つめる。
 相手は、眉をしかめた。これはどうやら彼の癖らしい。
「何だ。俺の顔に何かついているか」
「いや……」



 この彼も、一族出身なのであると、何かの折に聞いた。
 グンマ先生と彼は、従兄弟の関係にあたるらしい。
 そしてマジックの弟、いやに俺を敵視(?)しているらしいルーザーのクラスの担任なのだとも。
 大人と見れば、皆見下しているようなルーザー少年が、このキンタロー先生だけには懐いているのだという。
 一体どんな魔法を使ったのだろうと、俺なんかは思うのだが。
 目の前で彼は、グンマ先生とは対照的に、しかめつらしい表情をしている。生真面目な性格であることは、その所作や雰囲気から、簡単に窺い知れた。
 すぐに、グンマ先生がお茶を運んでやってくる。
 俺たちは三人で、ほっと一息ついたのだった。



「シンタロー先生とお話できて、よかったぁ ほら、僕ら三人、年が同じなんですよっ。仲良くできたらって思って
「そうだな。教師が協力しあうのは、結果的に生徒のためにもなる」
「いつもお忙しそうだったし、ご迷惑かなって思って、なかなか声がかけられなかったんです〜」
「ピリピリしていたな」
 二人との会話で、俺の気分もほぐれていく。
 この二人とは、もちろん挨拶や、事務的な会話は交わしていたものの、こんな風にゆっくり言葉を交わしたことは、今までなかった。
 俺はそんなに話しかけ難い雰囲気を漂わせていたのかと、反省する。
 いつも一生懸命になると俺は、周囲が見えなくなってしまうという癖があった。
 気を遣わせていたんだろうか。
 いけない、いけない。
 その内。
「何か悩み事でもあるんですかぁ? よかったら、僕たち、話、聞きますよっ」
「そうだ。話してみろ。誰しも悩みはある」
「キンちゃ……ううん、キンタロー先生だって、今年が一年目でねぇ! えへへ、初めてのコトだらけだもんねぇ
「うむ。人は皆、そこから成長するものなのだ。切磋琢磨」
 はは、と三人で笑い合う。
 俺は心が温かくなった。
 でも。でも。
 生徒に言い寄られて困ってます、なんて。
 そんなこと、言えるだろうか。



 しかも相手は少年。同性。まあ男子校だから当たり前だけれど。
 男の沽券にも関わる事態なのである。
 ――い、言えねええええ〜〜〜〜っ!!!
 優しげに一人は微笑み、一人は眉にシワを寄せて、尋ねてくれるその姿。
 俺は、ハハ、と笑って、鼻の頭を掻いた。
 話さずとも、こうして一緒にお茶を飲んでくれるだけで、気持ちが楽になったことを、この二人に感謝したい。
 俺は、授業方法などの質問をぶつけて、この二人としばらく話し合った。
 二人は、真剣に相談に乗ってくれる。
 俺は思う。
 俺は、きっとこの学校で、やっていくことができる。
 ……といっても、臨時教師なんだけれども。でも、それでも。
 俺、頑張ろう……
 幸せな気分になって、俺はまた、一口、少しぬるまったお茶を、すすったのである。



★★★



「フンフンフフ〜ン♪ よしっと!」
 すっかり元気を取り戻した俺は、鼻歌を歌いながら、家路につく。
 あの二人との会話が一服の清涼剤となって、俺の心を明るくしていた。
 ウキウキと、さて、今日の晩御飯は何にしようか、なんて考えている。元来がポジティヴな質なのである。
 近くには商店街があったから、毎日そこに寄っては、新鮮な食材を見繕うのが俺の密かな楽しみだった。
 色鮮やかな野菜たち、丸い果物、きゅっと身の引き締まった青魚、脂が綺麗に縞になった肉。眺めているだけで楽しくなっている。
 こう見えても俺は、料理にはうるさいのである。こだわりがある。
 安アパートの自宅に帰って、狭いが清潔なキッチンで美味い食事を作って、それをつまみながら缶ビールを飲む。
 それがここ最近の俺の、最高の気分転換の手段となっている。
 気候もよくなる時分だったから、働いた後のビールはたまらない。
 今日も素材をみつくろい、ビニール袋を提げて、機嫌よく再び歩き出した俺は、その瞬間までは、いつも通りの日常にいた。
 常と同じ日々。
 しかし、次の瞬間からの俺は、うっかり常ならないルートに足を踏み入れてしまったのである。
 夕空の下、道端で、しゃがんでいる子供の姿に、気がついたのだ。



「……?」
 近寄ってみれば、子供というより幼児である。
 年は、3、4歳だろうか。
 どうしたんだろう。こんな所に一人っきりで。
 俺は不思議に思った。
「おい、どうした?」
 声をかけると。俯いていた頭が振り返って、幼児が俺を見上げた。
「……ッ!」
 危なく俺は鼻の付け根を押さえた。
 最近やたら美少年づいている俺であるが。また、びっくり。
 見上げてくる幼児が、これまた綺麗なのだった。
 これまた金髪、大きな青い瞳。繊細な目鼻立ち、薔薇の花びらのような唇。
 しかも何だか耽美系。服装から男の子だとは思うが、女の子にだって見える。
 何故こんな子が。こんな場所に。
 俺は、他人にはわからない範囲で、内心うろたえた。
「……っ……!」



 最近。
 ……というより、マジック少年に熱烈なアタックを受け始めてからであるが。
 ひとつ、気付いてしまったことがある。
 俺は――少年の綺麗な顔に、弱い。
 この事実に思い当たった時、俺は頭を抱えたものである。
 それは、今まで俺が考えもしなかった弱点だった。
 学生時代は格闘技では無敵を誇ったこの俺様に、こんな弱みがあるなんて。まったく、お天道様に顔向けできやしねえ。
 でも俺は、美少年の顔が近付いてくると、ちょっと、心がぽわっとなる。
 悲しいかな、その気持ちは否めない。
 迫られたりなんかすると、体がカチコチになる。汗が滴り、動悸が激しくなる。
 これは本能的なものらしく、どうにもならないことなのである。
 もちろん俺は教師なんだから、そんな邪魔な想いは抱くはずがないのだけれど。
 そんな想いとは別に、例えば盆栽を趣味とする老人が、その自慢の鉢の枝振りを眺めて、心を和ませるように。
 俺は綺麗な少年を目にすると、反射的に、何だかホンワカしてしまうのだった。
 美少年って、いいかも。
 うん、いい。とっても、いい。
 俺がマジックを強く拒否することができないのには、実は密かにこんな理由もある。
 このことを考えるたびに、はあ、と俺は自嘲気味に溜息をつくのであるのであった。絶対に相手には悟られてはいけないことだけれど。
 なんてこったい。
 ああ、そして今だって。
 俺を見上げた幼児は、これも正真正銘、超がつくほどの美少年で、俺の心はまたもやホンワカした。うろたえた。頬が緩んだ。
 しかし、そんなことには構っていられない。
 俺は意志の力を総動員し、自分を取り戻す。
 幼児がこんな場所に一人でいるなんて。このご時世、危険極まりないのである。保護してやらなければ。
 迷子だろうか。



「……だれ?」
 サファイアみたいに輝く瞳に、そう問われて。
 不審者ではないことを証明するために、俺は慌てて幼児に答える。
「え、俺? 俺は、シンタローっつって……」
 明るく笑って、相手を安心させるように優しく言ってみる。
「学校の教師やってるモンで、えっと、コワくないゾ? ボク、こんなとこに一人でどーしたの?」
「きょーし?」
「そ、教師。先生やってんの。せんせい。だから、俺、アヤしくないよ、大丈夫」
「……せんせい!」
 なぜか『先生』の言葉に反応した幼児は、さっと立ち上がった。
 そして、ぎゅっと俺の服の裾をつかんでしまう。
「おっ、おい」



 この子は、迷子なのだろうか。
 見上げてくる幼児に戸惑いながら、俺は考える。
 『先生』と言ったお陰で、この子は俺を頼りにすることにしたようである。
 きっと、この子にとって『先生』は、安心の代名詞みたいなものなんだろうなあ……
 そう思うと、頑張らなければという気負いが、むくむく心の奥から沸いてくる。
 俺は、意気込んだ。
 そうだ。先生っていうのは、そういう責任感のある職業なんだ。見知らぬ幼児に、他人を信用させるほどに、立派な職業なんだ。
 俺は、『先生』になったんだ。
「坊や、迷子なの?」
「……ん……」
「おうち、どこなの? 先生が連れてってあげるよ」
 幼児は、胸を張った俺の顔を、じっと見つめた後。
 可愛らしく頷いた。



 幼児を肩の上に乗せ、俺は道を行く。
 どちらの方角から来たの、と聞けば、幼児が指をさすから。
 その方向に、とりあえずは一本道だから、歩いている。
 道々、俺は尋ねる。
「お名前は?」
「……」
「はは、聞いちゃダメだった?」
「……」
 夕暮れ時の斜光が照らす、横顔。
 少し間を置いて、答える幼児。
「サービス」
「へ、へえ〜。教えてくれて、ありがとナ!」
「……」
 その典雅な雰囲気に、横顔に、なんだか気圧されてしまう俺である。
 俺の肩に乗るのを、まるで当然だと思ってるみたいな、その雰囲気。乗馬とか、してるみたいな、その顔。
 女王みたい……



 そのうち。
「あ」
 小さな指が、道の先を示してきたので、俺は『ん?』とそちらの方を見遣る。
 よく見れば、向こうから。
 ほてほてと歩いてくる小さな影がある。
 影は近付き、やがてすぐ側を通り、俺たちを通り過ぎようとして……
 ぴたり、と立ち止まった。
 またしてもまたしても、可愛らしい幼児なのである。『サービス』と名乗った幼児と、雰囲気こそ違うが、ちょうど同じ年恰好。これも多分男の子。
「……」
 彼は、きょとんとした丸い瞳で、俺をまじまじと見上げている。
「うー」
「ボ、ボク……どーしたのかな?」
「むー」
 考え込むような仕草をし、眉を寄せた後。
 やがて幼児は、確かめるように小さな唇を開いた。
「……かーたん?」



「か……? かーたん?」
 幼児の呟きを、ハテナマークをつけて反復した俺の肩の上から。
 もう一人の幼児の、たしなめるような声が聞こえた。
「ちがう。ハーレム。まだ、ちがう。せんせい」
「む……せんせい?」
 もう一度、人差し指を口に含みながら、目の前の幼児が小首をかしげて聞いてくる。
 俺は、肩の上の小さな女王と、正面を交互に見比べた。
 二人は知り合いなのだろうか。いや、明らかに知り合いというより。これは……
 『まだ』の部分がちょっとばかり引っ掛かるが。
 俺はとにかく、『ハーレム』という名前らしい幼児を安心させるために、頷いた。
 すると、幼児は、小さな人差し指を俺に向け、また口を開いた。
「せんせい」
「そうそう。俺、先生」
「かーたん、まだ」
「か?」
 またである。何だその呼び方は。
 俺は、幼児に目線を合わせるように、かがんだ。勿論、女王は大事に肩に乗せたままである。
「いや、俺の名前は『シンタロー』っていうんだ。『か』はつかないゾ」
「むー」
 不満そうな幼児に、俺は代替案を提示する。
「そういう呼び方すんなら、うーん、『しんたん』かなあ……」
「……!」
 何だか気にいったらしい幼児は、ぴょんぴょん飛び上がりながら連呼し始める。
「しんたん! しんたん!」



 またまた戸惑った俺なのだけれど。とりあえず、女王に聞いてみる。
「この子、知り合いか?」
 ちょっと微妙な面持ちで頷くストレートの金髪。
 すると、にぎやかな方の幼児の、跳ねた金髪が、今度は女王の方に、ぐっと指を突き出して、主張した。
「ボクの、おとうと」
「なんだぁ、お前ら、兄弟かあ!」
 俺は、二人の金髪を撫でてやる。
 そして言った。
「そーだよなぁ! よく見りゃ、似てるもんなあ」
「むー」
「むー」
 俺のその言葉に、二人の幼児は、そっぽを向いた。
 なんだか、指摘してはいけないことを、指摘してしまったらしい。



 こうして俺は。
 右肩にストレートの金髪、左肩に跳ねた金髪を乗っけて、彼らの家を探しているのである。
「しっかし、兄弟して道に迷っちまうなんて、ドジだなあ」
 俺の言葉に、右に左に、しかし必ず逆の方向に首をかしげる二人が、とても可愛らしい。
 幼児といえど、二人いっぺんに肩に乗せるのは、かなり重かったが。
 でも。でも、俺は、先生なのである。
 これぐらいは朝飯前。
 さすがに息をつきながら、俺は歩く。二人に話しかけながら、歩く。
 道を歩くにあたって、俺は、二人に聞いたものである。
 何か、家を探す目印はないかと。
 すると、二人は顔を見合わせ、それからこう声を揃えて言った。
『きー!』
『きー!』
『き? き、って、木?』
 そう、二人の家の庭には、目印の木、が立っているらしいのである。とても背が高く、目立つ大木なのだという。
 どうやら二人は、迷子になった時はそれを頼りにしなさいと、保護者から――たぶん親だろう――言いつかっているらしいのだ。
 だが。
 俺は、ぐるりと辺りを見回してみる。
 この閑静な住宅街(俺の住んでいる、ちょっとごみごみしている地区とは大違い)の中で。木、なんて。わかるものだろうか?
 そんなもの、普通はビルや家に隠れて、見えないんじゃないだろうか。
 どうもなあ、不安だなあ。
 ま、どうしても見つからなかったら、警察か何かで聞くしかねえなあ、等と。
 そんなことを考え考え、幼児に話しかけ話しかけ、俺は腕の買い物袋を揺らしならが、そして微かに息を荒くしながら、歩く。
 しかし、すぐにわかった。
 そんな心配は、無用だったのである。



「……あった」
 道の開けた広小路に出た時に、俺の目に飛び込んできたのは。
 なだらかな丘の沿って続く敷地、森だろうか、濃い緑の一群、ビルはおろか建物すらない広々とした空間、白壁以外には遮るもののない壮絶な空。
 空の向こうには、地平線に夕陽が沈もうとしている。
 その淡い光を浴びて丘上に聳え立つ、ぽつんと周囲から飛びぬけた木。一本杉、一本松というが、種類は知らないがそんな感じの、空に突き立つような、木。
「あ、あんだこりゃあ……」
 張り巡らされる壁がなければ、ここはどこの国立公園かと思うほどである。
 木よりも、この空間に目を丸くする俺の両肩の上で、幼児が口々に言う。
「おうちー」
「おうちー」
「……お、おうち……なの? キミタチ」
 幼児がまた、こくんと右で左で、頷いている。



 果てしなく続くかと思われる白壁である。
 壁は連綿として続き、人間からちっぽけなネズミになってしまったんじゃないかとまで、俺は錯覚を起こしかける。
 歩いても歩いても、壁がある。
 しかし……
 確かに、目印の木が見えているから、道に迷いはしないのだが。いや、庭の木って。あれって、庭の木なの? この地域一帯の御神木、とかじゃなくて?
「……こ、これは……家か? 家なのか?」
 人通りはない。
 きれいに敷き詰められた石畳が、こつこつと音を立てる。
 美しく繁る街路樹の並木が、夕陽を浴びて、さわさわとそよいでいる。
 なんだ。さっきまで俺は、商店街にいたのに。住宅地を歩いていたはずなのに。
 なんだ、この、突然セレブな空間は。
 やがて。白壁の途切れ目が、見えてきたのである。



 俺の背よりも大分高いから、3メートルぐらいはあるだろうか。
 巨大な鉄の門が、やたら華麗な文様が彫られた丸い柱と共に、でん、と立っていた。
 門の中を覗きこむと、そこからさらに私道(だろうか?)が続いているようであるけれど。
 何だか、その道の先に、巨大なお屋敷が見える。お屋敷。豪邸。邸宅。何て言えばいいんだろう。とにかく、なんか凄い建物が。
 とても一般人が近づける雰囲気ではない。
「……」
 思わず立ち止まり、呆然とその様子を眺めている俺に、肩の上からしきりにせかしてくる幼児二人である。
「ここー」
「ここ、おうち」
「へ、へえ……」
 俺は戸惑った。
 なんだか。入るのにも、勇気がいるんだけれど。
 でも、ま、まあ。この二人がここが家だって、いうのなら。
 仮に違っていたとしても、中の人に事情を話して、謝ればいいことだし……いや、中の人って、多分警備員の人とかいそう。
 で、でも、ここ。
 ホントにホントに、個人の家なのか? なんかもっと違うモンなんじゃねえのか?
「はやくー」
「はやくー」
「……わかったよ……」
 勇気を出した俺は、ずい、と門の内に足を踏み出した。
 すると。
 お屋敷から、飛び出てきた人影がある。
 俺が歩を進めれば、どんどんと近付いてくるその姿。
 すぐに、それは見知った姿であると、俺は気付く。
 いや、見知ったっていうか。さっきまで、一緒にいたし。さっきまで、悩み相談室で散々……
 え。あの。オイ。
 きらきらと金髪を輝かせて、駆けてきた少年は。
 俺に向かって、親しげに手を振った。
「やあ、先生、いらっしゃい!」



 俺は、どんな顔をしていたんだろう。
 情けない声が、漏れる。
「へ? マジック……? なんでお前がここに?」
「だってここは僕の家ですから」
 立ち尽くしている俺の頬を、両側から、幼児がぺちぺちと叩く。
 降ろせということだろうと了解し、とりあえず俺がしゃがむと、二人はさっと飛び降り、マジックに向かって駆け寄った。
「マジックにーたん!」
「おにいちゃん!」
「おかえりー! ハーレム、サービス!」
 幼児二人と同じ金髪、青い瞳をした少年は、二人の頭を『よくやった』という風にくしゃくしゃとやった。
「よーしお前たち! いい子だね! 居間におやつが用意してあるから、先に行っておいで!」
「わーい! おやつー!」
「おやつー!」
「いいかい、ちゃんと手は洗うんだよ! それと、うがいも忘れないようにね〜」
 きゃあきゃあ屋敷の中に走っていってしまった幼児たちの背中を、俺は見送っている。
「さて、と」
 それから、こちらに向き直ったマジック少年は。
 目を白黒させる俺に、それはキレイな所作で、爽やかに微笑みかけたのだった。
「シンタロー先生、我が家にようこそ



 すると。
 そのマジックの声を合図としたように、地の底を這うような金属音が、木霊した。
 ギギギギギ……ギギギギギギギ……。
 振り返れば。
 俺の背後で、たった今、通ってきたばかりの鋼鉄の扉が、重々しく閉ざされていく。
 一瞬の間の後、俺は事態を把握した。青ざめる。
「うおー! 閉じ込められたーっ!」
 俺は慌てて門まで走り、かためた拳でガンガンと扉や鉄柵を叩くが、それはびくともしないのである。
 監禁されてしまった!
 つうっと俺の額を、冷たい汗がつたう。
 焦る俺の背後で、無邪気な小悪魔が言う。
「やだなあ先生、人聞きの悪い。誰が先生を閉じ込めるっていうんです。そんな奴、僕は先生のナイトとして、地球上から抹消しちゃう覚悟です 安心してください
「お前だ、お前! くっ……開かねえ! あんだよこの門! くうう〜〜〜〜っ!」



 力にかけては、ひとかたならぬ自信のある俺であるのだが、ああ無情。
 暗色の鋼鉄は、眉ひとつ動かさない風に、冷たく俺の前に佇んでいる。
「先生、あんまり門を弄ると、セキュリティ装置が作動して、警備員の一個中隊が駆けつけてきますから、ほどほどにしておいてくださいね」
「ううっ……」
 ああ、俺の力だけでは無理だ。
 窮地に陥り、俺は叫んだ。頑丈すぎる門の外に向かって、呼びかける。
「誰か――ッ! 誰かいねえか――ッ!」
 しかし、背後から、くすくす笑う声がするばかり。
「はは、誰も来ませんよ だってこの辺りの敷地、全部僕んちですから。僕と兄弟と、あとは僕に忠実な使用人しかいません
「だーれーかー! 助けて――! ここを開けてエ――ッ!」
 ガンガン! ガンガンガン! ガン……ガ……ン……ガ……――
 ガクリ。
 門を叩く拳もむなしく、俺は、がくりと大地に膝を落とした。
 すると、ぴょんと背中に飛びつかれて。
 冷や汗の滲む首筋に、ぎゅっと抱きつかれて。
 明るく可愛らしい声に、耳がくすぐられたのである。
「えへ、僕、先生は絶対に来てくれると思ってました〜 だって約束したもんね シンタロー先生だぁいすきです






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