僕の先生

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「やあ嬉しいな、先生がわざわざ僕を訪ねてきてくれるなんて!」
「お前の言葉使いは、やはり間違っている」
「なんだかんだ言って、やっぱり先生も僕のことが気になるんですね そうだと思ってました」
「もーな、オマエな、いい加減にしてくれよ……」
 こうなった以上、仕方がない。
 あきらめた俺は、肩を落として、マジックの導き通りに、屋敷に入ることにしたのだった。
 さあさあと水が蝶の形に流れ落ちる噴水を通り過ぎ、品よく手入れされた前庭を踏み分け、幅広の車寄せに続く大理石の石段を登り、外壁を彩る優美な文様に、溜息をつく。
「どうぞ、どうぞ」
 これも荘厳なオーク材の扉を、やけに紳士めいた仕草で開けてくれたマジックを、俺は何だか超然とした心地で、見下ろしてみる。
 すると彼は、コホン、と勿体をつけて咳払いをすると、嬉しげに言った。
「シンタロー先生、ようこそ! むさくるしい、あばら家ですが
「その社交辞令は嫌味だと、先生は、お前になるべく大人になる前に気付いてもらいたい……」



 吹き抜けのホールを通り過ぎ、磨きぬかれた長い廊下を過ぎて、やけに明るい空間――これが居間らしい、に入ると。
 部屋の真ん中に据えられたソファから、口の回りをクッキーの粉だらけにした幼児が、嬉しげに立ち上がった。
「しんたん! しんたんがきた!」
 マジックが憮然としている。
「ずるいぞハーレム! 僕だって先生を愛称って呼びたいのを我慢してるのに!」
「いやヤメテ。そうなったら俺、登校拒否するから。ヤメテ」
「そうですか? 残念だなあ……」
 こっちが三番目の弟のハーレムです、そしてこっちが末の弟のサービスです、二人は双子なんですよ、等と紹介してくれるマジックに、俺は落ち着かない思いである。
 畳で言うと何十畳あるんだろうか、すっきりと広い、それでいて居心地のよさそうな空間、高価そうな毛の長い絨毯、いかにも貴重そうな調度品……こんな部屋に来たのは、初めてだったから。
 そして、この場所に、当たり前のように馴染んでいるこの兄弟たちにも、何だか、そわそわしてしまう。
 ぼんやりと立ち尽くしていた俺に、ソファを勧めてから――またこのソファの革の手触りが極上なのだ――。
 マジックが、思い出したように言った。
「そうそう、双子のカメラとマイク外しておかなくっちゃ」
 あまりにさりげない風なので、危うく聞き流す所だった。
 マジックは、弟たちの背後に順繰りに回って、首の裏辺りから、何やら小型の機械を取り外している。
「……お前……なんだヨ、そりゃ」
「え? いやいや。気にしないで下さい」
 するとクッキーに夢中になっていた双子が振り返って、得意気に教えてくれた。
「えっとね、にーたんとそれで、おはなしするの」
「とおくにいても、おはなしできるの」
「なにィ〜〜〜〜!!!」
 俺の血液が、沸騰した。



「ははは、先生、まあ過ぎたことはいいじゃないですか。水に流して」
「流せるかぁ――!」
「いいじゃないですか、先生はこうして、我が家にめでたく来てくれた訳ですし。終わり良ければすべてよし。ね
「ね じゃ、ねえ!!!」
 なんとマジックは、双子に隠しカメラとマイクをつけて、遠隔操作していたらしいのである。
 計画的に、この俺を、屋敷に誘い込んだのだ。
 うすうすわかってはいたが、その手口。これを怒らずして、何を怒るというのか。
 カッカする俺に対して、マジック少年は明るく笑っているばかり。
「怒らない、怒らない。どうどう。先生、落ち着いて。紅茶でも飲んで」
 まったくとんでもない少年である。
 都合が悪くなったと判断したのか、マジック少年は『それじゃ先生、少々お待ちください あとそれからお前たち! クッキーは食べ過ぎるんじゃないよ、すぐに御飯にするからね』等と、いそいそと白いレースのエプロンをつけ、キッチンへと立ってしまった。
 異様に似合っていたエプロン姿に、驚きを隠すことができない俺である。



「……たくっ」
 少年の姿が消えた後、怒りの矛先を失った俺は。
 ふう、と、いらだちを治めるために、出された紅茶を一口すすった。
「? ……へえ」
 そして、入れ方が上手いなと感心する。
 茶葉も良いのだろうが、ここまでの芳醇さを醸し出せるものではない。
 なかなかやるな、マジック……等と、俺が紅茶を吟味していると。
「……せんせい」
 俺の雰囲気が和らいだからだろうか。すぐ側に、サービスが寄ってきていた。
 何かを要求している素振りを読み取って。
 今まで自分が怒っていたことが、気まずくなった俺は、ハハハとそれを打ち消すように、笑って言う。
「おっ、抱っこか? 抱っこ」



 俺はこの末っ子を、自分の膝の上に乗せてやる。
 勿論、ちみっこの相手は、俺は大好きなのである。
「そいじゃ、先生と一緒に、クッキー食べよう。クッキー」
 そうして、テーブルから取ったクッキーを、差し出してみたものの。
「……」
 幼児は押し黙ったまま、受け取ってくれないのである。
 ただ、膝の上から、なぜか物言いたげな顔で、じっと俺を見上げてくる。
「なんだ? どうしたんだよ?」
「……」
 まさか。
 思い当たった俺は、その人形のような顔に、聞いてみる。
「……膝じゃなくて、肩?」
 青い目が、肯定の意を表していた。



 俺はよいしょと小さな体を抱え上げ、道を歩いた時のように高々と、肩に腰掛けさせてみた。
 さっきは、目印を見つけて貰う意味で、肩に乗せていたんだけれど……
 果たして。
 いったん腰掛けてしまうと、幼児は、前を見たままもう何も言わなかった。
 俺は、また聞いてみた。
「……気に入ったの?」
「……」
 綺麗な金髪が揺れて、無言で頷くサービスに。
 俺は、そうですか、ではごゆっくり、と心の中で呟くことしかできなかった。



 すると。
「あ! あー! ずるいー! サービス、ずるいー!」
 ぱたぱたとキッチンとの間を、はしゃいで往復していたハーレムが、この光景を目にし、大騒ぎを始めた。
 駆け寄ってきて、駄々をこねだす。
「ボクもー! ボクもー!」
 ――結局。
 俺は、左側からは、きゃっきゃっと髪や鼻を引っ張られることになり、右側には女王を乗せる馬のような、うやうやしい敬意と注意とを、払わされるハメに陥ったのである。
「……」
 悄然とソファに佇み、それでも何とか紅茶を口に含む俺である。
 クッキーを、ぽりぽりとかじった。うん、美味い。アーモンド風味。
 やわらかなソファが、三人分の重みに、きいっと控えめに悲鳴をあげていた。



 するとすると。
「ああああっ! き、貴様〜〜〜〜〜っ!!!」
 聞き覚えのある声がして、俺は戸口の方へと振り向きたかったけれど、双子の重しのお陰で叶わなかったのである。
 足音がして、カシャンガシャンと慌しく、壁から何か金属の枷を外す音がして。
 双子を肩に乗せた俺の前に、次男坊のルーザーが立ち塞がったのである。
 手には、今まで壁にかけてあったのだろう、装飾用の刀剣を構え、ぴたりと狙いを俺の喉につけている。
 燃える瞳をして、彼は俺に言い放った。
「僕の弟たちを床に降ろせ! 人質をとったつもりだろうが、そうはいかないぞ!」
「……」
「放せ! 人質を解放しろ!」
「……」
 疲労を感じて、俺はうなだれる。
 肩の上では双子が、『ひとじち! ひとじち!』と手を叩いて喜んでいる。
 じっと座ってもらっている分にはまだいいが、そう盛んに動かれると、俺の肩の筋肉や骨が、ちょっときしきし言い出すのが。
 辛いのだけれど。
 ……やっぱ、かなり、この子たち。常時、両肩に乗せておくには。
 ――ずしりと重い。
「聞こえないのか! おのれ、僕がひるむとでも思ったか!」
「……」
 俺が、ちょっと切なくなっていると、キッチンから最後の兄弟がやってきた。
 ついに全員集合である。



「ルーザー! またそんなもの振り回して!」
 ぱんぱんと手を叩きながら、フリルの裾をひるがえし、彼は慣れた様子で、弟をたしなめだした。
 形勢不利と見たか、いまいましげに舌打ちした次男は、しぶしぶ剣先を下ろして。
 俺に向かって、捨て台詞を吐く。
「くっ……いつか、口の中に指を突っ込んでやるから……覚悟しておけ」
「ルーザー! また口の中に指、突っ込みたがって!」
 手を洗ってきなさい、お茶でも飲んで、それからちょっと早いけれど、御飯にするから! 等と弟に命じた後、マジック少年は、にこやかに笑って、俺の方(正確には、肩に双子を乗せているから、三人の方)に向き直った。
 そして言う。
「先生、すみません。知っての通り、あの弟は、ちょっぴり過激なんです」
「ちょっぴりじゃねえだろ、ちょっぴりじゃ」
 双子の重さと様々の疲労から、思わず無言になっていた俺が、ぼそりとそう言うと。
 マジック少年は、ここぞとばかりにこう付け加える。
「でも安心してくださいね。先生に万が一のことがあったら、兄である僕が責任取りますから」
「ああ?」
 俺は不吉な予感に、眉をピクリと動かした。兄たちの騒動に飽きたのか、肩の上で双子たちが、なにやらもそもそ動いているのを、感じながら。
 こんどは両側から俺の髪が引っ張られる。
 痛い。
「何かあったら、僕が責任を取って、先生と結婚しますから! 先生は何も心配しなくっていいですよ
「そっちのが心配だぁ――っ!!!」
「ええと、ルーザーの剣が、先生の大事な身体の一部をかすめた時から、責任成立ですから。たとえ小指の先でもいけません……ああ、ルーザー、もっと精進しないといけないよ」
「……」
 洗面所から戻ってきたらしい弟に、声をかけるマジックと。
 相変わらずキツい目で俺を見据えているルーザーとを、俺は交互に眺めて。
 俺はこの美少年の剣を、命を懸けてトコトンまで避けきろうと、決意を固めたのだった。



「さあさあ双子も! まったくモンチッチだね! 高い所に二人して登るのが好きなんだから! 先生は椅子じゃないよ! そろそろ降りなさい」
 モンチッチ呼ばわりされたことが不服だったのか、やけに素直に肩から降りてくれた双子に、俺は胸を撫で下ろす。
 『今、オーブン使ってますから』と、一息ついたらしいマジックも、にこにこしながら俺の正面に腰掛けてきた。
 新しく紅茶を入れ直してくれる。五人でソファに座り、膝突き合わせて、ちょっと落ち着いた雰囲気が部屋に立ち込める。
 もっとも、
「……僕は宿題がありますから。夕食になったら呼んでください」
 と、一杯だけを優雅に飲み干すと、すっと立っていってしまうルーザー、一所に長く座っていられないらしいハーレムが、サービスにちょっかいをかけて、わあわあ部屋の隅で騒いでいる双子であったから、それは一瞬のことなのだったけれど。
 俺は改めて思ったものだった。
 一人でも、なんだか凄いのに。四人揃うと、壮観である。
 絵本から抜け出てきたのではないかと感じるぐらいに、現実離れした空間が、そこには広がっていたのだ。



「しっかし……スゲエ家だな……オイ」
 凄いのは、住人だけではないのである。
 こちらも改めて屋敷内を見回した俺は、あちこち首を回しすぎて、付け根が痛くなる。
 きっとナントカ調の荘厳な彫刻をあしらった白柱、大理石の壁、銀色に輝くシャンデリア。先刻通り過ぎてきた玄関ホールには、おそらく聖書の一場面を描いたのであろうステンドグラスまであった。
 そして家の造りは勿論、彩る調度品まで豪華。
 俺は、飾り棚の上に置かれた、ガラスの壷に目をやった。
 アールヌーヴォーってやつだな、と、俺は流石にこれには見当をつける。
 淡い桃色の地に、美しい緑と茶味がかった藍が絡み合い、初夏の花々を描き出している。
 その脇にある銀細工の女神像。
 瞳に埋め込まれた赤い宝石――おそらくルビー――が、深遠の色を湛えていて。
 壁にかかった抽象画が、あたたかな趣を醸し出している。
 装飾品たちは多々ありながらも互いに調和を保ち、この家族の居間に気品を添えているのだった。
「……」
 俺は、溜息をついた。
 そして思う。
 ――いったいいくら金かけてんだろ。
 それが、俺のこの家に対する正直な感想だった。あの壷一つだけで、俺の給料の何ヶ月分するかだけでも、知りたい。



 俺の思考を読んだのだろうか。マジック少年が、口を開いた。
「先生、僕と結婚したら、みんな先生のものですよ?」
「えっ!」
 少年はにっこりと微笑んでいる。
 ちょっと目の色が変わる俺である。かなり声が震えてしまう。
「……み、みんな?」
「はい。ここにあるものだって何だって、全部」
 こ、ここんちの金目のモノ、全部! ぜんぶ!
 思わぬマジックの言葉である。
 彼はまるで、それが何でもないことであるかのように、さらりと言い放つ。
「この家も庭も敷地も、他の所有地も学校も会社も組織も隠し財産も、人に言えないような色々も全部ですよ」
「ええっ!!!」
 色々、ってよくわかんないケド、俺、一挙に超金持ちじゃんッ!
 なんだよ! なんだよ、その特典はッ!
 俺の、膝の上に固めた拳に、じわりと汗が滲んでいく。
「僕らの一族って、基本的には一子相続……総領相続なんですよね。跡継ぎが全財産を相続して、その代わり他の兄弟を扶養したり一生の便宜を図る、みたいな。僕、長男だから今の所、跡継ぎってことになってますし」
「えええっ!」
「僕のものは、すべてシンタロー先生! 先生にあげますヨ みんなみーんなあげちゃいますよ
「えええええっ!!!」
 ごくり、と生唾を飲み込む俺である。
 カネ! カネが、俺の手にッッッ!!!



「……」
「……」
「うおおっ!」
 欲望に流されかけていた俺の目の前に、ふと気付くと幼児のキラキラした四つの瞳があった。
 俺は思わず後ろにのけぞる。
「しんたんせんせい、サカー!」
「せんせい、あそんで!」
 サッカーボールを抱えた双子が、期待に満ちた目で、俺を見つめていたのだ。
 その澄んだ瞳に、俺は自分が恥かしくなった。
 俺……ああ、俺ってやつぁ!
 汚れた大人に、なっちまったのかあぁ!
 心の涙を一拭きし、がばっと俺は立ち上がる。サッカーボールをがしっと受け取る。そして言う。
「よおし! 遊ぼう! 先生と遊ぼうな!」
 邪念を払うように、俺は叫んだ。
「そうれ、競争だ〜」
 居間に続いたテラス、そこを抜けて庭の方へと、駆け出す俺である。
 わーい、わーいと歓声をあげながら、後ろから双子がとてとてついてくる。
「三人ともー! もうすぐ御飯だから、すぐ戻ってきなさいね〜」
 そして妙に所帯じみたマジックの声も、その後から、ついてきたのだった。



 夕食のテーブルについた俺は、またうならされたのである。
「これ、みんなお前が作ったの?」
「はい
 相変わらずハートマーク飛ばしまくりのマジックの顔を、俺はまじまじと見つめた。
 白レースのテーブルクロス上に並ぶ家庭料理。ほかほかと湯気を立て、幼い家族を優しく包みこむ。
 トマトソースが香る、きつね色にこんがり焼かれたコテージパイ。初夏の野菜に、オリーヴオイルで焼いたクルトンを乗せた、大皿のサラダ。鮮やかなパプリカにレタスの緑が、目に眩しい。そら豆のスープは、とろりとして、パンによく合う爽やかさ。
 切子硝子の水差しには、薄く輪切りになったレモンが、水の中で揺れている。



 そして味がまた。ほんの子供が作ったとは思えないぐらいに、美味いのである。
 一口ごとに、俺は感心しきり。俺を感心させるとは、こやつ並大抵ではない。
 凝っている。さりげないようで、実は沢山の素材を使用している。
 むむ、と俺は、腹の中でまたうなる。
 紅茶の時も思ったが。マジックのやつ。
 ……できる。かなり、できる。こんな身近な場所に、しかも子供に、俺の料理のライバルがいたとは。盲点だった。
 例えばコテージパイに使っているトマトソース。トマトピューレと醤油とバルサミコ酢に、大蒜とパセリのみじん切りを加えていることまではわかるのだが、おそらく火を止める前に、隠し味を加えている。それが何か、ということに、さすがの俺も気付くまでに数分かかった。
 スプーンをくわえたまま、ピタリと止まっていた俺は、ちろりと横目でマジックを見る。そして言う。
「アニスリキュール……?」
 マジックも、びっくりした顔をして動きを止める。
「えっ、先生、よくわかりましたね!」
「ハハ、まあな。甘味あるし。すぐわかるさ」
 ふう、と心中で胸を撫で下ろした俺は、余裕たっぷりに笑ってみせたのである。
「そりゃわかるさ。先生だしナ」
「さすがですね、シンタロー先生!」
 教師の威厳を保つのも、なかなかマジック相手には大変なのだった。
 俺にも料理好きのプライドがあるから、ちょっとしたソムリエ対決(俺一人だけど)気分である。



 食後。なんだか幸せな気分で余韻に浸っていた俺だったのだが。
 ここで勿論、料理通としては、このまま引っ込んでいる訳にはいかないのである。
 こんなの食べさせられちゃ、対抗心も沸くってものである。
 俺は腕をまくりあげ、キッチンへと立つ。
 材料なら、さっき商店街で買い込んできた自前のものがあるのだ。調味料や器具は、ここに一通りのものが揃っているみたいだし。
「デザートでいいなら、作ってやるよ。用意してねえから、簡単なモンだけどナ」
 それに、これだけ御馳走になっておいて、何もしないのは、正直心苦しい。
 俺がそう言うと、子供たち――正確にはマジックと双子――は、歓声をあげた。
「わあ、先生の手料理が食べられるなんて! すでに夫婦みたいですね、僕たち 手料理つくりっこは夫婦のたしなみ
「さあて、今のは聞かなかったコトにして、先生、がんばるからなー!」



 考えてみれば、人のために料理を作るなんて久しぶりだ。学生時代に友達に振舞ってやったぐらいのものだから。一人暮らしの俺である。
 腕が鳴る。
 ――昔、弟に作ってやったっけ……
 手早く、俺は。
 朝食用に買ってあったグラハムクラッカーを細かく潰し、溶かしたバターを加えて、さっくり生地を作る。
 ビールのつまみになるはずだったクリームチーズを、レンジで温めてやわらかくし、砂糖やバニラエッセンスと一緒に、しゃかしゃかかき混ぜて。大きな冷蔵庫にあったクリームを入れる。レモンを絞って、卵を入れて。
 なめらかになったところで、これもキャビネットにちゃんとあった型に、流し込んで。軽く指で型を叩いて、気泡を抜くのがコツである。
 そして、オーブンで焼く。
 上面に色がついたところで中火にしたりと、俺は忙しくして。額の汗をぬぐって。
「よおーし!」
 簡単に、チーズケーキの出来上がりである。
 大喜びの三人に、俺は胸を張る。
 さあどうぞ、と皿を出し、紅茶を入れ直して、居間で団欒の時間である。
 おいしい、オイシイと言われると、作った甲斐があったというものだ。
 でも、そこで意外なことが起こった。
 次男坊の、ルーザー少年が。
「……おいしい」
 と、思わず、という感じだったが、言ってくれたのである。
 かなり驚いた俺だったが、そんな素振りはぐっと飲み込んで、当然だという風に答えた。
「だろ?」
「……」
 しまった、の顔をしたルーザー少年は、ちょっと黙って、それからこう言った。
「言っておきますがね! 食後のデザートが美味しかったぐらいで、僕が貴様の存在を許したと思ったら、大間違いだからな!」
 俺は。
 この子って可愛いな、と。そう思った。



 なんだかんだで、俺は楽しい時を過ごしたのである。
 明日からは週末だったし、まあ、こういうのもいいなと、俺は思う。
 たまには。いい。
 グンマ先生やキンタロー先生にもさりげなく指摘されていたけれど、今の俺に一番必要だったものは、こんなリラックスだったのかもしれない。
 気を張り詰めていた俺の心が、また、ふうっとやわらかくなってくるのを、俺は感じていた。
 ……この子たちに、感謝、しなくっちゃな。
「何を笑っている」
「え?」
 知らない内に、微笑んでいたらしい。
「俺、笑ってた?」
「笑ったぞ! 何を笑ったんだ! 答えろ!」
 意思表示か、ソファの一番端っこ(俺から最大限に離れた場所)に、腰の先だけで座っていたルーザー少年が、目ざとく咎めてくる。
 実はこの子は、人の気持ちに敏感な子なのかもしれない。でも、その受け止め方が、不器用なタイプなんだろうな。とか。
 本当に俺に関心を払ってくれてるんだなあ、とか。そんなことを思いながら。
「いやあ、この家にいたら楽しくってナ。いい子ばかりだからさ。自然に笑っちまったんだよ」
 と、俺は頬を指で掻きながら、本当のことを子供たちに話す。
 俺のすぐ側にいた三男坊が、まるで挙手するみたいに手を上げた。
「ボク、いいこ!」
 さらにその側から、ぼそりと聞こえる声。
「……サービスのほうが、いいこ」
「むー! サービス! ボクのがー!」
「はいはい、どっちもいい子だよな!」
 言い争いになる寸前で、俺は二人の頭を両手で撫でてみた。やわらかい金髪。とても気持ちがいい。
 俺は、大きな目を細めている双子から、いまだに胡散臭げなまなざしで俺を見ている次男坊に、視線を移す。
「もちろん、キミもね」
「……アナタに言われたくありません……」
 俺の言葉に、ルーザー少年は決まり悪げに、空の皿を、フォークでつついていたのだった。
 いつの間にか彼の言葉使いが、ほんの少し優しくなっていた。



 まあ、いい子ばかりって、確かに言ったけど。
「シンタロー先生、カワイイ…… 笑った顔、カワイイ えへ、僕もいい子ですよね よかった、いい子で
 両手を合わせて、うっとり乙女モードで、目なんかうるうるさせちゃってるマジック少年の姿は、流石にどうかと思うが、な。
 一度、視力検査をさせた方がいいかもしれない。



 デザートが済んで、ルーザー少年は自室に戻ってしまった。
 双子は、並んでテレビの前に座り込んでしまった。これから好きなアニメがあるらしい。
 外はすでに暗い。
 そろそろ帰ろうか(というより、あの門は開くのか?)と思い始めた俺に、マジックがこう話しかけてきた。
「先生。木を、見に行きませんか」



 木? なんだそりゃ、と。俺が言う前に、マジックが説明する。
 俺がこの家に来るまでに目印にした、背の高い木。家裏の、丘にそびえるその木を、見に行こうと言うのだ。
 木もそうだが、
「丘の上から見る星空が、最高なんです」
 なのだとか。
 少年は期待に満ちた目で訴えてくる。
「ねえ、先生。行きましょうよ。この家の一番の名所です
「お前の家には観光名所まであんのかヨ……」
 イヤな予感がする。
 そこで、ハッと俺は、そもそも自分がここに来るまでの、彼の策略を思い出したのだった。
 やべえ。アットホームに和んじゃいたが、そういえば俺は騙されて!
 警戒心のヴェールを慌てて身に纏い、俺はちょっと冷たい声を出す。
「いいよ。もう俺は帰るから。門を開けろヨ」
 マジック少年は、大袈裟な身振りで肩を竦めて、やれやれのポーズをする。
「行った後で、門は開けてあげますから」
「いーや、今、開けろ。つうかな! 『あげます』ってナンだよ! お前は教師を監禁して……」
「ああ、もしかして、先生……」
 マジックの声が、急に、からかうようなトーンに変わる。



 口元に笑みを浮かべて、少年が言った。
「そうか、シンタロー先生は、僕と二人になるのが怖いんですね、それなら仕方ない」
 この言葉が、カチンと俺の気に触った。ストライクである。
 子供の、子供のクセにっ! 生意気なッ!
「こっ、怖い訳あるかよ! 大人をバカにしやがって」
「そうですか? でも、なんだか警戒しているような」
「うっ」
 図星だった。
 でも、無理もないということをわかってほしい。
 俺は騙されてこの家に連れてこられたという事情を、わかってほしい。
 そりゃ、来たら来たで、ちょっといやかなり楽しかったのだけれど。
 最初は無理矢理も同然だったから、俺が警戒するのも仕方がないのだ。
 この少年は、妙に賢くって、本当は何を考えているかが、俺にはさっぱり理解できない。
 だから、実の所、『怖い』というマジック少年の指摘も、当たらずとも遠からずなのである。俺は彼から、子供でありながら、子供じゃない何かを感じている。
 この感覚を言葉で表せば、それはやっぱり、警戒、なのだろう。
 しかし――
 俺は、負けず嫌いなのだった。
 『怖い』と言われて、『怖い』と答えられる訳がない。
 それも、こんな子供に。俺は大人なのに。
 馬鹿にされてたまるか。
 必然の理として、俺は勿論、こう言うしかなかったのである。
「ンな訳ねえだろ! よーし、一緒に行ってやろうじゃねえかよ、その木によ」






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